第14話:商店街福引の奇跡
木造アパート『コーポ日ノ出』の一階、外階段の脇にある小さな屋根付きのスペース。
そこは、このアパートの入居者たちが共同で使用する『共用ランドリースペース』である。しかし、そこに鎮座しているのは最新型の家電などではなく、昭和の香りを色濃く残す、ダイヤル式の「二槽式洗濯機」が一台だけであった。
「ええい、なぜだ! なぜ我が作業着の水分が抜けきらんのだ!」
土曜日の午前中。元重装歩兵隊長の黒木鉄心が、二槽式洗濯機の「脱水槽」の蓋を開け、湿ったままの作業着を前に悲痛な叫び声を上げていた。
「黒木隊長、詰め込みすぎです」
隣で洗濯カゴを抱えて順番待ちをしていた元首席補佐官の佐伯凛花が、冷ややかに指摘する。
「二槽式洗濯機の脱水槽は容量が小さく、遠心力で水分を飛ばす仕組みです。あなたのような巨漢の汗と泥を吸い込んだ分厚い作業着を、三着も同時に押し込めば、モーターが回転できずにエラーを起こすのは物理の基本でしょう」
「ぐぬぬ……! しかし、解体現場で泥まみれになる私の衣類は、毎日洗わねば翌日の任務に支障をきたすのだ! この洗濯機という魔導具、あまりにも貧弱すぎる!」
「文句があるなら駅前のコインランドリーを使いなさい。一回四百円かかりますが」
「よ、四百円!? もやしが二十袋買えるではないか! 無理だ!」
二人が言い争っていると、二階から202号室の神埼麗華(元吸血貴族)が、フリルたっぷりのゴスロリドレスを大量に抱えて降りてきた。
「ちょっと! いつまで洗濯機占領してるのよ! 私の夜勤用のドレスも洗わなきゃいけないんだから、早く空けなさいよ!」
「神埼殿、お待ちくだされ! まだ私の作業着の脱水が……!」
「あんたの泥だらけの服を洗った直後の洗濯槽で、私の繊細なレースを洗えっていうの!? ちゃんと槽洗浄してからにしてよね!」
「なんだと、このヒキニート吸血鬼!」
「言ったわね、筋肉ダルマ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる店子たち。
その騒音を聞きつけ、大家部屋の窓から真木征司(元魔王ヴァルザード)が不機嫌そうに顔を出した。
「朝からうるさいぞ貴様ら! 我が城の平穏を乱すな!」
「大家。平穏を乱しているのはこの旧式の洗濯機です」
凛花が眼鏡を押し上げ、バインダーを真木に突きつけた。
「この二槽式洗濯機は、前のオーナーが残していった製造から十五年経過した年代物です。すすぎから脱水への手動移し替え作業が必須であり、現在の店子三人が共有するには明らかにキャパシティオーバー。住人間のトラブルの火種になりつつあります。至急、最新の全自動洗濯機の導入を具申します」
「ぜ、全自動洗濯機だと?」
真木は顔を引きつらせた。
「馬鹿を言え! 先日、雨漏りの屋根修理で業者の足元を見られ、結局五万円もの大金をむしり取られたばかりだぞ! 家電量販店で新しい洗濯機を買うなど、我がコーポ日ノ出の財政が許すはずがない!」
「しかし魔王様、このままでは不便すぎます! 私は吸血鬼の誇りにかけて、全自動の乾燥機能までついたピカピカのやつが欲しいです!」
「我慢しろ! 手で絞れ! 大家の財布は今、氷河期なのだ!」
真木がピシャリと言い放ち、店子たちが不満げにブーブーと文句を言い始めた、まさにその時である。
「おーい、真木ちゃーん! いるかい?」
アパートの入り口から、陽気な声が響いた。
大衆食堂『じんぼ亭』の店主であり、町内会長でもある神保康平である。彼は手に何枚かのピンク色の紙切れを持ち、ニコニコと笑いながら歩いてきた。
「神保殿。いかがなされた? また町内会の回覧板か?」
