絵本の秘密
その日もシノは中央神殿にいた。
「もうちょい右腕を上げてください」
「またかよ」
「パラディン殿」
「はいはい……じゃねえ、承知した」
奥の部屋から、ライアスの声が聞こえてくる。
パラディンのために新調される鎧。
今日は前回の採寸をもとに作られた仮組みを使い、細かな可動域を確認しているらしい。
シノは休憩所の椅子に座って待っていた。
「まだかかりそうだなあ」
暇になったシノは、ふと壁際の本棚を見る。
以前。
ライアスと見つけた、古い絵本。
その後エルンにも見せた。
神獣によく似た動物たちが登場し。
最後には、決まって童謡が載っていた。
「……ほかにもあるのかな」
立ち上がる。
一冊。
また一冊。
棚から抜き取って、ぱらぱらとページをめくる。
森に住む大きな獣。
空を飛ぶ鳥。
不思議な狐。
水辺に立つ、角を持った美しい動物。
「あ」
シノの手が止まった。
表紙には、水辺で遊ぶ子供たちと一匹の動物。
その姿を。
シノは知っている。
「リンちゃんみたい」
題名は。
『綺麗な水辺のお友達』
ページをめくる。
汚れた水を綺麗にして。
人々に恵みを与え。
最後には、子供たちと一緒に水辺で遊ぶ。
「やっぱりリンちゃんっぽい」
そして。
最後のページ。
短い童謡。
「……これ」
どこかで。
知っているような気がした。
でも。
思い出せない。
「待たせたな、嬢ちゃん」
声に振り返る。
ライアスが休憩所へ入ってきた。
「終わった?」
「ああ。やっとな」
肩を回す。
「鎧一着作るのに、こんな測るもんかね」
「パラディンだからじゃない?」
「便利な言葉だな、それ」
ライアスがシノの手元を見る。
「また絵本見てたのか」
「うん。これ」
表紙を見せる。
「リンちゃんに似てる」
「ああ」
ライアスが覗き込んだ。
「確かにな」
「最後に歌があるんだけどね」
「ん?」
「なんか、覚えてるような気がするの」
ライアスが最後のページを見る。
「ああ、これか」
「知ってる?」
「知ってるよ」
「ほんと?」
「神殿育ち舐めんな」
ライアスが笑う。
「なんだ。俺が教えてやるよ」
「うん」
「ただ、その前に」
「?」
「嬢ちゃん、このあと宮廷魔導士の詰め所に呼ばれてんだろ」
「あ」
「忘れてたな?」
「ちょっとだけ」
「役人に怒られるぞ」
「ロイドさん怒るかな」
「魔導士長だっけ?知らねえけど」
ライアスが出口を示す。
「その本、借りられんのか?」
「明日また来るから、一冊ならいいって」
「なら持ってけ」
「うん」
「ほら」
ライアスが歩き出す。
「行くぞー」
「はーい」
◇
「遅い!」
宮廷魔導士の詰め所へ入った瞬間。
ロイドの声が飛んできた。
「すみません」
「魔法使いを待たせるでない!」
「ロイドさん、魔法使いでしたっけ?」
「気分の問題じゃ!」
シノの隣で。
ライアスが僅かに顔を引きつらせた。
「……嬢ちゃん」
「なに?」
「この方が、あの高名なブレイズ師なのか?」
「うん」
「……なんか、イメージが」
「分かる」
「聞こえとるぞ!」
ロイドが杖を床へ突く。
そして。
初めてライアスをまともに見る。
「して、其方は?」
「中央神殿より派遣されましたシノ嬢の護衛をしております、ライアス・エンフィレルと申します」
「護衛?神官が?」
「はい」
シノが付け加える。
「ライアスさん、パラディンになったんです」
「……」
ロイドが止まった。
「今、なんと?」
「パラディン」
「……」
ゆっくり。
ライアスを見る。
「二百年ぶりの?」
「そのようです」
次の瞬間。
「頼む!」
「はい?」
