第53話:共闘・警察と大家
東京・杉並区。
深夜のスクラップ工場跡地における、異世界からの先遣隊(斥候兵とシャドウハウンド)の捕縛。そして、杉並警察署の天野結衣巡査との奇妙な『共闘協定』の締結から一夜が明けた。
木造アパート『コーポ日ノ出』の一階、大家部屋。
真木征司(元魔王ヴァルザード)は、ジャージのまま腕を組み、ちゃぶ台の上に置かれたスマートフォンを睨みつけていた。
「……よし。これで、我がアパートの防衛体制は完璧なものとなった」
「ええ、大家」
ビジネススーツ姿の佐伯凛花(元首席補佐官)が、ノートパソコンのキーボードを軽快に叩きながら頷いた。
「昨晩捕縛した斥候兵と魔獣は、解体用の防音ブルーシートで何重にも梱包し、スクラップ工場の使われていない地下ピットに押し込んで厳重に施錠してきました。酸素は通るようにしてありますので、餓死の心配はありません。戦いが終わるまではあのまま静かにしてもらいましょう」
「うむ。問題は、今夜の深夜午前二時に予定されている、ベルガモット卿の本隊による『ゲート完全開放』だ」
真木は手元のスマートフォンをタップし、ある画面を開いた。
それは、昨晩天野巡査と連絡先を交換した凛花が、即座に立ち上げた通信アプリ(LINE)のグループトーク画面であった。
その名も、『杉並区地域安全・合同治安維持チャットグループ』。
メンバーは、真木、凛花、黒木、久世、朝比奈、乃愛、麗華のアパート住人七名に、天野巡査を加えた計八名である。
『おはようございます。杉並署の天野です。本日のパトロールシフトを共有します』
『了解しました。103号室の久世です。本日のスマイルイーツの配達エリアは、杉並区北西部を中心に回ります。不審な気流や魔力の残滓があれば、即座にマップ上にピンを立てて共有します』
『久世さん、ありがとうございます。でも、あまり無理な運転はしないでくださいね。交通ルールは絶対に守ってください』
『御意。法定速度遵守の上、ターゲットの索敵を行います』
真木は、そのシュールなやり取りを見て、ニヤリと笑った。
「フッ……。まさか、国家権力たる警察官と、元魔王軍の暗殺者が、同じチャットグループで情報共有を行う日が来るとはな。これもまた、資本主義の生み出した究極の官民連携(パブリック・プライベート・パートナーシップ)というやつだ」
「天野巡査の協力は、極めて有意義です」
凛花が眼鏡を押し上げる。
「警察の巡回ルートを事前に把握できるため、我々が不審者として職務質問されるリスクがゼロになります。さらに、今夜の決戦の場となるスクラップ工場周辺の道路を、警察の権限で『一般人立ち入り禁止』にしてもらえる。これで我々は、誰の目も気にすることなく、存分に現代の叡智(物理)を振るうことができます」
* * *
一方、杉並警察署の地域安全課。
自席に座っていた天野結衣巡査は、スマートフォンの画面を見つめながら、深々とため息を吐き、そして胃薬のタブレットを水で流し込んでいた。
(……私、とんでもないことに足を踏み入れちゃったんじゃないかしら)
昨晩の出来事は、何度思い返しても現実離れしていた。
異世界からの侵略者、巨大な魔獣、そしてそれをホームセンターのブルーシートと結束バンドで無傷で捕獲してしまった、コーポ日ノ出の住人たち。彼らが魔界の住人であるという告白は、警察官としての常識を根底から覆すものであった。
だが、彼らが提出した確定申告書や納税証明書、そして何よりも「家賃と平穏な日常を守りたい」という必死の訴えは、不思議なほど彼女の胸に響いてしまったのだ。
『ピンポーン』
スマホが震え、チャットグループに新たなメッセージが届いた。
『101号室の黒木です。現在、大田組の現場にて休憩中。防犯盾の強度テストを兼ねて、単管パイプの束を受け止めてみましたが、傷一つ付きませんでした! これなら魔獣の突進も完全に弾き返せますぞ!』
『201号室の乃愛ですぅ! ワンワンテラスの店長さんから、おやつのお肉をもらいました! これ食べて、今夜の戦い頑張ります!』
『203号室の朝比奈だ。天野巡査、スクラップ工場周辺のマンホールや死角の配置図を作成した。PDFで添付する。警備のプロフェッショナルとしての見地から、一般人が迷い込みやすいルートを赤で示しておいた』
「……みんな、真面目すぎるのよ」
天野は、胃の痛みを堪えながらも、思わず口元をほころばせた。
異形のものたちでありながら、彼らは誰よりも社会のルールに適応し、自分の仕事(労働)に誇りを持っている。
「でも、これって完全に公務員倫理規定違反よね。民間人……というより異世界人による自警団活動を黙認し、あろうことか警察情報を横流ししているなんて。もし上司にバレたら、確実に懲戒免職だわ」
