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パラディンの鎧

 翌日。


 王立魔導学園の研究室を訪れたシノは、扉を開けたところで足を止めた。


「……ユリアン先生」


「おはようございます、シノさん」


 返ってきた声には、いつもの張りがなかった。


 机に向かうユリアンの顔には、はっきりと疲労が残っている。


 騎士団から事情を聞かれたあとも、ろくに休めなかったのだろう。


 シノは少しだけ頬を膨らませた。


「まだ元気ないですね」


「……そう見えますか」


「見えます」


 ユリアンは困ったように笑った。


「すみません。どうにも、まだ気持ちの整理がつかなくて」


「先生」


「はい」


「わたしはもういいですから」


「ですが――」


「もう謝るの禁止です」


「……禁止、ですか」


「はい」


 言い切るシノに、ユリアンはしばらく黙っていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「分かりました。努力します」


「努力じゃなくて、禁止です」


「厳しいですね……」


 ようやく、ほんの少しだけいつもの笑みが戻った。


 その時。


「教授!」


 研究室の奥からエルンがやってきた。


「昨日、あのロイド・ブレイズ師にお会いしました!」


 ユリアンの顔が上がった。


「……ロイド・ブレイズ?」


「はい」


「まさか、宮廷魔導士長の?」


「そのロイド師です」


 沈んでいたユリアンの目に、わずかに光が戻る。


「あの大魔導士にですか!」


「はい。僕もまさか直接お会いできるとは思ってなくて」


「それは……羨ましいですね」


 声まで少し元気になった。


 シノが横から口を挟む。


「歌もすごく上手でした」


「……歌?」


「いい声だったんです」


 ユリアンがエルンを見る。


「何があったんですか?」


「そこから説明するんですか……」


 エルンは苦笑してから、話を戻した。


「ロイド様に、シノの魔力についても見てもらったんです」


 その一言で。


 ユリアンの表情が変わった。


「……シノさんの?」


「はい」


「ロイド・ブレイズが、直接?」


「そうです」


 いつの間にか、ユリアンの背筋が伸びている。


「それで、なんと?」


「詳しいところは、ロイド様が次の著書にするつもりみたいなので、僕から全部話すのもよくないと思うんですけど」


「新著……」


 今度は完全に研究者の顔になった。


「一つ、とても面白い見解を聞きました」


「聞かせてください」


 即答だった。


 エルンはシノを一度見てから、続ける。


「シノは、魔力がないけど、根本が違うんじゃないかって」


「……と、言いますと?」


「魔力そのものなんじゃないか、って」


 ユリアンが止まった。


「……魔力、そのもの?」


「普通の魔導士は、自分の魔力を媒介にして自然マナを扱いますよね」


「ええ」


「でも、シノはそうじゃないのかもしれない」


 エルンは昨日聞いた話を、自分なりの言葉に置き換えていく。


「僕たちは、自分の魔力と自然マナを別のものとして考えてます。でもシノには、その区別自体がないんじゃないかって」


「……」


「自然にあるマナを、自分の魔力と同じように扱ってる。だから身体の中を測っても、何も出ない」


 ユリアンは黙ったまま、シノを見る。


 シノは少し居心地悪そうに笑った。


「わたしも、まだよく分かってないです」


「……なるほど」


 ユリアンが呟く。


「自然マナを……外部のものとして扱っていない……」


 指先が机を叩き始める。


「だから、魔力を持たないにもかかわらず現象だけが成立する……いや、そもそも“持つ”という考え方が……」


「ユリアン先生?」


「少し待ってください」


 今度は椅子から立ち上がった。


「それなら、今まで見てきた現象の捉え方そのものを変えなければなりません」


「教授?」


