王都の休日
翌朝。
久しぶりに何の予定も入っていない一日を迎えたシノは、リーゼリアと並んでレスト侯爵邸の玄関に立っていた。
「それでは、行ってまいります」
「行ってきます!」
リーゼリアが丁寧に頭を下げ、その隣でシノが元気よく手を上げる。
二人の少し後ろには、外出用の上着をまとったライナーが控えていた。
「羽目を外しすぎないようにな」
見送りに出てきたレスト侯が言う。
「特にシノ殿」
「なんで私だけ?」
「聞く必要があるか?」
「……ないかも」
「シノさん。そこで納得してはいけません」
リーゼリアが小さく笑った。
「まあ、今日は王都を楽しんでくるといい。せっかく来たというのに、学園だ神殿だと忙しかったからな」
「はい!」
「ああ、それから」
レスト侯は懐から小さな革袋を取り出すと、シノへ差し出した。
「これを持っていきなさい」
「なに?」
「財布だ」
「え?」
受け取った革袋には、ずしりと重みがあった。
シノは慌てて両手で押し返す。
「だ、だめだよ。こんなの悪いです!」
「何が悪い」
「だって、これお金でしょ?」
「当然だ。石ころを渡したつもりはない」
「そうじゃなくて!」
レスト侯は笑いながら、革袋をもう一度シノの手へ戻した。
「孤児院の子供たちに、土産を選んでおきなさい」
「でも……」
「シノ殿」
レスト侯の声が、少しだけ柔らかくなる。
「当家が君にどれほど世話になったと思っている」
「でも、それは私がしたくて……」
「それに、ルミナリア孤児院の子供たちは私の領の子供でもある」
シノが顔を上げた。
「領主が自領の子供を王都へ連れてきて、無一文で歩かせたとなれば、私の名折れだ」
「無一文ってほどじゃないです……」
「では、いくら持っている?」
「……」
「シノ殿?」
「……銅貨、ちょっと」
「持っていきなさい」
「はい」
即答だった。
その様子を見ていたライナーが、一歩前へ出る。
「旦那様。外出中の支払いでしたら、私がおりますので」
「ああ。私もそう言ったのだがな」
レスト侯が娘を見る。
リーゼリアは、いかにも当然という顔をしていた。
「それでは駄目です」
「駄目なのか?」
「はい」
リーゼリアはきっぱりと言った。
「お友達とお話ししながらお店を見て、自分で選んで、自分でお金を払うところまでが休日なのです」
「……そうなのか」
「ライナーが後ろからすべて支払っていては、いかにも貴族の買い物みたいで楽しめません」
「お嬢様」
ライナーが静かに口を挟む。
「いかにもではなく、お嬢様は貴族でございます」
「今日はいいのです」
「……承知いたしました」
レスト侯は、しばらく娘を見つめた。
「いや、貴族なんだが……」
「お父様」
「分かった、分かった」
レスト侯は苦笑しながら手を振った。
「今日は好きにしなさい。ただし、ライナーの言うことは聞くように」
「もちろんです」
「シノ殿もだぞ」
「分かってます」
「信用ならんな」
「侯爵様まで!」
玄関先に笑い声が広がった。
シノは手の中の財布を改めて見下ろす。
「みんな、何が喜ぶかな」
すでに頭の中は、ルミナリア孤児院への土産でいっぱいだった。
「では、まずはお土産を探しに行きましょうか」
「うん!」
三人はレスト侯に見送られ、屋敷をあとにした。
◇
王都の中央商業区へ入ると、景色は一気に賑やかになった。
石畳の両側には、色とりどりの看板を掲げた店が軒を連ねている。
焼きたてのパンの香り。
果物を山のように積んだ露店。
行き交う馬車に、客を呼び込む商人たちの声。
通りの一角では、大道芸人が小さな火球をいくつも宙へ浮かべ、集まった子供たちから歓声を浴びていた。
「わあ……!」
シノは右を見る。
左を見る。
そして、また右を見る。
「リーゼリア様、あっち!」
「はいはい。お店は逃げませんから」
「あっちも見たい!」
「順番に回りましょう」
「王都って、お店いっぱいあるね!」
「ここは王都でも特に商店の多い場所ですから」
リーゼリアは慣れた足取りで人波を進んでいく。
その少し後ろを、ライナーが静かについていった。
「リーゼリア様、よく来るの?」
