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謁見

翌朝。


 レスト侯爵邸には、朝早くから仕立て屋の馬車が横付けされていた。


「届いた!」


 リーゼリアの弾んだ声が、二階の廊下まで響く。


 大きな衣装箱を抱えた職人たちが、使用人に案内されながらシノの部屋へ運び込んでいく。


「本当に朝までにできたんだ……」


 シノは少し申し訳なさそうに箱を見つめた。


「職人の皆様が頑張ってくださったのです」


 リーゼリアは待ちきれないとばかりに箱の蓋を開ける。


「さあ、シノさん。着てみましょう!」


「朝から元気だね、リーゼリア様……」


「当然です!」


 昨夜、何着ものドレスを試した末にたどり着いた衣装。


 シノが普段着ている服の形を大きく変えず、そのまま王宮へ赴けるほどに格を上げたものだった。


 白を基調とした上衣。


 袖にはゆとりを持たせ、腕を下ろせば柔らかな布が静かに垂れる。


 腰には鮮やかな赤。


 そこから伸びた布が白地の上へまっすぐ落ち、歩くたびに軽やかに揺れた。


 金銀の装飾は最小限。


 宝石もほとんど使われていない。


 代わりに、襟元と袖、裾へ銀糸で細かな文様が縫い込まれていた。


 華美ではない。


 けれど、清らかで凛としている。


 貴族令嬢のドレスとも違う。


 どこか、神前へ歌を捧げる者を思わせるような装いだった。


「……わあ」


 鏡の前に立ったシノが、自分の姿を見つめる。


「どう?」


「すごくお似合いです!」


 リーゼリアは満足そうに頷いた。


「やっぱり、こちらにして正解でした」


 マルナも少し離れたところからシノを見つめる。


「ええ。よくお似合いですよ、シノ」


「院長先生まで!」


「何を驚いているのです」


「だって院長先生、こういうのあんまり褒めないから」


「必要なら褒めます」


「必要な時だけなんだ……」


 そのやり取りに、リーゼリアが笑った。


 そこへ、扉の外から慌ただしい足音が聞こえてくる。


「シノ様!」


 使用人の声だった。


「お庭に、その……白い狐が……!」


「白い狐?」


 シノの顔がぱっと明るくなる。


「コンちゃん!」


     ◇


 庭へ出ると、白い狐の神獣が芝生の上を駆けてきた。


「シノー!」


「コンちゃん!」


 シノも駆け寄る。


 コンちゃんはシノの周囲をぐるりと一周すると、目を輝かせた。


「似合うー!」


「ほんと?」


「うん! すっごく似合うー!」


 いつも以上に機嫌がいい。


「コンちゃん、こういう服好きなの?」


「好きー!」


「やっぱり?」


 シノが笑う。


 少し離れた場所では、初めて目の当たりにしたレスト侯が言葉を失っていた。


「……この御方が?」


「はい」


 朝から屋敷に手伝いに来ていたエルンが答える。


「豊穣の神獣、ホーリーフォックス様です」


 その瞬間。


「神獣様!」


 マルナが胸元へ三本の指を添えた。


 三本の線を引き、その場で膝をつく。


「ははー……」


 レスト侯も慌てて続いた。


 リーゼリア、ライナーも膝をつく。


「え、みんな?」


 シノが振り返る。


「まあまあ、そんなのいいよー」


 コンちゃんは気にした様子もない。


「シノのお友達?」


「うん。こっちがレスト侯爵様。リーゼリア様。それからライナーさん」


「よろしくー!」


 コンちゃんは楽しそうに尻尾を振る。


「しかし……」


 リーゼリアが顔を上げた。


「本当に美しい御方ですね」


「そう?」


「はい」


「じゃあ、あっちも綺麗になるー!」


「あっち?」


 次の瞬間。


 コンちゃんの身体が淡い光に包まれた。


「え?」


 シノが目を丸くする。


 光が大きく伸びる。


 白い狐の姿が変わっていく。


 やがて光が消えた時――。


 そこに立っていたのは、シノと同じくらいの年頃に見える少女だった。


 白い髪。


 金色の瞳。


 頭には狐の耳が残り、腰の後ろではふわりとした尾が揺れている。


