それぞれの思惑
王宮の奥、南棟にある小会議室には、すでに四人の男が集められていた。
重厚な扉。
厚い絨毯。
壁際に控える侍従たち。
部屋の中央には、五つの椅子が用意されている。
だが、そのうち最も奥に置かれた椅子だけは、まだ空いていた。
国王の席である。
王の到着を待つ間、室内には静かな緊張が漂っていた。
最初に口を開いたのは、アルベリヒ・グランツ公爵だった。
「レスト侯」
低い声が、静かな部屋に落ちる。
「例の少女は、今も貴殿の屋敷に?」
オルヴァン・レスト侯は、穏やかな表情を崩さずに答えた。
「ええ。彼女を育ててこられた孤児院のマルナ院長と共に滞在しております」
「護衛は?」
「十分に」
「十分、ですか」
グランツ公爵の目が細くなる。
「神獣を呼ぶ少女を預かる護衛として、本当に十分であると?」
レスト侯は微笑を浮かべたまま、ゆっくりと首を傾げた。
「グランツ公」
「何でしょう」
「あなたが心配しておられるのは、少女の安全ですかな。それとも、少女がどこかへ消えることですかな」
空気がわずかに硬くなった。
グランツ公爵は答えなかった。
代わりに、魔導学園長ウラバクが静かに息を吐く。
「お二人とも。陛下の御前に入る前から剣を抜く必要はありますまい」
「私は剣など抜いておりません」
グランツが言う。
ウラバクは白い眉をわずかに上げた。
「言葉というものは、時に鉄より鋭い」
その横で、神殿司祭ライラメスが手元の書類に目を落としたまま、静かに口を開いた。
「しかし、グランツ公の懸念も理解できます」
レスト侯が視線を向ける。
「神殿も、あの子を危険と見ますか」
「危険と断じるには早計です」
ライラメスは顔を上げた。
「ですが、神なるものに名を与えたという報告は、軽く扱えるものではありません」
「ゼヴラン殿からの報告ですか」
「ええ」
ライラメスは頷いた。
「教授会に出席していたゼヴランより、詳細な報告を受けております。麒麟。獏。そして、再召喚の可能性」
ウラバク学園長も静かに頷く。
「学園側にも同様の議事録が上がっております。正直に申し上げれば、私もまだ判断を下せません」
「学園長でも、ですか」
グランツが問う。
「ええ」
ウラバクはためらわず答えた。
「分からぬものを分かると言うほど、私は若くありませんので」
その言葉に、ライラメスがわずかに笑みを浮かべた。
「それは神殿も同じです。使徒と断じることも、異端と断じることも、今はできません」
「便利な言葉だな」
グランツ公爵が呟いた。
「分からぬ、と言えば、責任を先送りにできる」
「では、分かったふりをして兵を動かしますか」
レスト侯の声は穏やかだった。
だが、その一言には明確な棘があった。
グランツの視線が、レスト侯へ向く。
「侯爵。貴殿はあの少女に少々肩入れしすぎている」
「ええ」
レスト侯は即座に認めた。
その場の三人が、わずかに意外そうな顔をする。
「私の娘は、あの子に救われました」
レスト侯の声は静かだった。
「悪夢に囚われ、眠ることすら恐れていた我が娘が、今は朝を迎えられる。親として、あの子へ恩を感じるなという方が無理でしょう」
「だからこそ、冷静な判断を失う危険がある」
「否定はしません」
レスト侯はグランツを見返した。
「ですが、公爵。あなたもまた、別の意味で冷静ではない」
「何?」
「あなたは、あの子をまだ見ていない」
グランツは黙った。
「報告書の中の存在としてしか、シノ殿を知らない。神獣を呼ぶ力。再召喚の可能性。国家防衛上の価値。それらばかりを見ている」
レスト侯は一拍置いた。
「あの子は、まだ十二の少女です」
部屋に沈黙が落ちた。
その言葉だけが、重く残る。
やがて、ライラメスが静かに言った。
「ゼヴランも、似たことを書いておりました」
「似たこと?」
ウラバクが尋ねる。
「ええ」
ライラメスは報告書の一部へ指を置く。
「あの少女には、悪意を感じない、素朴であり純粋と」
ウラバクは目を細めた。
「ヴェルク教授の所見とも一致しますな」
「ヴェルク教授も?」
「ええ。彼からの報告もそれに近いものがありましたよ」
その時だった。
扉の外で、短く杖が床を打つ音がした。
室内の空気が一瞬で変わる。
侍従が姿勢を正し、扉の前に立つ。
「国王陛下、御出座にございます」
四人は同時に立ち上がった。
重い扉が、ゆっくりと開かれる。
マニール王国国王、アイザック・キア・マニールが、静かに部屋へ入ってきた。
年若くはない。
だが老いてもいない。
穏やかな目をした王だった。
その歩みは急がず、しかし迷いがなかった。
四人は深く頭を下げる。
「皆、待たせた」
アイザック王は奥の席へ進み、腰を下ろした。
「面を上げよ」
四人が顔を上げる。
王の視線は、一人ずつを静かに見渡した。
レスト侯。
グランツ公爵。
魔導学園長ウラバク。
神殿司祭ライラメス。
それぞれが、それぞれの立場で、同じ少女の名を胸に抱えている。
王は机上の報告書へ目を落とした。
そこには、ただ一つの名が記されている。
シノ。
「始めよう」
アイザック王の声が、会議室に落ちた。
「本日の議題は、王立魔導学園教授会で確認された一連の事案、ならびにレスト侯爵家において確認された神獣顕現についてである」
誰も口を挟まない。
王は続けた。
「まず確認する」
アイザック王の視線が、レスト侯へ向いた。
「オルヴァン・レスト」
「はっ」
「そなたは、その目で見たのだな」
レスト侯は深く頭を垂れた。
「はい、陛下」
そして、はっきりと答える。
「私は確かに見ました」
王宮の小会議室に、レスト侯の声が響く。
「シノ殿の歌に応じ、神獣が現れるところを」
その瞬間、会議は正式に始まった。




