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シノのドレス



 実習を終えたあと、シノとエルンはユリアンとともに研究室の前まで戻ってきた。


「それじゃあ先生、今日は何をするんですか?」


 エルンが尋ねる。


「何もしませんよ」


「え?」


「今日は二人とも、研究室へ来なくて結構です」


 シノが目を丸くした。


「お休み?」


「ええ」


「先生が?」


「シノさん。どういう意味ですか?」


「だって先生、いつも何かやらせるから」


「人聞きが悪いですね」


 ユリアンは苦笑する。


「僕も帰っていいんですか?」


「もちろんです。今日は少し資料を整理したいのでね。二人に手伝ってもらうようなものではありません」


「珍しいですね」


「エルン君まで……」


 ユリアンは呆れたように息を吐くと、懐から数枚の硬貨を取り出した。


「エルン君」


「はい?」


「これを」


 差し出された硬貨を見て、エルンが戸惑う。


「先生?」


「今日のお礼です。二人でお茶でも飲んでから帰りなさい」


「いや、でも――」


「受け取りなさい」


「でも、僕たちは別に……」


「シノさん」


「はい?」


「エルン君は意外と頑固ですね」


「うん」


「お前はどっちの味方だ」


 ユリアンが笑った。


「せっかく早く終わったのです。たまには寄り道をしても罰は当たりませんよ」


「やった!私はお菓子の味方」


「だから、お前が受け取ったわけじゃないだろ」


「エルンが持ってるだけで二人のお小遣いでしょ?」


「いつからそうなった」


「では、そういうことで」


「先生まで……」


 エルンは諦めたように硬貨をしまった。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


「先生、また明日!」


「ええ。また明日」


 二人が廊下を歩いていく。


 シノの楽しそうな声が、少しずつ遠ざかっていった。


 ユリアンはその背中を見送ると、研究室の扉を開く。


 中へ入り――。


 静かに扉を閉めた。


     ◇


「おいしい!」


 焼き菓子を一口食べたシノが、嬉しそうに声を上げた。


 学園から少し離れた、小さな茶店。


 窓際の席に向かい合って座った二人の前には、温かな飲み物と焼き菓子が並んでいる。


「先生、結構くれたからな」


「ヴェルク先生、いい人だね」


「普段からいい先生だぞ」


「知ってるよ」


「じゃあ言うな」


 シノはもう一口、焼き菓子をかじる。


 しばらくは他愛のない話をしていたが、ふと手を止めた。


「ねえ、エルン」


「ん?」


「今日のあれ、なんでだと思う?」


「あれ?」


「《ファイアボール》」


「ああ……」


 エルンもカップを置いた。


「同じ歌なのに、エルンも普通より強かったんでしょ?」


「教授たちの話だと、第三階梯相当らしいな」


「《ファイアボム》だっけ?」


「ああ」


「でも、第二階梯の歌なんだよね」


「そうだ」


 シノは難しい顔をする。


「なんで、この歌い方だと魔力が強くなるんだろう」


「それが分かれば、教授たちも苦労してないだろ」


「でもさ」


 シノは自分の胸へ手を当てた。


「私、魔力ないんだよね?」


「……ああ」


「じゃあ、今日の火って何?」


「それなんだよな」


「私の魔力、ゼロなんでしょ?」


「そうだ」


「ゼロが強くなるって変じゃない?」


「変だな」


「エルンも変だよ?」


「俺まで巻き込むな」


「だってエルンも、第二階梯が第三階梯になったんでしょ?」


「……それは否定できない」


「ほら」


 少し得意そうに言ってから、シノは再び首を傾げた。


「じゃあ、何が強くなってるの?」


「分からない」


「そっかぁ……」


 シノがカップを両手で包む。


 その時。


「……いや、待て」


「なに?」


 エルンの表情が変わった。


「魔力は感じないんだ」


「私の?」


「ああ。今日、シノが歌ってる時もそうだった。シノ自身から魔力が出てる感じはしなかった」


「だって私、魔力ないもん」


「でも、マナは動いてた」


「マナ?」


 シノが顔を上げる。


「シノが歌い始めた途端、実習棟にあったマナが集まってきた」


「それって普通じゃないの?」


「普通は術者が自分の魔力で周囲のマナに干渉するんだ。だから、まず術者自身の魔力が動く」


「でも私は?」


「それがない」


 エルンは眉を寄せた。


「なのに、周りのマナだけが動いてる」


「……変なの」


「ああ」


 エルンが黙り込む。


 何かを思い出すように視線を落とし――。


「そうだ」


「なに?」


「前にもあった」


「何が?」


