特別履修
魔導史の教授は、静かに文献を閉じた。
「……分かりました。」
「少なくとも現時点では、その呼称をシノ殿へ当てはめるべきではありませんな。」
教授たちも静かに頷く。
ユリアンは資料を整え、小さく一礼した。
「ありがとうございます。」
「では、本題へ戻りましょう。」
一枚の紙を手に取る。
「そうでした。」
「一つ、申し上げ忘れていたことがあります。」
教授たちが顔を上げる。
「シノさんは、ファルク君の師でもあります。」
歌唱魔導科の老教授が、すぐに資料を開いた。
「……童謡雷唱。」
「確かに。」
「ファルク君はシノ殿より直接学んだと記録されていますな。」
「はい。」
ユリアンは頷く。
「王都へ来るまで、ファルク君はシノさんから歌唱魔導を学び続けていました。」
「つまり。」
「師弟です。」
会議室に、小さなどよめきが起こる。
ユリアンは続けた。
「そこで提案があります。」
「ファルク君には、王都滞在中、師へ帯同して技術を学ぶ特別履修を認めていただきたい。」
「私は召喚譜式学教授です。」
「ですので、歌唱魔導科の学生である彼のカリキュラムを変更するのには、歌唱魔導科のお許しが必要になります。」
一拍。
歌唱魔導科の老教授は腕を組んだ。
「……却下です。」
会議室が静まり返る。
シノが思わずエルンを見る。
エルンも驚いていた。
老教授は、真っ直ぐユリアンを見る。
「ヴェルク教授。」
「君は昔から変わりませんな。」
「興味を持った研究は、何でも自分の研究室へ持っていく。」
ユリアンは苦笑した。
「否定はいたしません。」
「しないのか。」
「事実ですので。」
思わず何人かの教授が笑う。
しかし老教授は笑わない。
「ファルク君は歌唱魔導科の学生です。」
「しかも歴代最高総合得点者。」
「その彼を研究員として放課後は召喚譜式学へ連れていく。」
さらにシノを見る。
「そして今度は。」
「歌唱魔導そのものを書き換えるかもしれない少女にまで興味を?。」
「君は全部欲しいのですか。」
ユリアンは少しだけ考え、
静かに首を横へ振った。
「全部ではありません。」
「ファルク君は歌唱魔導科の学生です。」
「それは変わりません。」
「シノさんも学生ではありません。」
「歌唱魔導については、皆様が第一人者です。」
一呼吸置く。
「ですが。」
「召喚についてだけは。」
「どうしても私が研究したいのです。」
その言葉に、教授たちは黙った。
そこには打算も駆け引きもなかった。
純粋な研究者の目だった。
老教授は腕を組んだまま尋ねる。
「では。」
「歌唱魔導で得られた知見は。」
ユリアンは即答した。
「歌唱魔導科へ最優先で共有します。」
「観察記録。」
「実験記録。」
「原本。」
「必要であれば共同研究名義でも構いません。」
「横取りする気はありません。」
「歌唱魔導は、私の専門ではありませんから。」
老教授は目を閉じた。
しばらく考え、
ゆっくり笑った。
「……昔から。」
「研究にだけは、正直な男ですな。」
ユリアンも苦笑する。
「ありがとうございます。」
「よろしい。」
老教授は頷いた。
「歌唱魔導科として承認します。」
「ファルク君は特別履修。」
「ただし。」
「資料は全部こちらへ回すように。」
「約束します。」
「一枚残らず。」
「もちろんです。」
そこで学園長も頷いた。
「では決まりだな。」
「エルン・ファルク君。」
「王都滞在中は特別履修とする。」
「単位も正式に認定しよう。」
エルンは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
ユリアンは、ようやくシノへ向き直る。
「シノさん。」
「はい。」
「学園へお越しの際は、私の研究室へいらしてください。」
「ファルク君の隣に机をご用意します。」
エルンが振り返る。
「教授。」
「何でしょう。」
「いつの間に。」
「昨日、空けておきました。」
「……早いですね。」
「必要になると思いましたので。」
ユリアンは平然と答える。
「研究室で、一緒に考えましょう。」
「分からないことを、分かるようにする。」
「それが研究です。」
「エルンもいますか?」
シノが丁寧に尋ねる。
「もちろんです。」
「でしたら、お邪魔します。」
「歓迎します。」
エルンが小さく手を挙げた。
「教授。」
「はい。」
「共同研究者とは、何をするのでしょう。」
「研究です。」
一拍置いて、
「あと、掃除もします。」
エルンは苦笑した。
「教授。」
「共同研究者とは……。」
「研究者です。」
「掃除もしますが。」
会議室に、小さな笑いが広がる。
その笑いが静まるのを待つように、一人の男が静かに立ち上がった。
ゼヴランだった。
「学園のお話がまとまったようですので。」
「今度は、神殿からも一つお願いがございます。」




