護衛と学園
翌朝。
朝食を終えたシノが玄関広間へ降りると、すでに一人の男が待っていた。
昨日、国王からの上意を携えてレスト邸を訪れた王国騎士。
昨年の王国剣技大会覇者。
そして今日から、正式にシノの護衛となった男。
ライアス・エンフィレルだった。
「おはようございます、シノ様」
「おはよう、ライアスさん」
ライアスは胸元へ手を添え、丁寧に一礼した。
「本日は学園へ向かわれると伺っております。お供いたします」
「はい。よろしくお願いします」
「馬車を用意させますか?」
「ううん。歩いて行けるから大丈夫」
「承知いたしました」
昨日と同じだった。
姿勢もいい。
言葉遣いも丁寧。
どこからどう見ても、立派な王国騎士だった。
「シノ殿」
見送りに出てきたレスト侯が声をかける。
「本日はライアス殿と行くのだな」
「はい!」
「ライアス殿。よろしく頼む」
「お任せください。閣下」
ライアスは深く頭を下げた。
「シノ様には、傷一つ負わせません」
「うむ」
レスト侯も満足そうに頷く。
やっぱりすごい人なんだ。
昨日聞いた話では、王国中の剣士が集まる大会で一番になったらしい。
そのうえ、礼儀正しくて、頼もしい。
「じゃあ、行ってきます!」
「お気をつけて」
ライナーたちに見送られ、シノとライアスはレスト邸を出た。
大きな門を抜ける。
しばらく歩く。
屋敷が少し遠くなったところで――。
「いやー、今日もいい天気だな、嬢ちゃん」
「……」
シノの足が止まった。
ライアスだけが数歩先へ行く。
「ん?」
振り返った。
「どうした?」
「……いま、嬢ちゃんって言った?」
「言ったけど?」
「さっきまでシノ様だったよ!」
「そりゃ侯爵様んちだからな」
「え?」
「ちゃんとしねえと怒られるだろ?」
「……」
シノはじっとライアスを見る。
「今日もお仕事だよ?」
「お」
ライアスが目を丸くした。
「嬢ちゃん、頭いいな」
「それくらい分かるよ!」
「はははっ!」
豪快に笑いながら歩いていく。
「ほら、行こうぜ。遅刻すんぞ」
「待ってよ!」
シノは慌ててその背中を追いかけた。
昨日の立派な王国騎士は、門を出て少し歩いただけでいなくなってしまった。
◇
「うっわ……!」
王立魔導学園の正門をくぐった途端、ライアスが立ち止まった。
大きく口を開けて校舎を見上げている。
「でっけえなあ!」
「ライアスさん?」
「これが学園かー」
完全に観光客だった。
「初めて来たの?」
「初めて初めて」
きょろきょろと周囲を見回す。
「俺、こういうとこ縁なかったからよ」
「騎士なのに?」
「騎士にも色々いんだよ。俺は剣振る方」
「学園行かなかったの?」
「行ってねえなあ。俺、学がねえから」
「字は?」
「読めるぞ」
「書ける?」
「書けるって」
「本当に?」
「嬢ちゃん、俺をなんだと思ってんの?」
その時だった。
離れた実習場から歌声が響いた。
直後。
赤い火球が宙を走り、標的へぶつかる。
「おおっ!」
ライアスが身を乗り出した。
「なんだ今の!」
「たぶん火唱」
「魔法か?」
「うん」
「すげえな!」
目を輝かせている。
「歌って火ぃ出んのか!」
「そうだよ」
「すげえなあ。学園」
しばらく実習場を眺めていたライアスが、ふとシノを見る。
「嬢ちゃんも、ああいう魔法使いなんかー?」
「うーん……」
シノは困ってしまった。
「たぶん、違うと思う」
「違うの?」
「私、魔力ないから」
「……魔力ないの?」
「うん」
ライアスが実習場とシノを交互に見る。
「じゃあ、なんでここ来てんの?」
「私もよく分からないから」
「何が?」
「歌うとね、不思議なことが起きるの」
「不思議なこと?」