 そして、その衣装は――。


「……おそろい!」


 シノが声を上げた。


 白と赤を基調とした装い。


 細かな違いはあるものの、雰囲気はシノの新しい正装によく似ていた。


「おそろいー!」


 コンちゃんも嬉しそうに笑う。


「神獣様が……人の姿に……」


 レスト侯が呆然と呟いた。


「上位の神獣様には、人の姿を取られる御方もおられると伝わっています」


 マルナが静かに答える。


 だが、その本人も目を離せずにいた。


「コンちゃん、その姿にもなれるんだね」


「なれるよー」


「バッくんは?」


「できないー」


「そっか」


「ちょっと羨ましがるー」


 シノが想像して笑った。


「今日はどうしたの?」


「シノの服みにきたー」


「それだけ?」


「それだけー」


「コンちゃんも王宮に行きたいのかと思ったよ」


「あっち、あそこやだ。みんな真面目な顔してるー」


 コンちゃんは嫌そうに耳を伏せた。


「じゃあ、いってらっしゃーい!」


「うん。行ってきます!」


 人の姿のコンちゃんと並んでいるシノを見て、リーゼリアは満足そうに頷いていた。


「やはり、そのお衣装で正解でしたね」


「うん!」


     ◇


 王宮へ向かう馬車の中。


 シノの正面にはレスト侯が座り、その隣にはマルナがいる。


 エルンも同乗していた。


 先ほどまでの賑やかさとは打って変わり、車内には少し緊張した空気が流れていた。


「では、もう一度確認するぞ」


 レスト侯が言った。


「はい」


「王宮へ着いたら、まず私のそばを離れないこと」


「うん」


「謁見の間へ入ったら、勝手に話し始めない」


「うん」


「陛下がお話しになっている途中で、何か思いついても割り込まない」


「……うん」


「今、少し間があったな」


「気のせいだよ」


「気のせいではない」


 エルンが横で笑いをこらえている。


「エルン、笑わないで」


「いや。俺も同じこと言おうと思ってた」


「みんな私を信用してない」


「信用しているから言っているのだ」


 レスト侯は続ける。


「それから、跪くタイミングは私を見なさい」


「こう?」


 シノがその場で膝を曲げようとする。


「馬車の中でやらなくていい!」


「練習」


「頭をぶつけるぞ」


 マルナが小さく息を吐く。


「シノ。侯爵様のお話をきちんと聞きなさい」


「はーい」


「返事は一度」


「はい」


 レスト侯は苦笑しながらも、やがて表情を柔らかくした。


「まあ、難しく考えすぎる必要はない」


「でも王様でしょ?」


「ああ」


「間違えたら怒られない?」


「そのために私がいる」


「侯爵様が?」


「君は正式な宮廷教育を受けた貴族令嬢ではない。十二歳の子供に、完璧な宮廷作法など初めから求める方がおかしい」


「ほんと?」


「ああ。もし間違えることがあっても、私がフォローする」


 シノが少し安心したように頷く。


「だから、無理に難しい言葉を使う必要もない」


「普通に話していいの?」


「限度はあるぞ」


「限度?」


「たとえば……陛下を『おじさん』とは呼ぶな」


「さすがに呼ばないよ!」


「ならよい」


 レスト侯は窓の外へ目を向ける。


 遠くに、巨大な王宮が見え始めていた。


「作法より大事なのは、聞かれたことに正直に答えることだ」


「正直に?」


「ああ」


 レスト侯がシノを見る。


「背伸びをする必要はない。シノ殿は、シノ殿のままでいればよい」


「……うん」


 シノは小さく頷いた。


     ◇


 王宮の正門をくぐる。


 馬車の窓から見える景色に、シノは思わず息を呑んだ。


「大きい……」


 中央神殿とはまた違う。


 高い城壁。


 整然と並ぶ王宮兵。


 広い中庭。


 中央には白い石造りの宮殿がそびえている。


 馬車が止まる。


 扉が開かれ、レスト侯が先に降りた。


「さあ」


「うん」


 シノが続く。


 白と赤の正装が、朝の光を受けてわずかに揺れた。


 王宮の使用人に案内され、長い回廊を進む。