「いやいや、今日はね、ちょっといいものを持ってきたんだよ。これ、商店街の『福引抽選券』。うちの店でランチ食べてくれたお客さんに配ってるんだけどさ、少し余ったから、大家さんのところに持ってきてあげたんだ」
「福引……抽選券?」
真木が首を傾げると、神保はアパートの掲示板に一枚のチラシを貼り付けた。
『杉並駅前商店街・大感謝祭! ガラポン福引大抽選会!』
そこには、一等から参加賞までの豪華景品が写真付きでデカデカと掲載されていた。
真木、凛花、黒木、麗華の四人は、チラシの一番上に躍る『特等』の文字と写真を見た瞬間、カッと目を見開いた。
『特等:最新型ドラム式全自動洗濯機(温風乾燥機能付き・大容量12kg)』
「ぜ……全自動洗濯機……ッ!」
黒木がゴクリと唾を飲み込んだ。
「しかも温風乾燥機能付き……! これさえあれば、夜勤明けで干す手間もなく、ふかふかのドレスが着られる……!」
麗華の深紅の瞳が、血を見るよりも妖しく輝いた。
「……神保殿」
真木はスッと神保に詰め寄り、その両手をガシッと握りしめた。
「その福引券……今すぐ私にください! なんとしても、あの特等の魔導具(ドラム式洗濯機)を我が城に迎え入れねばならないのです!」
「お、おう。すごい気迫だな。全部で五回分あるから、持っていきなよ。抽選会は今日の夕方五時まで、駅前の広場でやってるからさ」
「圧倒的感謝! 必ずや、特等を手に入れてみせます!」
神保が去った後、大家部屋にて緊急の『福引対策会議』が開かれた。
「いいかお前たち。神保殿からもらった券が五回分。さらに、私が日頃スーパー『ライフ』で見切り品を買った際にチマチマと貯めていた『補助券(十枚で一回引ける)』を合算すると、我々が福引を回せる回数は『全十回』となる」
真木もちゃぶ台の上に、ピンク色の福引券と、小さく切り取られた補助券をずらりと並べた。
「十回の試行回数で、特等を引き当てる確率……。凛花、計算しろ」
「はい。商店街の規模と、用意された景品の総数、およびガラポン抽選器の一般的な玉の数(約三千個)から推測するに、特等の金色の玉が入っている確率は、およそ〇・〇三パーセント。極めて絶望的な数字です」
「〇・〇三パーセントぉ!? 私のやってるソシャゲのガチャのSSR排出率(〇・五パーセント)より低いじゃないの!」
麗華が頭を抱えて叫んだ。
「うろたえるな! これはデジタルのガチャではない、物理的な抽選器なのだ。重量、遠心力、そして玉の配置……すべては物理法則に支配されている。魔力を使わずとも、我々の持てる身体能力と知略を尽くせば、必ずや黄金の玉を弾き出せるはずだ!」
真木の熱い演説に、黒木も拳を握りしめた。
「おおおっ! やってやりましょう、真木様! 我が重装歩兵の誇りに懸けて、コーポ日ノ出に全自動洗濯機を持ち帰ってみせます!」
* * *
午後三時。駅前商店街の広場。
紅白の幕が張られたテントの下に、巨大な木製の『ガラポン抽選器』が鎮座していた。周囲には、買い物帰りの主婦や子供たちが列を作り、カランカランと鐘の音が鳴るたびに歓声が上がっている。
その列の最後尾に、異様なオーラを放つ四人組が並んでいた。
ジャージ姿で腕を組む真木。スーツ姿で電卓を叩く凛花。作業着姿で筋肉をパンプアップさせている黒木。そして、日傘を差し、遮光用の黒いサングラスをかけたゴスロリ姿の麗華である。
「次の方、どうぞー!」
法被を着た商店街の役員が声をかける。
「よし。まずは私から行こう。三回分だ」
先陣を切ったのは凛花だった。彼女は眼鏡を光らせ、抽選器の前に立つ。
「抽選器の直径、ハンドルの回転半径、そして玉の摩擦係数……。過去の統計データから、特等の玉は比較的重く、底部に沈んでいる可能性が高い。ならば、初速を殺し、遠心力を最小限に抑えてゆっくりと回すことで、底の玉を拾い上げる!」
