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第49話:武器ではなく現代の道具を

東京・杉並区。空には依然として不気味な赤紫色の亀裂が走っているが、地上に住む一般の人間たちにはただの『不安定な秋空』としてしか認識されていない。

だが、木造アパート『コーポ日ノ出』の住人たちにとっては、その空模様は明確な『開戦の合図』であった。


大家部屋の六畳間では、真木征司(元魔王ヴァルザード)が腕を組み、仁王立ちで待機していた。その横には、ビジネススーツ姿の佐伯凛花(元首席補佐官)がノートパソコンを開き、電卓をスタンバイさせている。

「遅い……。ホームセンターの開店と同時に突入するよう命じておいたのに、黒木と久世の奴ら、何をモタモタしているのだ」

真木が焦りを見せ始めたその時。

ガラッ!と一階ロビーのガラス戸が勢いよく開き、地鳴りのような足音とともに二つの影が飛び込んできた。


「真木様ァァァッ! お待たせいたしました! 大田組の軽トラックをお借りして、指定された『現代の魔導具』の数々、完璧に調達してまいりましたぞ!」

作業着姿の黒木鉄心(元重装歩兵隊長)が、両手に抱えきれないほどの巨大なダンボール箱をいくつも抱えて、ロビーにドスンドスンと積み上げていく。

その後ろから、デリバリーバッグの代わりに細長い機材をいくつも背負った久世颯太(元風属性魔導暗殺者)が、音もなく滑り込んできた。

「ターゲットの店舗にて、目的の物資をすべて確保。決済も完了しております。ただ、品数が多すぎたため、積み込みに少々タイムロスが発生しました」

「よし、よくやった! 直ちに開梱(かいこん)し、装備の確認を行う!」


真木の号令により、ダンボールが次々と開けられていく。

異世界からの侵略者である旧貴族・ベルガモット卿たちを迎え撃つための、コーポ日ノ出防衛軍の『最新鋭装備』の全貌が、ついに明らかになった。

しかし、そこに並べられたのは、剣でも槍でも、魔法の杖でもなかった。


「……大家さん。なんだこれは」

非番で駆けつけた203号室の朝比奈駆(元勇者パーティー戦士)が、並べられた物資を見て呆れたように顔をしかめた。

「これのどこが武器なんだ。どう見てもただの日用品、それも掃除用具や工事現場の資材じゃないか」

「フッ、無知な勇者よ。現代日本の法律(ルール)を舐めるな」

真木は、箱の中から黄色と黒のスタイリッシュなボディを持つ機械を取り出し、誇らしげに掲げた。

「我が軍は、銃刀法違反となるような危険物の所持を一切禁ずる! 警察の厄介になれば、アパート経営が破綻するからな。それに、魔力を消費する魔法は翌日の労働(シフト)に響く。ゆえに、我々は『魔法の杖』の代わりにこれを使うのだ!」

真木が掲げたのは、世界的メーカー『ケルヒャー』の家庭用高圧洗浄機であった。

「高圧洗浄機……? そんな水鉄砲の親玉みたいなもので、魔族と戦うつもりか?」

「水鉄砲だと? こいつが噴射する水圧は、最大で十二メガパスカル。すなわち、一平方センチメートル当たり百二十キロもの圧力がかかるのだ! 至近距離で食らえば、魔獣の分厚い皮膚すら弾き飛ばすほどの衝撃。しかも、水道の蛇口から無限に『水属性の物理攻撃』を放てる究極の魔導器(エコ家電)なのだ!」

「な、なるほど……! 魔力を一切消費せず、水属性の圧倒的な火力を出し続ける魔法の杖というわけですね!」

久世が目を輝かせてメモを取る。


続いて、黒木が巨大な透明の板を両手で持ち上げた。

「真木様! 防具はこちらです! 『ポリカーボネート製防犯盾(ライオットシールド)』! ネット通販で警備用品専門店から取り寄せた逸品にございます!」

それは、機動隊が暴動鎮圧の際に使用するような、厚さ数ミリの透明な強化プラスチック製の盾であった。

「おおっ! なんとクリアな視界! 魔界の鋼鉄の盾は重く、前方の視界が遮られるのが難点でしたが、これならば敵の動きを完全に捕捉したまま防御が可能です! しかも、信じられないほど軽い!」

