第43話:商店街夏祭りの出店バトル
茹だるような暑さがアスファルトを焦がす、八月の第一土曜日。
杉並区の駅前商店街は、一年に一度のビッグイベント『納涼・夏祭り』の熱気に包まれていた。
通りには赤と白の提灯が連なり、お囃子のBGMがスピーカーから陽気に流れ、浴衣姿の家族連れやカップルがひしめき合っている。
そんな喧騒の中、商店街の中央広場に設置された屋台の一つから、尋常ではない熱気とソースの香ばしい匂いが立ち昇っていた。
屋台の看板には、筆文字で力強く『コーポ日ノ出・特製焼きそば』と書かれている。
「さあさあ、いらっしゃい! 杉並区随一の旨さとボリュームを誇る、特製焼きそばはいかがかな! 今なら焼きたてアツアツだぞ!」
頭にねじり鉢巻を締め、首にタオルを巻いた大家の真木征司(元魔王ヴァルザード)が、ソースの入ったボトルを片手に威勢よく声を張り上げている。
この夏祭りへの出店は、町内会長の神保康平(じんぼ亭店主)から「商店街を盛り上げるために、若い連中も一つ屋根を出してみないか」と打診されたことがきっかけであった。
もちろん、真木がただのボランティアで猛暑の中、鉄板の前に立つわけがない。
「(夏祭りの屋台といえば、原価率が極めて低く、回転率が命の超ドル箱ビジネス……! ここで圧倒的な売上を叩き出せば、我がアパートの修繕積立金が一気に潤う!)」
資本主義の魔力に取り憑かれた真木は、店子全六名を強制動員し、この『焼きそば戦争』にアパートの命運(という名の小遣い稼ぎ)を懸けていたのである。
しかし、戦況は彼らの思惑通りには進んでいなかった。
「……真木様。右舷前方、隣町のプロのテキ屋軍団の屋台に、客を取られています」
屋台の隅で鉄板の温度を測っていた103号室の久世颯太(元風属性魔導暗殺者)が、鋭い視線を送る。
コーポ日ノ出の屋台から通路を挟んで向かい側。そこには、隣町から遠征してきた柄の悪いプロのテキ屋たちが仕切る、巨大な焼きそば屋台が陣取っていた。
「おうおう、素人のお遊び屋台なんざ引っ込んでな! こちとら祭り一本で食ってるプロよ! 見な、この鮮やかなヘラ捌きを!」
金髪でガタイの良いテキ屋の兄ちゃんが、鉄板の上でカチャカチャとヘラを鳴らし、派手なパフォーマンスで客の目を引いている。確かに見栄えは良く、彼らの屋台の前にはすでに長い行列ができつつあった。
「ちぃっ……! 素人だと舐めおって。あんな見掛け倒しのパフォーマンスなど、魔界の戦場であれば一秒で首が飛んでいるというのに!」
真木がギリッと奥歯を噛み締める。
そこへ、屋台のレジスター(凛花がエクセルで自作したPOSシステム連動タブレット)の前に座っていた102号室の佐伯凛花(元首席補佐官)が、冷徹な声で告げた。
「大家。現在の売上推移では、鉄板のレンタル代と食材の原価を回収する損益分岐点にすら達していません。このままでは、大赤字です」
「赤字だと!? 許さん! 我が不労所得生活の基盤を揺るがすなど、断じて許さんぞ!」
真木は目を血走らせ、隣で両手に巨大なヘラを持って待機していた101号室の黒木鉄心(元重装歩兵隊長)に向かって叫んだ。
「黒木! 久世! 反撃開始だ! 連中に、我らコーポ日ノ出の『本気』を見せつけてやれ!」
「「御意ッ!!」」
真木の号令とともに、コーポ日ノ出の屋台から、尋常ではない闘気が立ち昇った。
「行くぞォォォッ!!」
黒木が、解体現場で鍛え抜かれた丸太のような両腕で、特大サイズの鉄のヘラを構えた。
鉄板の上に、大量の豚肉、キャベツ、そして太麺が山のように投下される。プロのテキ屋の三倍はあろうかという規格外の量である。普通なら、これだけの量を一度に炒めることは不可能に近い。
しかし。
「我が剛腕、鉄板を焦がす熱刃とならんッ!」
黒木は腰を深く落とし、凄まじい体幹のひねりとともに、両手のヘラを猛烈な勢いで動かし始めた。
ガガガガガッ!! ズシャァァァァッ!!
