いつかの召喚士へ
「第六階梯」
今度は。
ロイドより先だった。
演習場が。
静まり返る。
「……その通りじゃ」
ロイドがゆっくり頷いた。
高位神官の一人が。
小さく息を呑む。
「第六階梯……」
宰相が確認する。
「現在、人間が実用可能な魔導の最高到達点は?」
「第五階梯じゃ」
「では」
「普通の人間には、最後まで完成させられん」
ユリアンは。
何も言わなかった。
ただ。
第五節を。
異様なほど静かな目で見つめていた。
「それほどのものを」
アイザックが言う。
「なぜ童話として残した」
「そこじゃ」
ロイドが絵本を閉じる。
「魔導書ならば、戦で焼かれる」
一冊の。
古びた児童書。
「危険な術式ならば、封印される」
「だが」
宰相が言う。
「童話なら、残る」
ライラメスが頷く。
「子供が読み」
「親が読み聞かせ」
ユリアンが続ける。
「また、その子供へ渡る」
「そうじゃ」
ロイドが笑う。
「何百年でもな」
誰も。
すぐには声を出さなかった。
ただの童話。
ただの童謡。
そう思われていたものが。
時代を越え。
何かを待ち続けていた。
「では」
アイザックが問う。
「お前の見解は?」
「この絵本は」
ロイドが答える。
「いつか現れる者へ向けて、残されたものではないかと考えておる」
「誰へ?」
シノが尋ねる。
ロイドは。
ほんの少し笑った。
「《召喚士》じゃ」
「……」
その言葉に。
ユリアンの指が。
僅かに動く。
「召喚士……」
声には。
隠しきれない熱があった。
「古くは、王宮にも召喚術が存在したとされる」
ロイドが続ける。
「今では、まともな術式などほとんど残っておらん」
「神殿側では?」
ライアスが尋ねた。
アイザックたちへ向ける声は。
シノに話しかける時とは違い。
丁寧だった。
「神獣を対象とする術であれば、神殿に記録が残っていても不思議ではないかと存じますが」
「召喚術そのものについては」
ライラメスが答えた。
「ほとんど残されておりません」
「ほとんど?」
「ええ」
ライラメスは。
少し考えてから続ける。
「ただし、神獣については」
一度。
胸へ三本の線を引く。
「古くから、神殿に伝わる言葉があります」
「言葉?」
シノが聞く。
「神獣には――《表》と《裏》がある」
ユリアンの顔が。
すぐにライラメスへ向いた。
「表と……裏?」
「はい」
「それは同一種の異なる形態を示すのですか?」
「分かりません」
ライラメスは首を振った。
「私どもが現在確認している神獣は、古い言葉で言えば《表》にあたるものとされています」
「では《裏》は?」
「文献上にしか存在しません」
「記録は?」
「おとぎ話に近いものばかりです」
高位神官の一人が。
静かに付け加える。
「古い説話の中には、同じ御業を持ちながら、まるで逆の性質を示す存在について書かれたものもございます」
「逆の性質」
ユリアンが繰り返す。
「例えば?」
「豊穣を与えるものに対し、飢えをもたらすもの」
ライラメスが答える。
「人の心を照らすものに対し、その心の奥底を覗くもの」
シノが。
少しだけ顔を曇らせた。
「怖いね」
「ただし」
ライラメスがすぐに続ける。
「それが本当に神獣について記したものなのか。それすら確証はありません」
「つまり」
宰相が言う。
「現代では、おとぎ話」
「その認識で間違いございません」
「では、なぜ《表裏》という言葉だけが残ったのでしょう」
ユリアンが問う。
「それも」
ライラメスは首を振った。
「分かっておりません」
そして。
絵本へ目を向ける。
「ただ一つ」
声が。
僅かに重くなる。
「古い神官たちは、神獣を人の都合で呼び寄せることについて、強い警戒を抱いていたようです」
「理由は?」
「残されておりません」
ライラメスは。
静かに答えた。
「だからこそ」
アイザックがロイドを見る。
「簡単に試すわけにはいかんな」
「儂もそう思う」
「……お待ちください」
ユリアンが口を挟んだ。
全員が。
そちらを見る。
「仮に」
いつもの丁寧な声。
「この後、シノさんによる実証を予定されているのであれば」
シノが顔を上げる。
「本人へ歌唱を強制することには、私は反対です」
「分かっておる」
ロイドが答える。
「第六階梯域へ触れる可能性があります」
ユリアンは。
今度はアイザックを見る。
「シノさんがこれまで多くの例外を起こしてきたとしても、今回も安全である保証にはなりません」
「その点は」
ライアスも一歩前へ出た。
「私からもお願いいたします」
アイザックへ。
正式に頭を下げる。
「シノ嬢が望まないのであれば、本日の実証はここまでとしていただきたく存じます」
「当然だ」
アイザックは即答した。
「これは命令ではない」
視線が。
シノへ向く。
「シノ」
「はい」
「お前が決めろ」
その場にいる全員が。
一人の少女を見る。
シノは。
少し困ったように周囲を見回した。
そして。
絵本へ目を落とす。
水辺で遊ぶ子供たち。
そのそばに立つ。
角を持った、美しい動物。
「……これ」
シノが言った。
「本当にリンちゃんの歌なのかな」
「それを確かめるための実証じゃ」
ロイドが答える。
「そっか」
しばらく。
絵本を見る。
そして。
顔を上げた。
「歌ういます」
その瞬間。
ユリアンの目が。
ほんの一瞬だけ。
明らかに輝いた。
「……」
シノが見る。
「ユリアン先生」
「はい?」
「いま、すっごい嬉しかった?」
「何がです?」
「歌うって言った時」
「気のせいです」
「絶対うれしかった」
「気のせいです」
ロイドが鼻を鳴らす。
「見たくて仕方ないくせに、よく言うわい」
「ブレイズ師」
ユリアンは真顔だった。
「研究上の興味と、シノさんの安全を案じることは両立します」
「じゃから厄介なんじゃ」
「それはブレイズ師も同じでは?」
「儂は隠しておらん!」
「威張ることではありません」
「ロイド」
アイザックの低い声。
「はい」
「教授も」
「失礼いたしました」
二人が黙る。
シノが少し笑う。
ライアスは。
そんなシノへ向き直った。
「嬢ちゃん」
「うん?」
ここだけ。
声がいつものものへ戻る。
「本当にいいんだな?」
「うん」
「途中で嫌になったら止めろ」
「分かった」
「何か変だと思った時もだ」
「うん」
「最後まで歌わなきゃ、とか考えんなよ」
「分かってるって」
「ならいい」
ライアスが一歩退く。
そして。
ロイドへ向き直った。
「ブレイズ師」
「なんじゃ」
「異常を確認された場合は、即時中断をお願いいたします」
「承知しておる」
ライアスが頷く。
ライラメスと高位神官たちも。
静かに位置を移す。
アイザックと宰相は。
離れた場所から中央を見つめる。
ユリアンは。
絵本と。
そこへ歩いていくシノから。
一瞬たりとも目を離さない。
ユリアンは。
絵本と。
そこへ歩いていくシノから。
一瞬たりとも目を離さない。
長く追い続けてきたものが。
今。
目の前で。
形になろうとしていた。
シノは。
絵本を胸に抱え。
遮音結界に閉ざされた演習場の中央へ。
一歩。
踏み出した。