天野は頭を抱えた。
しかし、彼女がこのまま上層部に報告し、機動隊が出動するような事態になれば、彼らは強制送還(あるいは排除)され、彼らが必死に守り抜いてきた『コーポ日ノ出』の平和な日常は完全に失われてしまう。
そして何より、もし今夜現れるという「ベルガモット卿の軍勢」が、彼らの言う通り無軌道な破壊活動を行う集団であるならば、警察の通常装備(ニューナンブや警棒)で対処できるはずがない。魔力を弾き返す防犯盾や、魔獣を組み伏せる怪力を持った真木たちに頼らざるを得ないのが、冷酷な現実であった。
『天野巡査』
チャットグループに、真木(アカウント名:大家さん)からのメッセージが届いた。
『今夜の決戦、どうか無理はなさらないでください。あなたはあくまで我々の「後方支援」であり、矢面に立つのは我々コーポ日ノ出の住人です。我々の城を守る戦いに、善良な公務員を巻き込むわけにはいきませんからな。……あなたのパトカーによる道路封鎖、期待しておりますよ』
「……ふふっ。本当に、変な大家さん」
天野は、その不器用な気遣いに少しだけ肩の力を抜いた。
「やってやろうじゃないの。杉並区の平和は、私が守るわ。彼らと一緒にね」
天野はキーボードを叩き、力強く返信を打ち込んだ。
* * *
午後十時。
東京上空の赤紫色の亀裂は、もはや巨大な渦を巻き始め、まるで大気そのものが悲鳴を上げているかのように、ビリビリと肌を刺すような静電気が発生していた。
コーポ日ノ出の大家部屋。
住人たちは、それぞれが自身の職場から帰還し、シャワーを浴びて一息ついた後、ついに『戦闘服』へと着替えていた。
とはいえ、彼らの戦闘服は魔界の鎧でもローブでもない。
黒木は、動きやすさを重視した大田組の長袖作業着(防刃仕様)に、安全靴をしっかりと履き込んでいる。左腕には透明なポリカーボネート製防犯盾。
朝比奈は、東洋警備保障の紺色の制服に、反射材のついたベストを着用し、腰には赤白の誘導棒と、万が一のための超高輝度LED投光器を装備。
久世は漆黒のパーカーに身を包み、機動力を損なわないようにロードバイク用のグローブとヘルメットを着用している。
麗華は完全遮光用のロングコートを脱ぎ捨て、動きやすい黒のスウェット上下に身を包み(日焼けの心配のない深夜だからできる芸当だ)、乃愛はペットサロンの緑のエプロンをキュッと結び直した。
凛花は、一切のシワもないビジネススーツ姿のまま、防水仕様の頑丈なアタッシュケース(中にはノートパソコンと通信機器が入っている)を抱えている。
そして、大家である真木征司は。
首にタオルを巻き、上下お揃いの『エンジ色のジャージ』という、いつもの完全なる大家スタイルであった。
「真木様、そのお姿で出陣されるのですか!?」
黒木が驚いて尋ねる。
「当然だ。余は大家として、不法侵入者を退去させるために赴くのだ。威圧感を与えるための魔王の鎧など不要。このジャージこそが、余がこのアパートを管理してきた血と汗の結晶(正装)なのだ!」
真木は、背中に『ケルヒャー』の黄色い高圧洗浄機の本体を背負い、右手にそのノズル(ガン)を構えた。その姿は、まるで近未来のゴーストバスターズか、あるいはただのヤバい清掃業者であった。
「凛花、ゲートの解放時刻に変更は」
「ありません。午前二時ジャスト。目標地点は郊外のスクラップ工場跡地。現在、天野巡査が周辺道路の封鎖工作を開始しています」
「よし!」
真木は、六畳間に集まった店子たちを力強く見渡した。
「皆の者、よく聞け! いよいよ開戦の時だ。我々の目的はただ一つ、この杉並区の平和を守り、アパートの資産価値と家賃収入を死守すること! ベルガモットどもに、現代社会のルールと、コンプライアンスの恐ろしさを叩き込んでやるのだ!」
「「「おおおおおおおッ!!」」」
コーポ日ノ出防衛軍、ここに完全に出撃態勢が整った。
* * *
深夜、午前一時四十五分。
郊外のスクラップ工場へと続く、細い片側一車線の道路。
そこに、けたたましいサイレンを鳴らしながら一台のパトカーが横付けされ、赤い回転灯が周囲の暗闇を毒々しく照らし出していた。
天野結衣巡査は、パトカーのトランクから『通行止め』の赤いコーンとバリケードを取り出し、手際よく道路を完全に封鎖した。
「……よし。これで、一般車両や歩行者が迷い込むことは絶対にない」
彼女が配置を終えた直後。
闇の中から、音もなく数台の自転車と、足早に歩く集団が現れた。
真木たちコーポ日ノ出の面々である。
「天野巡査、ご苦労。見事な道路封鎖だ」
真木がジャージ姿で近づき、労いの言葉をかける。
「大家さん。……皆さん、本当にやるんですね」
