パラディンの処遇
聖剣に刻まれた三神の紋章が、誓いに応えるように眩い光を放った。
誰も、すぐには声を発さなかった。
光はゆっくりと収まり、やがて聖剣は元の静かな輝きを取り戻す。
その様子を見届けたマルナが、ほっと息を吐いた。
「さあ。これで儀式は終わりです」
ライアス――いや、今やパラディンとなった男へ微笑みかける。
「私の役目も、ここまでですね。あとは陛下とライラメス司祭にお任せいたします」
「はい」
ライラメスも頷いた。
「皆様、夜も更けてまいりました。僅かばかりではございますが、食事を用意しております。よろしければ、そちらで続きを」
張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ緩んだ。
神殿内の小さな会食室。
僅かばかり。
そう聞いていたはずなのだが。
「……これで僅かなんですか?」
ライアスの前には、温かなスープに肉料理、焼きたてのパン、野菜料理まで並んでいた。
「神前謁見にお越しいただいた陛下へ、粗末なものはお出しできませんので」
ライラメスが当然のように答える。
「神殿って意外と食うんだな……」
「ライアス」
低い声が飛んできた。
振り向くと。
アウダイールが立っていた。
「なんす――」
どんっ。
「痛っ!」
いきなり肩を殴られた。
「何すんですか、戦士長!」
「お前……!」
もう一発。
どんっ。
「だから痛ぇって!」
「よくやった!」
「……え?」
アウダイールの目が赤かった。
いつもなら兵士の前では決して感情を見せない男が。
「まさか……パラディンに」
どんっ。
「いてぇ!」
「そして……」
どんっ。
「二百年ぶりのパラディンだぞ、お前は!」
「分かったから肩殴りながら泣くのやめてくれません!?」
「泣いてなどおらん!」
「泣いてるだろ!」
「うるさい!」
また肩を殴られる。
シノがくすくす笑った。
レスト侯も、珍しく口元を緩めている。
やがてアウダイールは乱暴に目元を拭い、自分の席へ戻った。
アイザックもその様子を見届けてから、話を切り替えた。
「さて」
王の声に、自然と全員の視線が集まる。
「まず、パラディンの今後について決めておかねばならぬ」
ライアスが少しだけ姿勢を正した。
「先ほど話した通り、パラディンは王国軍の騎士ではない。三神教に属する聖騎士だ」
「はい」
「従って、王国軍からは離れてもらう」
アウダイールが僅かに顔をしかめた。
理屈では分かっていても。
やはり、惜しいのだろう。
「そして」
アイザックはシノを見る。
「これまで其方が務めていたシノの護衛も、今一度選別すして――」
「それは困ります」
ライアスが即答した。
アイザックが眉を上げる。
「困る?」
「俺、あの嬢ちゃんの護衛を辞めたくないです」
「ライアス」
アウダイールの低い声。
「あ」
ライアスは咳払いする。
「……シノ殿の護衛を、辞したくありません」
シノが目をぱちぱちさせた。
「俺が自分で志願した仕事です。それに」
ライアスは少しだけ笑う。
「守るって決めましたから」
アイザックは答えず、ライラメスを見る。
だが。
ライラメスの返答は早かった。
「続けなさい」
「え?」
「これほど神獣様方と深い縁を持つシノ殿です」
ライラメスは静かに言う。
「そして、そのシノ殿の傍らにいたあなたが、《アルテマ》よりパラディンとして選ばれた」
「……」
「その縁を、人の都合で断つ必要がどこにありましょう」
ライラメスの脳裏に。
あの神獣の言葉が蘇る。
――いま、この時。
――奇跡と縁を持った人間がいることを、三神に感謝するザマス。
――そのための神殿と教会ザマス。
だが。
ライラメスは、それを口にはしなかった。
「何一つ問題ございません」
「そうか」
アイザックが頷く。
「では、護衛は継続としよう」
「ありがとうございます」
「ただし問題が一つある」
「まだあるんですか?」
「王国軍を離れる以上、これまでのように軍から給金を出すことはできぬ」
「……あ」
ライアスの顔が固まった。
