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本物の魔法使い



 シノが目を瞬いた。


「マナが……わたしの歌を聞いたってこと?」


「分からん」


 ロイドはすぐに否定した。


「まだ、そう言い切ることはできん」


 だが。


 その目は。


 結界ではなく、シノそのものへ向けられていた。


「じゃが」


 長い沈黙。


「……おかしい」


「ロイド師?」


 エルンが呼ぶ。


 返事はない。


 ロイドは歩き始めた。


 一歩。


 また一歩。


 杖を床へつきながら。


 考えている。


 七十年近く。


 魔導を学び。


 研究し。


 積み上げ続けてきた膨大な知識。


 そのすべてが。


 今、目の前で起きた一つの現象へ向かって結びつき始めていた。


「我々《魔導士》は」


 不意に。


 ロイドが口を開く。


「己の内にある魔力と、自然界に満ちるマナを、別のものとして扱う」


「はい」


 エルンが答える。


「自らの魔力を起点とし、外にあるマナへ働きかける」


「はい」


「取り込み、増幅し、形を与え、制御する」


 ロイドが自分の胸へ手を置いた。


「そのために術式が必要となる」


「……」


「詠唱も」


「歌唱も」


「譜式も」


 指を一本ずつ立てる。


「すべては、人が自然マナを扱うための手段じゃ」


 シノは黙って聞いている。


「熟練すれば、術式を頭の中だけで処理することもできる。詠唱を省くこともできよう」


「無詠唱魔導ですね」


「そうじゃ」


 エルンに頷く。


「だが、術式そのものが消えるわけではない」


 ロイドの声が。


 次第に。


 小さくなっていく。


「魔導士は必ず、自分と世界との間に、術式という橋を架ける」


「……」


「では」


 杖を止めた。


「この娘は?」


 誰も答えない。


「シノ嬢は、自らの魔力を使って自然マナを制御しておらん」


「でも」


 エルンが口を挟む。


「シノも歌っています」


「そうじゃ」


「ならば、歌が術式なのでは?」


「わしも、そう思っておった」


 ロイドは結界を見る。


「じゃが、この《ウォール》は違う」


「……」


「歌に含まれておらぬ構造を、マナの側が勝手に作っておる」


「……!」


「いや」


 ロイドが首を振った。


「構造を作った、という言い方すら正しくないかもしれん」


「どういうことです?」


「これは《ハイプロテクション》ではない」


「……」


「最後まで《ウォール》なのじゃ」


 ロイドは結界を見つめた。


**「ただ、《越えるな》という意味を満たすために、必要なだけ強くなった」**


 エルンが。


 言葉を失う。


「そんな魔導……」


「知らん」


 ロイドが答えた。


「わしも知らん」


 そして。


 シノを見る。


「シノ嬢」


「はい」


「お主」


 一拍。


「本当に魔力がないのか?」


「え?」


 シノが困ったように答える。


「測ると、いつもゼロです」


「違う」


「?」


「そういう意味ではない」


 ロイドが再び歩き始めた。


「測定器は、人間の身体の中に存在する魔力を測るために作られておる」


「はい」


 エルンが答える。


「当たり前です。術者自身が持つ魔力量を測定するものですから」


「そう」


 ロイドは頷いた。


「当たり前だった」


 杖が。


 床を打つ。


「今まではな」


「……?」


「もし」


 ロイドの声が。


 僅かに震えた。


「その前提そのものが、間違っていたら?」


「前提?」


「我々は」


 自分の胸を指す。


「《自分のマナ》とは、この身体の中にあるものだと思っておる」


「はい」


「身体の内側が自分」


 杖で床を指す。


「外側は自然」


 窓を指す。


「そこに満ちるものは自然マナ」


「……」


「だからこそ、自らの魔力を使って、外のマナを操る必要がある」


「それが魔導です」


「そうじゃ」


 ロイドが。


 ゆっくりとシノを見る。


「では」


 一歩。


 近づく。


「この娘に、その《内と外》の境がなかったとしたら?」


 エルンが息を止めた。


「……どういう意味です?」


「もし、この娘にとって」


 ロイドは室内を示す。


「この部屋に満ちるマナも」


 窓の外。


「空を流れるマナも」


 床。


 壁。


 その向こう。


 まるで。


 世界そのものを指し示すように。


「自然界に満ちるすべてのマナが――」


 シノを見つめる。


「己のものと同じように、応じるのだとしたら?」


「……」


「この娘が、我々のように術式でマナを支配しておらんとしたら?」


 ロイドの視線が。


 結界へ戻る。


「歌によって意志を示し」


「……」


「マナの側が、それに応えているのだとしたら?」


 静寂。


 シノだけが。


 よく分からない顔をしていた。


「でも……」


 エルンが呟く。


「それは《魔法使い》とは違うんですか?」


「……」


 ロイドの目が。


 僅かに揺れる。


「古い伝承では」


 ゆっくりと言った。


「《魔法使い》は、自らの力だけで魔法を起こす」


「術式を介さず」


「自然マナを制御する手順すら必要とせず」


「ただ望み」


「魔法を起こす」


「……はい」


「じゃが」


 ロイドはシノを見る。


「この娘は、歌っておる」


「……」


「歌がある」


「しかし、その歌は術式として自然マナを縛ってはいない」


 杖を握る手に。


 力がこもる。


「ならば」


 声が。


 震え始めた。


「これは何じゃ?」


「ロイド様……」


「魔導ではない」


「……」


「伝承通りの魔法使いとも、少し違う」


「……」


「ならば」


 ロイドが。


 笑った。


 困惑と。


 興奮と。


