カードの整理
王都の喧騒から遠く離れた、薄暗い一室。
厚い幕によって窓は閉ざされ、長机の上に置かれた燭台だけが、集まった者たちの顔をぼんやりと照らしていた。
開国祭を間近に控えた王都では、夜になっても人々の浮き立つ声が絶えない。
だが。
この場所に、その華やかさは届かない。
長机の中央。
グランツは手元の報告書へ目を落としていた。
「……失敗か」
「はい」
向かいに座る男が頭を下げる。
「シノ・ルミナリアの確保には失敗いたしました」
「生き残りは」
「騎士団に捕縛された者も含め、我々が手をまわしました後、全員の死亡が確認しました」
「……そうか」
グランツの表情は変わらなかった。
実行役から自分たちへ辿られる危険はない。
その一点だけを確認すると、静かに頁をめくる。
「しかし」
報告者が続けた。
「想定外の事態が一つ」
「申せ」
「護衛についていた王国騎士ライアス・エンフィレルが――《パラディン》として中央神殿に認定されました」
室内の空気が変わった。
「……パラディン」
グランツの指が止まる。
「二百年ぶりの?」
「はい」
僅かに。
グランツの眉間に皺が寄った。
「それは厄介だな」
単純に強い騎士が一人増えたというだけではない。
三神教が認める聖騎士。
二百年間途絶えていた存在。
それだけで民衆への影響は大きい。
何より。
また一つ。
アイザック王の周囲に、強い象徴が加わった。
「襲撃した結果、王にパラディンまで与えたか」
低い声が落ちる。
誰も答えなかった。
だが。
「グランツ卿」
別の男が静かに口を開いた。
「今回の件を、完全な失敗と見る必要はないかと」
「ほう」
「初めて、明確に戦闘へ介入する神獣を確認できました」
新たな資料が長机へ置かれる。
「神獣種」
グランツが資料へ目を落とす。
「三神より武の力を預かると伝わる神獣です」
「それが、あの騎士をパラディンにしたのか」
「直接的な因果はまだ断定できません。しかし、現場の状況から見て、《アルテマ》がライアス・エンフィレルへ何らかの力を与えたことは間違いないかと」
「何らかの、では分からん」
「少なくとも、身体能力の強化だけではありません」
男が資料をめくる。
「それまで十分に扱えていなかった本人のマナを、急激に循環させた形跡があります」
「マナの使い方そのものを変えた?」
「その可能性が高いと」
グランツは黙った。
やがて。
小さく息を吐く。
「パラディンの出現は厄介だ」
そして。
資料に記された《アルテマ》の文字を指先で叩いた。
「しかし」
一度。
二度。
「逆に言えば、あの神獣には、それだけの力があるということだ」
「はい」
「神獣そのものを戦場へ出すだけではない」
「……」
「人間を変える」
グランツの目が細くなる。
「兵を強くする」
「はい」
「騎士を、より上位の戦力へ押し上げる」
「今回の一例だけで一般化はできませんが、可能性は否定できません」
グランツの口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「我々は、神獣そのものの力ばかりを見ていたのかもしれんな」
神獣を運用する。
その言葉の意味が。
また一つ広がった。
「引き続き調べろ」
「承知しました」
グランツは次の資料へ手を伸ばした。
「シノ・ルミナリアについては?」
「外部マナの流入そのものは、すでに記録できています」
「ほう」
グランツが顔を上げる。
「では、ゼロ魔力の問題は解決したのか」
「いえ」
研究担当の男が首を振る。
「そこまで単純ではありません」
机の上へ複数の測定記録が並べられる。
「シノ・ルミナリア本人から魔力が検出されないことに変わりはありません」
「だが、歌うと周囲のマナが動く」
「はい」
記録には。
歌唱開始と同時に周辺マナの密度が変化し。
シノへ向かうような流れが発生していることが示されていた。
「流入量も、方向も、大まかには取れています」
「ならば、何が足りない」
「精度です」
「精度?」
「現行の測定器では、ここまでしか追えません」
男が一つの記録を指した。
「周辺マナがシノ・ルミナリアへ集まる。それは分かります」
次の記録。
「しかし、そのマナがどこで」
指が止まる。
「どのように」
さらに。
「神獣顕現という現象へ変換されるのか」
「そこが見えない」
「はい」
グランツが椅子へ深く腰掛ける。
「測定方法を変えろ」