「コンちゃんを呼んだ時だ」


 シノが瞬きをする。


「あの歌?」


「ああ。あの時もそうだった」


 エルンの脳裏に、あの日の光景が蘇る。


 シノの歌。


 森を満たしていたマナ。


 そして、その中から姿を現した神獣。


「シノから魔力が出ている感じはなかった。でも、周りのマナが動いてた」


「今日みたいに?」


「……似てる」


 エルンはゆっくり頷いた。


「かなり似てる」


 二人は顔を見合わせた。


「じゃあ……」


 シノが恐る恐る口を開く。


「私の歌が、マナを動かしてるの?」


「分からない」


「えー」


「そこから先が分からないんだよ」


「いいところまで来たのに」


「俺に言うな」


 エルンはカップへ手を伸ばした。


「ただ、シノの魔力が強いからあんな威力になる、ってわけじゃないのは確かだろうな」


「魔力ないもんね」


「ああ」


「……じゃあ、私、魔力を使ってないのかな?」


 エルンの手が止まった。


「…………」


「エルン?」


「いや」


 少し考えてから、首を振る。


「分からない。そこまで決めつけるのは早いと思う」


「そっか」


「でも、調べる価値はある」


「ヴェルク先生なら分かるかな?」


「そのために調べてるんだろ」


「うん」


 シノは納得したように頷き、残っていた焼き菓子へ手を伸ばした。


「じゃあ先生に任せよう」


「ああ」


 結局、その日も答えは出なかった。


     ◇


 夕方。


 シノとエルンを乗せた馬車がレスト侯爵邸へ戻った。


「ただいまー!」


 玄関へ入ったシノは、すぐに異変に気づいた。


「あれ?」


 目の前を、使用人が足早に横切っていく。


 その後ろから、大きな箱を抱えた別の使用人が階段を上っていった。


「そちらは二階へ!」


「仕立て屋には連絡したか?」


「すでに使いを出しています!」


「靴も必要です!」


 屋敷中が、妙に慌ただしい。


「……なんかあったの?」


「さあ」


 エルンも不思議そうに周囲を見る。


 そこへ、ライナーが現れた。


「お帰りなさいませ、シノ様、エルン様」


「ただいま。ライナーさん、どうしたの?」


「旦那様がお待ちです」


「大変なこと?」


「大変と申しますか……」


 ライナーがわずかに言葉を選んだ。


「まずは応接室へお願いいたします」


 二人は顔を見合わせ、そのままライナーについていった。


 応接室の扉が開く。


「シノ殿!」


 レスト侯が、珍しく立ったまま二人を待っていた。


 手には王宮の紋章が入った書状が握られている。


「ただいま、侯爵様」


「ああ。よく戻った」


「どうしたの?」


「予定が決まった」


「予定?」


「国王陛下との謁見だ」


「……王様?」


「ああ」


 レスト侯は書状を机へ置いた。


「明日、行われることになった」


「明日!?」


「そうだ」


 シノが目を丸くする。


「急だね」


「急どころではない!」


 レスト侯が思わず声を上げた。


「せめて三日前に知らせていただきたいものだ!」


「だからみんな忙しいの?」


「そうだ」


「なんで?」


「シノ殿だ」


「私!?」


「正確には、明日のシノ殿の謁見のためだ」


 レスト侯の視線が、シノの頭から足元までをゆっくり下りていく。


「シノ殿」


「はい?」


「王宮へ着ていく服は……ないよな」


 シノは自分の服を見る。


「これ?」


「駄目だ」


「即答……」


「正式な謁見だぞ」


 レスト侯は額へ手を当てた。


「衣装を整え、靴を用意し、最低限の礼法も確認しなければならん。明日の夕方までにだ」


「そんなに?」


「そんなにだ」


 その時、扉の外から声がした。


「お父様!」


 リーゼリアが入ってくる。


「仕立て屋がお見えになりました!」


「よし、通してくれ!」


「もう来たの!?」


「呼んだからな!」


 シノは、何やら嫌な予感がした。


     ◇


「こちらはいかがでしょう?」


「うーん……」


 それからしばらくして。


 シノは姿見の前で、淡い青色のドレスを身につけていた。


 細かな刺繍が施され、胸元には小さな宝石が飾られている。


「シノさん、かわいいです!」


「ほんと?」


「はい!」


 リーゼリアの言葉に嘘はない。


 だが――。


「……でも、なんでしょう」


 リーゼリアが首を傾げた。


「似合ってない?」


「いいえ。似合っています」


「じゃあこれでいいんじゃない?」


「それは違います」


「難しい……」


「では、こちらを」


 仕立て屋が次の衣装を差し出した。


 白。


 その次は淡い桃色。


 髪飾りを変え、靴を合わせ、装飾品まで選び直す。