ロイドがライアスの両手を握った。
「儂と魔王討伐の旅へ出てくれ!」
「……は?」
詰め所が静まり返った。
「ブレイズ様」
近くにいた宮廷魔導士が、慣れた様子で口を挟む。
「魔王は、歴史書に記される《ラグナロク》以降、確認されておりません」
「知っとる!」
「現在、本当に存在するかどうかさえ――」
「いるんじゃい!」
「根拠は?」
「パラディンがおるんじゃぞ!」
「それは根拠になりません」
「魔法使いとパラディンがおるなら魔王もおる!」
「ロイドさん、魔法使いじゃないですよね」
「今それを言うでない!」
ライアスが困り果てた顔でシノを見る。
「嬢ちゃん」
「なに?」
「本当にこの方が、あのブレイズ師なのか?」
「うん」
「……俺が読んだ本とだいぶ印象が違うんだが」
「パラディンよ!」
ロイドがさらに距離を詰めた。
「ロイと呼んでくれ!」
「はい?」
「ロイじゃ!」
「無理ですって!」
「なぜじゃ!」
「なんで会ったばっかの宮廷魔導士長を愛称で呼ばなきゃなんねえんすか!」
「旅の仲間だからじゃ!」
「行くって言ってません!」
「頼む!」
「嫌です!」
しばらくして。
ようやくライアスから引き剥がされたロイドは、不満そうに椅子へ戻った。
「最近のパラディンは付き合いが悪いのう」
「歴代のパラディンを知ってるみたいに言わないでください」
「細かい男じゃ」
「普通です」
「さて」
ロイドがシノを見る。
「本題じゃ」
「はい」
「先日の続きといこう」
机の上には、大量の紙が広げられていた。
シノが《ウォール》を歌った時の記録。
自然マナの流れ。
歌唱前後の変化。
ロイドが書き込んだ無数の文字。
「シノ」
「はい」
「歌を使う時、お主は自然マナを動かそうと思っておるか?」
「思ってないです」
「取り込もうとは?」
「思ってないです」
「命令しておる感覚は?」
「ないです」
「では何をしておる?」
「ただ歌ってます」
「……そこなんじゃよなあ!」
ロイドが頭を抱えた。
「儂ら魔導士は、必ず何かしらの操作をしておる!」
「はい」
「己の魔力を媒介とし、自然マナを捕らえ、動かし、術式へ組み込む」
紙を指す。
「じゃが、お主にはそれがない」
「ないですね」
「なのにマナは動く!」
「動きますね」
「なんでじゃ!」
「わたしに聞かれても」
「だから一緒に考えろと言っとるんじゃ!」
シノが困った顔をする。
ライアスが横から笑った。
「シノ嬢に理屈を聞いても無理なのでは?」
「パラディンは黙っとれ!」
「失礼しました」
そんなやり取りをしていたロイドが。
ふと。
シノの腕に抱えられたものへ目を向けた。
「して」
「?」
「シノよ。その絵本はなんじゃ」
「あ、これ?」
机の上に置く。
「神殿から借りてきたの」
「神殿?」
「明日また行くから、一冊だけ」
ロイドが表紙を見る。
「『綺麗な水辺のお友達』……」
ページをめくる。
「ほう」
描かれている動物を見て。
目が僅かに細くなる。
「麒麟によく似ておるの」
「でしょ?」
「リンちゃんにそっくりで」
「リンちゃん?」
「神獣様です」
ライアスが答えた。
「麒麟の」
「……お主ら、神獣との距離感がおかしくないか?」
「シノ嬢に言ってください」
ロイドは最後のページまでめくった。
「童謡か」
「うん」
「なんか覚えてるような気がするんだけど、思い出せなくて」
「なんだ」
ライアスが覗き込む。
「さっき言ったろ。俺が教えてやるよ」
「うん」
ロイドも興味深そうに見ている。
「パラディンよ、シノと儂で口調を変えるな、煩わしい」
「しかし……陛下とのお約束が」
