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第7話:畳の表替えとDIY精神

木造アパート『コーポ日ノ出』の二階、現在空室となっている201号室。

初夏の日差しが薄汚れたガラス窓を通して差し込むその部屋で、大家である真木征司(元魔王ヴァルザード)は、腕を組んだまま深く、そして重いため息を吐き出した。

「……酷いな。これは想像以上の惨状だ」

彼の視線の先にあるのは、六畳の和室に敷き詰められた『畳』である。

前の住人が退去してから長期間放置されていたためか、それとも単に使い方が荒かったのか。い草の表面は完全に日焼けして黄ばみ、擦り切れた箇所からはパラパラと細かいカスが粉雪のように舞い上がっている。素足で歩けば確実に足の裏にささくれが刺さる、まさに荒野と呼ぶにふさわしい有様であった。

「真木様。この状態では、いかに家賃を安く設定したとしても、新たな入居者を獲得することは不可能です。内見に来た人間は、この部屋を見た瞬間にきびすを返して帰っていくでしょう」

真木の横で、バインダーを抱えた元首席補佐官・佐伯凛花が冷徹な事実を突きつける。

「わかっている。だが、これを業者に頼んで綺麗にするとなると、一体いくらかかるのだ?」

凛花はバインダーをめくり、地元の畳屋から取り寄せた見積書を真木の目の前に提示した。

「六畳すべての『表替え(表面のい草と縁だけを新しく張り替える作業)』で、最も安価な中国産のい草を使用した場合でも、一枚あたり約五千円。六枚で三万円。これに出張費と古い畳表の処分費用、消費税を含めますと、総額でおよそ四万円弱の出費となります」

「よ、よんまんえん……ッ!?」

真木は目眩を覚え、思わず色褪せた砂壁に手をついた。

「たかが床に敷く草を新しくするだけで、我がアパートの家賃一ヶ月分に近い額が吹き飛ぶというのか!? この間、固定資産税の支払いのために私の生活費を極限まで削ったばかりだというのに!」

「これが不動産経営のリアルです、大家マスター。設備投資をケチれば空室が続き、投資すれば手元の現金キャッシュが尽きる。資本主義の無慈悲なジレンマですね」

淡々と告げる凛花に対し、真木はギリッと奥歯を噛み締めた。

四万円。黒木が解体現場で汗水垂らして四日間働かなければ稼げない大金である。それを、ただ業者の手配一つで失うわけにはいかない。

「……ならば、自力でやるまでだ」

「は?」

「業者を呼ぶから人件費がかさむのだ! 材料だけを調達し、我々の手でこの草(畳)を張り替えれば、部品代だけで済むはずであろう!」

「真木様、畳の表替えは職人の技術が必要です。素人が手を出してなんとかなるものでは……」

「やってみなければわからん! おい、黒木を呼べ! ホームセンターという名の武器庫へ、資材の買い出しに向かうぞ!」


* * *

一時間後。真木と黒木鉄心の二人は、杉並区から少し足を伸ばした郊外にある、超大型ホームセンターの店舗内に足を踏み入れていた。

天井ははるか高く、体育館のような広大な空間に、木材、塗料、工具、園芸用品が果てしなく並んでいる。

「おおおおおっ……! なんという巨大な宝物庫! 真木様、ご覧ください! あの陳列棚には、見たこともない形状の武具がズラリと並んでおりますぞ!」

黒木は目を輝かせ、電動工具のコーナーへと突進していった。

彼が食い入るように見つめているのは、最新型の『電動丸ノコ』や『インパクトドライバー』である。

「この回転する円形の刃! 魔力を通さずとも、電気なるエネルギーで稼働し、鋼鉄すら切断できそうな破壊力を秘めております! そしてこの小型の銃のような器具! 先端が高速回転し、物体に螺旋のビスを打ち込むというのか! ドワーフの魔導具すら凌駕する、恐るべき人間の叡智……ッ!」

