辞職届
翌日。
シノとエルンは、王立魔導学園の学園長室へ呼び出されていた。
「失礼します」
エルンが扉を開ける。
室内へ入ったシノは、すぐに足を止めた。
「ユリアン先生……?」
学園長ウラバクの執務机の前。
そこにユリアンが座っていた。
いつもの柔らかな笑顔はない。
両手を膝の上に置き、項垂れている。
そしてウラバクの机の上には、一枚の書類が置かれていた。
「来ましたか。シノさん、ファルク君」
ウラバクが二人を見た。
「実は先ほど、ヴェルク教授から辞表が提出されました」
「えっ!?」
シノが声を上げる。
隣でエルンの表情が険しくなった。
「……教授」
ユリアンがゆっくり顔を上げる。
「はい」
「どうしてですか」
「理由は、一つです」
ユリアンはシノを見る。
「私が、シノさんに魔道具の受け取りをお願いしたからです」
「でも――」
「その帰り道で、シノさんは襲撃されました」
エルンの眉間に皺が寄った。
「そもそも、なんでシノに頼んだんですか」
「エルン」
シノが袖を引く。
だが、エルンは止まらなかった。
「シノは学園の生徒じゃないでしょう」
「……その通りです」
「学園の職員でもない」
「はい」
「なのに、なんでシノを行かせたんですか!」
ユリアンは言い訳をしなかった。
「高価な魔道具だった為。護衛騎士のついているシノさんであれば、安全に持ち帰っていただけるだろうと……」
僅かに目を伏せる。
「安易に考えてしまいました」
「安全じゃなかったじゃないですか」
「……はい」
「ライアスさん、死にかけたんですよ」
「分かっています」
「シノだって――」
「エルン!」
今度はシノが強く遮った。
「もういいよ」
「よくないよ!」
「ユリアン先生のせいじゃないもん」
「シノ!」
シノはユリアンの前へ一歩出た。
「襲った人たちが悪いんです」
「……」
「ユリアン先生は、わたしが襲われるなんて知らなかったんですよね?」
「……はい」
「だったら、ユリアン先生が悪いことにしちゃダメです」
ユリアンが目を伏せる。
「ありがとうございます、シノさん」
「じゃあ――」
「ですが」
静かに言葉を重ねた。
「それでも私は、責任を取るべきだと思っています」
シノの顔が曇る。
「辞めるんですか?」
「そのつもりです」
「……」
「教授という立場にありながら、結果としてシノさんを危険な場所へ向かわせてしまいました。その事実は変わりません」
エルンは何も言わなかった。
まだ怒っている。
けれど。
俯くユリアンを見ているうちに、先ほどまでの勢いは少しずつ失われていた。
シノも黙って考える。
そして。
「あ……」
ふと思い出した。
「ユリアン先生」
「はい?」
「食堂のおばちゃん、悲しみます。ユリちゃんが学園やめちゃったら」
ユリアンが止まった。
エルンも目を瞬く。
三人で行った、あの食堂。
ユリアンがこの学園の学生だった頃から通い続けている店。
店のおばちゃんは、教授になった今でも昔と変わらない調子でユリアンを扱っていた。
「ユリアン先生が学生の頃から来てるって、すごく嬉しそうでした」
「……」
「学園を辞めたら、きっと悲しみます」
「シノさん……」
ユリアンの声が震えた。
「それは……」
言葉が続かなかった。
ぽたり。
膝の上へ涙が落ちる。
「えっ」
シノが慌てる。
「ユリアン先生!?」
ユリアンは手で目元を覆った。
「……すみません」
それでも。
一度こぼれ始めた涙は、なかなか止まらなかった。
エルンも戸惑ったように口を閉じる。
ウラバクはしばらく黙って、その姿を見ていた。
やがて。
机の上の辞表を手に取る。
「ヴェルク教授」
「……はい」
「もう少し考えなさい」
「ですが、学園長」
「私はまだ、これを受理していません」
「……」
「急いで結論を出す必要もないでしょう」
「わたしも嫌です」
突然。
シノが言った。
「シノさん?」
ユリアンが顔を上げる。
「ユリアン先生が辞めるなら」
一度、言葉を探し。
シノははっきりと言った。
「わたし、もう学園に協力しません」
「……シノさん」
今度はウラバクが頭を抱えそうな顔になる。
「それは困りますね」
「でも、わたしは学園の生徒じゃないです」
「ええ」
「歌のことを一緒に調べるようになったのも、エルンとユリアン先生がいたからです」
シノは真っ直ぐユリアンを見る。
「今回のことでユリアン先生が責任を取って辞めるなら、わたしも今回のことで学園のお手伝いをやめます」
「それは話が――」
「同じです」
ウラバクが沈黙した。
エルンも、少し考え。
「……僕も」
ユリアンを見る。
「教授が辞めれば責任を取ったことになるとは思いません」
「エルン君……」
「まだ怒ってますけど」
「……はい」
「かなり」
「はい……」
ユリアンが困ったように笑った。
ウラバクは小さく息を吐く。
「とにかく」
辞表を机の引き出しへしまった。
「これは預かります。受理はしません」
「学園長」
「数日、考えなさい」
「……分かりました」
ユリアンは静かに頭を下げた。
学園長室を出たあと。
ユリアンは研究室へ戻った。
シノも、その後についていく。
「シノさん」
