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オーバーギア



 王宮、宮廷魔導士詰所。


 夜も更けた頃。


 ほとんどの部屋から明かりが消えた中で。


 ロイド・ブレイズの私室だけは、まだ灯りが残っていた。


 机の上には。


 古びた絵本の写し。


 そして。


 先日の召喚実証で《オープンコード》によって記録した、幾枚もの譜式解析資料が広げられている。


「……第一節」


 ロイドが、紙の上を指でなぞる。


 第一階梯譜式。


 成立には、第二階梯相当。


「第二節」


 第二階梯譜式。


 成立には、第三階梯相当。


 第三。


 第四。


 そして。


 第五節。


「第五階梯譜式……」


 何度見直しても。


 そこは変わらない。


 譜式そのものは。


 最後まで第五階梯だった。


 だが。


 完全に成立した瞬間。


 自然マナは、第六階梯域へ達していた。


「……違う」


 ロイドの指が止まる。


「第六階梯の術へ変化しておるわけではない」


 第五階梯の譜式を。


 第五階梯のまま維持し。


 その上で。


 さらに一階梯分の処理を要求している。


「ならば……」


 ロイドが髭を撫でる。


「術者自身が、第六階梯の魔導士である必要はない」


 必要なのは。


 第五階梯を維持したまま。


 不足する一階梯分を補うこと。


 ほんの一時でも。


 その壁を越えられれば――。


「……待て」


 ロイドの顔が上がった。


 脳裏に。


 一つの魔道具が浮かぶ。


 王宮宝物殿。


 長い年月、ほとんど使われることなく保管されている古代魔道具。


 術者の魔力操作を外部から補助し、一時的に処理能力を引き上げると伝わる秘宝。


 魔力増幅器。


 《オーバーギア》。


「……あれなら」


 第五階梯の術者へ。


 足りない一階梯分を。


 外から与えることができるかもしれない。


 そして。


 そこまで考えた瞬間。


 ロイドの表情が変わった。


「……まさか」


 思い出したのは。


 王都近郊に現れた。


 神獣《アルテマ》を思わせる、黒い怪物。


 本物の神獣ではない。


 だが。


 神獣を模した何か。


 召喚譜式が。


 完全には成功しなかったものだとすれば。


「第五階梯の壁までは越えた……?」


 ロイドが立ち上がる。


 召喚に必要な。


 もう一階梯分。


 それを何らかの方法で確保した。


 だから。


 顕現までは成功した。


 しかし。


 制御できなかった。


 安定させられなかった。


 結果。


 本来の神獣とは異なる。


 歪んだ召喚体が現れた。


「……だから、ああなった?」


 椅子が大きな音を立てる。


 もし。


 その仮説が正しいなら。


「《オーバーギア》……」


 ロイドの顔から。


 研究者の興奮が消えた。


「まずい」


 扉を勢いよく開く。


「おい!」


 詰所に残っていた宮廷魔導士が振り返った。


「ブレイズ様?」


「陛下へ火急の謁見を申し込め!」


「今からですか?」


「今じゃ!」


 その剣幕に。


 部下の表情が変わる。


「ご用件は」


「召喚術について新たに分かったことがある」


 一拍。


「それと――王宮宝物殿の秘宝についてじゃ」


「……承知いたしました」


「急げ!」


「はっ!」


 部下が駆けていく。


 ロイドは。


 机の上に残された第五節の解析記録を見る。


「もし」


 低く。


「誰かが、すでに同じ答えへ辿り着いておるなら……」


 杖を掴む。


「《オーバーギア》が、まだ宝物殿にあるか確かめねばならん」


     ◇


「それで」


 アイザックは。


 机の上に広げられた解析資料を見た。


「召喚譜式は、第六階梯魔導そのものではない、と?」


「はい」


 ロイドが答える。


「第五節の譜式そのものは、最後まで第五階梯です」


「では、なぜ第六階梯域まで必要になる」


「召喚譜式を維持したまま、さらに別の魔力処理を要求しておる」


 ロイドが第五節を指す。


「何のための処理なのか。そこまでは、まだ断定できませぬ」


 召喚された存在を。


 こちら側へ留めるためなのか。


 制御するためなのか。


 あるいは。


 まったく別の何かなのか。


「ただ一つ」


 ロイドが続ける。


「第五階梯の術を維持しながら、もう一階梯分の処理能力が必要であることは間違いありません」


「つまり」


 アイザックが言う。


「結果として、第六階梯相当」


「その通りです」


 アイザックは黙った。


 現代の人類が実用可能な最高到達点は、第五階梯。


 第六階梯から先は。


