御前会議2
「周囲が?」
「はい」
ライラメスの視線が、机上の報告書へ落ちる。
「救いの歌であっても、人はそれを兵器にしようとするでしょう。癒やしの力であっても、人はそれを権威にしようとするでしょう。神獣の名であっても、人はそれを旗印にしようとするでしょう」
グランツは黙った。
レスト侯も、ウラバク学院長も、反論しなかった。
その危うさは、全員が分かっていた。
分かっているからこそ、この会議が開かれている。
「ウラバク」
「はい」
「学園として、シノをどう扱うべきと見る」
学園長は少しだけ沈黙した。
その沈黙は、答えを探すためではない。
どこまで言葉にするべきかを選ぶ沈黙だった。
「保護対象であり、同時に研究対象でもあります」
レスト侯の眉が動く。
ウラバクはそれを見て、すぐに言葉を継いだ。
「ただし、ここで言う研究とは、本人を拘束し、実験台にするという意味ではありません」
「当然ですな」
レスト侯が言う。
「ええ。当然です」
ウラバクは頷いた。
「学園として必要なのは、記録です。何が起きたのか。どのような歌が歌われたのか。どのような状況で神獣が現れたのか。それらを積み重ねることです」
「本人の意思を尊重した上で、か」
王が問う。
「はい。無理に歌わせることは、むしろ現象の本質を歪める可能性が高いと考えます」
「本質、か」
「はい」
ウラバクは書類を閉じた。
「少なくとも、シノ殿は命じられて歌っているのではありません。誰かを助けたい、慰めたい、呼びたい。そのような心の動きと歌が結びついている可能性が高い」
グランツが目を細める。
「つまり、命令では再現できぬかもしれないと?」
「現時点では、その可能性が高いと申し上げるに留めます」
「厄介だな」
グランツは低く呟いた。
「兵器としては、あまりにも不安定だ」
「公爵」
レスト侯の声が鋭くなる。
だが、今度はグランツが先に手を上げた。
「分かっている。言葉が悪かった」
彼はレスト侯を見た。
「だが、私は楽観できない。神獣を呼ぶ少女が存在する。それだけで、国内外の均衡は揺らぐ」
「だからこそ、慎重に扱うべきなのです」
「慎重に、か」
グランツは小さく笑った。
笑みというより、自嘲に近いものだった。
「慎重に扱っている間に、先に手を出す者が現れたら?」
誰もすぐには答えなかった。
それは現実的な懸念だった。
シノが無垢であることと、周囲が無垢であることは違う。
力を持つ者が幼いならば、狙う者はなおさら現れる。
アイザック王は、静かに息を吐いた。
「ならば、守る」
「陛下」
グランツが顔を上げる。
「余は、少女を囲い込むとは言わぬ」
王の声は穏やかだった。
だが、その奥にははっきりとした芯があった。
「だが、放置もしない」
レスト侯が深く頭を下げる。
「御意」
「レスト」
「はっ」
「シノと保護者は、引き続きそなたの屋敷に滞在させよ。形式上は客人でよい。だが、護衛は増やす」
「承知いたしました」
「ただし」
王はそこで、レスト侯をまっすぐ見た。
「少女に、檻の中にいると思わせるな」
「無論にございます」
「グランツ」
「はっ」
「外側の警備を整えよ。王都内で不審な動きがあれば、即座に報告せよ」
「御意」
「だが、少女には近づくな。兵で囲むな。問い詰めるな。命じて歌わせるな」
グランツは一瞬だけ沈黙した。
そして、深く頭を下げる。
「……御意」
「ウラバク」
「はい」
「学園内の情報管理を徹底せよ。教授会の議事録は封印扱いとする。閲覧権限を設けよ」
「直ちに」
「この報告書のヴェルク教授には、少女との接触を続けさせてよい。ただし、本人の意思を無視した検証は許さぬ」
「申し伝えます」
「ライラメス」
「はい」
「神殿側の扱いは慎重にせよ。使徒とも異端とも、まだ呼ぶな」
「承知いたしました」
「神官たちにもそう伝えよ」
「はい」
王は一度、全員の顔を見渡した。
そして、静かに言った。
「余は、少女に会う」
その一言で、部屋の空気が変わった。
レスト侯が顔を上げる。
ウラバク学園長の目が細まる。
ライラメス司祭は静かに目を伏せ、グランツ公爵は表情を硬くした。
「王宮へ召し出されますか」
レスト侯が問う。
「召し出すのではない」
王は首を振った。
「呼びつければ、それだけで意味が生まれる。王が少女を召喚した、と噂になる」
「では、どのように」
ライラメスが尋ねる。
「王宮礼拝を使う」
王は言った。
「神殿への参拝であれば、少女も同行しやすい。レスト侯家の客人として来ればよい。余は、その場で偶然会った形を取る」