黒木は防犯盾を左腕に装着し、シュッシュッと素早いフットワークで構えをとった。

「そのポリカーボネートという素材は、防弾ガラスにも使われるほどの強度を持つ。旧貴族どもの放つ下級の魔法弾や、魔獣の爪牙など、容易く弾き返してくれるだろう」

真木が太鼓判を押す。


「さらに、敵を無力化した後の捕縛用アイテムがこれだ」

真木が次に取り出したのは、黒くて太い、プラスチック製の『極太結束バンド』の束であった。

「結束バンド……? ロープや鎖の代わりか?」

朝比奈が訝しげに尋ねると、黒木がフンスと鼻息を荒くして解説した。

「勇者よ、この結束バンドの恐ろしさを知らぬか! 一度カチリと締め上げれば、専用の工具(ニッパー)がなければ絶対に外すことは不可能! 解体現場の足場を固定するほどの強度を持ち、魔導の鎖よりも軽く、素早く敵の四肢を拘束できる、まさに現代の拘束魔法の極致なのだ!」

「そ、そうなのか……」


高圧洗浄機、ポリカーボネート製防犯盾、極太結束バンド。

さらに、目眩まし用の『超高輝度LED投光器(一万ルーメン)』や、牽制用の『激辛成分入り防犯用カラーボール』など、ホームセンターとネット通販の英知を結集した、徹底的な『非殺傷・防犯仕様』の迎撃装備がズラリと揃えられた。

これなら、相手を殺傷することなく、かつ日本の法律に触れることなく、安全に侵略者を制圧(物理的に説教)することが可能である。


「……完璧だ。これぞ、我らコーポ日ノ出の防衛部隊にふさわしい、合法的な近代兵装である」

真木が満足げに頷いた、その時であった。

「大家(マスター)。調達ご苦労様です。それでは、本日のレシートと領収書をすべて提出してください」

ちゃぶ台の前に座っていた凛花が、冷徹な声で手を差し出した。

「おお、そうであった。凛花、頼むぞ」

真木や黒木たちから集められた大量のレシートを受け取ると、凛花はノートパソコンのエクセル画面を開き、電卓を恐ろしいスピードで叩き始めた。

タタタタタタッ! ターンッ!

「……はい、計算が合いました。これらの購入品は、すべて我がコーポ日ノ出の経費として完璧に処理させていただきます」

「おお! さすがは我がアパートの財務大臣!」

「念のため確認しておきますが」

凛花は眼鏡をキラリと光らせ、レシートの一枚一枚を指差した。

「この『高圧洗浄機ケルヒャー』は、魔獣を迎撃するためではなく、あくまで『アパートの外壁および共用廊下の苔や汚れを清掃するための設備』として計上します」

「う、うむ。当然だ。掃除用具だからな」

「そして、こちらの『ポリカーボネート製防犯盾』と『LED投光器』『カラーボール』は、昨今の治安悪化に伴う『アパートの防犯設備費』として処理。極太の『結束バンド』は、ゴミ置き場のネットの補修や、共用部の修繕用資材『消耗品費』として計上します」

凛花は、穴開けパンチでレシートに穴を開け、几帳面にファイルへと綴じていく。

「これらはすべて、アパート経営において必要不可欠な経費です。もし仮に税務署の監査が入ったとしても、我々の事業との関連性を論理的かつ完璧に証明することが可能です。……税務署の調査にも耐えうる、文字通りの『完璧な迎撃準備』が整いました」

その言葉に、六畳間にいた全員が息を呑んだ。

(……恐ろしい。魔界の魔王軍より、この国の税務署と、それを論破する経理OLの方が、よほど恐ろしい存在なのではないか……?)

朝比奈は額に冷や汗を流しながら、凛花のプロフェッショナルな経理処理に戦慄していた。


* * *

装備の確認と経費計上が終わると、次なるミッションが発動された。

「久世! 朝比奈! 貴様らの出番だ!」

真木が、小さな箱をいくつか取り出して二人に手渡した。

「これは、ネット通販で買った『格安ワイヤレス防犯カメラ』だ。スマホのアプリと連動し、動体検知機能と暗視モードを備えている。これを、アパートの周囲と、敵の降下地点と予測されるスクラップ工場へのルート上に設置してこい!」

「なるほど、監視網(ネットワーク)の構築ですね。暗殺者として、死角なき索敵陣を敷くのは私の得意分野です」

久世が防犯カメラを受け取り、鋭い目を光らせる。

「俺も行く。交通誘導で培った『人の流れ』と『死角』の知識があれば、敵がどこから侵入してくるか、手に取るようにわかるからな」

朝比奈も頷き、二人は即座にアパートを飛び出していった。


午後三時。

久世と朝比奈の『監視網構築部隊』は、見事な連携を見せていた。

「朝比奈殿。あそこの電柱の陰、敵が身を隠すには絶好のポイントです。しかし、人間の背丈ではカメラの設置が困難……」

「ならば俺の肩に乗れ、久世! この強靭な足腰を土台にしろ!」

朝比奈が電柱の根元で馬跳びの土台のように身をかがめると、久世は音もなく跳躍し、朝比奈の肩を足場にして電柱の三メートル上の位置に張り付いた。

シュバッ!