「ええ。小さい頃から何度も。お母様と来ることもありましたし、ライナーに連れてきてもらったこともあります」
「じゃあ、リーゼリア様に任せれば安心だね」
「今日は私が案内役です」
どこか誇らしげに胸を張る。
「まずは孤児院の皆さんへのお土産でしたね?」
「うん!」
シノは腰に下げた財布を押さえた。
「小さい子たちもいるし、お兄ちゃんたちもお姉ちゃんたちもいるから……」
「まさか、一人ずつ別の物を選ぶおつもりですか?」
「そのつもりだけど?」
「やはり」
リーゼリアが笑う。
「でしたら、皆さんで食べられるお菓子も買いましょう。その方がたくさん持って帰れますよ」
「なるほど!」
その日、シノは何度も店へ入った。
日持ちのする蜂蜜の焼き菓子。
小さな子供たちには、色とりどりの髪紐や木の玩具。
年長の子たちには、王都の紋章が入った小物。
店へ入るたび、シノは孤児院に残してきた子供たちの顔を思い浮かべる。
「これはミアが好きそう」
「こちらはどうです?」
「うーん。これはたぶん、すぐ壊す」
「ずいぶん具体的ですね」
「だって分かるもん」
会計になると、シノは革袋を開いて真剣な顔で硬貨を数える。
最初こそ店員を待たせて慌てていたが、三軒目ともなれば随分と慣れてきた。
「はい!」
「ありがとうございます」
釣り銭を受け取り、満足そうに財布へしまう。
「できた!」
「お見事です」
「もう間違えないよ」
「先ほど銅貨を一枚多くお渡しになっていましたが」
「ライナーさん!」
「申し訳ございません」
「見ないでって言ったのに!」
「お嬢様方の安全確認は私の務めでございますので」
「お金は安全と関係ないです!」
「ございます」
「あるの?」
「ございます」
リーゼリアが堪えきれず笑い出した。
買った品々は、いつの間にかライナーの腕へ集まっていた。
「……あれ?」
シノが気づく。
「結局、ライナーさんが全部持ってる」
「支払いはお嬢様方がなさっております」
「荷物を持っていただくのは別です」
リーゼリアは涼しい顔で言った。
「そこは貴族なんだね」
「はい」
即答だった。
◇
昼を過ぎても、シノの土産探しは続いた。
大通りから少し外れた通りへ入ったところで、不意にシノが足を止める。
「あ」
その視線の先に、一軒の古びた店があった。
周囲の華やかな店とは違い、看板も小さい。
窓の向こうには、用途の分からない器具や歯車、淡く光る石などが雑然と並べられている。
だが、シノが見ていたのはそれではなかった。
店の中を、一羽の鳥が飛んでいる。
「……鳥?」
木と金属で作られた小さな鳥だった。
翼を羽ばたかせ、店内をくるりと旋回すると、棚の上へ降りる。
首を傾げたかと思えば、再び羽ばたいて宙へ浮かんだ。
「すごい……」
シノが窓へ近づく。
「これ、リック喜ぶかな」
「リックさん?」
「孤児院の男の子。こういう動くもの、大好きなの」
ガラス越しに鳥を追いかけるシノを見て、リーゼリアも店内を覗き込んだ。
「気になります?」
「ちょっと」
「では、入ってみますか?」
「いいの?」
「見るだけなら、お金はかかりませんから」
その時、後ろからライナーが声をかけた。
「お嬢様」
「はい?」
「こちらの店は……」
珍しく、ライナーがわずかに言葉を選んだ。
「店主が少々、個性的でございます」
「知ってるの?」
シノが振り返る。
「侯爵家でも、何度か取引がございます」
「へえ!」
「ただし――」
「入ってみたい!」
「……そうなりますよね」
リーゼリアが苦笑する。
三人が扉を開けると、古びた鈴が鳴った。
――カラン。
店内へ入ったシノは、さっそく天井近くを飛ぶ鳥を見上げる。
「中だともっとすごい……」
棚には見たこともない魔道具が所狭しと並べられていた。
小さな箱。
歯車の集合体。
ひとりでに文字を書き続ける羽根ペン。
一定の間隔で光を放つ透明な球体。
シノが目を輝かせていると――。
店の奥から、何かをひっくり返したような音が響いた。
「だから!」
突然、大声が飛んできた。
「水門の件は金じゃねえって何度言わせるんだ!」
「え?」
シノが固まる。
奥から、白髪交じりの髪を無造作に撫でつけた男が姿を現した。