「それだけでは足りません」
「何?」
「測定器そのものを改良する必要があります」
「では改良しろ」
「……それが」
研究者が一瞬、言葉を止めた。
「容易ではありません」
「金なら出す」
「金の問題ではございません」
「では、何だ」
「技術者です」
室内が静かになる。
「この精度の測定器を根本から組み直せる者は、この国に一人しかおりません」
「一人?」
「はい」
研究者は、その名を告げた。
「魔道具技師――ミルズ」
「……ミルズ」
「王都でも屈指の技師です。既存の魔道具を改良するだけでなく、構造そのものを別方式へ組み替えることのできる人物です」
「そいつなら可能なのか」
「確実とは申し上げられません」
「可能性は」
「最も高いかと」
グランツはしばらく考え。
「接触方法を探れ」
「承知しました」
「ただし」
視線だけを上げる。
「騒ぎにはするな」
「はい」
その時だった。
「グランツ卿」
静かな声が室内に響いた。
立ち上がったのは。
オルド・シグリア。
中央神殿で記録を扱う立場にある男だった。
本来ならば。
決してこの場所にいるはずのない人物。
「神殿側でも、新たにご報告することがございます」
「聞こう」
オルドは手にしていた古びた一冊を、長机へ置いた。
グランツが眉を上げる。
「……絵本?」
「はい」
表紙には。
子供向けに描かれた、愛らしい動物たち。
「中央神殿に古くから保管されている児童向けの絵本です」
「それがどうした」
「これまで、私も単なる児童向けの書物だと思っておりました」
オルドが頁を開く。
鳥。
獣。
様々な動物。
「ですが」
その一つを指差す。
「神殿の古い記録と照合したところ、描かれている動物の多くが、神獣の姿と酷似していることが分かりました」
「……神獣?」
「はい」
さらに頁をめくる。
「そして、最後です」
そこには。
短い歌詞が記されていた。
「歌か」
「はい」
「暗号かなにかの譜式か?」
「ございません」
「では、ただの童謡ではないのか」
「この歌は、今でもマニール国内で広く知られています」
「子供であれば、一度は聞いたことがあるほどに」
「……知っておる。私もこの国の者だ」
グランツの表情が変わった。
「神獣を描いた絵本」
「はい」
「そして、最後に歌」
「その通りです」
オルドが別の資料を取り出す。
「さらに古い記録を辿ったところ、同様の絵本がかつて王国内の神殿や教会へ配布されていた形跡も確認できました」
「誰が配った」
「不明です」
「何のために」
「それも」
「……」
「ですが」
オルドは絵本へ手を置く。
「召喚と、何らかの因果がある可能性は高いと考えております」
長机の奥。
一人の男が、僅かに顔を上げた。
それまで。
一言も発していなかった男。
ただ静かに。
オルドの持ち込んだ絵本を見つめる。
そこに何が書かれているのか。
初めて目にするように。
「どの歌が、どの神獣に関わる」
グランツが尋ねる。
「まだ分かっておりません」
「効果も?」
「はい」
「召喚方法も?」
「現時点では」
オルドは首を振る。
「ただ」
絵本を見る。
「神獣の姿と、歌が同じ書物に残されている」
「偶然ではない、と」
「私はそう考えております」
グランツは手を伸ばし。
古びた絵本を手に取った。
頁をめくる。
そこにあるのは。
どこにでもありそうな童話。
子供が読むための。
愛らしい物語。
だが。
今となっては。
まるで別のものに見える。
「面白い」
グランツが呟く。
「神殿自身が」
最後の頁を開く。
「何百年もの間」
そこに記された歌を見る。
「自分たちが何を保存していたのか、忘れていたということか」
オルドは答えなかった。
「調べろ」
「はい」
「この絵本と召喚の因果を」
「承知しました」
「可能な限り急げ」
「はい」
グランツは絵本を閉じた。
「襲撃そのものは失敗した」
室内を見渡す。
「だが」
《アルテマ》。
二百年ぶりのパラディン。
外部マナの流れ。
測定器の限界。
魔道具技師ミルズ。
そして。
神獣の姿と歌を残した、古い絵本。
「得たものは多い」
誰も異を唱えなかった。
「開国祭まで、そう時間はない」
グランツの声が低くなる。
「使えるものは、すべて使え」
「はっ」
燭台の火が揺れた。
長机の最奥。
最後まで名を呼ばれることのなかった男は。
ただ黙って。
オルドの持ち込んだ絵本を見つめていた。




