↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/107

豊穣を祈る案山子

味は、まったく同じではない。


 けれど、どこか似ていた。


 甘じょっぱく煮含められた皮。


 中に詰められた素朴な米の香り。


 それは、遠い記憶の中にある食べ物によく似ていた。


『詩乃。』


 優しい父の声が、胸の奥から蘇る。


『これは稲荷寿司っていうんだよ。』


 病室の小さな机。


『今回の動画をみたらきっと気になると思って近くのスーパーで買ってきた。少しでいい食べてごらん。看護師さんには内緒だよ』


 父が旅先で撮ってきた映像を、小さな画面に映してくれた日のことだった。


 黄金色の田んぼ。


 風に揺れる稲穂。


 赤い鳥居。


 楽しそうに笑う人々。


 そこでは、子どもも大人も同じ輪の中で踊っていた。


『狐はね、昔から神様のお使いだって言われているんだ。』


『これは稲荷寿司、このお揚げがその狐の神様の好物なんだ』


『五穀豊穣を願う人たちが、感謝を込めてお供えしたり、お祭りで食べたりしたんだよ。』


『お祭りって、神様にお願いするだけじゃないんだ。』


『今年もありがとうございますって、みんなで笑って伝える日なんだよ。』


 父はそう言って、画面の向こうの人々を指差した。


『この歌はね、村のお祭りの歌なんだ。』


『実りに感謝して、神様も人も一緒に笑えるように歌う歌。』


 その時、父は少し照れたように笑っていた。


『詩乃もいつか、本当のお祭りを見られるといいね。』


 詩乃は、それを聴きながら稲荷寿司を一口食べた。


 この世界に稲荷寿司はない。


 父が教えてくれた神社も、鳥居も、稲荷神もない。


 でも。


 目の前には、同じように実りを願い、感謝し、みんなで食べる料理があった。


 同じように、豊作の日に笑い合った人たちがいた。


 そして今、その笑顔が少しずつ消えかけている。


「……村長さん。」


「はい?」


 シノは顔を上げた。


「藁って、ありますか?」


「藁、ですか?」


「はい。畑に立てる人形を作りたいんです。」


 村長は不思議そうに瞬きをした。


「人形……?」


 エルンも首を傾げる。


「シノ、何をするつもりだ?」


「えっと。」


 シノは少しだけ考え、それから笑った。


「案山子です。」


「かかし?」


 聞き慣れない言葉に、エルンとユリアンが同時に繰り返す。


「畑に立てて、鳥や獣を驚かせる人形です。」


「完全に防げるかは分かりませんけど……何もしないよりは、きっと。」


 ユリアンは眼鏡の奥で目を細めた。


「なるほど。」


「人の姿に似せたものを畑に置き、獣の接近を抑制する。」


「合理的ですね。」


 村長も少し身を乗り出した。


「それで鹿や猪が来なくなるので?」


「絶対ではありません。」


 シノは正直に答えた。


「でも、何体も立てて、場所を変えたり、布を揺らしたりすれば、少しは効果があるかもしれません。」


 村長はしばらく考え込んだ。


 やがて、顔を上げる。


「藁ならあります。」


「今年は収穫が少なくなりそうですが、去年の残りなら倉に。」


「使わせてください。」


 シノが頭を下げると、村長は力強く頷いた。


「もちろんです。」


「おい、みんな!」


 村長の声に、集会所の外にいた村人たちが振り向く。


「藁と棒を集めてくれ!」


「王都のお嬢さんが、畑を守る人形を作ってくださるそうだ!」


 その声に、村人たちがざわめいた。


「人形?」


「畑を守る?」


「そんなもんで獣が逃げるのか?」


 疑問の声はある。


 けれど、不作続きの村にとって、試せるものがあるだけで十分だった。


 すぐに若者たちが藁束を運び始める。


 子どもたちは面白がって走り回り、老人たちは昔使っていた古い布や帽子を持ち寄った。


◇


 午後の畑に、久しぶりの賑やかな声が響いた。


「棒は多分こう組むはずです。」


 シノが身振り手振りで説明すると、村の男たちが器用に木を組んでいく。


「ここを縛るのか?」


「はい。十字にして、体と腕みたいに。」


「なるほどな。」


 藁を束ねて胴にする。


 古びた上着を着せる。


 丸めた布で頭を作り、麦わら帽子を被せる。


 最初に出来上がった案山子は、少し傾いていて、どこか頼りなかった。


 子どもたちがそれを見て笑い出す。


「変な顔!」


「こっち見てる!」


「おじいちゃんに似てる!」


「おれは藁じゃねー!」


 老人が怒ったふりをすると、子どもたちはさらに笑った。


 村長も腹を抱えるように笑っていた。


「いや、これはいい。」


「畑に人が立っているように見える。」


 ユリアンも興味深そうに案山子を眺める。


「単純ですが、実に面白い。」


「魔導具ではない。」


「術式も使わない。」


「しかし、環境に働きかける仕組みとしては十分に意味がある。」


 エルンが苦笑する。


「教授、これまで研究対象にする気ですか?」


「もちろんです。」


 ユリアンは真面目な顔で頷いた。


「未知とは、神獣だけを指す言葉ではありません。」




 その横で、シノは子どもたちと一緒に二体目の案山子を作っていた。


「ここに顔を描いてもいい?」


「いいよ。」


「強そうな顔にする!」


「じゃあ、鹿さんがびっくりするくらい強そうにしよう。」