「おい黒木、大声で騒ぐな! そして売り物の丸ノコを構えて物騒なポーズをとるな、店員が怯えているだろうが!」

真木は興奮する黒木の後頭部をスリッパ(店内で売られていたもの)で叩き、冷静さを取り戻させた。

「我々の今日の目的は武具(工具)の調達ではない。あくまで201号室の修繕資材だ。こっちへ来い」

真木が向かったのは、資材館の奥にある内装・木材コーナーだった。

ここで真木は、DIY用の『畳表ござ』と、畳のへりを補修するための専用テープ、そして床下の軋みを直すための安い『1×4(ワンバイフォー)材』をカートに積み込んでいく。

「いいか黒木、木材を選ぶ時はこうして片目を瞑り、木口から真っ直ぐに透かして見るのだ。安売りのSPF材は平気で反り返ったり、ねじれたりしているものが混ざっている。床の補修に歪んだ木材を使えば、ビー玉が転がる欠陥部屋になってしまうからな」

「ははぁっ! 流石は真木様、木材のわずかな歪みすら見逃さぬ、恐るべき『鷹の目』! 私も真木様に倣い、真っ直ぐで強靭な木材を選別してみせます!」

黒木も真剣な顔つきで木材を一本一本手に取り、親の仇のように睨みつけながら完璧な直線の木材だけを選び抜いていった。

さらに、畳にござを固定するための強力な『タッカー(大型のホッチキスのような工具)』と専用の針を購入。

すべての材料費と工具代を合わせて、合計一万二千円。

業者の見積もりの三分の一以下に収まった計算に、真木はレジの前で「勝った……!」とガッツポーズを握りしめた。


* * *

コーポ日ノ出の201号室に戻った二人は、首にタオルを巻き、本格的なDIY(日曜大工)作業に突入した。

「まずは、この古びた畳を引き剥がすぞ。黒木、やれ」

「御意!」

黒木は六畳間に敷かれた畳の隙間にマイナスドライバーを差し込むと、「ふっ!」と短い呼気とともに、三十キロ近くある本畳を片手で軽々と持ち上げた。

「おお、流石の怪力だ。だが壁にぶつけてクロスを傷つけるなよ、敷金から引けなくなるからな」

「はっ! 羽毛のように優しく扱います!」

六枚の畳をすべて壁に立てかけ、真木はちゃぶ台の上に置いたスマートフォンを操作した。画面に映し出されたのは、動画共有サイト『YouTube』である。

『はーい皆さんこんにちは! DIYチャンネルの時間がやってまいりました! 今日はボロボロになった畳を、タッカーを使って誰でも簡単に表替えする方法を解説しちゃいます!』

オーバーオールを着た陽気なユーチューバーの解説動画が流れ始める。

かつて魔界の玉座で世界征服の戦略会議を開いていた魔王と重装歩兵隊長が、今や六畳間で肩を並べ、食い入るようにスマートフォンの小さな画面を見つめている。

「なるほど……。古いござを固定している糸を切り、枠から外し、新しいござを被せて裏側からタッカーで打ち込んでいくという寸法か」

「真木様、この『たっかー』なる武器、私が撃たせていただいてもよろしいでしょうか!?」

「うむ、力仕事はお前に任せる。余は全体の指揮と、寸法(ミリ単位)の調整を行う!」

戦いの火蓋が切って落とされた。

まずは古いへりとござの撤去作業。長年蓄積された埃が舞い上がり、二人はゲホゲホと咳き込みながらも、マスクを装着して黙々と作業を進める。

そして、いよいよ新しい『い草』のござを畳の芯材(床)に被せる工程に突入した。

「黒木! ござを引っ張れ! 表面にたるみがあれば、そこに足を引っ掛けて転倒事故に繋がる! 限界までピンと張るのだ!」

「うおおおおおっ! 我が全筋力を以て、この草の束を引き伸ばしてみせます!」

黒木がござの端を両手で掴み、背筋を爆発させて引っ張る。

メリメリメリッ!