「歌唱魔導の成立条件から見直す必要があります。召喚現象もそうです。シノさん自身を起点として考えるのではなく――」


 そこまで言って。


 ユリアンは机の上の資料を一気にまとめ始めた。


「こうしてはいられません!」


「え?」


「少し資料を見直してきます!」


「今からですか?」


「今だからです!」


 数冊の資料を抱え。


 先ほどまでの憔悴が嘘のような勢いで、研究室を出ていく。


 扉が閉まった。


 静かになった室内で。


 シノはしばらくその扉を見つめていた。


「……こうしてはいられない人ばかりだね」


 エルンも扉を見る。


「昨日もいたな」


「いた」


「ロイド師だな」


「うん」


 二人は顔を見合わせた。


     ◇


 学園を出ると、王都の空気が少し変わっていた。


 大通りのあちこちに色鮮やかな布が張られ、建物の軒先には飾りが取り付けられ始めている。


 広場では職人たちが大きな木組みを作り、商人たちは店先へ新しい看板を運び込んでいた。


「なんか、お祭りみたい」


 シノが辺りを見回す。


 隣を歩いていたライアスが笑った。


「みたいじゃなくて、祭りだよ、嬢ちゃん」


「もう始まるの?」


「まだだ。《開国祭》の準備だよ」


「開国祭……」


 シノはもう一度、大通りを見る。


 王都へ来てから何度も歩いた道なのに、今日は少しだけ違って見えた。


「屋台も出る?」


「そこが一番気になるのかよ」


「大事だよ」


「出る出る。嫌になるくらい出る」


 シノの顔が明るくなる。


「楽しみ」


「シノ、開国祭は初めてなんだよな」


 エルンが言った。


「うん。エルンは?」


「僕も初めてだ」


「王都にいたのに?」


「来たことはあるけど、この時期じゃなかったからな、学園も模擬店出すって言うし」


「楽しみだね。じゃあ二人とも初めてだ」


「そうだな」


 シノは嬉しそうに笑った。


「一緒だね」


「ああ」


 そんな二人を見ながら、ライアスが頭を掻く。


「んでよ、嬢ちゃん」


「なに?」


「悪いんだが、このあとちょっと神殿に付き合ってくれねえか」


「神殿?」


「ああ。俺が呼ばれてんだ」


 エルンが横を見る。


「パラディンのことで?」


「そう」


 ライアスは少し面倒そうに肩をすくめた。


「鎧を新しく作るらしい」


「鎧!」


 シノが食いつく。


「まだ出来てねえぞ」


「そうなの?」


「最終調整の採寸だ。俺に合わせて仕立ててくれたんだと」


「パラディンの鎧を?」


「そういうことらしい」


 ライアス自身、まだどこか他人事のようだった。


「今までの鎧じゃ駄目なのか?」


 エルンが聞く。


「俺は別に構わねえんだけどな。神殿としてはそうもいかねえんだと」


「二百年ぶりのパラディンだからな」


「そういうのをいちいち言うんじゃねえよ、エルちん」


「その呼び方やめろ」


 即座に返すエルンに、ライアスが笑う。


 それからシノを見る。


「護衛中にすまねえが、付き合ってくれ」


「いいよ」


「即答かよ」


「見たい」


「だから今日は測るだけだっての」


「それでも見たい」


「僕も興味あるな」


「お前もかよ」


 ライアスがため息をついた。


「まあいい。終わったらそのまま邸まで送る」


 三人は、開国祭の準備が進む大通りを抜け、中央神殿へ向かった。


     ◇


「腕を上げてください」


「まだ上げんのか?」


「もう少しです、パラディン殿」


「さっきもそう言ってただろ……」


 奥の部屋から、ライアスの声が聞こえてくる。


 シノとエルンは、神殿の休憩所で待っていた。


「大変そうだね」


「専用の鎧だからな。細かく測るんだろ」


「ライアスさん、じっとしてるの苦手そう」


「それはそうだな」


 シノは椅子に座ったまま、何気なく周囲を見回した。


 そして。


「あ」


「どうした?」


「あの棚」


 立ち上がる。


