混乱の開国祭
――開国祭、当日の朝。
レスト邸の玄関前には、いつもより早い時間から二台の馬車が停まっていた。
その周囲に立つのは、王家の紋章を胸元に付けた四人の騎士。
「……四人も?」
シノが目を丸くする。
「今日は俺がいねえからな」
ライアスが答えた。
まだ、いつもの騎士服姿。
だが。
今日、この服を着ている時間もあと僅かだった。
中央神殿では、二百年ぶりとなる《パラディン》の正式任命式が行われる。
その主役が。
ライアス・エンフィレルだった。
「嬢ちゃん。王宮に着いたら、ちゃんとこいつらの言うこと聞けよ」
「分かってるって」
「祭りだからって勝手にどっか行くなよ」
「行きません」
「ほんとか?」
「……たぶん」
「おい」
シノが笑う。
「ライアスさんこそ、緊張して転ばないでよ」
「誰が転ぶか!」
「だって今日、みんなに見られるんでしょ?」
「余計なこと言うな。今ちょっと意識しただろうが」
「やっぱり緊張してるじゃん」
「うるせえ」
ライアスが馬車へ向かおうとする。
「あ、待って」
「今度はなんだ」
シノが一冊の絵本を差し出した。
『綺麗な水辺のお友達』
「これ、神殿に返しておいて」
「神殿のやつか」
「うん。また借りるかもしれないけど」
「分かったよ」
ライアスが受け取る。
そこで。
シノが、はっと顔を上げた。
「……あ!」
「だからなんだよ!」
「任命式!」
「ああ」
「わたし、見られるよね?」
「俺に聞かれても知らねえよ」
「ええ!?」
「王様に聞けって」
「アイク先生、絶対来るよね?」
「国王が来なかったら俺が不安になるわ」
「じゃあ大丈夫か」
「切り替え早えな」
ライアスは苦笑し。
「じゃ、先行くぞ」
「うん」
シノは手を振る。
「いってらっしゃい、ライアスさん」
「ああ」
白銀の鎧をまだ身につけていない男が。
神殿へ向かう馬車へ乗り込んだ。
◇
それからほどなく。
シノも王宮へ向かった。
今日の装いは、以前新調してもらった正装だった。
白を基調とした上衣。
少し広めの袖には、光の加減で淡く浮かび上がる銀糸の文様。
腰には鮮やかな赤の幅広布が重ねられている。
宝石も。
金の飾りも。
ほとんどない。
それでも。
神前へ歌を捧げる者を思わせるような、清らかな装いだった。
王宮へ到着すると。
「アイク先生」
「来たか、弟子」
アイザックが迎えた。
「今日って、ずっと一緒なんですか?」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど」
シノが少し間を置く。
「ライアスさんの任命式、絶対見たい」
「心配するな。余も参列する」
「ほんと?」
「まったく……」
アイザックが苦笑する。
「二百年ぶりのパラディンだ。国王が参列せずしてどうする」
「じゃあ、一緒に行ける?」
「ああ」
「よかったぁ」
シノが胸を撫で下ろす。
そして。
周囲を見る。
王宮騎士。
護衛。
普段より明らかに人数が多い。
「……アイク先生」
「なんだ」
「今日、わたしを呼んだのって」
シノが少しだけ声を落とす。
「護衛のため……ですか?」
アイザックの表情が。
僅かに変わった。
「気づいたか」
「なんとなく」
グランツ公爵の失踪。
宝物殿から消えた秘宝。
神獣召喚の可能性。
すべてを知っているわけではない。
だが。
何も知らないわけでもない。
「今日は」
アイザックが静かに言った。
「余の側にいた方が安全だ」
「うん」
「物騒な話ですまんな」
「別に大丈夫です」
シノが答える。
「でも」
「?」
「お祭り、一緒に見たいっていうのも本当?」
アイザックが。