 やがて巨大な扉の前へ辿り着いた。


 そこにはすでに、多くの者が集まっていた。


 貴族。


 軍人。


 三神教の神官。


 王宮の高官たち。


 シノたちが姿を現した瞬間、空気がわずかにざわついた。


「……あれが」


「例の少女か」


「ずいぶん幼いな」


「十二歳と聞いている」


「レスト侯が自ら付き添っているぞ」


「本当に神獣様を?」


「いや、確かに神々しいドレスを着ているな。あれは異国の神官服か?」


「今日の謁見、ちゃんとわかって来ているのか?」


 小さな声が、あちこちから聞こえる。


 シノは少し居心地が悪そうにレスト侯へ近づいた。


「侯爵様」


「どうした?」


「みんなこっち見てる」


「気にするな」


「気になるよ」


「今日は諦めなさい」


「えー……」


 その中に、グランツの姿もあった。


 周囲の者たちとは違い、誰かと噂話をするでもなく、静かにシノを見ている。


 レスト侯と目が合う。


 二人は軽く頷き合った。


 神官の列にも、高位の者たちが並んでいる。


 やがて、王宮の侍従が声を上げた。


「謁見の間へ!」


 巨大な扉が開かれる。


     ◇


 謁見の間は、シノが想像していた以上に広かった。


 高い天井。


 左右に並ぶ巨大な柱。


 奥には王座。


 その周囲には王宮の旗とともに、三神を示す紋章も掲げられていた。


 シノは一瞬だけそれを不思議に思った。


 だが、すぐに馬車の中で教わったことを思い出す。


 ――侯爵様を見ればいい。


 レスト侯が進む。


 シノも続いた。


 所定の位置へ着く。


 レスト侯が礼を取る。


 シノも教わった通りに頭を下げた。


 その瞬間――。


「……おい」


 誰かが小さく呟いた。


「三神への礼は?」


「なぜ先に王座へ礼を?」


「知らされていないのか?」


 ざわめきが広がる。


 シノは顔を上げかけた。


「シノ」


 レスト侯が小声で止める。


「そのままで」


「う、うん」


 だが、周囲のざわめきは収まらない。


「神獣様と縁を持つ者が、三神への礼を後回しにするとは」


「不信心ではないのか?」


「レスト侯は何を教えている」


 レスト侯の表情が変わった。


 謁見の間を見回す。


 三神紋。


 神官の配置。


 王宮式の礼法に加え、神殿儀礼まで組み込まれた配置。


「……まさか」


 低く呟く。


「侯爵様?」


「シノ殿。動くな」


「うん」


 レスト侯の目が鋭くなる。


 聞いていない。


 今回の謁見は、通常の王宮式だと知らされていた。


 珍しくはあるが王宮と神殿、双方の儀礼を用いる神前謁見式など、一言も聞いていない。


 その時、一人の貴族が声を上げた。


「これはいかがなものか!」


 周囲が静かになる。


 男は列から一歩前へ出た。


「国王陛下への謁見であるばかりか、三神の御前でもあるこの場で、礼を誤るとは!」


 シノが困ったようにレスト侯を見る。


「私、間違えた?」


「君のせいではない」


 レスト侯は即座に答えた。


「お待ちいただきたい」


 レスト侯が一歩前へ出る。


「この子に作法を教えたのは私だ。責を問うのであれば――」


「ならばなおさらではありませんか、レスト侯!」


 別の貴族が声を上げた。


「王宮に招かれた者へ、正しい礼法を教えることすらできぬとは!」


「私は通常の謁見形式としか――」


「言い訳ですかな?」


 周囲から再びざわめきが起こる。


「三神への敬意すら知らぬとは」


「神獣様を呼ぶという噂も、怪しいものではないか?」


「これでは不敬である」


 シノは黙っていた。


 言われた通りにした。


 昨日から何度も練習した。


 レスト侯にも確認した。


 それでも――。


 何かを間違えたらしい。


 シノは少し俯いた。


 その時だった。


「――何の問題がある?」


 低い声が、謁見の間に響いた。

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