第25話:商店街の歳末大売出し
十二月の下旬。
東京・杉並区の駅前商店街は、一年の締めくくりに向けた独特の熱気と活気に包まれていた。
アーケードの入り口には『歳末大売出し・福引大抽選会』の巨大な横断幕が掲げられ、各店舗の軒先からは威勢の良い呼び込みの声と、クリスマスから正月へとシームレスに移行する日本の奇妙なBGMメドレーが流れ続けている。
そして、この商店街の顔役であり、町内会長でもある『じんぼ亭』の店主・神保康平の号令により、商店街の中央広場では年末恒例のビッグイベントの準備が進められていた。
「よーし、みんな! 臼と杵の準備はいいか! もち米の蒸し上がりまであと十分だ、気合い入れていくぞ!」
白いねじり鉢巻にエプロン姿の神保が、拡声器で商店街の若手たち(といっても四十代や五十代の店主たち)に檄を飛ばす。
年末の風物詩、『歳末餅つき大会』である。
つきたての餅を商店街の客に振る舞い、年末の購買意欲を高めるという地域密着型のイベントだが、いかんせん餅つきというものは凄まじい重労働である。年々高齢化が進む商店街の役員たちだけでは、数十キロの餅をつきあげる体力が限界を迎えつつあった。
「……神保さん、今年は助っ人頼んでるんですよね? 俺らだけじゃ、もう腰がもたないっすよ」
八百屋の店主が腰をトントンと叩きながら愚恨をこぼした、その時。
「――お待たせいたしました! コーポ日ノ出陣営、これより餅つきの助太刀に参上つかまつる!」
地鳴りのような重低音の野太い声とともに、商店街の広場に一つの巨影が現れた。
身長百九十センチオーバー。大田組の指定作業着に身を包み、腕まくりをした丸太のような両腕の筋肉をピクピクと躍動させている男。
101号室の住人、元重装歩兵隊長の黒木鉄心である。
その後ろには、大家である真木征司、102号室の佐伯凛花、103号室の久世颯太、201号室の園田乃愛、そして完全に昼夜逆転生活から叩き起こされて不機嫌極まりない202号室の神埼麗華が、一列に並んでぞろぞろと歩いてきた。
「おおっ、来てくれたか真木ちゃん! それに黒木のお兄ちゃんも!」
神保がパッと顔を輝かせて駆け寄る。
「ええ。神保殿には、日頃から回覧板や定食の差し入れなどでお世話になっておりますゆえ。我がコーポ日ノ出の全戦力をもって、この歳末のイベントに貢献させていただく所存です」
真木は大家としての完璧な営業スマイルを浮かべ、深く頭を下げた。
アパート経営において、地域コミュニティ(特に町内会)との良好な関係は、どんな防犯カメラや防音壁よりも強固なトラブル回避の結界となる。真木は今回の餅つき大会を「コーポ日ノ出の地域貢献度をアピールし、信用をカンストさせる絶好の機会」と捉え、店子全員を強制動員してきたのだ。
「いやあ、助かるよ! で、黒木のお兄ちゃん、餅つきはやったことあるかい?」
「餅つき……はて。異世界……いや、私の故郷にはそのような風習はありませんでしたが、要するにあの巨大な木のハンマー(杵)で、石の器(臼)に入った白い物体を粉砕すればよいのですね!」
黒木が立てかけてあった大人用の重い杵を片手で軽々と持ち上げ、ブンブンと素振りをし始めた。風を切る凄まじい音に、周囲の店主たちが「ヒッ」と後ずさる。
「ふ、粉砕はしないでくれよ! 餅っていうのはね、こう、粘り気が出るようにリズミカルに叩くんだ。ほら、もち米が蒸し上がったから、まずは俺がお手本を見せるよ」
神保が臼に蒸し上がったばかりの熱いもち米を投入し、杵を構える。
ペッタン! ペッタン!
小気味良い音とともに、白い米粒が徐々に一つにまとまり、粘り気のある餅へと変化していく。
「なるほど! 理解いたしました。つまり、ただの打撃ではなく、対象物の繊維を絡め合わせるように圧をかける『粘性打撃』の技術ですね! 解体現場でコンクリートを砕くのとは勝手が違いますが、お任せあれ!」
黒木は神保から杵を受け取ると、両足を肩幅に開き、重心をグッと落とした。
「うおおおおおっ!! 全筋肉、解放ッ!!」
黒木が杵を振り上げた瞬間、彼の上半身の作業着が、パンプアップした筋肉の膨張に耐えきれずに「ビリッ」と微かな音を立てた。
そして。
ズドォォォォォォォンッ!!!
