第57話:後片付けと偽装工作
東京・杉並区。深夜の郊外に位置するスクラップ工場跡地。
上空に開いていた赤紫色の次元ゲートが消滅し、吹き荒れていた暴風雨も嘘のように静まった午前三時過ぎ。
旧貴族派の急先鋒・ベルガモット卿とその直属の騎士たちは、完全に戦意を喪失し、泥水の中で真木征司(元魔王ヴァルザード)の軍門に下ることを誓っていた。
剣でも魔法でもなく、現代社会のルールと「ハローワークでの日雇い労働」という現実を突きつけられた彼らに、もはやかつての傲慢なプライドは微塵も残っていない。
「よし! 敵の完全な帰順と制圧を確認した!」
エンジ色のジャージ姿の大家・真木征司が、手に持った拡声器を置いて高らかに宣言した。
「これより、我らコーポ日ノ出防衛軍は、最終フェーズである『事後処理(後片付け)』に移行する! 天野巡査が周辺道路の封鎖をしてくれているとはいえ、夜が明ければ必ず工場の関係者や一般人がやってくる。それまでに、この戦闘の痕跡を完全に消し去るのだ!」
「「「御意ッ!!」」」
黒木鉄心(元重装歩兵隊長)をはじめとする店子たちが、一斉に気合いの入った返事をした。
真木は、スクラップ工場の中央に穿たれた直径数メートルに及ぶ巨大なクレーターと、暴風雨と魔力の余波でめちゃくちゃに散乱した鉄くずやトタン板の山をぐるりと見渡した。
「いいか皆の者。社会人にとって、トラブルを解決すること以上に重要なのが『現状復帰』だ! 来た時よりも美しくして返すのが、この日本社会における信頼の基本である! 魔法の痕跡や戦闘の形跡を残せば、明日には警察の鑑識が入り、我々の正体が暴かれるぞ!」
「大家の仰る通りです」
アタッシュケースを抱えた102号室の佐伯凛花(元首席補佐官)が、冷徹な視線で現場の被害状況をタブレットに入力していく。
「現場の破壊状況を数値化しました。この惨状を素人が手作業で片付ければ、ゆうに三日はかかります。しかし、我々の『現代の労働スキル』と『ホームセンターの叡智』を結集すれば、夜明けまでの約一時間で完全隠蔽が可能です」
「フハハハ! その通りだ! 黒木! 貴様の出番だぞ!」
「ははっ! お任せを!」
黒木は、大田組の作業着の袖をまくり上げ、スクラップ工場の隅に放置されていた一台の小型ショベルカー(重機)へと駆け寄った。
「おおっ、キーがつけっぱなしではないか。管理の甘い工場だ。だが、今は我々にとって都合がいい!」
黒木は迷うことなく運転席に飛び乗り、エンジンを始動させた。
ブルルルルンッ!!と、ディーゼルエンジンが力強い産声を上げる。
「大田組仕込みの重機操作、とくとご覧あれ! 我がレバー捌きは、もはや己の手足の延長なり!」
ガキンッ、ギュイィィン!
黒木の操るショベルカーは、まるで生き物のように滑らかに動き始めた。散乱した鉄骨や廃車のドア、トタン板を、ショベルの爪で的確に掬い上げ、元々積まれていたであろう場所に寸分の狂いもなく綺麗に積み直していく。
その神業的な重機操作に、縛り上げられて泥の中に転がっているベルガモット卿や魔界の騎士たちは、度肝を抜かれて目を丸くしていた。
『ば、馬鹿な……。あの巨大な鉄の獣を、あんなにも手足のように操るなど……。黒木隊長は、いつの間にあのような高度な魔導具の使役に長けたのだ……』
「魔導具ではない、建設機械だ! 貴様らも明日から現場に出れば、いやでも使い方を叩き込まれるわ!」
真木がすかさずツッコミを入れる。
「さて、我々も穴埋め作業に入るぞ!」
真木は、ホームセンターで調達してきた大量の袋を引きずり出してきた。
「『水で練るだけ! 超速乾モルタル』と、『屋外用コンクリートパテ』だ! これで、魔力が弾けて抉れた地面のクレーターを完全に埋め立てる!」
真木と、重機から降りてきた黒木が、バケツにモルタルの粉と水を入れ、スコップで猛烈な勢いで練り合わせ始めた。
練り上がった灰色のモルタルを、クレーターに流し込み、コテを使って表面を平らに均していく。
シャッ、シャッ、シャッ。
真木のコテ捌きは、もはや本職の左官職人顔負けの鮮やかさであった。
「フッ……。アパートの基礎のひび割れを自力で直すために、動画投稿サイト(YouTube)で左官の技術を徹底的に研究した成果がここに出たな」
「真木様、見事な平滑度にございます! 水勾配も完璧に計算されておりますな!」
