宮廷魔導士長
その日の午後。
レスト邸に、一通の手紙が届けられた。
封筒の中央には、見間違えようもないマニール王家の紋章。
赤い封蝋にも、王家の印がくっきりと押されている。
「……また、ずいぶん立派なのが来たな」
レスト侯が手紙を眺める。
マルナも隣から覗き込み、少しだけ表情を引き締めた。
「王宮からですか?」
「差出人は陛下だ」
「アイク先生から?」
シノがぱっと顔を上げた。
レストから手紙を受け取り、封を開く。
中の便箋まで、王家の紋章入りだった。
「えーっと……」
シノが読み始める。
「『弟子よ。たまにはうちへ遊びに来い』」
「……」
レストが黙った。
マルナも黙った。
「『今回は謁見ではない故、畏まった服装もいらぬ。普段の格好でよい』」
「王家の封蝋まで使って、それを伝えるのか……」
レストが小さく呟く。
シノは気にせず続きを読む。
「『供の者は……学園生のファルク。護衛のパラディンは必ず』だって」
「エルンも?」
「うん!」
シノは嬉しそうに手紙を畳んだ。
「ライアスさんも一緒だって!」
「私は護衛でありますから」
「よかったね」
「任務を遂行するだけです」
マルナが手紙を見る。
「それにしても……若様のことまで、陛下はよくご存じなのですね」
「王様だからね」
シノの答えは単純だった。
レストだけが、僅かに目を細める。
王の周囲には、表には決して姿を現さない者たちもいる。
シノのすぐ傍にいる人物について、既に調べが済んでいたとしても不思議ではない。
もっとも。
そんなことをシノに説明する必要もなかった。
翌日。
シノはエルン、そしてパラディンとなったライアスと共に王宮を訪れた。
今回は正式な謁見ではない。
シノも普段着。
エルンも学園の制服。
ライアスだけは護衛という立場もあり、いつもより多少整った服装をしている。
案内された部屋に入ると。
「来たか、弟子」
「アイク先生!」
アイザックは玉座ではなく、窓際のテーブルについていた。
そこにはすでに茶と菓子が用意されている。
「そこへ座れ。今日は客だ」
「はい!」
シノは何の躊躇もなく椅子へ座る。
エルンは。
「……」
固まっていた。
「どうした?」
シノが尋ねる。
「いや……」
エルンが小声になる。
「本当にお茶飲むだけなの?」
「そうみたい」
「ここ王宮だよ?」
「うん」
「国王陛下だよ?」
「アイク先生だよ?」
「……そうだった」
何も解決していない。
「ファルクだったか」
「は、はい!」
突然アイザックに家名を呼ばれ、エルンが背筋を伸ばす。
「そう固くなるな。謁見ではないと言っただろう」
「し、しかし……」
「シノを見習え」
「それはそれで難しいと思います、陛下」
「そうか?」
アイザックが笑う。
「パラディンも座れ」
「私は護衛でございますので」
「今日は余の私室だぞ」
「では、お言葉に甘えまして」
ライアスも席につく。
シノがちらりと見る。
「ライアスさん、ちゃんとしてる」
「嬢ちゃん。陛下の前なんだから当たり前だろ」
「あ、戻った」
「お前に話してんだからいいんだよ」
アイザックが楽しそうに茶を飲んだ。
それからしばらく。
本当にただのお茶の時間が続いた。
「開国祭は楽しみか、弟子」
「はい!」
「王都で迎えるのは初めてであろう」
「どんなお祭りなんですか?」
「国中から人が集まる。商人も来る。各地の料理も出るぞ」
「料理!」
「そこに食いつくか」
「アイク先生も遊びに行くんですか?」
「余は仕事だ」
「かわいそう」
「王だからな」
エルンが、王に対して「かわいそう」と言えるシノを信じられないものを見るような目で見ていた。
アイザックはまるで気にしていない。
やがて。
一通り茶を楽しんだところで。
アイザックがカップを置いた。
「さて」
立ち上がる。
「ついてまいれ」
「どこに?」
「其方に会わせたい者がおる」
「誰ですか?」
「ちょっとな」
シノが首を傾げる。