 どれも似合っていた。


 十二歳の少女が王宮へ赴くための衣装としては、何の問題もない。


 それなのに。


「違うんです……」


 リーゼリアは納得しなかった。


「リーゼリア様、もうこれでいいよぉ……」


「駄目です」


「疲れた……」


「もう一着だけ!」


「さっきも言ったよ、それ……」


 結局、何着試しても決まらなかった。


 ようやく解放されたシノが、元の服へ着替えて戻ってくる。


「ふう……」


 シノは袖を整えた。


「やっぱり、これが楽」


 その姿を見たリーゼリアが――。


「あ」


「なに?」


「分かりました」


 シノの前へ歩み寄る。


 上から下まで眺めて、力強く頷いた。


「やっぱりシノさんは、今のお洋服が一番似合います」


「これ?」


「はい!」


 仕立て屋が困ったように眉を下げた。


「お嬢様。お気持ちは分かりますが、さすがにそのお召し物のまま王宮へというわけには……」


「分かっています」


 リーゼリアはシノの服をもう一度眺めた。


「なら――」


 ぱっと表情が明るくなる。


「これを、謁見用に進化させましょう!」


「進化?」


「はい!」


 シノが自分の服を見る。


「服って進化するの?」


「させます」


 リーゼリアは仕立て屋へ向き直った。


 「ライナー、紙とペンを!」


「かしこまりましたお嬢様。ただいま」


 「仕立て屋さん、大雑把で構いません絵に起こしてください」


「形を大きく変えなくていいんです。シノさんらしさは、このままで」


「なるほど……」


「でも、王宮へ出ても恥ずかしくないものにしてください」


 仕立て屋の目が変わった。


 改めてシノの服を眺める。


「……白地は、そのまま生かせそうですな」


「はい」


「布は上質なものへ替えましょう。袖は少し広く取る。そうすれば動いた際にも映えます」


「色も欲しいです」


「でしたら腰に」


「赤はどうでしょう?」


「よろしいかと」


「銀糸も少しだけ入れたいです」


「三神紋をそのまま使うのではなく、文様へ崩して刺繍にすれば品も保てます」


「それです!」


「……私の服なのに」


 シノが呟いた。


 近くで見ていたエルンが肩をすくめる。


「諦めろ」


「エルン、助けてよ」


「俺に服のことを聞くな」


 話はあっという間に進んだ。


 再びシノの採寸が始まる。


 白い布が身体へ当てられ、袖の長さを測られ、腰には仮の赤布が巻かれた。


 布を折り、留め、また離れて確認する。


 やがて大まかな形が出来上がった。


 白を基調とした、すっきりとした上衣。


 袖にはゆとりを持たせ、腕を下ろせば布が静かに垂れる。


 腰には鮮やかな赤。


 余計な宝石も、華美な装飾もない。


 まだ仮縫いに過ぎない。


 それでも先ほどまでのドレスとは違い、不思議なほどシノの姿に馴染んでいた。


「……はい!」


 リーゼリアが満足そうに頷いた。


「絶対、こちらです!」


「私も、こちらの方がお嬢様には似合うと思います」


 仕立て屋も同意した。


「ほんと?」


「ええ」


 シノは姿見を見る。


 いつもの自分と、それほど違わない。


 なのに少しだけ背筋を伸ばしたくなる。


 そんな姿だった。


「では、これで頼む」


 レスト侯が決定を下した。


「承知いたしました」


 仕立て屋が頭を下げる。


「正式な仕上がりは――」


「明朝までに」


「…………」


 仕立て屋が顔を上げた。


「旦那様」


「なんだ?」


「明朝、でございますか?」


「謁見は明日だ」


「それは先ほど伺いました」


「ならば頼む」


「…………」


 長い沈黙。


 やがて仕立て屋は、小さく息を吐いた。


「職人を総出にいたします」


「すまんな」


「本当にそう思っておられますか?」


「もちろんだ」


「でしたら今後、王宮にはせめて三日前に予定を決めていただくようお伝えください」


「不敬だぞ、しかし……私もそうしてほしい」


 レスト侯は深く頷いた。


「代金には急ぎの分も上乗せしてくれ」


「ありがとうございます。今後も御贔屓に」



 シノが心配そうに仕立て屋を見る。


「大丈夫?」


「ご心配なく。明日の朝には、必ずお届けいたします」


「でも、無理しないでね?」


 仕立て屋が一瞬、黙った。


 それからレスト侯へ視線を向ける。


「……旦那様にも聞かせて差し上げたいお言葉です」


「聞こえているぞ」


 リーゼリアが堪えきれずに笑った。


 シノは何がそんなにおかしいのか分からず、首を傾げる。


 明日。


 いよいよ、国王との謁見。


 新しい絆がその扉を開けようとしていた。

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