まるで工事現場で杭打ち機が作動したかのような、爆発的な轟音が商店街の広場に響き渡った。
「ひぃぃぃぃっ!?」
近くで見ていた八百屋の店主が腰を抜かしてひっくり返る。
黒木の振り下ろした杵は、石臼の中の餅を完全に貫通し、臼の底の石に激突して火花を散らしていた。餅は凄まじい衝撃波によって圧縮され、一瞬にして完全に粒のない滑らかな状態へと変貌を遂げていた。
「ど、どうでしょうか神保殿! この一撃! 敵の盾(もち米)を完全に粉砕し、無力化(餅化)いたしましたぞ!」
「く、黒木のお兄ちゃん……っ! 餅は完璧にできてるけど、臼が! 石臼にヒビが入ってるから! 力加減! もっと力加減してぇっ!」
神保が泣きそうになりながら石臼を撫で回す。
「黒木! 貴様、神保殿の大切な備品を破壊する気か! 弁償になったらお前の家賃に上乗せだぞ!」
真木が慌てて黒木の後頭部をスリッパで叩く。
「も、申し訳ありませぬっ! つい、未知の敵(餅)を前にして全力が出てしまい……次からは手首のスナップだけで、優しく打ち据えます!」
「手首のスナップだけで餅がつけるか!」
その後、黒木は「杵の重さだけで落とす」という極限の寸止め技術を習得し、人間離れしたスタミナで次々と餅をつき上げていった。通常なら数人がかりで交代で行う作業を、彼一人で涼しい顔をしてこなしていくその姿に、商店街の役員たちは「大田組の黒木はバケモノだ」「あれはもう重機の擬人化だろ」と畏敬の念を抱くようになった。
* * *
一方、つき上がった餅を丸め、味付けをして客に振る舞う「配布係」のテントでも、コーポ日ノ出の女性陣が大活躍を見せていた。
「はーい、お餅ですよー! きな粉とあんこ、どっちがいいかなー?」
201号室の乃愛が、持ち前の愛嬌百パーセントの笑顔で、近所の子供たちに餅を手渡している。
彼女の犬特有の「人懐っこさ」と、常にパタパタと振られている(ように見える)尻尾のオーラは、子供たちや年配の客の心を瞬く間に鷲掴みにし、テントの前には長蛇の列ができていた。
「お姉ちゃん、犬のお耳可愛いー!」
「えへへっ、でしょー! これ地毛……じゃなくて、お気に入りなんだー! お餅いっぱい食べて、元気なワンちゃん……じゃなくて、良い子になってねー!」
乃愛の周りには常に人が絶えず、完全に餅つき大会のアイドルと化している。
その隣で、102号室の凛花が、信じられないスピードで餅を丸めていた。
「……直径五センチ、重量三十グラム。誤差プラスマイナス一グラム以内。片栗粉のまぶし量は表面積に対して均等に」
凛花の指先は、まるで精密機械のように正確な動きで熱い餅をちぎり、瞬く間に完璧な球体の餅を量産していく。彼女の経理で培われた「一ミリの誤差も許さない」という狂気じみた正確性が、なぜか餅丸めという作業において奇跡的なシナジーを発揮していた。
「す、すごいわ佐伯さん……。私たち商店街の婦人会が何十年もやってきた職人技より、早くて綺麗じゃない……」
手伝っていた肉屋のおかみが、呆然としながら呟く。
「軍の兵糧の配分において、不均等な分配は兵士の不満と暴動を招きます。常に均質で平等な規格を保つことこそが、組織を維持する要なのです」
餅を丸めながら恐ろしい組織論を語る派遣OLに、婦人会のおかみさんたちは「は、はぁ……」と引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
「……なんで私が、こんな昼間っから外で甘酒なんか配ってなきゃいけないのよ。日焼け止め三回も塗り直したわよ……」
そして、日陰のテントのさらに奥深く、最も日の当たらない場所で、パイプ椅子に座ってダルそうに紙コップを差し出しているのが、神埼麗華であった。
吸血鬼である彼女にとって、昼間の屋外イベントは文字通り「命がけ」である。黒い日傘をさし、サングラスをかけ、全身を黒いショールで覆ったその姿は、どう見ても商店街の祭りにふさわしくない怪しげな占い師か、裏社会の未亡人のようであった。
「はい、甘酒。熱いから気をつけてね」
極めて低いテンションと、夜勤明けの冷たい眼光で、中年の男性客に紙コップを手渡す。
「お、おう……。ありがとよ、ねーちゃん。なんかスゲー迫力だな……」
だが、この麗華の「不機嫌で冷たい美女」というオーラが、なぜか一部の男性客(特に仕事に疲れたおじさん層)にクリティカルヒットしてしまっていた。
「あの、すいません。甘酒もう一杯もらえますか?」
「はぁ? さっき飲んだでしょ。糖分の摂りすぎは体に悪いわよ、さっさと帰って寝なさい」
