↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
48/60

第48話:大家の緊急全体ミーティング

東京・杉並区。残暑の夜風が、不気味な生温かさを帯びて吹き抜けている。

木造アパート『コーポ日ノ出』の一階、大家である真木征司(元魔王ヴァルザード)の六畳間には、かつてないほどの張り詰めた空気が満ちていた。

部屋の四隅に置かれた百円ショップのLEDランタンが、中央のちゃぶ台を囲む住人たちの顔を青白く照らし出している。

101号室の黒木鉄心(元重装歩兵隊長)。102号室の佐伯凛花(元首席補佐官)。103号室の久世颯太(元風属性魔導暗殺者)。201号室の園田乃愛(元ケルベロス)。202号室の神埼麗華(元吸血貴族)。そして、203号室の朝比奈駆(元勇者パーティー戦士)。

普段ならば、酒を飲みながらテレビのバラエティ番組に文句を垂れたり、家賃の督促で小競り合いをしている六畳間だが、今夜は誰一人として無駄口を叩いていない。


「……皆の者、集まったな」

真木が、ちゃぶ台の上に置かれた一枚の杉並区の住宅地図をバンッ!と叩いて口火を切った。

「単刀直入に言う。我が城(アパート)の平穏、ひいては余の安定した不労所得生活の基盤が、過去最大の危機に直面している」

真木が指し示したのは、地図の中央、コーポ日ノ出の現在地と、そのすぐ近隣にある郊外の『大規模な資材置き場(スクラップ工場)』のマーキングであった。

「凛花、報告を」

「はい」

凛花がビジネススーツの背筋を伸ばし、ノートパソコンの画面を皆に向けた。

「私が独自にプログラミングした『大気中エーテル濃度測定エクセルマクロ』の最新データによれば、東京上空に発生している赤紫色の次元の亀裂……あれは間違いなく、魔界からの『大規模転移ゲート』です。そして、その波長の解析結果から、ゲートを開こうとしている主犯格が判明しました」

凛花は眼鏡をスッと押し上げ、冷徹な声で告げた。

「……旧貴族派の急先鋒、ベルガモット卿です」


「ベルガモットだと!?」

黒木がドンッと畳を叩き、怒りに顔を歪めた。

「あの、兵站(補給線)の重要性を全く理解せず、現場の我ら歩兵部隊に無茶な突撃ばかりを強要した挙句、勇者軍との最終決戦を前に、保身のために魔界の奥地へ逃亡した、あの腐れ外道が! なぜ、今になって我々を追ってくるのですか!」

「理由は明白です」

凛花が答える。

「魔界において、彼ら旧貴族派が権力を維持するためには『魔王』という絶対的な象徴(シンボル)が必要不可欠なのです。勇者に敗れたとはいえ、真木様を奪還し、傀儡(かいらい)として担ぎ上げることで、彼らは再び魔界、ひいてはこの人間界をも支配しようと目論んでいるのでしょう」

「……ふん。くだらん。魔界の覇権など、今となってはどうでもいいがな」

真木は鼻を鳴らした。

「だが、問題は奴らがこの東京、しかも余の所有物件であるこの杉並区を転移の目標(ターゲット)に定めているということだ。連中は、日本の労働基準法も、資本主義のルールも、ゴミの分別方法すら知らない野生の獣と同義だ。そんな連中がこの街に降り立てば、一体どうなると思う?」


「街が……破壊されます」

久世が、暗殺者としての静かな声で答えた。

「奴らは魔力を誇示し、建物をなぎ倒し、人間どもを恐怖で支配しようとするでしょう。自衛隊や警察が出動し、この街は完全に火の海(戦場)と化します」

「そうだ! 街が破壊されればどうなる!?」

真木が身を乗り出し、目を血走らせて絶叫した。

「地価が暴落するのだ! アパートの資産価値がゼロになり、近隣の工場やコンビニが潰れれば、お前たちの働き口(シフト)も消滅する! お前たちが家賃を払えなくなれば、余の不労所得生活は完全に破綻(ゲームオーバー)となるのだ! これまでの血と汗と涙の確定申告も、すべてが水の泡だぞ!」

真木の、あまりにもスケールの小さい、しかし彼にとっては文字通り死活問題となる絶望のビジョン。


「冗談じゃないわよ!」

神埼麗華が、日傘を投げ捨てて立ち上がった。

「街が壊れたら、私が毎日通ってる『スマイルマート』も潰れちゃうじゃない! せっかく発注業務まで任されるようになったのに! それに、電波塔が破壊されたら、ソシャゲのログインボーナスが途切れちゃうじゃないのよぉぉっ!」

「わふぅ……ワンワンテラスの可愛いワンちゃんたちが、怖がって逃げちゃいますぅ! 絶対に嫌ですぅ!」

乃愛も耳を寝かせて、涙目で抗議の声を上げる。

「うむ! 私が現場で叩き割るコンクリートは、新たなビルを建設するための創造の破壊! 奴らのような無軌道な破壊活動(テロ)とは訳が違いますぞ! 我が筋肉にかけて、絶対に阻止せねば!」

