名誉司祭最初の役目
王都レスト邸。
「ライアス殿!?」
門をくぐった瞬間、出迎えた使用人の顔色が変わった。
無理もない。
シノの隣を歩くライアスは、見るも無残な有様だった。
上着は裂け、鎧の一部は黒く焦げている。
大きな切り傷こそ少ないものの、高位魔導をまともに受けた身体は、全身を打ち据えられたように傷んでいた。
「大丈夫です!」
シノが慌てて言う。
「たぶん!」
「嬢ちゃん……それ、全然安心できねえ言い方だから……」
ライアスが力なく笑う。
「すぐに侯爵様を!」
屋敷の中が一気に慌ただしくなった。
「シノ!」
「院長先生!」
真っ先に駆けてきたのはマルナだった。
その後ろから、レスト侯も足早に現れる。
「何があった!」
「侯爵閣下。護衛任務中に――」
「話は後だ。まず横になれ」
「……助かります」
さすがに限界だったらしい。
応接間へ入ると、ライアスはソファーに寝かされた。
マルナがすぐに傷の状態を確かめる。
「これは……」
「見た目ほど斬られてはいませんよ、余裕っす」
「だからといって、安心できる状態ではありません」
「はい……」
いつもの軽口も、今のマルナには通じなかった。
使用人たちが水や包帯、薬を運び込む。
応急処置を受けながら、ライアスとシノは起きたことを順番に説明していった。
学園から頼まれ、魔道具を受け取りに出たこと。
帰り道で十数人ほどの男たちに囲まれたこと。
そして。
「その者たちは、何と言った?」
レストの声が低くなる。
「『その子を渡せ』と」
室内の空気が変わった。
「シノ殿を?」
「はい」
「間違いないのだな」
「間違いありません。それと……」
ライアスが記憶を辿るように眉を寄せた。
「マニール語ではありましたが、訛りがありました」
「どこの訛りか分かるか?」
「そこまでは。ただ、王都のものじゃない。王国内でも、あまり聞かない訛りでした」
レストの表情が険しくなる。
「誰か」
控えていた使用人の一人が進み出た。
「騎士詰所へ走れ。襲撃現場を封鎖させろ。倒れている者は全員拘束。身元を徹底的に洗わせる。一人も逃がすな」
「承知いたしました!」
「アウダイール戦士長にも、ただちに報告が上がるように」
「はい!」
使用人が足早に部屋を出ていった。
マルナはそのやり取りを聞きながらも、ライアスの手当てを続けていた。
「こんなになるまで……」
「まあ、護衛なんで」
「護衛だからといって、死んでもよい理由にはなりません」
ぴたり。
ライアスが黙った。
「……今日、それ言われるの二人目だな」
「二人目?」
「いや。こっちの話です」
苦笑する。
マルナは呆れたように息を吐いた。
「まったく……」
傷へ薬を塗りながら、ふとライアスを見る。
「以前から気になっていたのですが」
「はい?」
「ライアスさんは、神殿か教会で育たれましたか?」
ライアスが目を丸くした。
「なんで分かったんです?」
「祈り方です」
「ああ……」
「それに、神殿法にも随分お詳しかったでしょう」
ライアスは少しだけ笑った。
「教会の孤児院育ちなんですよ、俺」
「まあ」
「物心ついた頃には、もうそこにいました。祈りなんか毎日やらされてたんで、身体が覚えてます」
「どちらの教会です?」
ライアスが教会の名を告げる。
マルナの手が止まった。
「……もしかして」
「?」
「あなたを育てた方は、ナディアという名ではありませんでしたか?」
今度はライアスが完全に動きを止めた。
「……知ってるんですか?」
「ナディア・エンフィレル」
「はい」
マルナが、ゆっくりと頷いた。
「やはり、そうでしたか」
「エンフィレルって家名で?」
「ええ。以前から、もしやとは思っていました」
マルナの表情が懐かしむようにやわらぐ。
「ナディアは、私の後輩です」
「……マジですか」
「口の悪い子でした」
ライアスが思わず吹き出す。
「やっぱり昔からだったんだ」
「ええ。とても」
マルナも小さく笑った。
「ですが、誰よりも子供たちを大切にする人でした」
ライアスの笑みが静かなものへ変わる。
「……知ってます」
少しだけ間が空いた。
マルナが尋ねる。
「あの子は、今は?」
ライアスは目を伏せた。