「偶然、にございますか」
レスト侯がわずかに苦笑した。
「王宮の偶然など、誰も信じぬかもしれぬな」
アイザック王も、ほんの少し口元を緩めた。
「それでも、呼び出しよりはよい」
その笑みは、すぐに消えた。
「余が知りたいのは、力の詳細ではない」
「では、何を」
グランツが問う。
王は答えた。
「少女の心根だ」
誰も言葉を挟まなかった。
「報告書には、いくらでも書ける。魔力ゼロ。神獣顕現。再召喚。名付け。未知の歌」
王は、机上の紙へ視線を落とす。
「だが、報告書では分からぬことがある」
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「シノという少女が、何を恐れ、何を大切にし、何を守ろうとして歌っているのか」
レスト侯の表情が、静かに和らいだ。
その言葉を、待っていたようにも見えた。
「それを知らずして、国が少女の扱いを決めることはできぬ」
王は言い切った。
「これは命令ではない。確認である」
グランツが眉を寄せる。
「確認、ですか」
「ああ」
王は頷いた。
「我々が先に決めてはならぬ。少女が何者かを」
部屋に、再び沈黙が落ちる。
だが、それは先ほどまでの重苦しい沈黙とは違っていた。
ひとまずの方針が、定まった沈黙だった。
保護する。
封じ込めない。
記録する。
断罪しない。
そして、まず会う。
アイザック王は静かに立ち上がった。
四人も続いて立つ。
「本日の件、外部へは漏らすな」
「御意」
全員が頭を下げる。
「特に、神獣を名で呼ぶ件については慎重に扱え。名とは、人を動かす。噂となれば、あの子の周囲に人が集まる」
ライラメスが深く頷く。
「神殿側も、正式な布告は控えます」
「学園も同様に」
ウラバクが続ける。
「我が方は警備を強化いたします」
グランツが言う。
王は最後に、レスト侯を見た。
「オルヴァン」
「はっ」
「そなたは、少女の近くにいた」
「はい」
「どう見た」
会議の結論とは別の問いだった。
王としてではなく、旧知の者へ尋ねるような声だった。
レスト侯は、少しだけ目を伏せた。
脳裏に浮かんだのは、屋敷の一室で娘の手を握り、必死に歌っていた小さな少女の姿だった。
神獣を呼ぶ者。
未知の歌を知る者。
奇跡を起こす者。
そのどれも、間違いではないのだろう。
だが、レスト侯が見たものは、それだけではなかった。
「あの子は」
レスト侯は静かに言った。
「シノ殿は怖がりながらも、誰かのために一歩を踏み出せる子です」
王は黙って聞いていた。
「自分が何をしているのか、すべて分かっているわけではないでしょう。むしろ、分からぬことばかりなのだと思います」
レスト侯の声が、わずかに柔らかくなる。
「それでも、助けたいと思った相手の前では逃げない」
ライラメス司祭が、静かに目を閉じた。
ウラバク学園長も、何かを考えるように視線を落とす。
グランツ公爵だけは、厳しい表情のままだった。
だが、その目には先ほどまでとは違う色があった。
「そうか」
アイザック王は短く答えた。
「ならば、なおさら会わねばならぬな」
王は扉へ向かって歩き出す。
侍従が扉を開ける。
だが、退出する直前、王は足を止めた。
「忘れるな」
四人が顔を上げる。
「我々がこれから向き合うのは、神獣ではない」
王の声が、静かに会議室へ落ちた。
「歌う少女だ」
それだけ言い残し、アイザック・キア・マニール王は部屋を出ていった。
重い扉が閉じる。
しばらく、誰も動かなかった。
王の言葉が、まだ部屋の中に残っていた。
神獣ではない。
歌う少女。
その言葉の意味を、それぞれが別の重さで受け止めていた。
レスト侯は、深く息を吐いた。
守らねばならない。
今まで以上に、そう思った。
ウラバク学園長は、手元の報告書へ視線を落とした。
記録せねばならない。
ただし、壊さぬように。
ライラメス司祭は、胸元の聖印へ指を触れた。
見極めねばならない。
人の都合で、祈りを汚さぬように。
そして、グランツ公爵は黙って拳を握った。
備えねばならない。
たとえ誰に嫌われようとも。
四人は、同じ少女の名を胸に刻みながら、それぞれ別の扉へ向かって歩き出した。
まだ、シノは知らない。
自分の歌が、王宮の奥深くで語られていることを。
自分に会うため、王が静かに動き始めたことを。
そして、自分の周囲にある優しい奇跡が、少しずつ国の形を変え始めていることを。
王宮の鐘が、遠く響いた。
その音はまるで、次の出会いを告げる前奏のようだった。