天野は、高圧洗浄機を背負った真木や、防犯盾を構える黒木たちの姿を見て、改めて彼らの『本気度』を感じ取っていた。
「ええ。天野巡査はここで待機していてください。中には絶対に立ち入らないように。もし我々が失敗するようなことがあれば、その時は遠慮なく機動隊を呼んでくれて構いません」
「縁起でもないこと言わないでください。……あなたたちが、家賃と平穏な日常を守るためにどれだけ一生懸命か、私は知っています。絶対に、勝って帰ってきてください」
天野が力強く頷くと、真木もニヤリと笑って親指を立てた。
午前一時五十五分。
真木たちは、スクラップ工場の錆びついた鉄扉を静かに押し開け、中へと侵入した。
周囲には、高く積まれた廃車や鉄骨の山が、まるで墓標のようにそびえ立っている。
空の亀裂は、今や工場の真上に完全に固定され、まるでブラックホールのように周囲の空気を吸い込み始めていた。
風が吹き荒れ、積まれたスクラップがギリギリと嫌な音を立てて軋む。
「大家。空間の歪みが臨界点を突破します! 十秒前!」
アタッシュケースを開き、観測データを睨んでいた凛花が叫んだ。
「総員、防御態勢! 第一波に備えろ!」
真木の号令とともに、黒木が最前列に立ち、巨大なポリカーボネート製防犯盾を地面に突き立てて構えた。その後ろに、乃愛と麗華が隠れる。
朝比奈は誘導棒を握りしめ、いつでも敵の死角に飛び込めるように姿勢を低くした。久世はスクラップの山の上へと音もなく跳躍し、高所からの狙撃(カラーボール投擲)の態勢に入る。
「五、四、三、二、一……開きます!」
バリィィィィィィィンッ!!!!
鼓膜を破るような轟音とともに、東京の夜空が文字通り『裂けた』。
空に浮かんでいた赤紫色の亀裂が、まるで巨大な眼球のように見見開かれ、そこから圧倒的な魔力の奔流が、スクラップ工場の中央に向かって滝のように降り注いだ。
ゴオォォォォォッ!!
突風が吹き荒れ、トタン板や軽い鉄くずが宙を舞う。
黒木が防犯盾を両手で支え、「ぬぅぅんッ!」と気合いを入れて強風と魔力の衝撃波を完全に弾き返す。
やがて、強烈な閃光が収まり、土煙が晴れた後。
スクラップ工場の中央に穿たれたクレーターのような窪みの中に、数十の人影が浮かび上がった。
漆黒の重鎧に身を包んだ、魔界の精鋭騎士たち。
そして、その軍勢の中央で、豪華絢爛な真紅のマントを羽織り、傲慢な笑みを浮かべている一人の男。
「フハハハハハ! 見よ、この脆弱な空気を! ついに我ら旧貴族の軍勢が、魔力なき人間界に降り立ったぞ!」
男――ベルガモット卿が、気取った声で高らかに宣言した。
「さあ、まずは我が主君である魔王ヴァルザード様を見つけ出し、お救いするのだ! そして、この哀れな人間どもを蹂躙し、我ら魔族の新たな領土として支配してくれようぞ!」
旧貴族の急先鋒、ベルガモット卿とその直属の部隊。
剣を抜き、魔法の詠唱準備に入る騎士たちの姿は、魔力のない現代日本においては、まさに反則級の暴力そのものであった。
しかし。
「……おい、ベルガモット」
土煙の向こうから、極めてドスの効いた、それでいて生活感に溢れる静かな声が響いた。
「ま、魔王様!? おお、ヴァルザード様! ご無事であらせられましたか!」
ベルガモット卿が歓喜の声を上げて振り返る。
だが、彼の視線の先にいたのは、魔界の覇王の鎧を着た主君ではなかった。
エンジ色のジャージにサンダル履き。背中には『ケルヒャー』の黄色い機械を背負い、右手には洗車用のノズル(ガン)を構えた、一人の男。
そしてその後ろには、作業着、紺色の警備員制服、コンビニのスウェットといった、ベルガモットたちには理解不能な『労働者の戦闘服』に身を包んだ、かつての魔王軍幹部と勇者の姿があった。
「ヴァ、ヴァルザード様……? その、みすぼらしいお姿は一体……?」
唖然とするベルガモット卿に対し、真木征司は、高圧洗浄機の電源スイッチを『ON』に入れた。
ブゥゥゥゥゥン……!
コンプレッサーの力強いモーター音が、深夜のスクラップ工場に響き渡る。
「みすぼらしいだと? 笑わせるな」
真木は、大家としての絶対的な威圧感を放ちながら、ノズルをベルガモット卿の顔面に向けて真っ直ぐに突きつけた。
「これは、この資本主義社会を生き抜き、アパートの満室経営を成し遂げた、誇り高き『大家の正装』だ。……さあ、不法侵入者ども。日本の法律と、現代の清掃用具の恐ろしさを、その身で味わうがいい!」
ついに、異世界からの侵略者と、コーポ日ノ出防衛軍との、理不尽極まりない最終決戦の火蓋が切って落とされた。
深夜の杉並区で、魔力と物理(水圧)が激突する。
真木たちの日常を守るための戦いは、いよいよ最高潮を迎えようとしていた。




