魔導士と魔法使い
ロイドは満足そうに髭を撫でながら、エルンを眺めた。
「歴代最高得点、か。面白いのう」
「そ、そんな……」
「謙遜するな。点というものは、取ろうと思って取れるものではない。積み上げた結果じゃ」
「はい!」
憧れの著者本人を前に、エルンはいつになく緊張していた。
その横で。
シノは、先ほどから別のものが気になっている。
長い法衣。
大きな杖。
白い髭。
そして、ところどころに切れ目の入った古びたとんがり帽子。
「ロイドさん」
「なんじゃ?」
「さっき、魔法使いって言ったら、すごく喜んでましたよね」
「当然じゃ!」
返事が早かった。
「儂は魔法使いになるために魔導士になったのじゃからな!」
「……逆じゃないですか?」
エルンが思わず口を挟む。
「何を言う!」
ロイドが杖の石突きを床へ突いた。
「魔法使いへの憧れがなければ、儂がこれほど魔導を学ぶこともなかった!」
「ロイドは昔からこうだ」
アイザックが呆れたように言う。
「地方魔導、古代術式、精霊術、歌唱魔導、失伝した魔法体系まで。魔法使いの手掛かりになると聞けば、何にでも首を突っ込んだ」
「おかげで今では、この国で最も魔導に詳しい男になった」
「余計な一言をつけてくださるな陛下。最も強い、もじゃ」
「よいよい」
「陛下!」
シノが首を傾げた。
「でも、魔法使いと魔導士って違うんですか?」
「違うとも!」
待ってましたと言わんばかりに、ロイドが身を乗り出した。
「よいか、シノ嬢」
「はい」
「まず勘違いしてはならん。《魔導士》も《魔法使い》も、起こしておるものは同じ――魔法じゃ」
「同じなんですか?」
「うむ。違うのは、そこへ至るまでの方法じゃ」
ロイドは杖を持ち上げた。
先端に、小さな光が灯る。
「我々《魔導士》は、自らの魔力を起点として、自然界に満ちるマナへ働きかける」
光が、ゆっくりと大きくなっていく。
「取り込み、増幅し、形を与え、制御する」
「それが詠唱ですか?」
「詠唱も、その一つじゃ」
ロイドは頷いた。
「詠唱。歌唱。譜式。方法はいくつもある。だが、どれも目的は同じ」
杖の先の光が、今度は小さな鳥の形へ変わった。
「複雑なマナを、人が扱える形へ整えるための《術式》じゃ」
「術式……」
「そうじゃ」
ロイドは杖を軽く振る。
光の鳥が消えた。
「己の力を鍵として、外にある力を扱う。その手順を技術として体系化したもの――」
一拍。
「それが《魔導》じゃ」
シノは、少し考えた。
「じゃあ……詠唱しないで魔法を使ったら、魔法使い?」
「違う!」
「わっ」
ロイドの声が一段大きくなる。
「そこが重要なのじゃ!」
エルンが苦笑する。
「ロイド師、近いです」
「よいか!」
まったく聞いていない。
「熟練した魔導士なら、簡単な術式を頭の中だけで組むこともできる!」
「頭の中で?」
「そうじゃ。口に出しておらんだけで、術式そのものはちゃんと存在しておる」
「じゃあ無詠唱でも……」
「魔導は魔導じゃ」
「なるほど……」
そこで。
シノが首を傾げる。
「じゃあ、魔法使いは?」
「……ふふ」
ロイドの目が。
途端に輝いた。
「そこじゃ」
胸へ手を当てる。
「《魔法使い》には――」
一拍。
「そもそも、その手順が要らん」
「……え?」
「詠唱も」
一本、指を立てる。
「歌唱も」
二本目。
「譜式も」
三本目。
「術式そのものすら必要ない」
「……」
「己が望み」
ロイドは。
ゆっくりと手を開いた。
「魔法が起こる」
「……それだけ?」
「それだけじゃ!」
シノが目を丸くする。
「自然のマナを集めたり、制御したりは?」
「せん!」
「術式は?」
「いらん!」
「詠唱は?」
「いらん!」
「歌も?」
「いらん!」
「……それ、できるんですか?」
「できん!」
「できないんだ」
「だから、おとぎ話なのです」
エルンが小声で補足した。
「おい、小僧!」