凛花は計算し尽くされた軌道で、ゆっくりと、極めて静かにハンドルを回した。
コロン。コロン。コロン。
出てきたのは、真っ白な玉が三個。
「はい、ハズレの白玉三個ですねー。参加賞のポケットティッシュ三つです」
「な、馬鹿な……計算が狂ったというのですか……!」
凛花は膝から崩れ落ちた。
「ふんっ、理屈をこねるからよ。ガチャは気合と念よ! 私の三回分、いくわよ!」
続いて麗華が進み出た。彼女はサングラスの奥の深紅の瞳をギラつかせ、ハンドルを力強く握りしめた。
「出なさい……! 私のピックアップ(特等)……! ここで出なきゃ、私のドレスはまたカビ臭い二槽式で洗われるのよぉぉっ!」
ガラガラガラッ!
親の仇のようにハンドルを回す。
コロン。コロン。コロン。
「はい、ハズレの白玉三個ー。参加賞のうまい棒三本ね」
「うわぁぁぁん! なんでよぉ! 確率アップは嘘じゃないのぉぉっ!」
麗華はその場にうずくまり、うまい棒(めんたい味)を握りしめて号泣した。
「神埼殿、退かれよ! 次は私の三回分だ!」
満を持して黒木が前に出た。彼の分厚い胸板と丸太のような腕に、商店街の役員も少し引き気味である。
「フンッ! 物理的な抽選器ならば、我が豪腕による遠心力で、特等の玉を強引に排出口へと導いてみせる! 必殺、超高速回転破砕撃!!」
黒木が猛烈な勢いでハンドルを回した。
ギュインギュインギュインッ!!
ガラポン抽選器が悲鳴を上げ、中の玉が洗濯機の脱水槽のように激しく攪拌される。
「お、お客さん! 壊れるから! そんなに勢いよく回さないで!」
ポンッ! ポンッ! ポンッ!
勢い余って、排出口から白い玉が空高く勢いよく飛び出した。
「白玉三個! はい、ポケットティッシュ三つ! 次の方!」
「無念……! 我が豪腕をもってしても、白玉の結界を破れなかったとは……!」
黒木もまた、ポケットティッシュを握りしめて敗北を喫した。
残るは、真木の最後の一回分のみとなった。
「大家……申し訳ありません。我々の力が及ばず……」
「気にするな。最後に大将が控えているのが、魔王軍の定石だ」
真木はジャージの袖をまくり上げ、ゆっくりとガラポン抽選器の前に立った。
(……余とて、魔力を失った今の身体では、中にある玉の色を透視することも、念動力で金の玉を操ることもできない。純粋な『運』の勝負だ。だが……)
真木は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
(我がコーポ日ノ出の平穏と、店子たちの笑顔。そして何より、私の不労所得生活の安定のため……この一振りに、余の全カロリー(生命力)を注ぎ込む!)
カッ!と真木の目が開き、その瞳に覇王の威圧感が宿った。
彼はハンドルを両手でしっかりと握りしめ、まるで聖剣を振り下ろすかのような気迫で、しかし極めて丁寧に、一回転だけ回した。
「ふんぬおおおおおおおおっ!!」
魔力を集中させようとしたがエーテルがないため、ただ顔を真っ赤にしてカロリーだけを猛烈に消費し、全身の筋肉を震わせる真木。
そのあまりの気迫に、周囲の主婦たちも息を呑んで見守る。
ガラ……ガラ……。
木製の抽選器が、重々しい音を立てて回転し、一つの玉が排出口へと転がり落ちてきた。
コロン。
受け皿に落ちたその玉の色は。
白でも、赤でもなく。
夕日に照らされて眩く輝く、黄金色であった。
「……え?」
役員のおじさんが、受け皿の玉を二度見した。そして、慌てて手元のハンドベルを手に取り、狂ったように振り鳴らした。
カランカランカランカランカランッ!!
