シノ・ルミナリア
謁見の間に、ようやく本来の静けさが戻った。
アイザック王は玉座へ腰を下ろし、改めてシノを見つめる。
「さて。少々騒がしくなってしまったが――ここからが本来の謁見だ」
「はい」
シノは返事をしてから、ちらりとレスト侯を見る。
今度は間違っていないらしい。
レスト侯が小さく頷いた。
「シノ。いくつか、私から尋ねたいことがある」
「はい」
「そう構えなくてよい。神殿や学園でも、似たようなことは何度も聞かれただろう」
「いっぱい聞かれました」
「だろうな」
アイザックは苦笑した。
「ゆえに、すべてを一から話させるつもりはない。報告書も読んでいる」
その言葉に、シノの肩から少しだけ力が抜けた。
「まず、セレノの湖についてだ」
「はい」
「湖の異変を鎮めた麒麟。君はその神獣を、リンちゃんと呼んでいるそうだな」
「はい。リンちゃんです」
神官たちの列から、わずかに息を呑む音がした。
アイザックは気にする様子もなく続ける。
「麒麟を呼び出そうとして、歌を歌ったわけではない?」
「違います。湖がきれいになればいいなって思って歌ったら、リンちゃんが来てくれました」
「そして、二度目は?」
「リンちゃんに来てほしくて歌いました」
「同じ歌を?」
「はい」
「必ず来ると思っていたのか?」
「いいえ」
シノは首を振る。
「来てくれたらいいなって」
「命令したことは?」
「ないです」
「では、なぜ麒麟は君の願いを聞く?」
「分かりません」
あっさりした答えだった。
「でも、リンちゃんは友達だから」
「友達、か」
「はい」
アイザック王はそれ以上追及しなかった。
悪夢を食らう神獣。
不作の畑へ現れた豊穣の神獣。
そして、学園で確認された異常な歌唱魔導。
いくつかの質問が続いた。
シノは分かることには答え、分からないことには素直に「分かりません」と答えた。
神託を受けたわけではない。
三神から使命を与えられたわけでもない。
自らを使徒だと思ったこともない。
ただ、知っている歌を歌った。
すると、何かが起きた。
それだけだった。
やがてアイザック王は手元の書類を閉じた。
「では、最後に一つだけ聞こう」
「はい」
先ほどまでとは少し違う声音だった。
シノも自然と顔を上げる。
「シノ」
「はい」
「君は、その力を何に使いたい?」
「……力?」
「神獣を呼ぶ歌。そして、学園から報告された君の歌唱魔導だ」
アイザックはまっすぐにシノを見る。
「その力を、これから何のために使いたい?」
謁見の間が静まった。
貴族も。
神官も。
軍人も。
答えを待っている。
シノは少し考えた。
「……困ってる人がいたら」
小さな声だった。
「助けたいです」
「それだけか?」
「はい」
シノは頷いた。
「私、自分がそんなにすごいことしてるって、まだよく分からないです」
正直な言葉だった。
「でも、リンちゃんも、バッくんも、コンちゃんも……私が言うことを何でも聞いてくれるわけじゃないと思います」
「では、なぜ力を貸してくれる?」
「困ってる人がいるから」
シノは少しだけ考え、言葉を続ける。
「神獣って呼ばれてる友達も、誰かを困らせるためじゃなくて、助けるためなら力を貸してくれるんだと思います」
「……なるほど」
「だから、私の歌が何かのきっかけだとして、歌が役に立つなら歌いたいです」
「たとえ、それが大きな力であっても?」
「怖いことに使うのは嫌です」
シノは迷わなかった。
「困ってる人を助けるために使いたいです」
しばらく、アイザックは何も言わなかった。
ただ、玉座からシノを見ていた。
「……ふむ」
やがて、小さく頷く。
「分かった」
その一言で、何かが決まったようだった。
アイザックは視線を横へ移す。
「アウダイール」
「はっ!」
軍人たちの列から、一人の男が進み出た。
戦士長アウダイール。
王国軍の武官を束ねる男が、王座の前へ膝をつく。
「シノに、国から護衛をつける」
シノが目を丸くした。
「護衛?」
「必要だ」
アイザック王は即答する。
「君自身がどう思っていようと、君の持つ力に価値を見出す者は多い。それが善意を持つ者ばかりとは限らん」
その言葉に、レスト侯の表情も引き締まった。
「アウダイール」
「はっ」
「人選は其方に任せる」
「御意」
「ただし、強ければよいというものではない」
アイザックはシノを見る。
「今日の、この子を見ただろう」
「はい」
「この子に合う者を選べ。護衛される本人が息苦しくなるようでは意味がない」