「いいんじゃない?ロイドさんもそう言ってるし」
「ふん、陛下には儂から言っておくわい」
「あー、もうめんどくさい、そうするよ」
「歌ってみい」
「じゃあ最初な」
ライアスが軽く息を吸った。
そして。
一節だけ。
ゆっくりと歌った。
聞き慣れた者なら、何の変哲もない童謡。
歌い終える。
「こんな感じ」
「うん」
「やってみろ」
シノが頷く。
息を吸い。
同じ一節を歌った。
その瞬間。
ロイドの目が変わった。
「……待て」
シノの周囲。
何もなかったはずの空間へ。
自然マナが集まり始める。
「シノ、止めるな」
「うん」
歌が続く。
ロイドが目を細めた。
「……おかしい」
「ブレイズ師?」
「このマナの動き……」
ロイドが勢いよく杖を上げる。
「隠れし理を顕現せよ――《オープンコード》!」
杖先から淡い光が広がった。
その瞬間。
今まで何もなかった空間に。
一本。
細い光の線が浮かび上がった。
また一本。
さらに一本。
線と線が結ばれていく。
「これは……!」
「ブレイズ師、これは?」
「本来は見えぬ譜式を可視化する解析魔導じゃ」
光の線が増えていく。
やがて。
魔導士ならば見間違えようのない構造を描き始めた。
「……譜式?」
ロイドが立ち上がった。
「やはり……そういうことか」
ロイドが立ち上がる。
第一節が終わる。
空中に残った光の構造。
「間違いない」
杖を向ける。
「第一階梯の譜式じゃ」
「魔法なの?」
「待て」
ロイドの眉が寄った。
「妙じゃ」
「なにが?」
「譜式は完成しておる」
構造そのものは。
第一階梯。
極めて単純。
にもかかわらず。
「……閉じん」
自然マナが。
まだ流れ込んでいる。
「なんじゃ?」
ロイドが杖を動かす。
流れを追う。
さらにマナが加わる。
そして。
ある地点へ到達した瞬間。
空中の譜式が。
ふっと光を強めた。
「……!」
ロイドが息を呑む。
「今じゃ」
「?」
「今、完成した」
「さっき完成してたんじゃないの?」
「構造はな」
ロイドの表情が険しくなる。
「第一階梯の譜式」
空中を見る。
「じゃが」
一拍。
「完成させるために要求された魔力操作は――第二階梯じゃ」
ライアスが眉を寄せる。
「一個、ずれてんのか?」
「……そうじゃ」
ロイドがすぐに杖を振った。
「《サイレントウォール》」
透明な膜が。
三人の周囲を包み込む。
シノが辺りを見る。
「なにこれ?」
「遮音結界じゃ」
先ほどまでとは違う。
ロイドの声が低い。
「ここから先の話は、外へ漏らすでない」
ライアスも表情を変えた。
「そんなにやべえのか?」
「まだ分からん」
ロイドは絵本を見る。
「分からんからこそじゃ」
ページをめくる。
「シノ。二節目を」
「歌っていいの?」
「よい。ただし、儂が止めたら即座に止めろ」
「うん」
ライアスが次の節を歌う。
何も起こらない。
続いて。
シノが歌う。
自然マナが動く。
「……やはり」
先ほどの第一階梯の譜式へ。
新たな構造が重なる。
「第二階梯」
ロイドが呟く。
だが。
再び。
完成しない。
さらに自然マナが流れ込み。
「……第三階梯相当」
その瞬間。
譜式が閉じた。
ロイドの顔から。
完全に笑みが消えた。
「そういうことか」
「分かったの?」
「まだ仮説じゃ」
絵本を睨む。
「じゃが、どうやらこの童謡は」
一節目。
「第一階梯の譜式に、第二階梯」
二節目。
「第二階梯の譜式に、第三階梯」
その先。
ページに並ぶ歌詞を指で追う。
「常に、譜式そのものより一階梯上の魔力操作を要求するように作られておる」
「なんで?」
「それを考えておる!」
