第55話:元勇者と元魔王のタッグ
東京・杉並区。郊外のスクラップ工場跡地。
吹き荒れる暴風雨の中、頭上の赤紫色の次元ゲートから降り立った魔界の精鋭騎士数十名が、コーポ日ノ出の防衛軍に向かって一斉に襲いかかった。
『人間界の毒に染まった裏切り者どもめ! ヴァルザード様もろとも、力ずくで捕らえよ!』
ベルガモット卿の非情な号令により、漆黒の重鎧を着た騎士たちが、恐ろしいスピードで剣を振り下ろす。
だが。
「甘いッ!! 我が防御、抜けると思うな!」
最前線に立ちはだかった黒木鉄心(元重装歩兵隊長)が、左腕に装着した透明なポリカーボネート製防犯盾を斜めに構えた。
ガキンッ! ギィィィンッ!!
魔界の鍛冶師が鍛え上げた鋼の剣が、盾に激突して火花を散らす。しかし、機動隊の暴動鎮圧用にも使われるこの現代の強化プラスチックは、ひび一つ入ることなく、敵の斬撃を見事に滑らせて弾き返した。
『なっ……!? なんだこの透明な壁は! ガラスではないのか!?』
「フン、時代遅れの金属鎧など、我が大田組の現場では単管パイプ以下の強度よ!」
驚愕する騎士の腹部に、黒木の丸太のような右ストレートがめり込む。
『グハァッ!?』
さらに、倒れた騎士の手足を、緑のエプロン姿の園田乃愛(元ケルベロス)が、極太の結束バンドで瞬く間に縛り上げていく。
「はいっ、梱包一つ完了ですぅ! 次の方、どうぞー!」
『こ、この小娘……! ええい、魔法で焼き尽くしてやる!』
後方の魔法兵が詠唱を始めようとした瞬間。
「……ターゲット、ロックオン」
スクラップの山の上から、漆黒のパーカー姿の久世颯太(元風属性魔導暗殺者)が、片手に持った『防犯用カラーボール』を恐ろしい初速で投擲した。
バチュンッ!!
魔法兵の顔面に激突したカラーボールが弾け、中から目に染みる強烈な蛍光塗料と激辛成分が飛び散った。
『ギャアアアアッ! 目が、目がぁぁぁっ!』
「よし、視界を奪いました。麗華殿、お願いします!」
「言われなくてもやってるわよ!」
完全遮光用のロングコートを脱ぎ捨てた神埼麗華(元吸血貴族)が、吸血鬼の動体視力をフル活用し、ホームセンター産の短い鉄パイプを鮮やかに振るう。
ガンッ! ゴッ!
『ゲフゥッ!』
「深夜のコンビニで、酔っ払いのゲロ処理をさせられるストレスに比べたら、あんたたちの剣筋なんか止まって見えるわよ!」
魔法も使わず、ただの物理とホームセンターの道具だけで、魔界の精鋭部隊が次々と無力化され、結束バンドで床に転がされていく。
『ば、馬鹿な……! 魔力もないこの世界で、なぜこれほどの戦闘力を!』
ベルガモット卿は、自慢の部下たちが「黄色い紐(結束バンド)」や「オレンジ色の球」という謎の暗器によって次々と無力化されていく光景に、完全にパニックに陥っていた。
『ええい、使えぬ奴らめ! ならば、この私が直接ヴァルザード様を捕縛し、記憶を消し飛ばしてくれるわ!』
ベルガモット卿が、腰に帯びていた長剣を抜き放ち、さらに頭上の次元ゲートから直接、膨大な魔力を自らの体に引き下ろした。
ゴオォォォォォッ!!