「はい」
研究室の扉が閉じる。
ユリアンはシノへ向き直ると、深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
「もう」
シノが少し頬を膨らませた。
「また謝ってます」
「ですが――」
「ユリアン先生のせいじゃないです」
「……」
「それとも」
シノがじっとユリアンを見る。
「ユリアン先生が、あの人たちにわたしを襲わせたんですか?」
「まさか」
「だったら、もう謝らないでください」
ユリアンはしばらくシノを見つめた。
やがて、小さく笑う。
「シノさんは時々、とても厳しいですね」
「そうですか?」
「はい」
「?」
「自分を責めることすら、許していただけません」
シノは首を傾げた。
その時。
コン、コン。
研究室の扉が叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのは、数名の王国騎士だった。
ユリアンの表情が変わる。
「ヴェルク教授ですね」
「はい」
「昨日発生した、シノ・ルミナリア殿襲撃事件について、確認したい事項がございます」
「……」
「騎士団詰め所まで、ご同行願えますでしょうか」
「ユリアン先生……?」
シノが不安そうに見上げる。
騎士はすぐに補足した。
「ご安心ください。拘束ではありません。事情聴取です」
「分かりました」
ユリアンは立ち上がる。
抵抗する様子はなかった。
「シノさん」
「はい」
「大丈夫ですよ」
「……はい」
ユリアンは騎士たちと共に研究室を出ていった。
閉じた扉を。
シノはしばらく見つめていた。
ほどなくして。
「連れていかれた?」
エルンが研究室へ入ってきた。
その後ろにはライアスの姿もある。
「うん……」
三人は研究室に残った。
「ユリアン先生、大丈夫かな」
シノが不安そうに言う。
「正式な事情聴取です。必要以上に心配することはないでしょう」
ライアスが答える。
エルンがちらりと見る。
「教授が犯人だと決まったわけではありません。騎士団も、その前提で聴取するはずです」
「……」
「ただ、魔道具の件は確認されるでしょうね」
「やっぱり変だったんですか?」
「高価な品だと聞いていたものが、実際には安価な品だった。それは事実です」
「……」
「ですが、それだけで教授が襲撃に関わっていると判断することは出来ません」
エルンが妙な顔をした。
「エルン殿は、学園内で何か気になる話を聞いてはいませんか?」
「……」
「エルン殿?」
ついに。
エルンが口を開いた。
「さっきから、なんなんですか」
「何がです?」
「その喋り方です」
「……?」
「なんか気持ち悪いです」
「気持ち悪いとは失礼ですね」
「それです!」
エルンが指を差した。
「昨日までそんな喋り方してなかったじゃないですか!」
シノが横で笑い始める。
「シノ」
「なに?」
「ライアスさん、どうしたの?」
「パラディンになったから」
「……」
エルンが止まった。
「何になったって?」
「パラディン」
「……あのおとぎ話の?」
「うん」
ゆっくり。
ライアスを見る。
「ライアスさんが?」
「はい」
「……本物の?」
「そうですね」
「……二百年ぶりの?」
「そう聞いています」
「えええええええっ!?」
研究室に絶叫が響いた。
「なんで!?」
「昨日、グンソウがパラディンにしたんだよ」
シノが説明する。
「また神獣!?」
「聖剣ももらったよ」
ライアスが腰の《ディグニティ》を見せる。
エルンが固まった。
「……初めて見た、聖剣」
「ですから、今後は聖騎士として相応しい――」
「やっぱり気持ち悪いです」
「おい!」
「あ」
シノが笑う。
「戻った」
「そっちの方がいいですよ!」
「俺、昨日覚悟決めたばっかなんだぞ!」
シノがくすくす笑いながら言う。
「ライアスさん」
「なんだ?」
「エルンの前でも、いつも通りでいいんじゃない?」
「いいのか?」
「うん。エルンも友達だし」
「なんでシノが決めるんだよ」
エルンが突っ込む。
ライアスは少し考え。
「……まあ、そうだな」
そして。
にやりと笑った。
「んじゃ、エルちんも特別枠な」
「なんでそこまで戻るんですか!」
「嫌なのか、エルちん?」
「嫌です!」
「じゃあエルン殿」
「違和感ー!!」
「面倒くせえな!」
シノが笑った。
しばらく。
三人はまた、ユリアンのことを話した。
「ユリアン先生が、そんなことするとは思えない」
シノはそう言った。
「でも、教授の依頼がなかったら、シノはあの道を通ってない」
エルンは言う。
「魔道具が安物だったのも事実だ」
ライアスも腕を組む。
「じゃあ、やっぱり――」
「いや」
ライアスが首を振った。
「分からねえもんを、想像だけで犯人にするのは違う」
「……」
「調べるのは騎士団の仕事だ。俺たちがここで考えても、今ある材料じゃ答えは出ねえよ」
結局。
三人がどれだけ考えても。
答えは出なかった。
夕方。
エルンと別れたシノは、ライアスと共にレスト邸へ戻った。
邸宅が見えてきたところで。
ライアスの足が止まる。
「嬢ちゃん」
「なに?」
「俺の後ろにいろ」