「で、出ましたぁぁぁっ! 特等! 最新型ドラム式全自動洗濯機、大当たりィィィッ!!」
ワアアアアアッ!と、商店街の広場に割れんばかりの歓声と拍手が響き渡った。
「やった……! やったぞお前たち! 我が軍の勝利だァァァッ!」
真木が両手を天に突き上げて咆哮する。
「真木様ぁぁぁっ! 流石は我が主君! 一生ついていきますぞぉぉっ!」
「大家、素晴らしい確率の超越です!」
「洗濯機! 私のドレスが全自動で洗えるぅぅっ!」
黒木、凛花、麗華の三人が真木に駆け寄り、歓喜の涙を流しながら抱き合った。
ちょうど買い出しに来ていた神保も、人混みの中から「おーっ! すげえな真木ちゃん! 本当に出しやがった!」と笑って手を叩いている。
かくして、コーポ日ノ出の歴史に残る『商店街福引の奇跡』は、大家・真木征司の執念の一振りによって達成されたのである。
* * *
翌日の午後。
コーポ日ノ出の一階、共用ランドリースペース。
そこには、これまで鎮座していた古びた二槽式洗濯機に代わり、純白のボディに美しい流線型のフォルムを持った『最新型ドラム式全自動洗濯機』が、誇らしげに設置されていた。
「おおお……なんという神々しい輝き。これぞまさに、現代の人類が到達した魔導具の最高峰……!」
黒木が洗濯機の前で正座し、拝むように手を合わせている。
「洗剤と柔軟剤をタンクに入れておけば、洗濯物の量に合わせて自動で計量・投入してくれる機能までついています。これで、誰が洗剤を多く使ったかで揉めることもありませんね」
凛花が取扱説明書を読みながら、満足げに頷く。
「ボタン一つで乾燥まで終わるなんて、最高じゃない! 私、一番乗りでドレス洗わせてもらうわね!」
麗華がゴスロリドレスを放り込み、タッチパネルのスタートボタンを押す。
ウィーン、という静かなモーター音とともに、ドラムが滑らかに回転を始めた。そのあまりの静音性とスムーズな動きに、三人の店子たちは「おお〜っ」と感嘆の声を漏らした。
「ふっ……。喜んでいるようだな、お前たち」
大家部屋から出てきた真木は、その光景を腕を組んで見守っていた。彼の手には、神保からお祝いにと差し入れられた、六缶パックの発泡酒が提げられている。
「真木様! この大いなる恩寵、生涯忘れませんぞ!」
「大げさだ。だが、これで我がコーポ日ノ出の設備は一段階アップグレードされた。次なる入居者への強力なアピールポイントになるはずだ」
真木は発泡酒の缶をそれぞれに手渡し、自分も一缶を手に取った。
「さあ、我が城の新たなるインフラの誕生と、今後の満室経営を祝して……乾杯だ!」
「「「乾杯!!」」」
プシュッ、と小気味良い音が初夏の夕空に響く。
冷えた発泡酒を喉に流し込みながら、真木は静かに回るドラム式洗濯機を見つめた。
魔力を失い、資本主義の底辺から始まった大家生活。
しかし、彼らは自らの手で、そして時折訪れる幸運を確実にもぎ取ることで、この木造アパートでの暮らしを豊かにしつつある。
特等の洗濯機がもたらした平穏と歓喜。
大家・真木征司の不労所得への道は、確かな希望の光に照らされていた。