少しだけ目を丸くした。
そして。
笑う。
「ああ」
「よかった」
「祭りを弟子と楽しみたいのも本当だ」
そのまま。
少しだけ声を落とす。
「其方を守りたいのも本当だ」
「……そっか」
「だから今日は」
王ではなく。
アイク先生の顔で。
「余のわがままに付き合え」
「はい」
一拍。
「……屋台も行っていい?」
「護衛を泣かせるな」
「一個だけ」
「考えておく」
「やった」
「まだ許可しておらん!」
その日の午前。
王都は。
何事もなかったかのように、開国祭を迎えていた。
色鮮やかな旗。
地方から集まった商人。
屋台から漂う料理の匂い。
楽器の音。
子供たちの笑い声。
シノは。
アイク先生の隣を歩いた。
ほんの一時。
このまま。
何事もなく一日が終わるのではないか。
そう思えてしまうほど。
穏やかな時間だった。
◇
昼を過ぎた頃。
中央神殿。
祭りの喧騒から切り離されたように。
神殿の内部は、静かな緊張に包まれていた。
祭壇には。
三神を示す紋章。
音楽の神アウラ。
大地の神ガルシア。
水の神ミリニア。
その前には、高位神官たち。
王国騎士。
王宮関係者。
そして。
二百年ぶりとなる任命を見届けようと集まった参列者たち。
アイザックの席の近く。
シノの隣には。
マルナが座っていた。
今や。
三神教より名誉司祭の位を授けられた彼女も。
この式の正式な参列者だった。
「院長先生」
「はい?」
「ライアスさん、まだかな」
「シノ」
マルナが小さく笑う。
「先ほどから、それで四度目です」
「そんな言った?」
「言いました」
「……まだかな」
「五度目です」
「だって見たいんだもん」
マルナが微笑んだ。
「私もですよ」
「院長先生も?」
「ええ」
その時。
神殿の大扉が開いた。
シノの声が止まる。
「……」
一人の男が。
ゆっくりと神殿へ入ってきた。
白銀を基調とした鎧。
胸元には、三神を表す意匠。
腰には。
聖剣。
余計な装飾はない。
ただ。
それゆえに。
男の立ち姿そのものが際立っていた。
「……すご」
シノの口から声が漏れる。
「シノ」
マルナが笑う。
「お口が開いていますよ」
「だって……」
シノは目を離さない。
「ライアスさん、ちゃんとパラディンみたい」
「これから正式になるのですよ」
「あ」
シノが小さく笑った。
「そっか」
だが。
その笑みは。
すぐに静かなものへ変わった。
いつもの。
軽口ばかり叩くライアスではない。
血だらけになりながら。
自分の前に立ち続けた騎士。
神獣に。
弱き者の前へ立つ者として認められた男。
そして。
幼い頃から。
本人すら知らぬうちに。
その道へ続く物語を聞いて育った人。
『あたしゃパラディンの話が好きさね!』
もういない。
ナディアの声まで。
どこかから聞こえたような気がした。
「ライアス・エンフィレル」
ライラメスの声が響く。
「前へ」
「はっ」
ライアスが祭壇前へ進む。
そして。
片膝をついた。
《ディグニティ》を抜き。
両手で捧げるように、自らの前へ置く。
ライラメスが。
胸へ三本の線を引いた。
マルナも。
アイザックも。
参列者たちも。
それに倣う。
聖歌隊の歌声が。
高い天井へ静かに昇っていく。
祈りが終わる。
ライラメスが。
跪くライアスを見る。
「ライアス・エンフィレル」
「はい」
「其方は」
一拍。
「三神の御前に立ち」
神殿の空気が張り詰める。
「弱き者を守り」
「民に剣を捧げ」
「その身をもって――」
その時だった。
――ゴォン。
鐘。
誰も。
すぐには動かなかった。
だが。
シノは眉を寄せる。
祭りの鐘とは違う。
もう一度。
