↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
85/107

ブラックレター

 王宮から、少し離れた場所。


 王都を囲む城壁の内側でありながら、宮廷の主要区画からは大きく距離を置いた一角に、王家直属の魔導演習場がある。


 高位魔導の検証。


 危険な術式の実験。


 万が一、暴発が起きたとしても王宮へ被害が及ばぬよう、周囲には幾重もの防護術式が施されていた。


 そして今日は。


 その演習場全体が、さらに巨大な遮音結界によって覆われている。


 外から中の音は聞こえず。


 中から外へも、一切の声が漏れることはない。


「……なんか、今日はすごいね」


 シノが小さく呟いた。


「ああ」


 すぐ隣に立つライアスが答える。


「嬢ちゃん、今日は俺から離れんなよ」


「うん」


「何が起きるか、俺も全部聞かされてるわけじゃねえからな」


 そう言いながら。


 ライアスの右手は、いつでも聖剣《ディグニティ》へ届く位置にあった。


 演習場に集められた人数は、多くない。


 アイザック。


 その傍らには、王国政務を統べる宰相。


 少し離れて、宮廷魔導士長ロイド・ブレイズ。


 神殿側からはライラメス司祭と、数名の高位神官。


 そして。


「あ!」


 シノの顔が明るくなった。


「ユリアン先生!」


「おや」


 少し離れた位置にいたユリアンが振り返る。


「シノさん」


「先生も呼ばれたの?」


「ええ」


 いつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「召喚譜式について、意見を求められまして」


「よかったぁ」


「何がです?」


「知ってる人いた」


「陛下も、ブレイズ師も、ライアス殿もいらっしゃるでしょう」


「そういう知ってるじゃないの」


「なるほど」


 ユリアンが小さく笑う。


「では今日は、少し安心していただけそうですね」


「うん」


「嬢ちゃん」


 ライアスが横から口を挟んだ。


「俺も知ってる人に入れとけよ」


「入ってるよ」


「ならいい」


 その時。


「始めよう」


 アイザックの声が響いた。


 一瞬で。


 場の空気が変わる。


「ロイド」


「うむ」


 ロイドが前へ出た。


 その手には。


 一冊の古びた絵本。


『綺麗な水辺のお友達』


 中央神殿から借り出された、あの本だった。


 だが。


 ロイドはすぐに説明を始めなかった。


「陛下」


「なんだ」


「その前に、一つ」


 ロイドが、その場にいる全員を見回した。


「本件を――《ブラックレター》へ指定することを進言いたします」


 シノが首を傾げる。


「ブラックレター?」


 だが。


 宰相。


 ライラメス。


 高位神官たち。


 そしてライアスの表情が変わった。


 ユリアンも。


 僅かに目を細める。


「……そこまでの案件か」


 宰相が尋ねる。


「まだ分からん」


 ロイドが答えた。


「ならば、なぜ」


「分からんからじゃ」


 ロイドは。


 古びた絵本を持ち上げた。


「儂の推測が正しければ」


 一拍。


「我々は今日――失われた召喚術の秘密、その一端を解き明かすことになるかもしれん」


 誰も。


 声を出さなかった。


「《ブラックレター》が陛下によって認められれば、この場で見聞きした一切は王国最高機密となる」


 ロイドの声が低くなる。


「許可なく口外した者は、身分、所属、爵位を問わず――死罪じゃ」


「……死刑?」


 シノが小さく呟く。


「ああ」


 答えたのはアイザックだった。


 その顔に。


 いつものアイク先生はいない。


「仮に、神獣を人為的に呼び出す術が復活するのであれば」


 宰相が続ける。


「これは単なる魔導研究ではありません。軍事、外交、神殿――国家そのものに影響を及ぼす技術となります」


 シノは。


 手元の絵本を見る。


 子供向けの。


 可愛らしい表紙。


 それが今。


 口外すれば命を失うほどの秘密になろうとしていた。


「宰相」


 アイザックが問う。


「異論は」


「ございません」


「ライラメス司祭」


「神殿としても、異存ございません」


 アイザックは頷いた。


 そして。


 全員を見回す。


「本件を《ブラックレター》に指定する」


 静かな声だった。


 だが。


 その瞬間。


 この遮音結界の中で交わされるすべての言葉が。


 王国最高機密となった。


     ◇


「では」


 ロイドが改めて絵本を開く。


「ここからが本題じゃ」


 巻末。


 そこには短い童謡が記されている。


「この本は、中央神殿に長く保管されていた児童向けの童話じゃ」


 ライラメスが頷く。


「同系統と思われる絵本は、中央神殿のほか、古い地方神殿にも僅かながら残されています」


「これまでは?」


 宰相が尋ねる。


「神獣を思わせる動物が人々を助ける、古い教訓童話。そのように認識されておりました」


「じゃが」


 ロイドが。


 巻末の歌を指した。


「こやつは、ただの童謡ではなかった」


 杖を上げる。


「先日、シノが第一節を歌った際」


 ロイドの杖先から。