 古代魔法の領域。


「ならば、本来は人に使えぬ」


「はい」


「だが」


 アイザックの目が細くなる。


「抜け道がある」


「ございます」


 ロイドの声が低くなった。


「王宮宝物殿に」


「……《オーバーギア》か」


「ご存じでしたか」


「王家管理の秘宝だ。それくらいは知っている」


 魔力増幅器《オーバーギア》。


 術者自身の魔法を生み出す道具ではない。


 術者の魔力操作へ補助的に介入し。


 一時的に、通常以上の処理能力を与える。


「陛下」


 ロイドが言った。


「あれを使えば、第五階梯の術者が一時的に壁を越えられる可能性があります」


「第六階梯へ?」


「正確には、第六階梯相当の処理へ」


「……」


 アイザックの顔から表情が消える。


「それが、なぜ火急なのだ」


「先日の黒い怪物です」


 その一言で。


 部屋の空気が変わった。


 王都近郊に現れた。


 神獣《アルテマ》を思わせる黒い存在。


「まさか」


「もし、あれが召喚の失敗例だったとすれば」


 ロイドが続ける。


「誰かが一度は、第五階梯の壁を越えたことになります」


「……」


「顕現までは届いた」


「だが、制御できなかった」


「その可能性があります」


 アイザックが立ち上がった。


「そして、そのために《オーバーギア》が使われた可能性がある」


「はい」


「確認する」


 即答だった。


「宝物殿へ行くぞ」


     ◇


 王宮宝物殿。


 幾重もの扉。


 認証。


 封印。


 そのすべてを抜けた最奥。


 管理官が。


 緊張した面持ちで一つの箱を運んできた。


「こちらでございます」


 重い箱が。


 静かに開かれる。


 中には。


 古い魔道具が収められていた。


 魔力増幅器《オーバーギア》。


 ロイドが。


 ゆっくりと近づく。


「記録上、持ち出しは?」


「ございません」


「最後の点検は」


「定期点検の記録も残っております。異常は――」


「待て」


 ロイドが遮った。


 魔道具を覗き込む。


 触れる。


 目を閉じ。


 僅かに魔力を流した。


「……」


「ロイド?」


 返事はない。


 もう一度。


 慎重に確かめる。


 魔力の流れ。


 内部構造。


 反応。


 そして。


 目を開いた。


「陛下」


「なんだ」


 ロイドは。


 魔道具から手を離した。


「これは偽物です」


「……何?」


 管理官の顔色が変わった。


「そ、そんなはずは!」


「儂がこれを見間違えると思うか」


「ですが、外見も、封印も――」


「よく出来ておる」


 ロイドが低く言う。


「外見だけではない。魔力反応まで似せてある」


 アイザックが。


 箱の中を睨む。


「つまり」


「盗まれたのではありませぬ」


 ロイドが答えた。


「すり替えられております」


 沈黙。


 次の瞬間。


「宝物殿を閉鎖せよ」


 アイザックの声が響いた。


「陛下!」


「今この瞬間から、何人たりとも出入りさせるな!」


「はっ!」


「アウダイールを呼べ!」


 従者が走る。


「入室記録、鍵の管理記録、点検記録! すべて持ってこい!」


「直ちに!」


 王宮の空気が。


 一瞬で変わった。


     ◇


 ほどなくして。


 宝物殿周辺は、王国騎士団によって封鎖された。


 管理官。


 警備兵。


 魔道具技師。


 過去に宝物殿へ立ち入った者。


 記録が。


 一つずつ洗われていく。


「最後に、本物であることが確認されたのは?」


「こちらです」


 記録官が書類を差し出す。


「その後、宝物殿内部へ立ち入った者をすべて挙げろ」


「管理官。定期点検を行った魔道具技師。王宮監査官……」


 紙がめくられる。


「それから」


 記録官の手が止まった。


「どうした」


 アウダイールが問う。


「開国祭警備用として、国宝《イーグルアイ》の貸与が行われております」


 アイザックが顔を上げた。


「誰への貸与だ」


 一瞬。


 記録官が躊躇う。


「グランツ公爵閣下です」


「……グランツ?」


「はい」


 ロイドも。


 黙って記録を見る。


「その際、宝物殿への立ち入りが?」


「ございました」


「警備は」


「管理官および宝物殿警備兵二名が同行しております」


「ならば、一人になる時間はない」


 アウダイールが言う。


「はい」


 記録官が頷く。


 そして。


 もう一枚の記録を見る。


「ただし」


「なんだ」


「《イーグルアイ》搬出の際、宝物殿警備兵二名が、そのまま国宝搬出警護へ回っております」


「……代替は」


「二名」


 室内が静かになる。


