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王都で待っています

教授会は、その後も続いた。


 神殿への照会。


 レスト侯爵家への正式な挨拶状。


 ローネ湖の追加調査依頼。


 王宮契約士と神殿降霊官への意見聴取。


 エルン・ファルクの記録閲覧範囲。


 シノ師が到着した場合の面会手順。


 ひとつずつ、決めるべきことが増えていく。


 だが、肝心の一点だけは決まらなかった。


 シノ師を、どの管轄で扱うか。


「歌唱魔導科が主導すべきです」


「召喚に関わるなら、召喚譜式学でしょう」


「神獣案件なら神殿との共同対応が不可欠です」


「侯爵家の客人なら、まず礼法上の配慮が必要だ」


「そもそも、本人が学園に来るとは限らない」


「しかし、エルン・ファルク君との関係がある」


「ではエルン君を通して」


「学生を窓口にするのは危険です」


「だが、シノ師が最も信用しているのは彼では?」


 議論は、きれいに回り続けた。


 結論だけを置き去りにして。


 学園長は、しばらく黙ってそれを聞いていた。


 そして、ようやく口を開いた。


「よい」


 その一言で、会議室が静まった。


「現時点で管轄を決めるには情報が足りぬ。シノ師が王都へ到着し、本人と面会してから判断する」


「では、それまでは?」


「ヴェルク教授を暫定の取りまとめ役とする」


 何人かの教授が、わずかに反応した。


 ユリアンは表情を変えない。


「私でよろしいのですか」


「今回の件は、歌唱魔導、召喚、神獣、侯爵家、それぞれにまたがっている。誰か一人の管轄には収まらぬ。君は少なくとも、断定を避けている」


「慎重さを評価されたと受け取っておきます」


「楽しそうに見える点は評価しておらぬ」


「善処します」


 学園長は小さく息を吐いた。


「ただし、勝手な接触は認めぬ。レスト侯爵家への正式な挨拶を経て、面会は学園長立ち会いのもと行う」


「承知しました」


「エルン・ファルクには?」


「私から伝えます」


「よい。彼は当面、記録協力者とする。ただし、学生であることを忘れるな」


「はい」


 歌唱魔導科の老教授が、まだ納得しきれない顔で言った。


「しかし、そのシノ師が歌唱魔導の失われた系譜を持つなら、歌唱魔導科としても直接話を聞きたい」


「もちろんです」


 ユリアンは微笑んだ。


「順番を守れば」


「順番、ですか」


「はい。焦れば、歌は逃げます」


 老教授は目を細めた。


「歌を知っている者の言い方ではありませんな」


「だからこそ、逃がさないようにしたいのです」


 その言葉に、老教授は黙った。


 ユリアンは礼をして、席に座る。


 教授会は、ひとまずの結論を得た。


 シノ師の来訪を待つ。


 正式な面会の場を設ける。


 現象の確認を優先する。


 本人に関する予備知識は、必要以上に広めない。


 だが、会議室を出る教授たちの頭の中で、シノ師という存在はさらに大きくなっていた。


 地方に隠れた歌の達人。


 神獣と縁を結ぶ在野の召喚歌唱魔導士。


 夢喰いの獣を従える謎の人物。


 王都に記録のない、古き歌の継承者。


 誰も、想像していなかった。


 そのシノ師が、十二歳前後の少女であることを。


 魔力を持たないことを。


 貴族家の血筋かどうかすら分からない、孤児院の子であることを。



 教授会が終わったあと、ユリアン・ヴェルクはひとり、会議室に残っていた。


 机の上に残された資料を揃える。


 地方神殿の報告。


 侯爵家の私信。


 エルンの記録。


 その三つを重ね、最後に自分の報告書を乗せる。


 窓の外では、王都の朝がすっかり明るくなっていた。


「シノ師、か」


 ユリアンは小さく呟いた。


 まだ、顔も知らない。


 年齢も知らない。


 身分も知らない。


 ただ、現象だけがある。


 歌。


 神獣。


 夢喰い。


 外部マナ。


 召喚譜式の不在。


 媒介の不在。


 契約文の不在。


 それでも、存在は来た。


 ユリアンは、自分の指先を見た。


 召喚士になれなかった手。


 召喚譜式を研究し、古文書を読み、契約具を調べ、失敗例を集め、それでも扉の向こうへ届かなかった手。


「届かないものほど、人は理屈で触れようとする」


 昨日の言葉を、もう一度だけ呟く。


 そして、ふっと笑った。


「では、理屈の外から来る者には、どう触れればよいのでしょうね」


 答えはなかった。


 ただ、王都の遠くで鐘が鳴った。


     ***


 同じ頃。


 エルン・ファルクは、研究室でシノの手紙を広げていた。


 短すぎる手紙。


 けれど、何度読んでも、そこにはシノらしさがあった。


 リンちゃんが来ました。


