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養母の遺したパラディン

「神官……」


「エンフィレル殿」


「はい」


「正式な神官教育を受けられたことは、さすがにございませんよね」


 ライアスは少し考えた。


「……ない、と思います」


「思います?」


「教会の孤児院育ちだったんで、祈りとか神殿法とか、色々やらされてはいましたけど……俺、騎士になるつもりでしたから」


「……困りましたね」


 ライラメスが眉を寄せる。


「神託も、聖剣も、紋章も揃っている。しかし神官資格がないとなると――」


「お待ちください」


 マルナが声を上げた。


 皆が振り返る。


「ライアスさんの家名は《エンフィレル》」


「はい」


「それは、あなたを育てたシスターの家名ですね」


「そうです。俺は養子なので」


「養子……」


 ライラメスが顔を上げる。


 マルナが続けた。


「ナディア・エンフィレルは、私の後輩神官でした」


「正式な養子縁組ならば、神殿籍にも記録が残っている可能性があります」


「法務官!」


 ライラメスの声が飛ぶ。


「王国戸籍と神殿籍、両方を確認してください!」


「ただちに!」


 神官が走る。


 しばらくして。


 静かな神殿の廊下に、慌ただしい足音が響いた。


「ございました!」


 法務官が書類を抱えて神前へ入ってくる。


「王国戸籍、神殿籍、共に記録が残っております」


「読み上げてください」


「はい」


 法務官は書類を開いた。


「ライアス・エンフィレル」


「はい」


「養母、ナディア・エンフィレル」


 ライアスの目が僅かに揺れる。


「これはっ――」


 法務官が一瞬、目を見開いた。


「初等神官課程……修了」


「……は?」


 ライアスの声が神殿に響いた。


「ちょっと待ってくれ」


 法務官を見る。


「俺、神官になった覚えねえぞ」


「記録上は間違いございません」


「いやいや……」


「幼少期より三神教義、神殿法、祈祷作法、初等典礼を履修。最終試験にも合格しております」


「最終……試験……?」


 その言葉で。


 ライアスの顔から表情が消えた。


 遠い記憶。


 ――今日は試験だからね!


 ――またぁ?


 ――文句言わずやりな!


 読み書きの試験だと思っていた。


 孤児院で暮らすために必要な勉強だと思っていた。


 神殿法。


 教義。


 祈り。


 祭礼。


 やたらと細かく覚えさせられた。


 そして。


 試験に受かったと言うたび。


 ナディアは。


 ほんの少しだけ嬉しそうに笑っていた。


「……まさか」


 ライアスが呟く。


 マルナも。


 同じところへ辿り着いていた。


「ナディア……」


 その目が潤む。


「あなた、知っていたのね」


「……何を?」


 ライアスが振り返る。


 マルナは、ゆっくりと彼を見る。


「パラディンは、神官でなければなれない」


「……」


「ナディアは神官でした」


 マルナの声が静かに響く。


「パラディンの物語が、ただのおとぎ話ではないことも」


「……」


「かつて、本当に存在した聖騎士であることも」


「……」


「そして、その資格を得るには神官でなければならないことも」


 ライアスの唇が震えた。


「知っていたはずです」


「……嘘だろ」


 小さな声。


「だから」


 マルナは続けた。


「あなたに神官教育を受けさせた」


 ライアスの呼吸が止まった。


「あなたが、いつか本当にパラディンを目指せるように」


「……」


「道を残しておいたのです」


 ライアスは動かなかった。


 ただ。


 過去の声が。


 次々と蘇る。


 ――あたしゃパラディンの話が好きだねぇ


 ――俺もパラディンになる!


 ――バカだねえ。ありゃおとぎ話だよ。


 ――それでもなる!