一瞬の作業で、結束バンドを使って防犯カメラを電柱のパイプに固定する。

「設置完了! カメラの角度、アプリで確認してください!」

「よし、ばっちりだ。広角レンズが路地裏の全域をカバーしている。これなら、ネズミ一匹通っても見逃さんぞ!」

スマートフォンの画面で映像を確認した朝比奈が親指を立てる。

彼らは、コーポ日ノ出の周囲から、約一キロ先のスクラップ工場跡地に至るまでの主要な侵入ルートを完全に網羅するように、計十台のワイヤレス防犯カメラを設置していった。

商店街のアーケードの死角。廃ビルの隙間。街灯の届かない暗がり。

元勇者の戦術眼と、元暗殺者の隠密技術のフュージョン。その結果、杉並区のその一帯は、ペンタゴンも真っ青の完璧な監視ネットワークによって包囲されてしまったのである。


* * *

夜。午後十時。

空の赤紫色の亀裂は、今や脈打つように不気味な明滅を繰り返し、時折、音のない稲妻を東京の夜空に走らせていた。

いよいよ、敵のゲート解放が明日の深夜に迫っている。


大家部屋の六畳間には、複数のスマートフォンとタブレット端末が並べられ、即席の『監視コントロールセンター』が構築されていた。

画面には、久世と朝比奈が設置した十台の防犯カメラの映像が、暗視モードの緑色のトーンで鮮明に映し出されている。

「……素晴らしい。死角はゼロだ。路地裏の野良猫の動きすら、すべて手に取るようにわかる」

真木はモニターの前に座り、腕を組んで深く頷いた。

「真木様、我が軍の武装も完璧に整っております。高圧洗浄機には水道ホースを接続し、水圧テストも完了。防犯盾は玄関に配備済みです」

黒木が、いつでも出撃できる態勢で控えている。

「ふん。私は裏口の守りを固めておくわ。吸血鬼の動体視力で、裏から忍び込もうとする輩は一匹残らず締め上げてやるわ」

麗華が、日傘の代わりに短い鉄パイプ(ホームセンター産)を手に不敵に笑う。

「わふっ! 私も、匂いで敵の接近をいち早く察知しますぅ!」

乃愛も鼻をヒクヒクさせて気合いを入れる。


現代の道具と、彼らの異常な身体能力。そして、大家の執念。

魔法の杖も、伝説の聖剣もここにはない。

しかし、彼らが今持っている装備と団結力は、かつて魔界で戦っていた頃のいかなる軍勢よりも、遥かに合理的で、そして強固であった。


「……皆の者、よく聞け」

真木が、モニターから目を離し、静かに立ち上がった。

「明日、いよいよベルガモットの軍勢がこの杉並区に降り立つ。奴らは我が城(アパート)を破壊し、我々の平穏な労働と家賃収入のサイクルを脅かす最大の害悪(クレーマー)だ」

真木の目に、魔王としての凄惨な光と、大家としての怒りが混じり合う。

「敷金礼金を払わぬ不法侵入者は、徹底的に排除する! 我々の武器は、剣でも魔法でもない。この現代社会のルールと、ホームセンターの叡智だ! 現代の道具の恐ろしさを、あの時代遅れの貴族どもに、骨の髄まで教えてやるのだ!」


「「「おおおおおおおッ!!」」」

六畳間に、力強い鬨(とき)の声が響き渡った。

武器ではなく、現代の道具を。

魔法ではなく、物理と防犯設備を。

かつて世界を恐怖に陥れた魔王軍の幹部と勇者が、今、東京郊外の木造アパートを守るため、高圧洗浄機と結束バンドを手に、来るべき決戦の夜を静かに待ち構えていた。

コーポ日ノ出の防衛戦線は、いかなる魔獣をも迎撃する鉄壁の要塞へと、見事に進化を遂げていたのである。

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