――ゴォン。
低く。
短く。
切迫した鐘の音。
「……警鐘?」
アウダイールが立ち上がった。
同時。
神殿の大扉が勢いよく開かれる。
「失礼いたします!」
一人の騎士が。
息を切らしながら駆け込んできた。
「陛下!」
アイザックが立つ。
アイク先生の顔は。
一瞬で消えていた。
「何事だ」
「敵襲です!」
神殿がざわめく。
「敵襲……?」
シノが呟く。
マルナが。
そっとシノの肩へ手を置いた。
アイザックの目が鋭くなる。
「……グランツか」
逃亡。
秘宝のすり替え。
神獣召喚の疑い。
ここまで来れば。
反乱兵が動いたと考えるのが自然だった。
「反乱軍はどこまで来ている」
「陛下」
騎士の表情が強張った。
「なんだ」
「反乱軍ではありません」
アイザックが。
動きを止める。
「……何?」
「確認されたのは」
一度。
息を呑み。
「隣国――エルドリアの兵です!」
「なに……!」
アウダイールが声を上げる。
「エルドリアだと!?」
「はい!」
「正規軍か!」
「現在確認中です!」
「国境軍からの報告は!」
「ございません!」
アウダイールの顔が険しくなる。
「あり得ん」
一国の軍勢が。
何の兆候もなく。
王都近辺へ現れる。
通常ならば。
あり得ない。
「……なるほど」
アイザックが低く呟いた。
「エルドリア王国そのものが動いたとは限らん」
「陛下?」
「正規の侵攻なら、このような現れ方はせぬ」
だが。
ならば。
なぜ。
「グランツ……」
アイザックが。
ゆっくりと拳を握る。
「何をするつもりだ」
答えは。
まだ見えない。
その間も。
警鐘は鳴り続けている。
「アウダイール!」
「はっ!」
「祭りを止めろ!」
戦士長が姿勢を正す。
「民の避難を最優先! 王都防衛隊を配置せよ!」
「御意!」
「城門を閉じろ! 避難路を確保してから誘導を始めよ!」
「はっ!」
アウダイールが走り出そうとする。
その時。
「陛下」
ライラメスの声。
全員が。
祭壇を見る。
ライアスは。
まだ。
片膝をついたままだった。
聖剣を前に。
任命式の途中で。
止まっている。
アイザックと。
ライラメスの視線が交わった。
僅かな沈黙。
ライラメスが。
ライアスを見る。
「ライアス」
「はい」
「立ちなさい」
ライアスが顔を上げる。
「……しかし」
「儀式は」
ライラメスが静かに言った。
「後でもできます」
「……」
「今」
一拍。
「あなたがなすべきことを」
ライアスが。
《ディグニティ》を握った。
そして。
立ち上がる。
白銀の鎧が。
神殿の光を受ける。
アイザックが。
その男を見る。
「パラディン」
ライアスの目が。
ほんの一瞬だけ動いた。
「陛下」
「民を頼む」
まだ。
正式な任命の言葉は告げられていない。
儀式も。
終わっていない。
それでも。
ライアスは。
聖剣を腰へ戻した。
姿勢を正す。
「――御意」
そして。
振り返ることなく。
神殿の大扉へ向かった。
「ライアスさん」
シノが呼ぶ。
足が止まる。
振り返らないまま。
「嬢ちゃん」
「……はい」
「マルナさんと王様のそばにいろ」
いつもの声。
「勝手に出てくんなよ」
「……分かった」
「よし」
それだけ言って。
ライアスは走り出した。
ほんの少し前まで。
シノは。
白銀の鎧を見て笑っていた。
ライアスがパラディンになることを。
楽しみにしていた。
だが。
二百年ぶりの任命式は。
最後まで終わらなかった。
警鐘が。
鳴り続ける。
神殿の外では。
まだ何も知らない民たちが。
開国祭を楽しんでいる。
そして。
その王都へ。
戦火が。
近づいていた。