「……亡くなりました」
マルナの表情が止まる。
「俺が騎士の選抜試験に受かった日です」
「……」
「合格したって知らせに行って。その日の夜に」
少しだけ笑う。
「最後まで、口悪かったですよ」
「……そう、ですか」
マルナはしばらく何も言わなかった。
やがて立ち上がる。
胸元へ指を当て。
三本の線を引く。
そして、その場へ静かに膝をついた。
「ああ……ナディア」
目を閉じる。
亡き後輩へ。
三神への祈りを捧げる。
ライアスも黙って、その姿を見つめていた。
短い祈りを終え。
マルナが顔を上げる。
そのとき。
「……?」
視線が止まった。
ライアスの傍ら。
長椅子へ立てかけられている、一振りの剣。
「ライアスさん」
「はい?」
「その剣は……?」
「ああ」
ライアスも剣へ目を向けた。
「そういや、こっちの話がまだでしたね」
「グンソウからもらった剣だよ」
シノが先に答えた。
「……グンソウ?」
「神獣って言ってたよ、人のカタチしてたけど」
マルナの目が大きくなる。
「神獣様が?」
「うん!」
「少々お待ちください。順番にお願いします」
マルナに促され。
二人は、襲撃の最後に起きた出来事を話し始めた。
追い詰められたライアスを前に、シノが異界の応援歌を歌ったこと。
大量のマナが流れ込んだこと。
そこから、人の姿をした神獣が顕現したこと。
その神獣が《アルテマ》という種族であること。
三神より武の力を預かり、それを束ねる神獣だと語ったこと。
そして。
「名前がなかったから、私がグンソウってつけた」
「……なるほど」
マルナが頷く。
「それで、その神獣様からこの剣を?」
「はい」
ライアスが剣を手に取る。
「聖剣って言ってました」
「……ディグニティ」
マルナの眉が僅かに動いた。
「それから、俺に何か誓えって」
「誓い?」
「常に弱き者の力となれ。三神の教えに忠実であれ」
ライアスは頭を掻いた。
「それを神託とする、と」
「……」
マルナが黙った。
その顔を見たレスト侯が、すっとライナーへ視線を向ける。
「ライナー」
「はい」
「あれを」
「ただいま」
「……あれ?」
ライアスが首を傾げた。
「たぶん大全」
シノが答える。
「大全?」
「院長先生、神獣出ると、すぐ大全見るから」
「シノ」
「ほんとのことだもん」
「……まあ、否定はできませんが」
レスト侯が僅かに口元を緩めた。
ほどなくして。
ライナーが両腕に分厚い本を抱えて戻ってきた。
神獣大全。
そしてレスト邸所蔵の神殿史大全。
「本当に来た……」
ライアスが呟く。
マルナはまず神獣大全を開いた。
「アルテマ……」
慣れた手つきで頁をめくる。
そして。
「ありました」
シノが横から覗き込んだ。
「グンソウ?」
「いいえ。こちらに記されているのは、《アルテマ》という神獣種についてです」
古い記録。
三神から武の力を預かり、それを束ねる神獣。
確かに、二人が聞いた話と一致している。
「やはり……」
マルナは続いて神殿史大全へ手を伸ばした。
今度は《ディグニティ》の名を追う。
何頁かめくり。
やがて。
その手が止まった。
「……」
マルナの目が、そこに記された文章を追う。
一度。
そして。
もう一度。
最初から読み返す。
「院長先生?」
シノが呼ぶ。
答えない。
「マルナ殿?」
レストも声をかける。
そこでようやく。
マルナは顔を上げた。
「……侯爵様」
「何か分かったか?」
「はい」
レスト侯が続きを待つ。
だが。
マルナは静かに大全を閉じた。
「ですが」
「?」
「ここで、私の判断だけで申し上げるべきことではございません」
ライアスが眉を寄せる。
「なんか、嫌な言い方だな……」
「悪い意味ではありません」
「そうなんです?」
「ええ」
マルナは聖剣を見る。
「神獣様から授けられた聖剣。そして、三神に関わる神託です」
胸元へ手を添える。
「中央神殿と陛下の御前で、正式に確認するべきことです」
「あ!」
シノが突然声を上げた。
「グンソウが言ってた!」
「何と?」
「『こいつを連れてマルナに会え』って」
マルナが目を瞬く。
「……私に?」
「うん。それでね」