「鳥が出たり」
「鳥?」
「うん。火の鳥」
「……火の鳥?」
「あと、コンちゃんが来たり」
「コンちゃん?」
「狐さん」
「狐?」
「それからバッくんとか」
「待て待て」
ライアスが手を上げた。
「俺、もう分かんねえ」
「私も分かんないよ」
「嬢ちゃんも分かんねえのかよ!」
「だから来てるの!」
シノは学園の校舎を指さした。
「どうしてそうなるのか、先生たちにも分からないんだって。だから調べるのに協力してるの」
「へえー」
ライアスはもう一度、巨大な校舎を見上げた。
「じゃあ、ここで嬢ちゃんの不思議を調べてんのか」
「うん。そんな感じ」
「なるほどなー」
分かったのか分かっていないのか、ライアスは何度も頷いた。
「それにしても、火の鳥か」
「うん」
「すげえじゃん」
「だから、それが何なのか分からないんだってば」
「分かんなくても、すげえもんはすげえだろ」
「そうなのかなあ」
「そういうもんだろ」
シノが首を傾げる。
ライアスも首を傾げた。
たぶん、二人ともよく分かっていなかった。
「シノ!」
「あ、エルン!」
聞き慣れた声がして、シノが手を振った。
こちらへ歩いてきたエルンが、隣にいるライアスへ視線を向ける。
「その人が?」
「うん。昨日から護衛になったライアスさん」
「へえ」
ライアスがエルンを上から下まで見る。
上質な制服。
整った身なり。
その立ち姿。
「よっ、坊ちゃん」
「……坊ちゃん?」
「ライアスさん、エルンだよ」
「おー。エルンな。よろしく」
「エルン・ファルクだ」
「ライアス・エンフィレル。よろしくな、坊ちゃん」
「なぜまた坊ちゃんと言った」
「似合ってるから」
「やめろ」
エルンが眉間に皺を寄せる。
「シノ」
「なに?」
「本当にこの人が、護衛なのか?」
「うん。昨年の王国剣技大会の覇者だって」
「ふふん、その通り」
「……本当に?」
「おいおい」
ライアスが苦笑する。
「二人してひでえな」
エルンはまだ疑わしそうにライアスを見ていた。
無理もない。
シノも今朝まで、もう少し違う人だと思っていた。
◇
「へえー」
研究室へ入ったライアスは、物珍しそうに辺りを見回した。
「ここが研究室か」
壁一面の本棚。
机に積み上げられた資料。
見たこともない魔道具。
ライアスは一つ一つを眺めながら、感心したように頷いている。
「本ばっかだな」
「研究室だからな」
エルンが答える。
「これ全部読むの?」
「必要なら読む」
「うへえ」
ライアスは露骨に嫌そうな顔をした。
「俺には無理だわ」
「読む前から諦めるな」
「向き不向きってあるだろ」
「少しくらい努力しろ」
「坊ちゃん真面目だなー」
「だから坊ちゃんはやめろ!」
ライアスは気にせず研究室を一周する。
そして、ふと立ち止まった。
「で、俺の机は?」
「ない」
「即答かよ」
「なぜあると思った」
「俺、これから嬢ちゃんがここ来るたびについてくんだろ?」
「そうだろうな」
「じゃあ俺の場所いるじゃん」
「そこに来客用の椅子がある」
「机は?」
「いらないだろ」
「冷てえなあ、坊ちゃん」
「坊ちゃんと呼ぶな!」
「随分と賑やかですね」
奥から声がした。
「あ、ユリアン先生」
書類を手にしたユリアンが歩いてくる。
ライアスを見ると、穏やかに微笑んだ。
「学園に通達がありましたよ。その方が、シノさんの護衛に?」
「うん。ライアスさん」
ライアスが軽く姿勢を正した。
「王国騎士のライアス・エンフィレルです」
「ユリアン・ヴェルクです。この研究室を預かっています」
「先生なんすね。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ユリアンは笑顔で応じた。