「当然だ。水たまりができれば、そこから劣化が始まるからな。さらに、この上から周囲の泥と砂利をまぶして、色を同化させる! これなら、朝になっても『ただの地面のへこみを補修した跡』にしか見えん!」
一方、その他の住人たちも各自の任務を黙々とこなしていた。
「ターゲット(カラーボールの塗料)の払拭、完了しました」
103号室の久世颯太(元風属性魔導暗殺者)が、雑巾を片手にスクラップの間を飛び回りながら、魔法兵の顔面にぶち当てた激辛蛍光塗料の痕跡を、パーツクリーナーで完全に拭き取っていた。暗殺者の隠密技術が、完璧な証拠隠滅作業に全振りされている。
「ちょっと、あんたたち! 自分が切られた結束バンドのゴミは自分で拾いなさいよ! マイクロプラスチックが環境に悪いってニュースでやってたでしょ!」
202号室の神埼麗華(元吸血貴族)が、拘束を解かれた(ただし逃げないように真木に厳しく監視されている)騎士たちをこき使い、ゴミ拾いを強制している。
「わふーっ! 細かい鉄くずは、私が集めますぅ!」
201号室の園田乃愛(元ケルベロス)も、ホウキとチリトリを持って元気よく走り回っている。
「そして、最後の仕上げだ!」
真木が、背負っていた『ケルヒャー』の高圧洗浄機のノズルを構え直した。
先ほどベルガモット卿の絶対防壁を粉砕した最強の武器が、今度は本来の目的である『清掃用具』として火を噴く。
ブギュオォォォォォォォッ!!
圧倒的な水圧が、地面にこびりついた泥や、戦闘の際にこぼれた謎の体液(魔獣のヨダレなど)を、根こそぎ洗い流していく。
水圧で削り落とされた汚れが、工場の排水溝へと勢いよく吸い込まれていく。
「フハハハハハ! 見よ、この圧倒的な洗浄力を! コンクリートの表面が、新品のように白く輝いているではないか! これこそが、資本主義の生み出した真の魔法よ!」
高圧洗浄機を振り回しながら高笑いする元魔王の姿は、どう見ても深夜のテレビショッピングの熱狂的な実演販売員であった。
ベルガモット卿は、泥だらけのまま正座させられ、かつての主君が嬉々として床掃除をしている光景を見つめながら、ただただ無言で涙を流すことしかできなかった。
* * *
午前三時四十分。
作業開始からわずか一時間弱で、コーポ日ノ出防衛軍による現状復帰作業は完全に終了した。
スクラップ工場の中央は、戦闘前よりも明らかに綺麗に清掃されており、地面の補修跡もプロの業者の仕事と見分けがつかないレベルにまで仕上がっていた。
「……大家。外部の封鎖線で待機していた天野巡査が、こちらへ向かっています」
アタッシュケースの通信機器を確認していた凛花が報告した。
「よし。ベルガモットたちを奥のコンテナの陰に隠せ。警察に奴らの姿を見せるわけにはいかん」
数分後。
雨上がりのぬかるんだ道を、懐中電灯を手に慎重に歩いてきた杉並警察署の天野結衣巡査が、スクラップ工場の入り口から顔を出した。
「……真木さん! 皆さん、無事ですか!?」
天野は、息を切らしながら工場の中に足を踏み入れた。
彼女は、空の異常な亀裂が消滅し、落雷や暴風雨がピタリと止んだのを見て、決着がついたのだと確信してやってきたのだ。
だが、工場の中の光景を見て、天野は絶句した。
「え……? ここ、本当にさっきまで戦闘があった場所なんですか?」
天野が懐中電灯で周囲を照らす。
スクラップの山は整然と積まれ、地面の泥汚れは高圧洗浄機で綺麗に洗い流され、コンクリートのひび割れすらもピカピカに補修されている。
血痕も、破壊の痕跡も、焦げ跡も、何一つ残っていない。
「……おや、天野巡査。封鎖任務、ご苦労様でした」
真木が、首に巻いたタオルで汗を拭きながら、爽やかな笑顔で出迎えた。
「あ、あの……敵は? 異世界からの侵略者とか、巨大な魔獣とかが来てたんじゃないんですか!?」
「ええ。確かに不法侵入者は来ましたよ」
真木は淀みなく答えた。
「しかし、我々が『大家としての正当な権利』を主張し、日本の法律の厳しさを懇切丁寧に説明したところ、彼らは深く反省し、心を入れ替えて帰順しました。現在は、我々の伝手(宝田不動産のルート)を通じて、彼らの社会復帰の手続きを進める手はずとなっております」
「しゃ、社会復帰……?」
「はい。明日の朝一番で、彼らをハローワークに引率し、日雇いの現場から真っ当な労働者として再出発させます。ですから、彼らを警察に突き出す必要はなくなりました」
真木の、あまりにも堂々とした(そして事実に基づいた)説明に、天野はポカンと口を開けた。