「事実でしょう?」
「事実じゃが夢がない!」
「七十年探して見つかってないなら、十分おとぎ話です」
「ぐぬぬ……!」
シノは。
ロイドとエルンを交互に見た。
「でも、ロイドさん」
「なんじゃ」
「それって」
少し考えて。
「魔法使いは、魔法を使うための準備が何もいらないってこと?」
「……」
ロイドが。
満足そうに笑った。
「そうじゃ」
そして。
静かに言った。
「魔導士は、魔法へ至るために術を使う」
「……」
「魔法使いは――ただ、魔法を使う」
「魔法使いがいないなどと誰が決めた!」
シノは目をぱちぱちさせた。
だが。
少し考えてから、ふと尋ねる。
「ロイドさん、歌唱魔導もできるんですか?」
「無論じゃ」
ロイドの機嫌が一瞬で直った。
「言ったであろう。魔法使いを探すため、ありとあらゆる魔導を学んだとな」
「歌えるんだ」
「……その言い方だと、儂が歌えないと思っておったように聞こえるのう」
「ちょっとだけ」
「見ておれ!」
ロイドが杖を構えた。
エルンが小声でシノへ囁く。
「宮廷魔導士長に歌わせる人、初めて見た」
「わたし頼んでないよ?」
「同じようなものだよ」
ロイドが一度、息を吸う。
そして。
低い声が室内へ響いた。
深く。
豊かで。
年齢を感じさせながらも、芯の通ったバリトン。
『日輪の炎をーこの手に……』
声に合わせるように自然マナが揺れ、杖の周囲へ淡い光が集まる。
光は一つ、二つ、三つ。
やがて複数の光球となって、ロイドの周囲をゆっくりと巡り始めた。
精密だった。
無駄がない。
声とマナの動きが、ぴたりと一致している。
歌が終わる。
光球は同時に消えた。
「どうじゃ」
ロイドが得意げに髭を撫でる。
シノは目を輝かせた。
「いい声ぇ……」
「……」
ロイドが固まった。
エルンが噴き出す。
「そこか!」
「だって、すごくいい声でした!」
「魔導を見んか、魔導を!」
「見てましたよ。でも声がすごく響いてて」
「む……」
ロイドが一瞬黙った。
そして。
「……ほう」
先ほどまでとは違う目で、シノを見る。
「声の響きを見たか」
「はい」
「歌唱魔導では、譜詩だけが全てではない。声がマナをどう震わせるかも重要じゃ」
「ですよね」
「分かっておるではないか」
ロイドの目に、研究者の光が戻った。
「ならば」
杖をシノへ向ける。
「今度はお主が歌ってみせてくれんか?」
「わたし?」
「うむ」
シノは少し困った。
先ほどロイドに歌ってもらった手前。
断るのも悪い気がする。
「何を歌えばいいですか?」
「何でもよい」
「攻撃魔法はやめた方がいいよ」
エルンが即座に言った。
「儂もそう思う」
アイザックまで頷く。
「弟子。王宮を壊すなよ」
「壊しません!」
「では……」
シノが考える。
「あ。《ウォール》なら」
「第一階梯の結界魔導じゃな」
ロイドが頷く。
「それなら危険もあるまい」
「ハルム村でエルンに教えてもらいました」
「うん。最初に教えた結界魔法だね」
シノは一度、息を吸った。
譜詩を思い出す。
そして。
歌った。
「止まれ、止まれ――」
シノの声が響く。
「この先は――」
ロイドの眉が。
僅かに動いた。
「決して――」
空気が変わる。
「越えて行くことなかれ――」
「……む?」
ロイドの表情が消えた。
周囲に満ちていた自然マナが。
一斉に。
シノへ向かって流れ始めていた。
「これは……」
エルンも気づく。
そして。
シノの前方に、透明な壁が現れた。
本来なら。
それだけだったはずだ。
第一階梯結界魔導。
初学者が最初期に学ぶ、防御魔導。
だが。
現れた壁は。
「……え?」
エルンが目を見開く。
厚い。
マナ密度が違う。
単純な壁ではない。
内部でマナが循環し、外部からの衝撃を受け流す構造まで形成されている。
ロイドが結界へ歩み寄った。
杖の先で。
軽く叩く。
コン。
次に。
強く叩く。
ゴン――!