ベルガモット卿の全身を、禍々しい紫色の魔力結界が球状に覆い尽くす。
それは、大気中のエーテルを直接変換して作られた、いかなる物理攻撃も弾き返す絶対防壁であった。
『フハハハハ! 見よ、このゲートから供給される無尽蔵の魔力を! いくら貴様らが奇妙な道具を持っていようと、この絶対防壁の前には塵も同じよ!』
ベルガモット卿が、結界ごと突進してくる。
「黒木、下がれ!」
真木征司(元魔王ヴァルザード)が叫ぶ。
黒木が防犯盾を構えて受け止めようとするが、結界の放つ魔力の衝撃波に弾き飛ばされ、スクラップの山に激突した。
「ぐはっ……! す、凄まじい反発力……! 防犯盾が軋んでおります!」
「チッ、やはりゲートの魔力核と直接リンクしている分、出力が異常だな」
真木は舌打ちをした。
魔力がないこの世界で、ゲートという『電源プラグ』に直接繋がっているベルガモットは、いわば無限のバッテリーを持つチート状態である。
「大家! 敵の結界の波長を解析しました!」
後方でアタッシュケース内のパソコンを叩いていた凛花が、電卓を片手に叫んだ。
「敵はゲートから魔力を供給し続けていますが、その変換効率には必ず『ラグ(遅延)』が生じます! 呼吸をするように、魔力を吸い上げてから結界に変換するまでの間……およそ〇・五秒! その瞬間だけ、結界の表面張力が極端に低下し、魔力効率が枯渇するタイミングが存在します!」
「〇・五秒だと? そんな一瞬の隙、どうやって突けというのだ!」
真木が背負った『ケルヒャー』のノズルを構えながら顔をしかめる。
「俺がやる」
真木の隣に、東洋警備保障の制服を着た朝比奈駆(元勇者パーティー戦士)が、スッと並び立った。
「朝比奈?」
「魔力結界の『綻び』を見極め、そこを精密に突く。……それは、魔王軍と戦い続けてきた俺たち勇者パーティーの得意分野だ」
朝比奈は、右手に持った赤白の誘導棒のスイッチを入れた。
ピカピカと赤く点滅する誘導棒。
「しかも、俺の今の本職は『交通誘導員』。交差点に突っ込んでくるダンプカーの速度とタイミングを見極め、一瞬の隙を突いて歩行者を安全に誘導する技術……それこそが、究極の『見切り』だ」
朝比奈は、誘導棒の先端に、自らのカロリーを消費して微弱な『聖気』を宿らせた。
「(明日の朝飯のシャケ弁当の分くらいのカロリーは消費するが……背に腹は代えられん!)」
『小賢しいわ勇者! そのような光る棒きれで、私の結界が貫けるものか!』
ベルガモット卿が、大剣を振りかぶって朝比奈へと斬りかかってきた。
絶対防壁の結界が、周囲の雨粒を弾き飛ばしながら迫り来る。
「今です! 三、二、一……!」
凛花のカウントダウンが響く。
「シィィィッ!!」
朝比奈が、まるでフェンシングの選手のような美しく鋭い踏み込みで、誘導棒を真っ直ぐに突き出した。
彼が狙ったのは、ベルガモット卿の結界の中心ではなく、魔力が補給されるゲートとの接続点、そのわずかに歪んだ一点。凛花の計算と、朝比奈の勇者としての勘が完全に一致した『〇・五秒の隙』であった。
ピシッ!!
赤白に点滅する誘導棒の先端が、結界の表面に触れた瞬間。微弱な聖気と物理的な刺突の力が、結界の魔力流を一瞬だけ乱し、ガラスにヒビが入るように細かな亀裂を生じさせた。
『な、なにィッ!? 私の絶対防壁にヒビが……!?』
ベルガモット卿が驚愕に目を見開く。
「よくやったぞ、交通誘導員! そこを開けろ!!」
真木が、朝比奈の真後ろから躍り出た。
彼の手には、黄色と黒のスタイリッシュな魔導器(高圧洗浄機ケルヒャー)のガンが握られている。
「魔界の旧貴族よ! これが現代日本の清掃業務における、最強の水圧(物理)だァァッ!」
真木がガンのトリガーを限界まで引き絞る。
ブギュオォォォォォォォッ!!
コンプレッサーが猛烈な唸りを上げ、ガンの先端から、一平方センチメートル当たり百二十キロという、人体など容易く吹き飛ばすほどの狂暴な高圧水流が一直線に噴射された。
水流は、朝比奈が穿った結界のヒビ割れに、寸分の狂いもなく直撃した。
パリンッ……!
バリバリバリィィィィンッ!!!!
水という完全な物理的圧力の集中砲火に耐えきれず、ベルガモット卿の絶対防壁が、まるで飴細工のように粉々に砕け散った。
『ぎ、ぎゃあぁぁぁっ!?』
防壁を失ったベルガモット卿の顔面に、ケルヒャーの高圧水流が容赦なく直撃する。
頬の肉が風圧でブルブルと波打ち、豪華な真紅のマントが水圧でズタズタに引き裂かれていく。
『ごぼぼぼぼっ! い、息が……水が鼻に……!』
「そのまま洗い流されてしまえ! 貴様のような時代遅れの埃は、我がアパートには不要だ!」
真木が容赦なく水圧をかけ続ける。
「真木様! 敵の結界は破壊しましたが、まだ頭上のゲートから魔力が供給され続けています!」
凛花が叫ぶ。
「このままでは、また新たな結界を張られます! ゲートの接続点……上空にある『魔力核』を物理的に破壊し、転移のリンクを強制切断しなければなりません!」
「魔力核だと! だが、あんな高い位置にあるもの、どうやって破壊する!」
真木がケルヒャーを構えたまま上空の赤紫色の亀裂を見上げる。
『フ、フハハハ……! 無駄だ!』
ずぶ濡れになりながらも、ベルガモット卿が狂ったように笑った。
『ゲートの魔力核は、地上の物理的干渉を受けない高高度にある! いくら貴様らの奇妙な水鉄砲でも、あそこまでは届かん! 私はいま一度、魔力を吸い上げ……』
「……届かせるさ」
朝比奈が、誘導棒のスイッチを切り、腰のベルトに差し込んだ。
「魔王、いや、大家! 俺の肩に乗れ!」
「なに?」
「俺が貴様を、はるか上空まで放り投げてやる! そこから、その高圧水流で魔力核を直接狙い撃て!」
朝比奈の提案に、真木は一瞬目を見開いた。
勇者の肩に、魔王が乗る。かつて互いの命を削り合い、憎しみ合っていた宿敵同士が、物理的に肩を組んで協力するなど、魔界の歴史書が燃え尽きそうなほどのあり得ない展開である。
「……チッ。背に腹は代えられん。失敗したら来月の家賃を倍にするからな!」
「文句を言うな! さっさと乗れ!」
朝比奈が深く腰を落とし、両手を組んで踏み台を作る。
真木はケルヒャーの本体を背負ったまま、ジャージ姿で軽やかに走り込み、朝比奈の手のひらの上に足を乗せた。
「うおおおおおおッ!!」
朝比奈が、勇者としての脚力と腕力を限界まで解放し、真木の体を真上へと全力で跳ね上げた。
ドンッ!!