 子どもたちが墨で丸い目を描き、太い眉を描き、への字口を描く。


 完成した案山子は、妙に怒った顔になった。


「こわい!」


「こいつなら猪も逃げるぞ!」


 村人たちが笑う。


 笑い声が畑に広がる。


 最初は半信半疑だった大人たちも、気付けば競うように案山子を作っていた。


「こっちは布を多く付けよう。」


「風で揺れればもっと驚くかもしれん。」


「畑の端にも立てよう。」


「川沿いにも必要だな。」


 やがて畑には、いくつもの案山子が並んだ。


 古い上着を着たもの。


 帽子を斜めに被ったもの。


 子どもが描いた大きな目のもの。


 女たちが布切れを結び、風にひらひらと揺れるもの。


 それはどこか、不作の畑を守る小さな兵隊のようでもあった。


「ちょっと付け足しますか」


 ユリアンは案山子の背中に譜式を書き込み指を当てる。


「知恵無き者、見えざる気配を重ね牙よ爪よこの場を避けよ」

 

 青みを帯びた淡い光が反応する。


「教授の魔法初めて見ました、これはどんな……」


 興味深そうにエルンが案山子の譜式を眺める


「これは野営に使ったりする譜式です。魔物には効果はありませんが害獣程度なら気休めにはなるでしょう」

 

「先生は歌唱魔導はお使いにならないんですか?」


「ええ、使えなくはないのですが私は通常詠唱の方が向いているようです。何せ、私の歌は……」


「ああ、なるほど大丈夫です。それ以上は……」



 色とりどりの布の切れ端を風が穏やかに揺らしている。


 村長はその光景を眺めながら、懐かしそうに目を細めた。


「……昔を思い出しますな。」


「昔?」


 シノが振り向く。


「ええ。」


 村長はゆっくり頷いた。


「昔は、豊作になると村中で祭りをしたものです。」


「畑の真ん中に供え物をして、みんなで食べて、踊って。」


「子どもたちは走り回り、大人は酒を飲んで、年寄りは昔話をして。」


 その声は少し寂しげだった。


「最近は、不作続きでそんな余裕もなくなりましてな。」


「祭りのやり方を知る者も、だんだん少なくなりました。」


 老人の一人が、照れくさそうに手を叩いた。


「こうか?」


 ぽん、ぽん、と乾いた手拍子。


 別の老人が、それに合わせて足を動かす。


「おお、懐かしいな。」


「昔はもっと腰が動いたんだが。」


「今でも十分ですよ。」


 村人たちが笑う。


 子どもたちはすぐに真似を始めた。


 手を叩き、足を踏み、くるりと回る。


 踊りと呼ぶにはぎこちない。


 けれど、そこには確かに祭りの気配があった。


 シノは、その輪を見つめていた。


 胸の奥で、父の声がもう一度響く。


『歌って、踊って、笑って。』


『神様も、一緒に笑ってくれたらいいなって願いながらね。』


 シノは小さく息を吸った。


「踊りには……。」


 村人たちが振り向く。


「歌があった方が、もっと楽しいですよ。」


 エルンがはっとする。


 ユリアンも、手帳を取る前に、シノの横顔を見た。


 シノは畑の真ん中で、そっと歌い始める。


「♪村の鎮守の神様の――」


 澄んだ声が、乾いた畑を渡っていく。


「♪今日はめでたい御祭日――」


 最初に反応したのは、子どもたちだった。


 意味は分からない。


 けれど、音が楽しかった。


 手拍子が少しずつ歌に合っていく。


「♪どんどんひゃらら どんひゃらら――」


「どんどん?」


「ひゃらら!」


 子どもたちは笑いながら、聞こえた音を真似した。


 シノも嬉しそうに微笑む。


「♪朝から聞こえる笛太鼓――」


 老人たちが足を動かし始める。


 村長も照れくさそうに手を叩いた。


 若い母親たちは最初、少し離れて見ていた。


 だが子どもたちがあまりにも楽しそうに踊るものだから、顔を見合わせ、やがて輪に加わった。


 男たちは苦笑しながらも手拍子を打つ。


 畑の端にいた者たちも、一人、また一人と近付いてくる。


 不作の畑。


 乾いた土。


 食い荒らされた葉。


 そこに、久しぶりの笑い声が満ちていく。


「……これは。」


 ユリアンは羽ペンを手にしたまま、息を呑んだ。


「マニール語ではない。」


 彼はすぐに手帳を開く。


「国外の言葉でも聞いたことがない。」


「発音体系が違う……。」


 ペン先が紙の上を走る。


「しかし、マナの揺れが歌唱魔導使用時と酷似している。」


「本人に魔力はない。はずだ」


「だが、場のマナが……。」


 そこまで書いたところで、ユリアンの手が止まった。


 畑の空気が変わった。


 風が吹く。


 初夏の風ではない。


 黄金色の稲穂が揺れるような、柔らかく温かな風だった。


 案山子に結ばれた布切れが、ひらひらと揺れる。


 乾いていた土の上を、淡い光が走った。


 畑の畝が、まるで眠りから覚めるようにほのかに輝き始める。


 村人たちの手拍子が止まる。


 子どもたちも目を丸くした。


「なに……?」


 シノも歌を止め、驚いて辺りを見回す。


 光は、畑の中央へ集まっていく。


 そこには、さきほど子どもたちが作った怒り顔の案山子が立っていた。


 その足元に、黄金の粒子が渦を巻く。


 やがて光の中から、白い影がぴょこんと顔を出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。