結界は微動だにしなかった。
「……ロイド師」
エルンが声を落とす。
「これ……」
「うむ」
ロイドは結界から目を離さない。
「第三階梯――」
エルンが息を呑んだ。
ロイドは結界から目を離さないまま、低く続ける。
「――相当じゃ」
「えっ?」
シノが目を丸くした。
「わたし、《ウォール》を歌いましたよ?」
「知っておる!」
ロイドが勢いよく振り返る。
「だから困っておるのじゃ!」
「シノ」
エルンも結界を見ながら訊いた。
「何か変えたか?」
「何も」
「譜詩は?」
「僕が教えたものと同じです」
「うん。そのまま歌ったよ」
「……」
ロイドは再び、目の前の結界へ向き直った。
杖の先で、その表面をなぞる。
「……違う」
「え?」
「これは《ハイプロテクション》ではない」
エルンが眉を寄せる。
「ですが、強度は……」
「第三階梯相当じゃ」
「では――」
「じゃが」
ロイドが杖を上げた。
「術式そのものは、間違いなく第一階梯じゃ」
「……そんなことが」
「本来、《ハイプロテクション》を成立させるには、《ウォール》には存在せぬ構造が必要になる」
杖先に、小さな光が浮かぶ。
「積層」
光が重なる。
「衝撃分散」
重なった光が枝分かれする。
「マナ循環」
光が輪を描き、流れ始める。
「第三階梯まで引き上げるならば、術者がこれらを術式へ組み込まねばならん」
「はい」
エルンが頷く。
「ですが、シノに教えた《ウォール》には……」
「無い」
ロイドが即答した。
杖を振る。
空中の術式図が消えた。
「何一つな」
「……」
「それなのに」
ロイドが、シノの結界へ手をかざす。
「第三階梯に匹敵するだけのマナが集まっておる」
室内が静かになった。
シノが首を傾げる。
「どうして?」
「シノ嬢」
「はい」
「お主が先ほど歌った譜詩を、もう一度言ってみよ」
「えっと……」
シノは思い出すように口にした。
「止まれ止まれ、この先は決して越えて行くことなかれ――」
「そうじゃ」
ロイドが頷く。
「それだけじゃ」
「それだけ?」
「この譜詩にはな」
杖で結界を軽く指す。
「壁を何枚重ねろとも」
「……」
「どれほどの衝撃に耐えろとも」
「……」
「どれだけのマナを流せとも、書かれておらん」
シノが結界を見る。
「じゃあ……何を?」
「ただ一つ」
ロイドがシノを見た。
**「《この先を越えるな》」**
「……」
「それだけじゃ」
エルンの表情が変わった。
「まさか……」
「うむ」
ロイドの声が低くなる。
「シノ嬢は、《ウォール》を第三階梯へ強化したのではない」
「……」
「《ハイプロテクション》の術式を無意識に組んだわけでもない」
「では、この強度は……?」
エルンの問いに。
ロイドはゆっくりと答えた。
**「自然マナの側が、《越えるな》という意味を満たすだけの力を集めた」**
「……!」
「術者がマナを制御したのではない」
結界へ触れる。
「マナの方が、この娘の歌に応えておる」