 長い年月追い続けてきたものへ。


 ほんの僅かに指先が触れたような。


 そんな笑みだった。


「逆なのではないか?」


「……え?」


 シノが首を傾げる。


「シノ嬢」


「はい」


「お主は」


 ロイドが。


 世界を指すように杖を広げた。


「魔力がないのではない」


 一拍。


「魔力――そのものなのではないのか」


「……」


 エルンが。


 シノを見る。


 シノ本人だけが。


 何を言われているのか分からない顔をしている。


「わたしが……魔力?」


「仮説じゃ!」


 ロイドは即座に言った。


「まだ仮説に過ぎん!」


「……」


「じゃが」


 結界を見る。


 その目に。


 もう抑えきれない喜びが滲んでいた。


「これならば」


 杖を握る手が震える。


「これならば、説明がつく」


「何がです?」


「魔力ゼロなのではない」


 ロイドが笑う。

「測れんのじゃ」


「……!」


「人間一人の身体に収まっておらんものを」


「……」


「人間一人を測るための道具で、測ろうとしておった」


 そして。


 ロイドは。


 ゆっくりと。


 天井を仰いだ。



「ああ……!」


「ロイドさん?」


「悔しい!」


「え?」


「悔しいのう!」


 帽子を押さえる。


「儂は七十年じゃぞ!」


「……」


「七十年、魔法使いとは何かを考え続けてきた!」


 そして。


 笑った。


 目には。


 うっすらと涙まで浮かんでいる。


「こんな答え、分かるか!」


「ロイド様……」


「じゃが」


 シノを見る。


「嬉しい」


 老人の顔が。


 まるで少年のようになった。


「ついに……」


 震える声。


「ついに、魔法使いに出会えた!」


「わたし、魔法使いなんですか?」


「そうじゃ!」


「でも、さっき仮説って」


「細かいことを言うな!」


「ロイドさんが言ったんですよ!」


 エルンが思わず笑う。


 アイザックも腕を組みながら、面白そうに二人を見ていた。


 だが。


 ロイドは突然。


「……こうしちゃおれん!」


 踵を返した。


「え?」


「次じゃ!」


「何がですか?」


「執筆じゃ!」


 エルンの目が輝く。


「新しい本ですか!?」


「当然じゃ!」


 ロイドは机へ走り。


 紙の束を引っ張り出す。


「七十年追い続けた魔法使いが目の前に現れたのじゃぞ! 書かずに死ねるか!」


「読みたいです!」


「おお! お主は話が分かるのう!」


 シノが二人を見る。


「エルンまで変になった」


「変じゃないよ! ロイド・ブレイズの新著だよ!」


「まあよい!」


 ロイドは突然、何かを思い出したように法衣の懐をごそごそと探った。


「シノとやら!」


「はい」


「エルンとやら!」


「はい!」


「お前たちに、これをやる!」


 二枚の小さな金属札を取り出す。


 中央には、宮廷魔導士団の紋章。


「これは?」


「儂の許可証じゃ!」


 ロイドが胸を張った。


「これを見せれば、宮廷魔導士の詰め所へいつでも入れる!」


「いつでも?」


「いつでもじゃ!」


 エルンが札を両手で受け取る。


「本当にいただいていいんですか!?」


「来い!」


「はい!」


「暇があれば来い!」


「はい!」


「シノ嬢もじゃ!」


「はい」


「歌いたくなったら来い!」


「歌いたくなったら?」


「儂が見る!」


「ロイドさん、歌が好きなんですね」


「そういう意味ではない!」


 その時。


 アイザックの後ろに控えていた従者が。


 申し訳なさそうに口を開いた。


「……陛下」


「なんだ」


「恐れながら」


「うむ」


「あの許可証がございましても」


 ロイドが止まる。


「シノ様とファルク殿は、そもそも王宮へ入ることができません」


「……」


 沈黙。


 シノが手の中の札を見る。


「入れないの?」


「通常は、宮門で止められます」


「……」


 ロイドが。


 ゆっくりアイザックを見る。


「陛下」


「余を見るな」


「なんとかしてくだされ」


「其方が勝手に渡したのであろう」


「人類魔導史の一大事ですぞ!」


「大げさな爺だ」


「大げさではない!」


 アイザックが大きく息を吐いた。


「仕方ない」


 従者を見る。


「はい」


「シノ・ルミナリア」


「はい」


「エルン・ファルク」


 エルンが背筋を伸ばす。


「はい!」


「二名分の《王宮特別通行証》を手配せよ」


「承知いたしました」


「使用目的は宮廷魔導士団への訪問。宮門から先は案内を付けるように」


「そのようにいたします」


 エルンが手元の金属札を見る。


「……僕、王宮の通行証まで持つことになるの?」


「やったね、エルン」


「シノは普通すぎるんだよ!」


「これでアイク先生のおうちにも来やすくなるね」


「弟子」


 アイザックが即座に言った。


「余の家へ遊びに来るための通行証ではないぞ」


「違うの?」


「違う」


 ロイドはそんな二人には構わず。


「よし!」


 杖を高く掲げる。


「これで問題なし!」


 シノとエルンを見る。


「いつでも来い!」


「はい!」


「儂は忙しくなるぞ!」


 そう言うなり。


 ロイドは机へ向かった。


「まず記録じゃ! 第一階梯《ウォール》が第三階梯相当……いや、それ以前に魔力の定義から見直さねば……!」


 紙を広げ。


 何やら凄まじい勢いで書き始める。


 シノは、その背中を眺めた。


「……元気なおじいちゃんですね」


「昔からああだ」


 アイザックが答える。


「さて」


 踵を返す。


「帰るぞ、弟子。放っておけば朝まであのままだ」


「はーい」


 エルンだけは名残惜しそうにロイドを振り返っていた。



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