「俺、無職?」
「パラディンを無職と言うな!」
アウダイールが即座に怒鳴った。
「三神教の聖騎士です」
ライラメスまで真顔で訂正する。
「いや、分かってますけど生活がですね……」
「ならば」
アイザックがあっさり言った。
「これまで其方へ支払っていた分を、そのまま神殿への布施として納めよう」
ライラメスが首を振る。
「陛下。それには及びません」
「む?」
「パラディン一人の活動を支える程度であれば、神殿の財政で十分に賄えます。王家にご負担いただく必要はございません」
「そうか」
アイザックは一度頷いた。
そして。
「だが、これは王命ではない」
「……はい?」
「私の弟子を守るのだ」
シノが顔を上げた。
「弟子?」
「教師としての我儘くらい聞け、ライラメス」
「陛下……」
「これまでと同額を布施として納める。それをパラディンの活動費に充てればよい」
「しかし――」
「余の布施を断るのか?」
「……」
ライラメスが深いため息をついた。
「その仰り方は卑怯でございます」
「王だからな」
レストが小さく笑った。
シノはまだ別のところが気になっていた。
「アイク先生」
「なんだ?」
「わたし、弟子だったんですか?」
「《導縁》を結んだだろう」
「そういう意味だったんですか?」
「少なくとも、私はそのつもりだ」
「へえ……」
「嬢ちゃん」
ライアスが呆れた顔をする。
「お前、国王陛下の弟子だったのかよ」
「そうみたい。先生にはお祈りを教えてもらってるから」
「どういう関係なんだ……」
アイザックが笑う。
そして。
「そうだ、パラディン」
「はい?」
「其方の任命式には余も出席するぞ」
「……任命式まであるんですか」
「当然だ。二百年ぶりだからな」
「うわぁ……」
思わず顔をしかめる。
「新米パラディンよ」
アイザックは苦笑した。
「その口調を改めよ」
「……やっぱり、不敬ですか?」
「いや」
アイザックは首を振った。
「余は別に不快ではない」
その顔から。
ゆっくり笑みが消える。
「だが、其方はこれから歴史に名を残す存在だ」
「……」
「子供たちが其方の物語を読むだろう。騎士が其方を目標とし、神官たちが其方の言葉を記録する」
「そこまで……ですか」
「そこまでだ」
アイザックは真っ直ぐにライアスを見る。
「だから、言葉も振る舞いも覚えよ」
「……」
「余に対する礼儀のためではない」
一拍。
「これから、其方を見上げる者たちのためだ」
ライアスは黙った。
脳裏に。
豪快に笑う神獣の姿が浮かぶ。
――あと、その悪い口を直せ。
――シノの前では許す。
――さしずめ、お前が次のおとぎ話になるんだからな。
「……それ」
「ん?」
「グンソウにも言われました」
「ほう」
「俺が次のおとぎ話になるって」
アイザックが笑った。
「では、神獣と国王、二人から言われたわけだ」
「逃げ道ないじゃないですか」
「ないな」
「……」
ライアスはしばらく黙っていた。
そして。
大きく息を吐く。
椅子に深く座っていた身体を起こし。
背筋を伸ばした。
「承知いたしました」
今までと。
声が違った。
「覚悟を決めます」
アイザックは満足そうに頷いた。
「うむ」
その時から。
王が彼をライアスと呼ぶことはなくなった。
「では、パラディン」
「はい、陛下」
「祝いの話はここまでだ」
空気が変わった。
「襲撃者について聞かせよ」
「はい」
ライアスも表情を引き締める。
「十数名いました。雑兵というわけではありませんが、特に最後に残った四人は相当な手練れです」
アウダイールが問う。
「装備は?」
「統一されていません。ただ」
ライアスは記憶を辿る。
「マニール人じゃない奴が混じっていました」
レストの目が細くなる。
「根拠は?」
「訛りです」
「訛り?」
「『その子を渡せ』と言った男。マニール語は上手かった。でも発音が違った」
アイザックの表情が険しくなる。
「国外の者か」
「可能性はあります」
「目的は殺害ではなく、誘拐と見てよいのですね」
ライラメスが尋ねる。