アイザックはそれ以上説明せず、部屋を出た。
「行くぞ、嬢ちゃん」
「うん」
エルンとライアスも後に続く。
案内された先は。
これまでシノが歩いた王宮の華やかな区画とは、少し雰囲気が違っていた。
装飾は少ない。
代わりに。
壁には何やら複雑な術式図。
棚には魔導具。
書類の束を抱えた法衣姿の男女が、忙しそうに行き交っている。
「ここは?」
「宮廷魔導士の詰め所だ」
アイザックが答える。
「宮廷魔導士……」
エルンの目が一気に輝いた。
王国でも最高峰の魔導士たち。
魔導学園で学ぶ者なら、誰もが一度は憧れる場所だった。
その奥。
大きな机の前に。
一人の老人が立っていた。
シノは。
思わず足を止めた。
白い髭。
長い法衣。
手には大きな杖。
そして。
頭には、ところどころ切れ目の入った古びたとんがり帽子。
あまりにも。
あまりにも、だった。
老人が杖をつきながら振り返る。
「陛下」
「ロイド」
老人――ロイドは、アイザックへ軽く頭を下げる。
そして。
すぐにシノを見た。
「《導縁》を結んだ弟子とは」
目を細める。
「この少女ですかな?」
「うむ」
アイザックがシノの肩へ軽く手を置いた。
「シノ・ルミナリア」
少しだけ誇らしそうに。
「余の弟子だ」
「ほう……」
ロイドがシノをじっと見る。
シノも。
ロイドをじっと見る。
白髭。
法衣。
杖。
とんがり帽子。
「……魔法使い?」
「――っ!」
ロイドの目が見開かれた。
「おおっ!」
突然声を上げる。
「陛下!」
「なんだ」
「今、聞かれましたかな!?」
「聞こえておる」
「この少女!」
ロイドが杖を持ったままシノを指す。
「儂を見て、魔法使いと申しましたぞ!」
「そうだな。言ってしまったな!アレを」
「ほれ見ろ!」
「誰に言っておるのだ」
シノが驚いている。
「違った?」
「いや!」
ロイドは満面の笑みになった。
「よい!」
「ロイド」
アイザックが呆れたように名前を呼ぶ。
「紹介がまだだ」
「おお、そうでしたな」
老人が咳払いする。
杖を床につき、少しだけ胸を張った。
「ロイド・ブレイズ」
アイザックが言う。
「宮廷魔導士長。この国の宮廷魔導士を束ねる者だ」
「ロイド・ブレイズ……」
その名前を聞いた瞬間。
今度は。
エルンが固まった。
「そして」
アイザックがエルンを見る。
「こちらはエルン・ファルク。王立魔導学園の学生だ」
「エルン・ファルクです」
エルンが深く頭を下げる。
「よろしくの」
ロイドにとっては。
初めて会う、ただの少年だった。
だが。
エルンは違った。
「あ、あの……!」
「ん?」
珍しく。
声が上ずっていた。
「『ブレイズ式魔導読本』……!」
「ほう」
「読ませていただきました!」
ロイドの眉が上がる。
「初等編も、応用編も……! マナ制御の項も、歌唱魔導について書かれていたところも、何度も読みました!」
シノが隣を見る。
「エルン、すごく嬉しそう」
「だって!」
エルンが思わずシノへ振り返る。
「ロイド・ブレイズだよ!?」
再び老人を見る。
「まさか……本当にお会いできるなんて……」
「ふむ」
ロイドは髭を撫でた。
明らかに。
少し嬉しそうだった。
「そこまで読み込んでくれたか」
「はい!」
「感心、感心」
そこで。
アイザックが何でもないことのように付け加えた。
「ちなみにファルクは、学園の歴代最高総合得点者だ」
「……何?」
ロイドの手が止まった。
初めて。
エルンをしっかりと見る。
「歴代?」
「うむ」
「この少年が?」
「はい」
エルンは緊張したまま頷く。
ロイドの目が。
少しだけ変わった。小声で
「ほう……あの召喚バカ、神童ヴェルクを超えたか」
今度は。
ただの少年を見る目ではなかった。
「それは面白い」
ロイドは髭を撫でながら笑った。
「ならば後で」
エルンへ杖の先を向ける。
「儂の本を読んだ感想でも聞かせてもらおうかの」
「はい!」
エルンの返事は。
今日一番大きかった。