 淡い光が広がった。


「隠れし理を顕現せよ――《オープンコード》」


 何もなかった空間へ。


 一本。


 細い光の線が浮かぶ。


 また一本。


 さらに一本。


 無数の線が互いに結び付き。


 一つの構造を描き出した。


 ユリアンが。


 すぐに口を開いた。


「……第一階梯」


「ほう」


 ロイドが横目で見る。


「分かるか」


「ええ」


 ユリアンは。


 空中の譜式から目を離さない。


「構造自体は単純です。第一階梯の歌唱譜式として見れば、特異なものではありません」


「その通りじゃ」


 ロイドが杖を振る。


 譜式の周囲へ。


 さらに別の光が浮かび上がる。


「こちらは、シノが歌った際に観測した自然マナの流れと魔力操作の推移じゃ」


 光が。


 譜式へ向かって流れ込んでいく。


「譜式そのものは第一階梯」


 ロイドが言う。


「じゃが」


 流れが。


 ある地点へ到達した瞬間。


 空中の譜式が強く輝いた。


「完全に成立したのは――第二階梯相当へ達した時じゃった」


「……第二」


 ユリアンが呟いた。


 その声が。


 ほんの僅かに変わる。


「一段……上」


「うむ」


「譜式と、成立に必要な操作階梯が一致していない」


「そういうことじゃ」


 宰相が腕を組む。


「偶然という可能性は?」


「当然、儂もそう考えた」


 ロイドが。


 次の構造を開いた。


「第二節じゃ」


 第一節より。


 明らかに複雑な譜式。


 ユリアンの目が。


 一瞬でその構造を追う。


「第二階梯」


「そして成立点は――」


「第三階梯」


 ロイドが言うより。


 ほんの僅かに早かった。


 杖が止まる。


「……ほう?」


 ロイドがユリアンを見る。


 ユリアンは。


 光の構造を見つめたままだった。


「第三階梯、なのですね?」


「その通りじゃ」


「……」


 ユリアンが黙る。


 第一節。


 第一階梯の譜式。


 第二階梯で成立。


 第二節。


 第二階梯の譜式。


 第三階梯で成立。


「……そういうことですか」


 小さな声だった。


 いつもの。


 穏やかな教師の声ではない。


 長い間。


 解けなかった何かが。


 今。


 目の前で繋がった。


 そんな声。


「ヴェルク教授?」


 宰相が見る。


「いえ」


 ユリアンは。


 すぐに微笑みを戻した。


「失礼しました」


 だが。


 視線は譜式から離れない。


「だから……完成しなかった」


 ほんの小さな。


 独り言。


 ロイドの眉が動く。


「何か言ったか?」


「召喚譜式の研究で、似た現象を見たことがありまして」


「似た現象?」


「ええ」


 ユリアンはさらりと答える。


「譜式そのものは成立しているはずなのに、現象へ移行しない。古い召喚譜式の断片では、時折そのような記録があります」


 嘘ではない。


 だが。


 すべてでもない。


 ロイドは。


 少しだけユリアンを見つめた。


 やがて。


「ならば、ここから先も読めるか?」


「……おそらく」


 ユリアンが。


 第一節と第二節を見比べる。


「一階梯上の力が必要、というだけではないのでしょう」


「ほう」


「通常の魔導ならば」


 第一階梯の譜式を指す。


「術の成立に必要な処理は、基本的にこの中で完結します」


「うむ」


「ですが、これは違う」


 譜式の外側。


 そこへ流れ続ける魔力操作。


「譜式を成立させた後にも、別の処理を要求している」


 宰相が尋ねる。


「別の処理?」


「何かまでは分かりません」


 ユリアンは即答した。


「ですが」


 視線が。


 絵本に描かれた、麒麟に似た動物へ向く。


「もし、この譜詩が本当に召喚術へ繋がるものであるならば」


 一拍。


「術を成立させることとは別に」


 ユリアンの声が。


 僅かに熱を帯びた。


「何かを――こちら側へ留めておくための処理ではないでしょうか」


 ロイドが。


 にやりと笑った。


「さすがじゃな」


「……では」


「儂も、同じところを疑っておる」


 ユリアンの目が。


 ロイドを見る。


「ただし」


 ロイドが続ける。


「その“何か”の正体までは、儂にも分からん」


「ええ」


「一階梯上の処理が何を担うのか。それを説明する完全な記録は、今のところ見つかっておらん」


「私も」


 ユリアンが答える。


「そこまでは」


 ほんの一瞬。


 胸元へ指が触れた。


 だが。


 すぐに離れる。


 ロイドは第三節を示した。


「規則だけは明確じゃ」


 第三節。


 第三階梯の譜式。


 成立には。


 第四階梯相当。


 第四節。


 第四階梯の譜式。


 成立には。


 第五階梯相当。


 そして。


 第五節。


 ユリアンが。


 先に息を吐いた。


「……第五階梯」


「そうじゃ」


 ロイドが答える。


「ならば」


 ユリアンの目が細くなる。


「最終節の成立に必要なのは――」


 一瞬。


 言葉が止まる。


「第六階梯」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。