テロリストや侵略者を、ハローワークに連れて行って更生させる。そんな警察の防犯マニュアルには存在しない、究極の『平和的解決』である。
「でも、大家さん。私、警察官として本部に何かしらの報告を上げなきゃいけないんですけど。道路を封鎖した理由と、この現場で何があったのかを……」
天野が困り果てた顔で手帳を取り出すと、真木の横から、ビジネススーツの凛花がスッと進み出た。
「その件につきましては、すでにこちらで『論理的矛盾のない報告書の原案』を作成済みです」
凛花が、一枚のプリントアウトした紙を天野に差し出した。
「これは……?」
「読み上げます。件名『大型野生イノシシの迷入および粗大ゴミの不法投棄事案について』」
凛花は、無表情のまま真顔で読み上げ始めた。
「『深夜午前二時頃、杉並区郊外のスクラップ工場周辺にて、大型の野生イノシシが迷い込み、パニックを起こして暴れているとの通報を受理。天野巡査は直ちに周辺道路を封鎖。その後、地元の有志(コーポ日ノ出の住人たち)の協力を得て、イノシシを無傷で山林へ帰すことに成功。なお、現場に不法投棄されていた大量の粗大ゴミについても、有志の協力により完全に撤去・清掃が完了し、原状回復を確認した』……以上です」
「……イノシシ? 粗大ゴミ?」
天野が引き攣った顔で凛花を見る。
「はい。あの巨大な魔獣は『見間違いのイノシシ』。そして、ベルガモット卿たちは『不法投棄されていた粗大ゴミ(人間社会のゴミ)』という解釈です。これならば、警察組織としても『一件落着の美談』として処理でき、上層部もそれ以上深く追求することはないでしょう」
「な、なんて完璧な偽装工作……じゃなくて、作文能力なの……」
天野は、凛花のあまりにも見事な公文書作成スキル(官僚のテクニック)に、戦慄すら覚えた。
「それに、天野巡査」
203号室の朝比奈駆が、警備員の制服姿で敬礼をして言った。
「あなたがこの報告書を上げれば、『地域住民と協力して獣害と不法投棄を見事に解決した優秀な警察官』として、署内で表彰されるかもしれませんよ。俺たち警備員から見ても、あなたの初動の道路封鎖は完璧でしたからな」
「……表彰って。私、完全にあなたたちの共犯じゃないですか」
天野はがっくりと肩を落とした。
しかし、彼女の口元には、安堵の笑みがこぼれていた。
誰も傷つかず、街も破壊されず、そして彼らの「平和な日常」が守られたのだ。警察官として、これ以上の結末はない。
「……わかりました。この報告書、ありがたく使わせていただきます。大型イノシシと、粗大ゴミの撤去、ですね」
天野が手帳にサラサラとメモを書き込む。
「ええ。そういうことにしておきましょう」
真木が、満足げに頷いた。
東の空が、白み始めていた。
雨雲は完全に去り、澄み切った秋の空に、美しい朝焼けのグラデーションが広がりつつある。
静まり返る東京の街。
何事もなかったかのように、新聞配達のバイクの音が遠くから聞こえてくる。
あの恐ろしい次元ゲートの解放と、魔界の精鋭軍団との激突があったことなど、この杉並区の住民は誰一人として知らない。
「よし! 我が軍の完全勝利、および完全隠蔽の達成だ!」
朝日に照らされながら、真木が大きく伸びをして宣言した。
「皆の者、本当に大儀であった! アパートに帰って、熱いシャワーを浴びて、朝飯を食うぞ! ただし、今日が平日であることを忘れるな! 有休を取っていない者は、遅刻せずにしっかり職場へ向かえよ!」
「「「御意ッ!!」」」
疲労困憊でありながらも、彼らの声には清々しい活力が満ちていた。
真木は、コンテナの陰でガタガタと震えているベルガモット卿たちに向かって、顎でしゃくった。
「ほら、お前たちも立て! いつまでも泥の中で寝ている気か! まずはシャワーを浴びさせてやる。その後、宝田不動産の志乃のところに連れて行き、履歴書の書き方から徹底的に指導してやるからな!」
『ひぃっ……! は、はいぃぃっ! よろしくお願いいたします、大家様ぁぁっ!』
完全に牙を抜かれた旧貴族たちを引き連れ、コーポ日ノ出の住人たちは、朝焼けに染まる杉並の路地を、ぞろぞろとアパートへ向かって歩き始めた。
彼らの背中には、世界を救った勇者や、世界を支配する魔王のオーラはない。
ただ、自分たちの泥臭くも愛すべき『生活』を守り抜いた、逞しい労働者たちの誇りだけが、朝日に輝いていた。
大家・真木征司の満室経営と平和な日常は、こうして国家権力(警察)をも巻き込みながら、完全な守城を果たしたのである。