「前にライアスさんとここへ来た時、変な絵本を見つけたの」


「絵本?」


「うん。ちょっと待ってて」


 シノは棚へ向かい。


 しばらく探したあと、一冊の古びた絵本を取り出した。


「あった」


 机へ戻り、エルンの前に置く。


「これ」


「……古いな」


 表紙も角も擦れ、何度も子供たちの手に渡ったことが分かる。


 エルンがページを開く。


「何が変なんだ?」


「出てくる動物」


 シノが隣から覗き込む。


「これ、リンちゃんに似てるでしょ?」


「……確かに」


「こっちはバッくんみたいで」


 ページをめくる。


 そこには、さまざまな動物たちが描かれていた。


 ただの童話の挿絵と言われれば、それまでだ。


 だが。


 神獣を知る者が見れば、似ている。


 あまりにも。


「これ、全部……」


「神獣みたいなの」


 エルンの目が次第に真剣になる。


「前に見た時、ライアスさんも変だって言ってた」


「いつ見つけたんだ?」


「前に神殿へ来た時」


 最後のページを開く。


「それでね。ここ」


 そこには短い歌詞が書かれていた。


「歌?」


「うん。この国では有名な童謡なんだって」


「……知ってる」


 エルンが小さく頷く。


「子供の頃に聞いたことがある」


「わたしは知らないはずだったんだけど」


「はず?」


「読んでたら、続きが出てきたの」


 エルンがシノを見る。


「歌の続きか?」


「うん。たぶん」


「……そうか」


 エルンはもう一度、歌詞へ目を落とした。


 何気ない童謡。


 子供でも覚えられる単純な言葉。


 だが。


 しばらく読んでいたエルンの眉が、僅かに寄る。


「……シノ」


「なに?」


「これ」


 歌詞の一節を指でなぞる。


「歌として読むから普通の童謡に見えるけど……」


「うん」


「もしかしたら」


 一度、言葉を切った。


「歌唱魔導の《譜詩》としても読めるのかもしれない」


「譜詩?」


「ああ」


 エルンはページをめくり、神獣に似た動物たちの絵を見る。


 そして、また最後の歌へ戻る。


「いや……まだ分からないけどな」


「魔法ってこと?」


「そこまでは言えない」


 すぐに否定する。


「でも、言葉の並び方が少し気になるんだ」


「ふうん……」


「この絵と、最後の歌が一緒に残されてるのも」


 エルンの目が細くなる。


「偶然じゃないのかもしれない」


 シノも絵本を見下ろす。


「前に、ちょっと歌ったんだ」


「歌ったのか?」


「少しだけ。その時、ライアスさんがマナが動いたって」


「……」


 エルンが黙る。


 もう一度。


 最初から歌詞を追う。


「もし」


「うん」


「もし、この歌を譜詩として歌ったら……」


 そこまで言った時だった。


「待たせたな」


 声が飛んできた。


 二人が振り返る。


 採寸を終えたライアスが、休憩所の入口に立っていた。


「終わったの?」


「ああ。やっとな」


 肩を回しながら入ってくる。


「立たされるわ、腕上げさせられるわ、あっち向けこっち向けって……鎧一着作るのも大変だな」


「新しい鎧、楽しみだね」


「嬢ちゃんが着るんじゃねえぞ」


 そして。


 机の上の絵本に気づいた。


「またそれ見てたのか」


「エルンに見てもらってたの」


「ふーん」


 ライアスはそれ以上は聞かなかった。


 出口へ親指を向ける。


「まあ、続きはまた今度にしろ」


「うん」


「さあ、帰ろうぜ」


 エルンは最後に一度だけ、絵本へ目を落とした。


 神獣に似た動物たち。


 そして。


 最後のページに残された、古い童謡。


「……そうだな」


 静かに本を閉じる。


 元の棚へ戻し。


 三人は神殿を後にした。


 王都の通りでは。


 開国祭を迎えるための飾りが、また一つ。


 新たに掲げられていた。


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