「交代警備兵が、宝物殿へ入っております」


 アウダイールが即座に手を伸ばした。


「名簿を」


「こちらです」


 視線が走る。


「この二人を押さえろ」


「はっ!」


「待て」


 アイザックが止めた。


「表立って動くな」


「陛下」


「グランツが関わっていると決まったわけではない」


 だが。


 その声に。


 迷いはなかった。


「同時に」


 アイザックが低く続ける。


「無関係と考えるには、出来すぎている」


「……」


「少数で確認しろ」


「御意」


「影も付ける」


 アウダイールが頷く。


「二名の身柄と、グランツの所在を同時に確認いたします」


「頼む」


     ◇


 だが。


 遅かった。


「……姿がない?」


「はい」


 戻ってきたアウダイールの声は硬かった。


「交代警備に入った二名は、すでに王宮を離れております」


「所在は」


「不明です」


「グランツは」


「公爵邸にもおりません」


 アイザックの目が止まる。


「いつからだ」


「少なくとも、本日朝には確認されておりません」


「側近は?」


「近しい者が数名、同じく姿を消しております」


「馬は」


「数頭なくなっております」


 沈黙。


 長い。


 重い沈黙。


 アイザックが。


 ゆっくり目を閉じた。


「……そこまで来たか」


 誰へ聞かせるでもなく。


「グランツ」


 その名を呟く。


 だが。


 次に目を開いた時。


 そこにいたのは。


 国王だった。


「ロイド」


「は」


「《オーバーギア》があれば」


 静かに問う。


「人の手で、神獣召喚へ届く可能性があるのだな」


「理論上は」


「そして」


 アイザックの声が。


 さらに低くなる。


「先日の黒い怪物が、その失敗例である可能性も」


「高いと考えております」


 拳が。


 ゆっくり握られる。


「……何のために」


 考える。


 グランツという男を。


 その考え方を。


 この国に対して。


 何を求めてきたのかを。


 そして。


 一つの答えへ辿り着く。


「まさか」


 アイザックの表情が歪んだ。


「神獣を」


 一拍。


「兵器にするつもりか」


 拳が。


 机へ叩きつけられた。


「あの戯けめ!」


 室内の誰も。


 声を発しない。


「神の御使いを――」


 アイザックの声に。


 珍しいほど。


 はっきりとした怒りが滲んでいた。


「人間同士の争いで、その手を汚させるつもりか!」


 人の祈りに応え。


 時に救い。


 時に導く存在。


 それを。


 人の都合で。


 戦争の道具へ変える。


「許さん」


 一言。


 アイザックは立ち上がった。


「アウダイール」


「はっ」


「王都を厳戒態勢へ移行する」


「御意」


「ただし」


 一拍。


「民には悟らせるな」


 アウダイールが顔を上げる。


「開国祭は?」


「予定通り準備を続けよ」


「中止には」


「まだせぬ」


 即答。


「グランツが何を企んでいるか、すべて掴めたわけではない」


「……」


「今ここで王都を騒がせれば、民が混乱する」


 そして。


「敵にも、こちらがどこまで掴んでいるかを教えることになる」


「承知しました」


「城門の警備を増強」


「はっ」


「街道にも兵を置け。ただし、目立たせるな」


「御意」


「開国祭会場、王宮周辺、中央神殿」


 次々と命令が飛ぶ。


「表から見える兵の数は、通常の祭礼警備の範囲に留めろ」


「では、影を」


「使え」


 アイザックが頷く。


「騎士も私服で配置せよ」


「はっ」


「グランツの行方を最優先で追え」


「必ず」


「だが」


 アイザックが。


 その場の全員を見る。


「追っていると悟られるな」


「御意!」


 騎士たちが一斉に頭を下げた。


 次々と。


 部屋を出ていく。


 その日の夕刻。


 王都は。


 何事もなかったかのように。


 開国祭の準備を続けていた。


 大通りには。


 新しい旗が掲げられ。


 広場では子供たちが笑い。


 商人たちは。


 祭りの日に並べる品を運び込んでいる。


 誰も知らない。


 城門の警備が。


 密かに増強されたことを。


 街角に立つ商人の中へ。


 騎士が混じっていることを。


 中央神殿の周囲に。


 王の影が潜んでいることを。


 そして。


 王都そのものが。


 すでに。


 静かな厳戒態勢へ移行していることを。


 開国祭は。


 刻一刻と。


 近づいていた。


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