 バッくんも来ました。


 王都で会えたらうれしいです。


「……こっちは教授会まで開かれたぞ」


 呟いても、もちろん返事はない。


 エルンは新しい紙を取り出した。


 返事を書こうとして、筆を止める。


 王都は騒がしくなっています。


 教授たちがあなたをシノ師と呼んでいます。


 麒麟と獏の件で会議が開かれました。


 ユリアン教授が興味を持っています。


 どれも、書けばシノを困らせそうだった。


 それに。


 エルンは、窓の外を見た。


 レスト侯爵家の早馬がこの手紙を届けたのは、昨日のことだ。


 シノは、もう旅支度を始めているはずだった。


 今から返事を出しても、途中で行き違いになるかもしれない。


 ならば。


 書くよりも、待つ方がいい。


 王都で。


 シノが来た時に、ちゃんと迎えられる場所で。


 エルンは白紙を畳み、引き出しにしまった。


「人のことを言えないな」


 書こうとした言葉は、結局、シノの手紙と同じくらい短かった。


 王都で待っています。


 それだけ。


 けれど、それで十分な気がした。


 シノには、たぶんその方が伝わる。


 エルンは、シノの手紙を記録帳の間に挟んだ。


 


 その日の夕方。


 ルミナリア孤児院では、旅立ちの準備がほとんど終わっていた。


 マルナ院長は、サラ先生に留守中のことを細かく説明している。


「薬草棚の上から二段目は、咳止めです。熱がある子には自己判断で飲ませず、村の医師を呼んでください」


「分かっていますよ、院長先生」


「リックは木登りをします。目を離すと屋根に上がります」


「昔からですね」


「ネリは無理をして手伝いすぎます。休ませてください」


「はい」


「ミミは夜、寂しくなるとシノの布団に潜り込もうとします」


「では、私の隣に寝かせましょう」


 サラ先生は、やわらかく笑った。


 その笑い方を見て、シノは少し安心した。


 サラ先生は、元々この孤児院にいた人だ。


 今は結婚してハウル村で暮らしているが、時々こうして手伝いに来てくれる。


 子どもたちも、みんな知っている。


 だから、マルナ院長が数日離れても、孤児院は大丈夫。


 大丈夫なはずなのに。


 シノは、少しだけ胸がきゅっとした。


「シノ」


 マルナ院長が呼ぶ。


「荷物はまとまりましたか」


「はい。たぶん」


「たぶん?」


 鞄を開けると、着替えの隙間に木の実と花飾りと本と、なぜか小さな石が入っていた。


「これは?」


「リックがくれました。王都の石と交換してきてって」


「旅は交換会ではありません」


「でも、約束しちゃった」


 マルナ院長は小さく息を吐いた。


「ひとつだけですよ」


「はい」


 井戸のそばでは、リンちゃんが静かに目を閉じている。


 金色のたてがみには、ミミが挿した白い花がまだ残っていた。


 洗濯籠の中では、バッくんが丸くなっている。


「バッくん、それ持っていく籠じゃないよ」


『ふかふかー』


「ふかふかじゃなくて」


『旅にもふかふかは大事だよー』


「そうなの?」


『そうなのー』


 シノは少し考えた。


「じゃあ、別の毛布にしよう」


『毛布もいいねー』


 バッくんは、ころんと転がった。


 ミミがシノの服の裾を掴む。


「シノ、すぐ帰ってくる?」


「うん。リーゼリア様と王都まで行って、エルンに会えたら会って、それから帰ってくるよ」


「リンちゃん様も?」


「たぶん」


 ミミはリンちゃんを見る。


 リンちゃんは、目を閉じたまま尾を一度だけ揺らした。


「バッくんも?」


『夢がおいしそうならー』


「バッくん、食べすぎちゃだめだよ」


『悪い夢だけだよー』


 リックが腕を組んだ。


「王都って、でかいんだろ?」


「たぶん」


「迷子になるなよ」


「うん」


「あと、王様がいたらよろしく言っといて」


「会わないと思う」


「分かんないだろ。シノだし」


「シノだしってなに?」


 ネリが小さく笑った。


「気をつけてね、シノ」


「うん」


「王都の本屋さん、見られたら見てきて」


「うん。見られたら」


 孤児院の庭に、夕方の光が落ちる。


 いつもの庭。


 いつもの井戸。


 いつもの子どもたちの声。


 けれど、明日の朝には少しだけ違う。


 シノは王都へ向かう。


 リーゼリアが怖くならないように。


 エルンに会えるかもしれないから。


 そして、歌を持っていく。


 それだけだった。


 その頃、王都へ続く街道の先には、白い霧が静かに降り始めていた。


 まるで、眠った道が、誰かに起こされるのを待っているように。


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