解体現場でコンクリートを砕くパワーとスタミナが、焼きそばを炒めるという作業に全振りされた瞬間である。何十人前もの太麺が、鉄板の上で空を舞い、美しい弧を描いて再び鉄板に落ちる。
それは、もはや料理というよりは、一種の武道であった。
「なっ……なんだあのデカい兄ちゃん! ヘラの動きが見えねえぞ!?」
向かいのテキ屋の兄ちゃんが、度肝を抜かれて手を止めた。
「黒木殿! 右端の温度が下がっています! 火力を中央に集めます!」
すかさず久世が動いた。
彼は大きな団扇を両手に持ち、暗殺者としての『気流を読む力』と、微弱な風魔法(カロリー消費を抑えた限界ギリギリの魔力操作)を駆使し始めた。
バサッ、バサッ!
久世が団扇を振るうと、鉄板の上の空気の流れが完全にコントロールされ、ガスの炎から発せられる熱が、山盛りの焼きそば全体に均等に回り始めた。
「焦げ付く寸前の、最も香ばしさが引き立つ温度……今です、真木様!」
「応ッ!!」
絶妙な焼き加減になった瞬間、総指揮の真木が動く。
「これが、かつてじんぼ亭を救った秘伝のスパイスを配合した、魔王特製・灼熱のソースだァァッ!」
真木は大きなボトルから、真っ黒なソースを鉄板にぶち撒けた。
ジュワァァァァァァァッ!!!!
一気に蒸発するソースが、強烈な音と煙を巻き起こす。
醤油、ソース、そして果実の甘みと数十種類のスパイスが複雑に絡み合った、魔界宮廷料理の奥義を応用した究極の香りが、商店街の広場全体に爆発的に広がった。
「う、うおおおっ!? なんだこのめちゃくちゃ美味そうな匂いは!」
「あっちの屋台、すげえ迫力だぞ! 行ってみようぜ!」
匂いと音、そして黒木のド派手なパフォーマンスに釣られ、プロテキ屋の前に並んでいた客たちが、次々とコーポ日ノ出の屋台へと引き寄せられてきた。
「よし、客が来たわよ! 乃愛、行くわよ!」
「わふっ! はいっ!」
ここからが女性陣のターンである。
屋台の前面に立ったのは、浴衣姿に(自前の)犬耳カチューシャをつけた201号室の園田乃愛(元ケルベロス)と、同じく黒地に赤い牡丹柄の浴衣を艶やかに着こなした202号室の神埼麗華(元吸血貴族)であった。
「いらっしゃいませーっ! とっても美味しいお兄ちゃんたち特製の焼きそばですよぉ! 山盛りサービスしちゃいまーす!」
乃愛が持ち前の愛嬌百パーセントの笑顔で尻尾(見えない)を振りながら呼び込むと、子供連れの家族や若い男性客が次々と吸い寄せられていく。
「可愛いー! お姉さん、焼きそば三個ちょうだい!」
「はぁい! ありがとうございますぅ!」
一方、麗華は、深夜のコンビニバイトで培った『威圧感のある無駄のない接客』を披露していた。
「……はい、焼きそば二個ね。千円。お釣りは百円ね。熱いから気をつけて持っていきなさいよ。火傷しても知らないわよ」
ツンケンとした冷たい態度。しかし、その圧倒的な美貌と、浴衣姿から放たれる色気に、仕事帰りのサラリーマンや中年男性たちが謎の魅力を感じて列を作っていた。