「馬鹿野郎、ストップだ!!」

真木が慌てて黒木の頭を叩く。

「力が強すぎる! 畳の芯材までへの字にひん曲がっているではないか! 加減をしろ、相手は勇者の聖盾ではなく、ただの乾燥したワラだぞ!」

「も、申し訳ありません! つい、戦場(現場)の癖でフルパワーを……!」

「少し緩めろ! ……よし、そこだ! 今だ黒木、タッカーを撃ち込め!」

「ははっ! 必殺、連射撃ち!」

黒木が巨大なホッチキスのようなタッカーを両手で構え、バチン! バチン! バチン! と均等なリズムで針を撃ち込んでいく。解体現場で培った手先の器用さと正確なインパクトの感覚が、ここでも見事に活かされていた。

新しいござを固定し終えると、次は仕上げの『へり』の取り付けである。

これは真木の出番だった。動画の解説通りに、アイロン機能付きの専用接着テープを使い、畳の角に合わせてミリ単位の狂いもなく縁を折り込み、アイロンの熱で圧着していく。

「ふむ……魔力制御の精密さに比べれば、アイロンの温度管理など造作もないこと。角の折りカドがビシッと出ていると、実に美しいな」

真木は額に汗を浮かべながらも、職人のような手つきでアイロンを滑らせていく。

一枚、また一枚と完成していく真新しい畳。

途中でタッカーの針が足りなくなったり、黒木が自分の指を打ち込みそうになったりと些細なトラブルはあったものの、初夏の蒸し暑い部屋の中で、二人は不思議なほどの充実感に包まれていた。

「よし……。これが最後の一枚だ。黒木、敷き詰めろ!」

「承知!」

黒木が完成した六枚目の畳を、パズルの最後のピースのように床の隙間へと滑り込ませた。

スコンッ、という小気味良い音とともに、六畳間の床が完全にフラットになった。


「……終わった」

真木は腰をトントンと叩きながら立ち上がり、完成した部屋を見渡した。

数時間前まで廃墟のようだった部屋が、今や見違えるように明るく、清潔な空間へと生まれ変わっている。真新しく青々とした『い草』の香りが部屋中に充満し、まるで日本の旅館の一室のような清涼感を漂わせていた。

壁際の一枚だけ、縁のラインがほんの数ミリだけ歪んでしまっていたが、素人の初めてのDIYとしては、百点満点に近い出来栄えであった。

「真木様……っ」

黒木が、真新しい畳の上で正座をしたまま、またしてもボロボロと涙を流していた。

「なんという美しさ。なんという芳醇な香り……! 我々の手で、この荒れ果てた領地を、これほど見事に復興させることができるとは……ッ! 破壊することしか知らなかったこの私が、何かを『創り出す』喜びを知ることができました!」

「泣くな、黒木。い草が湿るだろうが」

口では冷たく言いながらも、真木の顔にもまた、隠しきれない誇らしげな笑みが浮かんでいた。

彼らは魔力を失った。一瞬で城を建てるような魔法も、傷を癒す奇跡も、もう使うことはできない。

しかし、己の手足を動かし、知恵を絞り、ホームセンターの資材とYouTubeの動画を駆使することで、自らの手で生活空間を切り拓くことができるのだ。

「これが『DIYドゥ・イット・ユアセルフ』……自らの力で為すという、現代の人間の魔法か。悪くない」

真木は傍らに置いてあった、自販機で買った百円の缶コーヒー(微糖)のプルタブを開けた。

「黒木。お前の労働力のおかげで、我が軍は三万円の経費削減に成功した。これは大いなる勝利だ」

「はっ! ありがたき幸せ!」

「さあ、乾杯だ。この新しく生まれ変わった201号室に、新たな年貢の担い手(店子)が一日も早くやってくることを祈ってな」

チンッ、と二つのアルミ缶が、い草の香る部屋の中で涼やかな音を立てた。

少しずつ、確実に。

アパートの価値を高め、満室経営へと向かう大家・真木征司の地道な戦い。

その確かな一歩が、自らの汗とDIY精神によって、今ここに刻まれたのであった。

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