凄まじい踏み込みの力により、真木の体は弾丸のように空高く、赤紫色の亀裂のすぐ下まで打ち上げられた。
『ば、馬鹿な!? 人間界で魔力も使わずに、あれほどの跳躍を!?』
ベルガモット卿が驚愕に見上げる。
上空で完全に滞空状態となった真木。
彼の目の前には、ゲートを維持している心臓部、禍々しく脈打つ『魔力核』が剥き出しになっていた。
「凛花! 核の座標は!」
「仰角八十五度! 今です、魔力核の結合が最も緩んでいます!」
「もらったァァァッ!!」
真木は空中で空中で身をよじり、ケルヒャーのノズルを魔力核のド真ん中へと向けた。
「我がアパートの家賃収入と、平穏な日常を……これ以上邪魔するなァァァッ!!」
ブギュルルルルルルッ!!!!
ケルヒャーから放たれた最強の水圧が、雨の夜空を切り裂き、ゲートの魔力核へと一直線に突き刺さった。
本来、魔力核は魔力による攻撃しか受け付けない。だが、限界まで圧縮された『完全な物理的な水圧』が、魔力核の構造そのものを内側から強引に抉じ開け、ショートさせたのだ。
ピキッ……!
パァァァァァンッ!!!!
ガラスが砕け散るような甲高い音とともに、魔力核が粉々に粉砕された。
魔力供給のリンクを絶たれた次元ゲートは、悲鳴のような音を立てて急速に縮小し、やがて「プツン」という音とともに、東京の夜空から完全に消滅した。
『あ、ああっ……! 我らの、我らのゲートが……!』
魔力を完全に絶たれたベルガモット卿は、膝から崩れ落ち、泥水の中に両手をついた。
その顔には、もう先ほどの傲慢さは欠片もなく、ただ恐怖と絶望だけが張り付いていた。
ドサッ!
真木が、見事な着地でスクラップの山の上に降り立つ。
「……フゥ。なんとか届いたな」
真木はケルヒャーのスイッチを切り、肩で息をしながら額の汗と雨水を拭った。
下から見上げていた朝比奈と目が合う。
「……悪くない跳躍力だったぞ、勇者よ」
「ふん。貴様も、なかなかの水鉄砲の腕前だったな、魔王」
かつて世界を二分して戦った宿敵同士。
彼らは今、東京の場末のスクラップ工場で、ハイタッチこそしなかったものの、互いの力量を認め合い、かすかに口角を上げて笑い合った。
魔王と勇者、大家と店子、高圧洗浄機と誘導棒。
すべてがちぐはぐで、あまりにも理不尽なコンビネーション。しかし、それこそが、このコーポ日ノ出が築き上げてきた『最強の絆』の証明であった。
「……大家」
凛花が、タブレットを抱えて静かに歩み寄ってきた。
「次元ゲートの完全消滅を確認。大気中の魔力残滓も、急速に霧散しつつあります。……作戦、完了です」
「うむ」
雨は小降りになり、遠くの雲の切れ間から、微かな月明かりが差し込み始めていた。
結束バンドで縛り上げられ、芋虫のように転がっている魔界の精鋭騎士たち。
そして、泥まみれになって呆然としているベルガモット卿。
真木は、ジャージのポケットから百円ライターを取り出すと、ポイッと手の中で弄りながら、敗残兵たちを見下ろした。
「さて……。この杉並区の空気を汚した不法侵入者どもに、最後の『現実』を教えてやるとするか」
完全勝利を収めた大家の、冷酷で、極めて社会人らしい『事後処理(クレーム対応)』が、ついに始まろうとしていた。




