召喚士の可能性
王立魔導学園、召喚譜式学研究室。
部屋の中央に置かれた大机の上には、何冊もの古い文献が積み上げられていた。
その中でもひときわ分厚い一冊を、ユリアン・ヴェルクは静かに閉じる。
革張りの表紙には、『神獣大全』の文字が刻まれていた。
「……やはり、記録だけですか。」
小さく呟き、眼鏡を外して目頭を押さえる。
食堂から帰った彼は豊穣を司る神獣――ホーリーフォックスについて調べ続けていた。
しかし、どの文献を開いても書かれているのは伝承ばかり。
収穫祭で見た者がいる。
黄金の光と共に現れた。
畑へ祝福を与えた。
そんな曖昧な逸話ばかりで、召喚に関する具体的な記録は一つも見つからない。
向かいで魔導基礎研究読本を読んでいたシノが顔を上げた。
「先生。」
「はい?」
「ホーリーフォックスって……魔導で呼べませんかね?」
あまりにも素直な問いに、ユリアンは思わず吹き出した。
「広い意味では可能ですが、それが簡単にできれば、私は召喚譜式学の歴史を書き換えてしまいますよ。」
「あ……。」
シノは少し恥ずかしそうに笑う。
「ですよね。」
「私も、意識して呼べたのってリンちゃんだけなんです。」
「他のみんなは……その。」
「気付いたら来てくれてた、みたいな感じで。」
エルンが腕を組みながら苦笑した。
ユリアンは静かに眼鏡を外した。
「やはり……。」
「え?」
「教授会であなたがおっしゃっていた"麒麟を再び呼んだ"というお話。」
「あれ以来、ずっと気になっていたのです。」
シノは首を傾げる。
「そんなに変なことだったんですか?」
「変どころではありません。」
ユリアンは穏やかな笑みを浮かべる。
「神獣を一度呼ぶだけでも、現代では奇跡のようなものです。」
「ですが、あなたは同じ神獣を、自らの意思で再びこの世界へ迎えた。」
研究者らしい熱が、その瞳に宿る。
「シノさん。」
「それを成し得る者を、この世界では――」
一拍置いて、はっきりと言う。
「召喚士と呼ぶのですよ。」
シノはぽかんとした。
「え……。」
「私が……召喚士?」
シノは自分を指さした。
「でも、難しい魔導を使ったわけじゃありません。リンちゃんを呼びたくて、歌っただけです」
「だからこそ興味深いのです」
ユリアンの瞳に、研究者らしい光が宿る。
「神獣を一度顕現させるだけでも、歴史に残る奇跡です。しかしあなたは、同じ神獣を再び呼んだ。偶発的な顕現ではなく、そこには明確な再現性がある」
「さいげんせい……?」
「もう一度、同じことが起こせるという意味です」
「ああ……」
「もっとも、譜式も魔力も用いていない。契約の有無も不明。あなたの歌が召喚術そのものなのか、それとも神獣が自ら応じているのか――」
ユリアンは考え込むように、眼鏡の位置を直した。
「この現象については、分からないことがあまりにも多すぎます。焦らず、少しずつ一緒に解明していきましょうね」
「はい」
シノが素直に頷く。
すると、隣で話を聞いていたエルンが、すかさず口を挟んだ。
「教授」
「はい?」
エルンはじっとユリアンを見つめ、人差し指を立てる。
「ノット標本、ですからね」
「……」
ユリアンの笑顔が、わずかに固まった。
「もちろんですとも」
「今、一瞬だけ間がありましたよね?」
「気のせいです」
「本当ですか?」
「エルン君。君は私を何だと思っているのですか」
「珍しいものを見ると、解剖したくなる人です」
「解剖ではありません。観察と記録です」
「もっと駄目です!」
「えっ、私、解剖されるんですか?」
「されないから!」
慌てるシノに、エルンが即座に答える。
ユリアンは心外そうに肩をすくめた。
やれやれといった表情でエルンが天井を見上げる。
「つまりホーリーフォックスについてはわからずか。シノが歌って毎回神獣が来るわけでもないし」
「そうだよ。だって奇跡とかなんでしょ」
シノは苦笑いを返す。
「私も誰が来るか分からないので。」
ユリアンは静かに立ち上がった。
「文献だけを見ていても進展はありません。」
机の上の本を閉じ、外套を羽織る。
「現地へ向かいましょう。」
「現地?」
「王都近郊に、不作が続いている農村があります。」
ユリアンは地図を広げる。
「ホーリーフォックスが本当に豊穣を司る神獣なら。」
「その痕跡は、本の中より畑にあるはずです。」
エルンは肩をすくめた。
「相変わらず、思い立ったら早いですね。」
「研究とは、机の上が全てではありません。現場へ行って初めて分かることがありますから。」
そう言って、ユリアンはどこか少年のような笑みを浮かべた。