ロイドが何度も絵本をめくる。
動物。
水辺。
童謡。
神殿。
古い本。
「……まさか」
「ロイドさん?」
ロイドが。
ゆっくりと顔を上げた。
「この本」
表紙へ手を置く。
「いつか現れる《召喚士》へ宛てて、残されたものではないのか?」
「召喚士?」
「古くは、王宮にも召喚術が存在したと言われておる」
ロイドが語る。
「今では失伝したがな」
「神殿にも?」
ライアスが聞く。
「当然、可能性はある」
絵本を持ち上げる。
「むしろ神獣を対象とするならば、王宮より神殿の方が自然じゃ」
「じゃあ」
シノが絵本を見る。
「これ、魔導書なの?」
「魔導書とは少し違うかもしれん」
ロイドは首を振る。
「じゃが」
子供向けの絵本。
「魔導書であれば、戦乱で失われる」
ページをめくる。
「危険な書物と判断されれば、封印もされる」
最後の童謡。
「しかし、童話ならば」
ロイドが笑った。
「子供から子供へ。何百年でも残る」
ライアスが呟く。
「……神殿なら、なおさらか」
「うむ」
ロイドは再び節を数えた。
「これで言えば」
一節。
二節。
三節。
四節。
そして。
五節目。
「最後は第五階梯」
シノが首を傾げる。
「じゃあ、第五階梯まで使えれば歌えるの?」
「譜式だけならな」
「?」
「さっき見たじゃろう」
ロイドが第一節を指す。
「第一階梯の譜式を完成させるのに、第二階梯相当の操作を要求した」
二節目。
「第二階梯には第三階梯」
その規則が。
最後まで続くなら。
「第五階梯の譜式を完成させるためには――」
ロイドの指が止まる。
「第六階梯」
ライアスがロイドを見る。
「第六?」
「古代魔導の領域じゃ」
ロイドの声が低くなる。
「現在、人間が実用可能な魔導の最高到達点は第五階梯」
「じゃあ」
「普通の人間には、この歌は完成させられん」
シノが絵本を見つめる。
「だから、みんなが歌っても何も起きないんだ」
「それだけではない」
ロイドが答える。
「まず、これを歌唱魔導の譜詩だと認識せねばならん」
ライアスが、先ほど自分が歌ったことを思い出す。
「俺が歌っても、何も起きなかった」
「お主は童謡として歌っただけじゃからな」
ロイドが頷く。
「私も童謡だと思って歌ったよ」
「シノはもはや参考にならん。おぬしはデタラメすぎるのじゃ」
「えぇ……」
ロイドは本へ視線を戻した。
「譜詩であると認識し――」
一節ごとに。
「正しく魔力を操作する」
そして。
「譜式が示す階梯より、さらに一段上へ」
ロイドの指が、最後の一節で止まる。
「最終節ならば、第五階梯の譜式を維持したまま――第六階梯域へ手を掛ける」
「第六……」
「人の魔導士には、まず届かぬ領域じゃ」
そこで初めて。
何かが起こる。
「……ずいぶん厳重だな」
「だからこそ」
ロイドは静かに言った。
「召喚士のためのものだと、儂は考えた」
「召喚士ならできるの?」
「分からん」
即答だった。
「そこまで行ける者を、儂は見たことがない」
ロイドが絵本を睨む。
しばらく。
何も言わなかった。
「……第六階梯」
ぽつりと。
もう一度、その言葉だけを口にする。
「第五階梯の譜式を完成させるために、第六階梯を要求する……」
「ロイドさん?」
「分からん」
ロイドは首を振った。
「なぜ、そこまでのものを要求するのか」
古びた絵本へ目を落とす。
「なぜ、このような形で残したのか」
そして。
「そもそも――」
最後のページ。
童謡を見つめる。
「これで、本当に何を呼ぼうとしていたのか」
遮音結界の中。
三人は。
しばらく、古びた絵本を見つめていた。