「はい」
ライアスは即答した。
「俺を殺そうとはしていましたけど、嬢ちゃんには一度も致命傷を狙ってません。明らかに連れていくつもりでした」
「もう一つ」
ライアスが続ける。
「俺たちが襲われた場所にいた理由です」
シノが「あ」と声を漏らした。
「学園の教授に頼まれて、魔道具を取りに行ったんです」
「魔道具?」
「はい。そこそこ値の張る品だから、護衛付きのシノに頼みたいと」
「ですが」
ライアスが眉を寄せる。
「店で受け取った品。どう見ても安物でした」
レストの表情が変わった。
「誰に頼まれた」
シノが答える。
「ユリアン先生です」
沈黙。
だが。
アイザックはすぐには結論を出さなかった。
「偶然である可能性もある」
「はい」
「ゆえに、決めつけるな」
アウダイールを見る。
「店を調べよ。依頼の経路、魔道具の価値、受け取りの日時を誰が知っていたか。全てだ」
「はっ」
「そして、パラディン」
「はい」
「本来であれば、シノの護衛を増やしたい」
「……はい」
「だが」
アイザックはテーブルに指を置く。
「今、目に見えて護衛を増やせば、こちらが襲撃を重く見ていることを敵へ知らせることになる」
アウダイールも頷く。
「内側に敵がいる可能性まで考えれば、警戒を悟らせない方がよいでしょう」
「うむ」
アイザックはパラディンを見る。
「しばらくの間」
一拍。
「其方一人で持ち堪えてくれまいか」
以前なら。
王国騎士への命令だった。
今は違う。
三神教の聖騎士に対する、王からの依頼。
アイザックはライラメスを見る。
「よいか?」
「何一つ問題ございません」
ライラメスは迷わず答えた。
「パラディンがシノ殿の傍らに立つことを、神殿が妨げる理由はございません」
「ならば」
アイザックが再びパラディンへ視線を戻す。
「頼めるか?」
「承知いたしました、陛下」
今度は。
誰にも口調を注意されなかった。
アウダイールが、ほんの少し誇らしそうに笑った。
その時だった。
廊下を駆ける足音。
直後。
「失礼いたします!」
扉が開いた。
王国騎士が息を切らして立っている。
「報告!」
アウダイールが即座に立ち上がった。
「何事だ」
「先ほど捕縛した襲撃者についてです!」
「申せ」
騎士は一瞬。
言葉を詰まらせた。
「捕らえていた者が――」
室内を見渡す。
「全員、自害しました」
空気が凍った。
「……全員だと?」
アイザックの声が低くなる。
「はい」
「何人いた」
「生存した状態で拘束した者、全員です」
「毒か?」
アウダイールが問う。
「現在確認中でございます。ただし、拘束時には身体検査を行っており、明確な毒物は発見されておりません」
「では、どうやって死んだ」
「……現時点では、分かりません」
レストが静かに呟く。
「口封じ」
ライラメスも顔を険しくする。
「本人たちの意思によるものとは限りませんね」
「最初から」
パラディンが言った。
「捕まることまで想定してたってことですか」
「その可能性が高い」
アウダイールが答える。
アイザックは即座に指示を出した。
「遺体は軍だけで調べるな。中央神殿からも人を出せ」
「はい」
「毒、呪術、契約魔法。考えられるものは全て調べよ」
「はっ!」
「襲撃についても、当面は外へ漏らすな」
「承知いたしました」
騎士が退出する。
扉が閉じたあとも。
誰もしばらく口を開かなかった。
やがて。
アイザックが立ち上がった。
「今夜はここまでとしよう」
皆も席を立つ。
そして。
アイザックは一人の男を見る。
「パラディン」
「はい、陛下」
「最初の依頼だ」
パラディンは、真っ直ぐ王を見る。
「レスト邸の者たちを」
アイザックはシノ、マルナ、レストへ視線を向けた。
「無事に邸まで送り届けよ」
一瞬。
ライアスの顔に、いつもの笑みが戻った。
だが。
言葉は崩さなかった。
「承知いたしました」
聖剣へ手を添える。
「必ず、お送りいたします」
アイザックは満足そうに頷いた。
「頼んだぞ」
そして。
新たな名で呼ぶ。
「パラディン」