「お、お姉さん、冷たい視線がたまらないッス! もう三個追加で!」
「は? バカじゃないの、食べきれるの? まあいいわ、売上に貢献しなさい」
アメ(乃愛)とムチ(麗華)の完璧な客引きコンビネーション。
屋台の前には、瞬く間に長蛇の列が形成された。
「おいおい、列が隣の店の前まで伸びちまってるぞ! どうなってんだ!」
客が押し寄せすぎて、列がカオスになりかけたその時。
「慌てるな! 通行人の動線は俺が確保する!」
東洋警備保障の紺色の制服を着たまま、非番にもかかわらず駆り出された203号室の朝比奈駆(元勇者パーティー戦士)が、赤白の誘導棒を持って立ちはだかった。
「並ぶ者は一列に! 前の者との間隔を空けすぎるな! 通行人の邪魔になるゆえ、壁側に密着せよ!!」
朝比奈の、戦場で鍛え抜かれた腹の底からの号令と、誘導棒による美しくも威圧的な視線誘導。
客たちは、朝比奈の気迫に圧倒され、まるで訓練された兵士のようにスルスルと整然たる列を作り上げた。
「すげえ、あそこの屋台、警備員まで自前で用意してんのかよ……」
「完璧なオペレーションだ……」
調理、接客、誘導。
そして最後は、凛花によるレジ打ちである。
「お買い上げありがとうございます。六百円になります。はい、五千円お預かり。お釣り四千四百円です。次のお客様、ご注文をどうぞ。ええ、領収書の発行も可能です」
凛花の計算スピードとタブレットの操作は、熟練のスーパーのレジ打ちすら凌駕する速度であった。客が小銭を探すよりも早くお釣りを渡し、回転率を極限まで高めていく。
「大家。客単価、回転率ともに申し分ありません。現在、時速百食のペースで売上が立っています。このままいけば、プロテキ屋の売上を完全にダブルスコアで凌駕します」
「フハハハハ! 素晴らしい! これが我が軍の総力戦よ! 人間どもから搾り取れるだけ搾り取ってやるわ!」
真木は高笑いしながら、次々とパックに山盛りの焼きそばを詰め込んでいった。
* * *
午後八時。
祭りは最高潮の盛り上がりを見せていたが、向かいのプロテキ屋軍団の顔は完全に引き攣っていた。
彼らの屋台の前には閑古鳥が鳴き、客はすべてコーポ日ノ出の『魔王焼きそば』に吸い取られてしまっている。
「ふざけんな……! 素人の分際で、俺たちプロのシマを荒らしやがって!」
ついに我慢の限界に達した金髪のテキ屋の兄ちゃんが、ヘラを鉄板に叩きつけ、数人の仲間を引き連れてコーポ日ノ出の屋台へと乗り込んできた。
「おい、そこの素人ども! ちょっとやりすぎじゃねえのか!? いい気になって客を全部かっさらって、後でどうなるかわかってんだろうな!」
チンピラ特有の巻き舌で凄むテキ屋たち。
祭りの客たちが「ひっ」と息を呑み、少し距離を取った。
しかし。
コーポ日ノ出の面々からすれば、彼らのようなチンピラの凄みなど、魔界の最下級ゴブリンの威嚇以下の『そよ風』に等しかった。
「……あァ?」
ドスンッ!!