その横でエルンがまだ不満そうに口を開く。
「それよりシノ。こいつに坊ちゃんと呼ぶのをやめるよう言ってくれ」
「似合ってるよ?」
「シノまで!」
「ほらな?」
「お前は黙れ!」
ユリアンが小さく笑う。
「ですがライアスさん」
「はい?」
「エルン君は二年後にはファルク男爵になる予定ですよ」
「え?」
ライアスがエルンを見る。
「マジ?」
「……その予定だ」
「うわ」
ライアスが一歩下がる。
「不敬罪。こわー」
「まったく怖がってないだろ!」
「ごめんなー、未来の男爵様」
「その言い方もやめろ!」
「じゃあ今はエルちんで」
「どうしてそうなる!」
シノが吹き出した。
ユリアンも口元に手を当てている。
「いやー」
ライアスは来客用の椅子へ腰を下ろした。
「学園って楽しいな」
「あなたはまだ何も学んでないだろ!」
その日。
研究室には、いつもより少し大きな笑い声が響いていた。
◇
翌日。
シノはマルナとともに中央神殿へ向かっていた。
当然、ライアスも同行している。
「今日は神殿かー」
「院長先生がライラメス司祭とお話があるんだって」
「へえ」
ライアスがマルナを見る。
「そういやマルナさん、孤児院の院長なんすよね?」
「ええ」
「何人くらいいるんすか?」
「今は十二人です」
「十二人!」
ライアスが目を丸くした。
「それ全部面倒見てんの?」
「もちろん、私一人ではありませんよ。皆に助けてもらっています」
「いや、それでもすげえな」
「そんな、大したことではありません」
「いやいや」
ライアスは笑っていた。
だが、次の言葉だけは少し違った。
「立派っすよ」
シノがライアスを見る。
いつもの軽い調子ではなかった。
「子供十二人育てんのなんて、俺にはできねえな」
「慣れるものですよ」
「そういうもんすかねえ」
「院長先生、怒ると怖いよ」
「シノ?」
「ほら」
「ははっ、ほんとだ!」
「ライアスさんまで……」
三人は笑いながら王都の通りを歩いていく。
中央神殿へ続く大通りは、今日も多くの人で賑わっていた。
その時だった。
「きゃっ」
一人の男がマルナとぶつかった。
マルナがよろめく。
「院長先生!」
シノがすぐに身体を支えた。
「大丈夫です。ありがとう、シノ」
マルナは服を整えると、男へ頭を下げる。
「申し訳ありません」
だが。
「おい!」
男が振り返った。
「ババア! 気ぃつけやがれ!」
シノの肩がびくりと震えた。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
「あるわけねえだろ!」
男は吐き捨てるように言った。
そしてマルナの服装へ目を向ける。
「あぁ?」
口元を歪めた。
「なんだ。シスターか?」
「……」
「どこの教会だよ。ずいぶんみすぼらしい格好してんな」
「院長先生にそんなこと――」
「シノ」
マルナが静かに制した。
「構いません」
「でも……」
「行きましょう」
マルナは争うつもりなどなかった。
男へもう一度頭を下げ、その場を離れようとする。
「けっ」
背後で男が鼻を鳴らした。
「そうやって善人ぶってりゃ飯が食えるんだから、楽なもんだよな」
マルナの足が止まる。
「貧乏人やガキの面倒見て、いい人ですってか?」
「……」
「偽善者が」
シノが振り返ろうとする。
だが、マルナがその手を握った。
「シノ」
「……院長先生」
「行きますよ」
穏やかな声だった。
シノは悔しそうに唇を結び、それでも頷く。
「……はい」
二人が歩き出そうとした。
その時。
「おい!」
低い声が飛んだ。
シノが振り返る。
そこにいたのは――。
もう、笑っていないライアスだった。