シノがグンソウの口調を真似るように胸を張った。
「『そしたら忙しくなる』って!」
「……」
マルナは数秒、何も言わなかった。
やがて。
「神獣様が……私のところへ」
小さく呟く。
そして。
「……ははぁ」
すっと胸へ三本の線を引き。
深々と頭を下げた。
「承りました。尽力させていただきます」
「グンソウ、もう帰っちゃったよ?」
「構いません」
マルナは顔を上げる。
「神獣様からのお言葉なのでしょう?」
「うん!」
「でしたら、それで十分です」
その表情が変わる。
ルミナリア孤児院の院長ではなく。
中央神殿より位を授かった、名誉司祭の顔へ。
「侯爵様」
「うむ」
「もしかすると」
マルナは閉じた大全へ手を置いた。
「名誉司祭の権限を、早速使うことになるかもしれません」
「何をする?」
「陛下と中央神殿へ、ライアスさんをお連れします」
「……俺?」
ライアスが自分を指差す。
「はい」
「今から?」
「可能な限り早く」
ライアスは自分の姿を見る。
焦げた鎧。
裂けた服。
包帯だらけの身体。
「いや、俺こんなですけど」
「ですから困っているのです」
「はい?」
マルナはレストへ向き直った。
「侯爵様」
「うむ」
「大変心苦しいお願いなのですが」
「申してみよ」
「ハイポーションを一つ、所望してもよろしいでしょうか」
「ハイポーション!?」
ライアスが目を剥いた。
「いやいやいや! そこまでしなくても!」
マルナは首を振る。
「通常の治療で回復することは承知しています」
「だったら――」
「ですが、それでは時間がかかります」
言葉を遮る。
「神獣様より聖剣を授けられ、神託を受けたご本人です。この件は、伝聞だけで済ませてよいものではありません」
聖剣へ目を向けた。
「ご自身の口から、陛下と中央神殿へお話しいただく必要があります」
「……今日中に?」
「できるのであれば」
「本気かよ……」
「本気です」
マルナは真顔だった。
レスト侯は迷わない。
「ライナー」
「はい」
「ハイポーションを一つ」
「ただいま」
「ちょ、ちょっと待ってください侯爵閣下!」
「何だ」
「あれ、滅茶苦茶高いですよね!?」
「そうだな」
「俺、払えませんよ!?」
「請求するとは言っておらん」
「いや、でも……」
「黙って治せ」
「……はい」
ほどなくして。
ライナーが小さな瓶を手に戻ってきた。
マルナが受け取る。
「ライアスさん」
「はい」
「全部飲んでください」
「……はい」
恐る恐る口をつける。
一息で飲み干した瞬間。
「……お?」
淡い光が身体を包んだ。
熱が巡る。
全身を締めつけていた痛みが急速に引いていく。
火傷。
打撲。
身体の奥へ残っていた魔導の衝撃。
それらが、みるみるうちに癒えていった。
「……すげえ」
ライアスが腕を動かす。
「痛くねえ」
「よかったぁ……」
シノがようやく安心したように息を吐く。
「嬢ちゃん」
「なに?」
「泣いてた?」
「泣いてない!」
「目ぇ赤いぞ」
「泣いてないもん!」
「はいはい」
「はいは一回!」
ライアスの動きが止まった。
「……」
「ライアスさん?」
「いや」
少しだけ笑う。
「昔、同じこと言う奴がいたなって」
「?」
「なんでもねえよ」
マルナは、そんな二人を見て僅かに微笑んだ。
だが。
すぐにレストへ向き直る。
「侯爵様」
「うむ」
「王宮と中央神殿へ、至急ご連絡をお願いいたします」
「襲撃事件についても、当然報告が必要だな」
「はい。それと」
マルナは聖剣へ視線を落とす。
「こちらの件についても」
「何と伝える?」
マルナは少し考え。
静かに答えた。
「《アルテマ》の神獣より、王国騎士ライアス・エンフィレルへ聖剣と神託が授けられた、と」
「それだけでよいのか?」
「はい」
マルナは閉じた大全へ視線を向ける。
「その先は、陛下と中央神殿の御前でお話しいたします」
シノが不安そうにマルナを見る。
「院長先生」
「はい」
「大変なこと?」
マルナはシノへ向き直った。
そして。
やさしく笑う。
「ええ」
「……」
「でも、大丈夫ですよ」
聖剣を見つめ。
少しだけ。
声を弾ませた。
「おそらく――とても喜ばしいことですから」