鉄板の前で炒め作業をしていた黒木が、巨大なヘラを持ったまま、ゆっくりと振り返った。
身長百九十センチ、丸太のような筋肉の塊。全身から立ち昇る汗と油の匂い。そして、かつて数多の敵を粉砕してきた重装歩兵隊長の、本物の『殺気』を孕んだ眼光。
「なんだ、貴様ら。我が主君の商いを邪魔しようというのか? もしそうなら、この鉄のヘラで、貴様らの骨ごとミンチにして鉄板の肥やしにしてくれるが?」
「ヒィッ!?」
黒木の圧倒的なオーラに、テキ屋の兄ちゃんたちは一瞬で顔面を蒼白にさせた。
さらに、彼らの背後には、いつの間にか久世が音もなく回り込んでいた。
「……おやめなさい。お祭りでの乱闘は、警備の目を引きますよ。もっとも、あなた方の息の根を止めるのに、音を立てる必要はありませんが」
久世の冷たく、底知れぬ暗殺者の声が耳元で囁かれる。
「なっ、なんだこいつら……!? ヤバい、本職のヤクザか何かか!?」
テキ屋たちが後ずさりしようとした時。
「そこまでだ」
列の整理をしていた朝比奈が、誘導棒を腰に差したまま、堂々とした足取りで割って入ってきた。
「祭りでの暴行は許さん。俺はここの警備を任されている。もしこれ以上、この屋台の営業を妨害するなら、直ちに警察に通報し、不退去罪および業務妨害で引っ立ててもらうぞ!」
勇者の正義感と、警備員としての法的知識のフュージョン。
物理的な恐怖と、社会的な制裁のダブルパンチを食らったプロのテキ屋たちは、完全に戦意を喪失した。
「ち、チクショウ! 覚えてろよ! 撤収だ、撤収!」
彼らは捨て台詞を吐きながら、自分たちの屋台の片付けすらそこそこに、逃げるように商店街から姿を消してしまった。
「……ふん。雑魚どもめ。資本主義の競争原理に敗れた敗残兵の末路だな」
真木は鼻で笑い、集まっていた客たちに向かって再び最高の営業スマイルを向けた。
「皆様、お騒がせいたしました! さあ、まだまだ焼きそばはありますよ! 焼きたてアツアツ、コーポ日ノ出の特製焼きそば、ご賞味あれ!」
「お、おおーっ!」
トラブルを無傷で、しかも一瞬で解決した彼らの姿に、客たちはさらなる熱狂をもって屋台に群がった。
* * *
午後十時。
祭りの終了を告げるアナウンスが商店街に響く中、コーポ日ノ出の屋台の鉄板は、見事なまでに空っぽに磨き上げられていた。
「……完売です。用意した食材のすべてを売り切りました」
凛花がタブレットの電源を落とし、疲労の色を隠せないながらも、満足げなため息を吐いた。
「売上総額は、当初の目標を遥かに上回る数値を記録しています。純利益で言えば、アパートの屋根の防水工事費用に十分充当できる額です」
「うおおおおおっ!! 勝った! 我らの完全勝利だァァァッ!」
真木が両手を天に突き上げて咆哮する。
黒木、久世、乃愛、麗華、そして朝比奈も、汗だくになりながら互いの労をねぎらい、その場に座り込んだ。
「はぁー、疲れたぁ……。でも、いっぱいの人においしいって言ってもらえて、楽しかったですぅ!」
「……まあ、悪くなかったわね。少しは良い運動になったし」
乃愛と麗華が浴衣の裾をパタパタと扇ぎながら笑い合う。
「いやあ、真木ちゃん。そしてコーポ日ノ出のみんな!」
片付けをしていた真木たちのもとへ、町内会長の神保が、商店街の役員たちを引き連れて満面の笑みでやってきた。
「お疲れさん! 聞いたぜ、プロのテキ屋相手に大立ち回りして、見事に客を捌き切ったそうじゃないか。今年の夏祭りで、あんたたちの屋台がぶっちぎりの『売上ナンバーワン』だ!」
役員たちからも、割れんばかりの拍手が送られる。
「お見事だったよ、大家さん。若い衆がこうして一生懸命商店街を盛り上げてくれるなんて、本当に嬉しいねえ」
「あんたたちはもう、立派なこの街の一員だ。これからもよろしく頼むよ!」
杉並区の商店街を長年支えてきた人間たちからの、完全なる『承認』の言葉。
真木はタオルで額の汗を拭い、深く、礼儀正しく頭を下げた。
「身に余る光栄です。我々コーポ日ノ出は、これからもこの街と共に歩み、共に発展していく所存です。……もちろん、アパートの家賃回収の手は緩めませんがね」
「ハッハッハ! 大家の鑑だな、あんたは!」
祭りの提灯の灯りが消え、少しだけ涼しくなった夏の夜風が、鉄板の熱気を優しく冷ましていく。
異世界からやってきた魔族と勇者が、東京の片隅の商店街で、焼きそばを売り、汗を流し、人間たちから心からの称賛を浴びている。
真木は、自分を取り囲む騒がしくも頼もしい店子たちの笑顔を見つめながら、確かな充足感に胸を満たしていた。
コーポ日ノ出の夏は、圧倒的な売上という最高の結果とともに、彼らの絆をさらに強く、そして深く結びつけたのである。




