歴代最高総合点
合格発表は、翌日の正午だった。
学園正門の横に、大きな掲示板が立てられる。
受験生たちが集まり、歓声とため息が入り混じっていた。
エルンは、人の波の後ろに立つ。
手のひらが汗ばんでいる。
やれるだけのことはやった。
だが、自分の三層結界は地味だった。
試験官には伝わったはずだ。
そう思いたい。
掲示板の下の方から見る。
ファルク。
ない。
もう少し上。
ない。
中段。
ない。
エルンの息が詰まった。
ない。
どこにもない。
落ちた。
そう思った。
背後で、昨日の金髪の少年の声がした。
「あれ、ファルク君。名前が見つからないのか?」
笑い声。
「だから言っただろう。地方枠には厳しいって」
「上だ」
声がした。
エルンは顔を上げる。
掲示板の横に、昨日の実技試験で三層結界をじっと見ていた教師が立っていた。
「下ではない。上を見なさい」
エルンは、ゆっくりと視線を上げた。
掲示板の一番上。
そこに、自分の名があった。
エルン・ファルク。
その横に、信じられない文字が並んでいる。
――歴代最高総合点。
「……俺が?」
声がかすれた。
「君以外に、エルン・ファルクはいないだろう」
周囲が一気にざわついた。
「歴代最高?」
「あの地方枠が?」
「三層結界のやつだ」
「筆記も満点に近かったらしい」
金髪の少年は、口を開けたまま固まっていた。
エルンは掲示板を見上げたまま、鞄の中の記録帳を握った。
シノ。
リザ。
マルナ院長。
ファルク家の小さな屋敷。
届いた。
少なくとも、ここまでは。
***
その後すぐ、エルンは学園の小部屋へ呼ばれた。
合格手続きのためだと聞かされたが、部屋に入ると、数人の教師が待っていた。
実技主任のセラド・オルフェン。
筆記試験を担当した教師。
そして、灰色を帯びた長い髪を後ろで緩く束ねた男。
年の頃は四十代前半。
細い銀縁の眼鏡をかけ、指先の動きひとつまで静かな品がある。
声を発していないのに、部屋の空気を少しだけ深くするような男だった。
「エルン・ファルク君」
セラドが口を開く。
「まずは合格おめでとう」
「ありがとうございます」
「それから、歴代最高総合点。これは学園としても驚くべき結果だ」
エルンは頭を下げた。
「率直に聞こう。どこで学んだ」
「家の書庫と、独学です」
「それだけではないだろう」
灰色の髪の男が、静かに口を開いた。
「魔力核が細い。にもかかわらず、外部マナとの接続が深い。通常の歌唱魔導士なら、あの結界は二層目で崩れます」
低く、柔らかな声だった。
「申し遅れました。ユリアン・ヴェルク。召喚譜式学を担当しています」
ユリアンは、エルンの答案と実技記録を見比べた。
そして、静かに言った。
「君、相当努力したんだね」
エルンは思わず顔を上げた。
「才能だけでは、あの三層結界は作れません。特に二層目と三層目の間。あそこには、何度も失敗した者だけが知る逃がし方がありました」
ユリアンは穏やかに続ける。
「喉を痛めたことも、一度や二度ではないでしょう」
エルンは何も言えなかった。
あの小さな屋敷で倒れたこと。
薬湯の苦味。
シノに怒られたこと。
リザに叱られたこと。
それを、この教授は見てもいないのに言い当てた。
「君の歌は、綺麗なだけではありません。苦しんで、削って、ようやく形にした歌です」
ユリアンは静かに微笑んだ。
「よく、ここまで来ましたね」
「……ありがとうございます」
ようやく、それだけ言えた。
セラドが頷く。
「王立魔導士学園では、成績上位者や特殊技能を持つ学生には担当教官がつくことがある。君の場合は、所属研究室も含めて検討する必要がある」
別の教授が口を開いた。
「まあ、成績だけ見れば、我が研究室に入れてやらなくもありませんな。地方の没落家とはいえ、歴代最高総合点は事実です」
エルンの唇が固く結ばれた。
その時、ユリアンの声が静かに落ちた。
「入れてやる、ですか」
声は荒くない。
けれど、部屋の温度が少し下がったように感じた。
「彼は、王立魔導士学園の入学試験において、歴代最高総合点を取った学生です。家柄や出身地を理由に、恩を着せられる立場ではありません」
部屋が静まり返った。
ユリアンはエルンへ向き直る。
「エルン・ファルク君。君が望むなら、私が担当教官になりましょう」
教師たちの間に、はっきりとした驚きが走った。
「ヴェルク教授が、自分から?」
「あの、弟子を取らないことで有名な教授が?」
ユリアンは穏やかに微笑む。
「弟子を取るとは言っていません。担当教官になるだけです」
セラドが小さく笑った。
「それを世間では、弟子を取ると言うのでは?」
「言葉の定義は慎重に扱うべきですね」
ユリアンはさらりと受け流し、エルンへ視線を戻した。
「君の歌は、王都式ではない。古典流派でもない。だが、粗野ではない。むしろ、誰かが長い時間をかけて削り出したような精密さがある」
エルンは、鞄の中の記録帳を思い出した。
「……私一人の力ではありません」
「でしょうね」
ユリアンの声は優しかった。
「だからこそ、私は君から学びたい」
「教授が、私からですか?」
「学問に年齢や立場は関係ありません。未知のものを前にした時、教師もまた学生になるべきです」
エルンは息を呑んだ。
その言葉は、胸に深く響いた。
分からないものを、分かるようにする。
それは、エルンが二年間続けてきたことでもあった。
「よろしくお願いします。ヴェルク教授」
エルンは深く頭を下げた。
ユリアンは満足そうに頷いた。
「では、入学後に私の研究室へ来なさい。授業とは別に、君の発声記録を確認しましょう」
「はい」
「記録帳も、可能な範囲で見せてもらえると嬉しい」
シノと積み重ねた記録。
すべてを簡単に差し出すことはできない。
けれど、この教授なら、努力を理解してくれるかもしれない。
「内容を整理した上でなら」
「もちろんです。大切な記録なのでしょう」
「はい」
ユリアンは、柔らかく微笑んだ。
「王立魔導士学園へようこそ、エルン・ファルク君。君の歌が、ここでどこまで伸びるのか楽しみにしています」
窓の外で、王都の鐘が鳴った。
その音は高く、遠く、青い塔の上へと吸い込まれていった。