 そして。


 騎士選抜試験に受かった日。


 病床のナディア。


 ――バカだねえ……。


 ――でもまあ。


 ――お前なら、なれるかもしれないね。


「……あのババア」


 ライアスの声が震えた。


 ぽたり。


 石床へ。


 涙が落ちた。


「おとぎ話だって……」


 もう一滴。


「ずっと言ってたくせに……」


 視界が滲む。


「知ってたのかよ……」


 誰も何も言わなかった。


 アウダイールも。


 レストも。


 アイザックさえ。


 ただ黙って、ライアスを見ていた。


「俺が……」


 ライアスは両手で顔を覆った。


「ガキの頃に言ったこと……」


 声が詰まる。


「本気にしてたのかよ……」


 あの日。


 名前をくれた。


 エンフィレルという姓をくれた。


 それだけではなかった。


 ずっと前から。


 ナディアは。


 もし本当に、その日が来たなら。


 ライアスが自分の夢を諦めなくていいように。


 道を作っていた。


「……くそ」


 涙を拭う。


 それでも止まらない。


「勝手なことしやがって……」


 泣きながら。


 少しだけ笑った。


「最後まで……何も言わねえで……」


 マルナが、静かに胸へ三本の線を引いた。


「ナディアらしいですね」


「……ほんと」


 ライアスも笑った。


「口悪くて……勝手で……」


 息を吸う。


「最高の母親だよ」


 しばらくして。


 ライアスは顔を上げた。


 まだ目は赤い。


 だが。


 もう迷いはなかった。


 アイザックが法務官の書類へ目を落とす。


「これで」


 静かに告げる。


「何の問題もない」


「はい、陛下」


 ライラメスが深く頭を下げた。


 そして。


 三神像の前へ進み出る。


「改めて、ご報告申し上げます」


 神殿から。


 すべての音が消えたようだった。


「本日」


 ライラメスの声が響く。


「三神の御導きのもとマニール王国において」


 ライアスを見る。


「二百年ぶりとなる――」


 一拍。


「聖騎士《パラディン》が誕生いたしました」


 アウダイールが、誇らしそうに目を細める。


 レストも静かに頷いた。


 シノは。


 ただ嬉しそうに、ライアスを見ていた。


「では」


 アイザックが言った。


「余からも」


 ゆっくりと。


 ライアスの前へ歩いていく。


「陛下?」


 そして。


 アイザック・キア・マニールは。


 ライアスの前で膝をついた。


「……!」


 ライアスが目を見開く。


 アイザックは胸へ三本の線を引く。


「アイザック・キア・マニールは」


 王として。


 静かに告げた。


「マニール王国国王として、新たなるパラディン、ライアス・エンフィレルを歓迎する」


 そして。


 三神像へ頭を垂れる。


「その誕生を、三神へ深く感謝いたします」


「……」


 ライアスは完全に固まっていた。


 アイザックが顔を上げる。


「パラディン?」


「……えっと」


 アウダイールが嫌な顔をする。


「俺、どうすりゃいいんです?」


「まず」


 アウダイールが即座に言った。


「その口調を直せ」


 ライアスは一拍。


「……それも今日二回目です」


 シノが吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。


 厳粛だった空気が。


 ほんの少しだけ緩む。


「ライアスさん」


 マルナが声をかけた。


「はい」


 その表情を見て。


 ライアスが「あ」と声を漏らす。


「覚えていますね?」


「……やっぱり、あれ、このためだったんですか」


「ええ」


 レスト邸を出る前。


 マルナは、たった一つだけ。


 ライアスに言葉を覚えさせていた。


 理由は教えず。


 ただ。


 もし必要になった時は、堂々と言ってください、と。


「さあ」


 マルナが一歩下がる。


「パラディン」


 静かに促す。


「誓いを」


「……はい」


 ライアスは目を閉じた。


 ナディアの声が。


 もう一度だけ聞こえた気がした。


 ――お前なら、なれるかもしれないね。


 ゆっくり目を開く。


 聖剣《ディグニティ》を両手で掲げた。


 その姿に。


 先ほどまで泣いていた男の面影はない。


 三神像を正面に見据える。


 王の前でも。


 司祭の前でも。


 誰の前でもなく。


 かつて自分を信じ。


 この場所へ続く道を残してくれた人へ届くように。


 堂々と。


 胸を張って。


 ライアス・エンフィレルは告げた。


「この剣は――」


 声が神殿に響く。


「三神と」


 一瞬。


 シノへ視線を向ける。


 そして。


 迷いなく前を見る。


「蒼生のために振るわれる」


 その瞬間。


 聖剣《ディグニティ》に刻まれた三神の紋章が。


 誓いに応えるように。


 眩い光を放った。

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