ファルクを観に
長い沈黙のあと。
「ロイド」
アイザックが口を開いた。
「はい」
「ヴェルク教授」
「……はい」
二人の研究者が、王へ向き直る。
「本件に関する独自研究を禁ずる」
ユリアンの目が、僅かに動いた。
「本日得られた譜式、観測結果、召喚条件。そのすべてを《ブラックレター》の管理下に置く」
「陛下」
ロイドが口を開きかける。
「研究を捨てろと言っているのではない」
アイザックは静かに遮った。
「勝手に進めるな、と言っている」
ロイドが黙る。
「これは、もはや魔導研究だけの問題ではない」
アイザックの視線が、ライラメスへ移った。
「ライラメス」
「はい、陛下」
「別日に、余と懇談の場を設けてくれ」
「王宮へ参ればよろしいでしょうか」
「いや」
アイザックは首を振った。
「余が神殿へ赴く」
高位神官たちが、僅かに顔を上げた。
「ことがことだ」
アイザックは、麒麟が消えた場所へ目を向ける。
「王宮で王と司祭が話すのではなく――三神の御前で」
そして、ライラメスを見る。
「マニール王アイザックとしてではなく、三神を仰ぐ一人として。司祭であるお前と話し合いたい」
ライラメスは、胸に三本の線を引いた。
「謹んで、お待ち申し上げます」
「召喚術を今後どう扱うか。研究を続けるのか。封じるのか」
アイザックは続ける。
「王宮と神殿、双方で協議した上で方向を定める。それまでは一切、先へ進めるな」
「承知いたしました」
ユリアンが静かに頭を下げる。
「儂もじゃ」
ロイドも、不満そうではありながら頷いた。
そして。
アイザックの表情が、少しだけ緩んだ。
「シノ」
「はい」
「パラディンも」
「はっ」
「すまないが、二人にも《ブラックレター》を受け入れてもらう」
シノが、少しだけ目を丸くする。
「さっきの、しゃべったら死刑ってやつ?」
「……そうだ」
アイザックが苦い顔をした。
「物騒な話ですまない」
それから。
王ではなく。
アイク先生の顔で、シノを見る。
「王命として押しつけるつもりはない」
一拍。
「導師からの頼みだと思ってくれてもいい」
「アイク先生から?」
「ああ」
「じゃあ、分かった」
あまりにもあっさりした返事に。
アイザックが少しだけ困ったように笑った。
「……お前は、もう少し考えてから答えてもいいんだぞ」
「でも、言っちゃダメなんでしょ?」
「そうだ」
「じゃあ言わないよ」
「そういうところだぞ……」
アイザックが額を押さえる。
ライアスは、その隣で小さく笑ったあと。
すぐに表情を正した。
「陛下。私も承知いたしました」
「すまんな、パラディン」
「いえ」
ライアスは一礼する。
「シノ嬢に関わることであれば、なおさらです」
アイザックは頷いた。
そして再び。
そこにいた全員を見渡した。
「本日の件は、ここまでとする」
古びた絵本。
第六階梯へ至った譜式。
第八階梯の権能。
そして。
意思を持たぬ麒麟。
「次にこれを開く時は」
アイザックの声が、静かな演習場へ響いた。
「王宮と神殿が、この力をどう扱うべきか――答えを出してからだ」
――数日後。
王立魔導学園。
最上階にある学園長室。
その扉が開いた瞬間。
「師匠!」
ウラバク学園長が、勢いよく立ち上がった。
「その呼び方はやめいと言っておるじゃろうが」
大きな帽子。
長い杖。
白い髭。
宮廷魔導士長、ロイド・ブレイズは。
うんざりした顔のまま、勝手知ったる様子で応接用の椅子へ腰を下ろした。
「しかし師匠は師匠でしょう」
「お主も今では学園長じゃろう。少しは威厳を持て」
「師匠の前で威厳を出しても仕方ありません」
「それでよく学園長が務まっとるのう」
悪態をつきながら。
ロイドは懐から一枚の書類を取り出した。
「ところで、ウラバク」
「はい」
「ファルクのことじゃ」
ウラバクの視線が書類へ落ちる。