黒木も力こぶを作りながら同意する。

彼らの防衛の動機は、世界平和でも魔界の再興でもない。ただ自分たちの「泥臭くも愛すべき労働環境と日常」を守るためであった。だが、それゆえに、彼らの決意は強固であり、決して揺らぐことはなかった。


「……なぁ、魔王」

ずっと腕を組んで黙っていた朝比奈駆(元勇者)が、口を開いた。

「俺は勇者パーティーの戦士として、魔王軍を討伐するためにこの世界へ来た。だが……今、ベルガモットという魔族の貴族が、この街の平和(日常)を壊そうとしている。……ならば、俺が奴らを斬り伏せる。それが、この街で交通誘導員として働く俺の、今の『正義』だ」

朝比奈は、傍らに置いていた赤白の誘導棒をガシッと握りしめた。

「俺の誘導棒(剣)は、このコーポ日ノ出の平和を脅かす者を、絶対に許しはしない!」

「……ふっ。言うようになったな、脳筋勇者」

真木はニヤリと笑い、全員の顔を見回した。


「よし! 全員の意思は確認した。これより、我らコーポ日ノ出防衛軍は、ベルガモット卿率いる旧貴族の侵略部隊を、この杉並区の片隅で完膚なきまでに迎撃・粉砕する!」

真木の号令に、全員が一斉に「おおおおおっ!」と気勢を上げる。

「凛花! 敵の転移ゲートが完全に開くタイミングと、ドロップ位置(降下地点)の特定は!」

「はい」

凛花がキーボードを弾く。

「大気の亀裂の進行速度から計算して、ゲートが完全に開くのは『明後日の深夜、午前二時』。そして、波長の収束点から導き出された降下地点は……アパートから約一キロ離れた、環状道路沿いの『郊外のスクラップ工場跡地』です!」

「スクラップ工場か。深夜であれば人目につかず、かつ周囲をトタンの壁で囲まれているため、迎撃戦を行うには好都合なフィールドだな」

真木が住宅地図のスクラップ工場に、赤いマーカーでバツ印を書き込んだ。

「だが、皆の者。忘れてはならない極めて重要な制約がある」

真木は、声を一段階低くし、厳格なトーンで告げた。

「一つ。いかなる理由があろうとも、周囲の一般の建物やインフラ(電柱など)を破壊してはならない。器物損壊の罪に問われれば、我々が警察に逮捕される。

二つ。無駄な魔力(カロリー)の消費は極限まで抑えろ。派手な魔法をぶっ放して餓死しては、明日の仕事(シフト)に穴を開けることになる。

三つ。絶対に、警察やマスコミに我々の正体(魔族であること)を知られてはならない! 証拠隠滅は完璧に行うのだ!」

「はっ!」

黒木たちが一斉に頷く。


「……つまり、剣も魔法も大々的には使えず、隠密裏に、かつ最小限の被害で敵を制圧しろということか。……まるで、魔王討伐のステルスミッションだな」

朝比奈がため息をつく。

「その通りだ。だからこそ、我々は『現代の叡智(物理)』をフル活用して戦うのだ!」

真木は、ちゃぶ台の下から、百円ショップのビニール袋を二つ取り出し、バンッ!と置いた。

「黒木! 久世! 明日の日中、お前たちに極秘の『買い出し任務』を命ずる!」

「買い出し、ですか?」

「そうだ。これはただの戦争ではない。アパートの防犯活動の一環だ。我が大家としての全権限(と小遣い)を解放し、ホームセンターで最強の『防犯装備(非殺傷武器)』を調達してこい!」

真木は、一枚のメモ用紙を久世に手渡した。

そこには、魔界の武器とはおよそ無縁の、現代のDIY用品の名前がびっしりと書き連ねられていた。


「よし! 総員、明後日の深夜決戦に向け、各自体調を整え、シフトの調整を完璧に行え! 有休が取れない者は、定時で上がって速やかに合流すること! 以上だ、解散!」

「「「御意ッ!!」」」

号令とともに、六畳間に集まっていた住人たちが、足早に自分の部屋へと散っていく。


誰もいなくなった大家部屋で、真木はただ一人、窓を開けて夜空を見上げた。

赤紫色の亀裂は、数日前よりも明らかに大きく、そして不気味な脈動を繰り返している。

「……ベルガモット。貴様らがどれほど強大な軍勢を引き連れてこようと、余は負けんぞ」

真木は、ジャージの胸ポケットに手を当てた。

そこには、先日役所で受け取ってきた『住民税の納税証明書』と、コーポ日ノ出の『満室御礼』の看板の端材が入っている。

「この街の空気と、労働の対価を知らない貴様らに、資本主義の泥水をすする大家の真の恐ろしさを、骨の髄まで教えてやる!」

元魔王の瞳に、かつての支配欲とは全く違う、自分たちの『生活』を死守するための凄惨な決意の炎が燃え上がっていた。


東京の夜空に、開戦の時が静かに、しかし確実に迫りつつあった。

コーポ日ノ出の住人たちによる、史上最大の『アパート防衛戦(クレーム対応)』の準備が、ついに始まったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。