アウダイールが一度シノへ目を向ける。
「承知いたしました。責任をもって選定いたします」
「頼む」
「御意!」
アウダイールが下がる。
続いて、アイザック王の視線がレスト侯へ向いた。
「レスト領主、オルヴァン・レスト侯爵、そして従者であるルミナリア孤児院長前へ」
「はっ」
「はっはい!」
レスト侯とマルナ院長が前へ出る。
「レスト、シノは其方の領の子だな」
「左様にございます」
「これまでの報告も読ませてもらった。王都へ来てからも、其方の屋敷で保護している」
「はい」
「ならば、後見人は其方がよかろう」
レスト侯が一瞬だけ目を見開いた。
すぐに深く頭を下げる。
「謹んで、お受けいたします」
「頼めるか」
「もちろんにございます」
アイザック王は頷いた。
そして、レスト候の隣にいるマルナを見る。
「無論、これは其方からこの子を取り上げるという意味ではない」
マルナが顔を上げる。
「シノを今日まで育てたのは其方だ」
「……はい」
「その事実を、王命ごときで変えるつもりはない」
「陛下……」
「王都や貴族社会との間に立つ者として、レストに役目を負わせる。それだけだ」
マルナは静かに頭を下げた。
「ご配慮、感謝いたします」
シノは二人を交互に見る。
「じゃあ、院長先生は院長先生のまま?」
「当たり前です」
マルナが即答した。
「よかった」
「何を心配しているのですか」
そのやり取りに、アイザック王の口元がわずかに緩んだ。
そして。
「さて――」
声が変わった。
再び、王としての声。
「シノ」
「はい」
「前へ」
シノは一瞬レスト侯を見る。
レスト侯が頷く。
シノは一歩、前へ出た。
「もう少し」
「はい」
さらに一歩。
玉座の正面へ立つ。
謁見の間にいる者たちの視線が、再び一人の少女へ集まった。
「其方には、家名がない」
「はい」
「孤児であるからだな」
「……はい」
シノの返事が少しだけ小さくなる。
アイザックは、そんなシノをしばらく見つめた。
「だが、私は昨日――」
一度言葉を止める。
「いや。一昨日だったな」
「はい。一昨日です」
「そうだった」
アイザックがわずかに笑う。
「一昨日、其方と話して思ったことがある」
「私と?」
「ああ」
玉座からではなく。
中央神殿で出会ったアイクとして。
アイザックは静かに告げた。
「家名とは、ただ血筋を示すためだけのものではない」
シノが顔を上げる。
「どこから来たのか。誰と生きてきたのか。そして、何を背負って生きていくのか。それを示す名であってもよいと、私は思う」
マルナの表情が変わった。
何かを察したようだった。
「シノ」
「はい」
アイザック王が、ゆっくりと言葉を告げる。
「これより其方は――」
謁見の間が静まり返る。
「**シノ・ルミナリア**と名乗ることを許す」
「……え?」
シノは瞬きをした。
「ルミナリア……?」
「ああ」
アイザックは頷く。
「其方が育った孤児院の名だ」
シノの目が大きくなる。
「孤児院の名前を……私の?」
「そうだ」
「私の名前にしていいのですか?」
「よい」
「ずっと?」
「ずっとだ」
シノは言葉を失った。
その後ろで。
マルナが口元を押さえていた。
「其方は、何も持たぬから家名がなかったのではない」
アイザック王の声が、静かな謁見の間に響く。
「其方には、帰る場所がある」
シノの瞳が揺れる。
「そこで受けた愛を忘れるな」
マルナの目から、一筋の涙がこぼれた。
「そして、その場所で育ったことを誇りとして生きよ」
「……はい」
シノの声も、少し震えていた。
「私……シノ・ルミナリア?」
「ああ」
「院長先生と、みんなの名前……」
「そう思いたければ、それでよい」
シノは振り返った。
「院長先生」
マルナは何も言えなかった。
ただ涙を拭いながら、何度も頷く。
「……よかったですね、シノ」
「うん」
シノも笑った。
「私、名前できた」
「ええ」
「育った場所と一緒の名前」
「……ええ」
マルナの声が、今度こそ震えた。
アイザック王は二人をしばらく見守っていた。
そして、静かに手を上げる。
「書記官」
「はっ!」
控えていた書記官が立ち上がる。
「正式に記述せよ」
筆が構えられる。
アイザックは王として、はっきりと告げた。
「本日をもって、シノ・ルミナリアの名を王国に認める」
「御意」
書記官の筆が走る。
シノ。
ただ、それだけだった少女の名に。
その日。
初めて、帰る場所の名が刻まれた。