「エルン・ファルクですか」
「この前、王宮で会った」
「聞いております」
「面白い若造じゃった」
ロイドが髭を撫でる。
「儂の『ブレイズ式魔導読本』を随分読み込んでおった」
「本人にそう伝えたら、しばらく自慢すると思いますよ」
「もう十分うるさかったわい」
そう言いながら。
少しだけ楽しそうだった。
「じゃが、今日来た理由はそれではない」
ロイドの指が。
書類の一部分を叩く。
「この報告書じゃ」
そこには。
エルン・ファルクがシノ・ルミナリアから歌唱魔導について教えを受けたこと。
そして。
その際に教わった童謡を歌唱した結果。
訓練場で、想定を大きく超える雷撃を発生させたことが記されていた。
「これですね」
「うむ」
「かなり派手だったそうですよ」
「階梯は?」
「分かりません」
ロイドが顔を上げる。
「分からん?」
「既存の雷唱ではありませんから」
「何を歌った」
「童謡です」
「……童謡?」
「シノ殿が教えたものを、そのまま」
ロイドが黙った。
ほんの数日前。
古い絵本に記された童謡の中から。
召喚譜式が現れたばかりだった。
「《オープンコード》は?」
「使われておりません」
「つまり」
ロイドが報告書を持ち上げる。
「何階梯の譜式なのかも分からん」
「はい」
「そもそも、どういう構造の術だったのかも?」
「分かっておりません」
「それで威力だけが異常だった」
「そういうことになります」
ロイドの目が。
僅かに細くなる。
「……シノに習った……か」
「ええ」
「何を教わった」
「本人の話では、自然にであるとか苦しくないようになど抽象的で」
「それだけか?」
「それだけです」
「……」
ロイドが考え込む。
シノ自身は。
自然マナを操作しているようには見えない。
歌えば。
自然マナの方が応える。
だが。
エルン・ファルクは違う。
少なくとも、普通の人間だ。
「師匠」
「なんじゃ」
「随分、気になるようですね」
「気になる」
即答だった。
「この前会った時から、妙に引っかかっておった」
学園史上最高の総合得点。
高い魔導理論理解。
そして。
シノから歌を習ったことで起きた、正体不明の雷撃。
「奴を見たい」
ロイドが言った。
「何かないか?」
「何か、と申しますと」
「授業でも試験でもよい。ファルクが魔導を使うところを見られる機会じゃ」
「それなら」
ウラバクが少し考える。
「ああ」
「なんじゃ」
「三日後に、野外実習がございます」
ロイドの眉が上がった。
「野外?」
「はい。学園外の演習区域で行う実地訓練です」
「内容は?」
「班ごとに行動し、実際に獣を狩ったりなどの課題をこなします。通常の実技場より、術者ごとの差は出やすいでしょう」
「……ほう」
ロイドの口元が上がる。
「ファルクも出るな?」
「もちろんです」
「よし」
即答。
「儂も同行する」
「……はい?」
「聞こえんかったか」
ロイドが杖を持ち上げる。
「三日後の野外実習」
一度。
にやりと笑った。
「儂も連れていけ」
「師匠」
「なんじゃ」
「宮廷魔導士長が学生の野外実習へ同行する前例はございませんが」
「今できた」
「そういう問題ではありません」
「学園長は誰じゃ」
「私です」
「なら許可せい」
「無茶苦茶ですね」
「弟子が師匠の頼みを断るのか?」
「さっき、その呼び方をやめろと仰ったでしょう」
「都合のいい時は別じゃ」
ウラバクが。
深くため息をついた。
「……教師陣には私から説明しておきます」
「うむ」
「ただし」
「なんじゃ」
「学生を壊さないでください」
「誰が壊すか!」
「昔の自分に聞いてください」
「失礼な弟子じゃのう!」
「師匠譲りです」
三日後。
野外実習。
ロイド・ブレイズは。
そこで初めて。
エルン・ファルクという少年を。
魔導士として、じっくり見ることになる。




