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教授の昼休み



 翌朝。


 王立歌唱魔導学園、召喚譜式学研究室。


 シノを連れたエルンが扉を軽く叩いた。


「教授、失礼します。」


「どうぞ。」


 部屋へ入ったシノは思わず足を止める。


「わぁ……。」


 本棚は天井まで積み上がり、机には魔導書と資料の山。


 壁一面には古代召喚陣の写しが貼られ、棚には魔石や古い譜面が整然と並んでいる。


 散らかっているようで、不思議と規則性があった。


「ようこそ。」


 ユリアン・ヴォルクは穏やかに微笑んだ。


「召喚譜式学研究室へ。」


 シノは思わず頭を下げる。


「よろしくお願いします。」


「こちらこそ。」


 ユリアンは一つの机を示した。


「シノさんはこちらをお使いください。」


 机には新しい紙と羽ペン。


 そして木札。


 『シノ』


 シノは目を丸くした。


「……私のですか?」


「ええ。」


「共同研究者ですから。」


「きょ、共同研究者……ですか?」


 シノは慌ててエルンを見る。


 エルンは苦笑した。


「昨日、教授が用意してた。」


「聞いてないよ……。」


「言ったら逃げそうだったから。」


「そんなことしないよ!」


 そう言い返したものの、シノの視線は部屋いっぱいの本へ向き、少しだけ後ずさる。


 ユリアンは笑みを浮かべた。


「安心してください。」


「今日から論文を書いていただこう、という話ではありません。」


 シノはほっと胸を撫で下ろした。


「一つ、確認させてください。」


「はい。」


 ユリアンは羽ペンを手に取る。


「シノさんは、魔力がありませんね。」


「はい。」


「では火の鳥を召喚した際、魔力はどこから供給されたのでしょう。」


 シノは少し考えた。


「……分かりません。」


「エルンと同じ歌だったはずなのに……。」


 羽ペンが止まる。


「魔力を練る感覚は?」


「ないです。」


「魔力切れになったことは?」


「ありません。そもそもエルンが私には魔力がないって……」


「召喚譜式は?」


「見たこともありません。」


「契約式は?」


「それは……なんのことですか。」


 静寂。


 ユリアンは羽ペンを置き、小さく息を吐いた。


「……なるほど。」


 横からエルンが口を開く。


「教授。」


「シノにとって歌は魔法じゃないんです。」


「そのようですね。人は時に歌唱魔導として歌うこともある……と言う感覚で合ってそうですね」


「でもシノは違う。」


「歌いたいから歌っている。」


「結果として神獣が応えているだけなんです。」


 ユリアンは静かに頷いた。


「つまり。」


「最初から前提が違う訳ですね。」


 シノは申し訳なさそうに言う。


「ごめんなさい……。」


「いえ。」


 ユリアンは首を横に振った。


「謝る必要はありません。」


「分からないことが増えただけです。」


「研究者としては、その方が嬉しい。」


 そう言って笑う。


 シノもつられて笑ってしまった。


 その時だった。


 ぐぅぅぅ……


 静かな研究室に、お腹の音が響く。


 三人とも固まる。


 シノは耳まで真っ赤になった。


「す、すみません!」


 ユリアンが吹き出した。


「そろそろお昼ですね。」


「今日はここまでにしましょう。少し早いですが食事にしましょう。二人とも私についてきてください」


 学園を出て、三人は王都の下町へ向かった。


 一軒の古びた食堂。


 扉を開けるなり、厨房から元気な声が飛ぶ。


「おや!」


「ユリちゃんじゃないか!」


 恰幅の良い女将が笑顔で近寄ってくる。


「久しぶりだねぇ!」


「ご無沙汰しております。」


「今日は教え子かい?」


「ええ。」


「自慢の学生たちです。」


 エルンは照れ笑いを浮かべる。


 シノは少し恥ずかしそうに頭を下げた。


「こんにちは。」


「可愛い子だねぇ。予科の子かい?」


「ユリちゃんも教授なんだから、もう少し学生連れて遊びに来な。」


「耳が痛いですね。」


 席へ着くと、女将が笑いながら言う。


「この子ねぇ。あら、失礼。ヴェルク教授はね、学生の頃は毎日のように来てたんだよ。」


「試験前なんか、本開いたまま寝ちゃってさ。」


「起こしてやるのが日課だったんだから。」


 シノは目を丸くする。


「教授にもそんな頃があったんですね。」


「……できれば忘れていただけると助かります。」


 三人は笑った。


 料理が運ばれてくる。


 湯気の立つシチュー。


 焼き立てのパン。


 食べ始めると、隣の席から話し声が聞こえてきた。


「今年も畑は駄目らしい。」


「ああ。」


「野菜が高くてかなわねぇ。」


 女将もため息をつく。


「うちも困ってるよ。」


「仕入れ値がどんどん上がっちまってね。」


 ユリアンの表情が少し曇る。


「……まだ続いていましたか。」


「研究者さんでも原因は分からないのかい?」


「魔導の理の敵う原因なら……しかし今のところは。」


 シノが小さく呟く。


「畑……元気にならないのでしょうか。」


 ユリアンは静かに頷いた。


「古い文献に一つだけ気になる記録があります。」


「豊穣を司ると伝えられる聖獣。」


「ホーリーフォックス。」


 エルンが顔を上げる。


「教授。」


「調べるおつもりで?」


 ユリアンは穏やかに笑った。


「ええ。」


「まずは文献からですが。」


「もしかすると、今回の不作と何か関係があるかもしれません。」


 店を出ようとした時だった。


 ユリアンは財布から金貨を三枚取り出し、そっと会計台へ置いた。


 女将が目を丸くする。


「ちょっと、ユリちゃん!」


「色が違うよ!」


「こんな食堂で金貨なんて使わないさね!」


 ユリアンは笑って答えた。


「ツケみたいなものです。」


「学生の頃、どれだけお世話になったことか。」


「今さら返せる額ではありませんが……。」


 女将は呆れたように笑う。


「まったく。ツケなんてしたことないくせに……」


「教授になって懐が潤ったからって格好つけるんじゃないよ。」


 ユリアンは照れくさそうに肩をすくめた。


「少しくらい、格好つけさせてください。」


 そう言って軽く手を振る。


 女将も笑いながら手を振り返した。


「またおいで、ユリちゃん。」


「はい。また彼等と一緒に」


 その返事は、教授ではなく、一人の青年の声だった。

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