「す、すいません! でも、その冷たい目で見下されると、なんかゾクゾクして……!」
「気持ち悪いこと言ってんじゃないわよ、愚民が! ほら、熱いの注いだから火傷しなさい!」
「ありがとうございますぅぅぅっ!」
深夜のコンビニ『スマイルマート』で培われた、クレームを物理的(精神的)に封殺する極悪接客術。それがなぜか「ツンデレ(ツン百パーセント)の看板娘」として大ウケし、麗華の甘酒コーナーの前には、奇妙な熱気を持ったおじさんたちの列ができあがっていた。
「……おい、真木」
その光景を少し離れた場所から見ていた103号室の久世が、ドン引きした顔で大家に話しかけた。
「神埼殿のあの列、完全に異質な空気を放っているが……我々が介入しなくてよいのか? 暴動が起きる前兆ではないのか?」
「放っておけ。人間というものは時として、己を痛めつけてくれる存在に金を払う奇妙な習性を持っているのだ。それより久世、お前の風魔法……いや、配達のスピードを活かす時が来たぞ」
真木は久世に、つきたての餅が入った大きな発泡スチロールの保温箱を手渡した。
「この商店街の奥に、足が悪くてここまで来られないお年寄りたちの家が十軒ほどある。神保殿から託されたリストだ。お前のロードバイクで、餅が冷え固まる前にすべての家にドロップしてこい!」
「おおっ! 高齢者への特殊配給任務ですね! お任せを! この疾風の久世、一つとして餅を冷ますことなく、完璧な温度で配達してみせます!」
久世は保温箱を背負い、ヘルメットを被ってロードバイクに飛び乗ると、あっという間に商店街の路地へと消えていった。
* * *
午後三時。
用意されていた五十キロ分のもち米は、黒木の怪力と凛花の精密作業、そして乃愛と麗華の集客力により、わずか数時間で完全に消費され、大盛況のうちに『歳末餅つき大会』は幕を閉じた。
「いやー、今年は本当に助かったよ、真木ちゃん!」
片付けを終えた神保が、エプロン姿で真木に歩み寄ってきた。その後ろには、商店街の役員たちが並んで深く頭を下げている。
「みんな、コーポ日ノ出の若い衆の働きっぷりに感動してたぜ。黒木のお兄ちゃんの力は重機並みだし、佐伯さんの手際の良さはプロの和菓子屋も真っ青だ。それに、あの子たちのおかげで客の入りも例年の倍以上だったしな」
「もったいないお言葉です、神保殿」
真木は謙遜しながらも、内心で特大のガッツポーズを決めていた。
(勝った……! これで我がコーポ日ノ出は、杉並区の商店街において『必要不可欠な地域貢献アパート』としての絶対的地位を確立した! 今後、少々の騒音やトラブルが起きても、この恩義の結界が我々を守ってくれるはずだ!)
「これ、みんなで手伝ってくれたお礼だ。遠慮なく受け取ってくれ」
神保が差し出したのは、つきたての大きなお餅がぎっしり詰まった重箱と、そして商店街の酒屋から提供された、高級な瓶ビールの詰め合わせ数ケースであった。
「お、おおお……っ! こ、こんなにたくさん!?」
日頃、見切り品の第三のビール(発泡酒)で我慢している真木にとって、それはまさに黄金の財宝にも等しい輝きを放っていた。
「年末年始の宴会にでも使ってくれや。また来年もよろしく頼むぜ、大家さん!」
「は、はいっ! 命に代えましても!」
夕暮れの商店街を、大量の戦利品(餅とビール)を抱えた魔族たちが、意気揚々とコーポ日ノ出へと凱旋していく。
「うおおおおっ! 本物の麦酒! 我らの労働が、確かな報酬となって返ってきたぞ!」
黒木がケースを両手で高々と掲げ、歓喜の雄叫びを上げる。
「私はもう寝るわよ……。明日の深夜シフトまで一歩も外に出ないから……」
麗華は日傘の中で完全に干からびているが、その手にはちゃっかりと、おじさん客から差し入れられた大量の栄養ドリンクが握られていた。
「真木様、お餅、みんなで食べましょうね!」
乃愛が尻尾を振りながら、真木のジャージの袖を引っ張る。
「うむ。今夜は特別だ。大家部屋のストーブを全開にし、このつきたての餅を焼き、本物のビールで乾杯するぞ! 我が城の平穏と、来年の確定申告を乗り切るための英気を養うのだ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
木枯らしの吹く杉並区の路地に、かつての魔王軍の、しかし今はどこまでも人間臭く温かい歓声が響き渡った。
魔力を持たない彼らが、自らの労働と地域への貢献によって勝ち取った、小さな、しかし確かな勝利の味。
コーポ日ノ出の年末は、寒さを吹き飛ばすほどの熱気と笑い声に包まれながら、慌ただしく、そして賑やかに更けていくのであった。




