世界を渡る鳥
昨日の騒乱が嘘だったかのように、中央広場には再び人々が集まっていた。
もちろん、すべてが元通りになったわけではない。
砕けた石畳。
修復の間に合わなかった建物。
いつもより多く配置された王国兵。
それでも。
露店には湯気が立ち。
子どもたちは菓子を手に走り。
楽師たちは音を奏でている。
昨日、泣いた者も。
逃げた者も。
戦った者も。
今日また、この場所へ帰ってきた。
開国祭は。
最後まで、開国祭だった。
◇
大道芸。
舞踊。
王国騎士による演武。
王立魔導学園の生徒たちによる模擬魔導。
ひとつ。
またひとつと催しが終わり。
夕刻。
いよいよ、祭りを締めくくる時が訪れた。
中央広場に設けられた祭壇へ。
ライラメス司祭が静かに上がる。
それまで広場を満たしていたざわめきが、少しずつ消えていった。
ライラメスは祭壇の前で立ち止まり。
胸元へ三本の線を引く。
そして。
古い聖典を開いた。
「――三神よ」
穏やかな声が。
中央広場へ広がる。
「音をもって心を結ぶ、アウラよ」
「水をもって命を育む、ミリニアよ」
「大地をもって我らを支える、ガルシアよ」
広場の人々も。
胸へ手を添える。
「我らが今日まで歩みしことに、感謝を」
「我らが明日もまた歩めることに、祈りを」
静かに。
一枚。
ページがめくられた。
「長く慈しみ」
「長く支え」
「長く忍び」
「過ちし者には、正す道を」
「迷いし者には、帰る道を」
「喜びの日には、喜びを分かち合える者を」
「悲しみの日には、悲しみを寄せ合える者を」
「争いの日には」
ライラメスが顔を上げた。
「再び、手を取り合える心を」
風が。
聖典の頁を僅かに揺らす。
「我らは今日を生き」
「今日を終え」
「そして」
「また明日を願う」
一拍。
「三神よ」
「この国に生きる、すべての者へ」
「明日もまた――」
ライラメスが。
深く頭を垂れた。
「慈しみを」
聖典が閉じられる。
「三神の御名とともに」
広場中の人々が。
胸へ三本の線を引いた。
何百年と続いてきた。
開国祭、最後の祈り。
そこは。
何も変えない。
今年も。
いつものように。
三神への祈りが終わった。
◇
そして。
しばしの静寂のあと。
祭壇の奥から。
一人の少女が姿を現した。
白を基調とした衣。
そこへ、深い赤を重ねた祭礼の装い。
長い袖が。
夕暮れの風に揺れる。
「……シノだ」
「シノ師……」
人々の間から。
小さな声が上がる。
シノ・ルミナリア。
昨日。
王都を襲った厄災の中にいた少女。
シノは。
ゆっくりと祭壇の中央へ歩いていった。
少し離れた場所には。
アイザック。
マルナ。
エルン。
ライアス。
ロイド。
レスト侯。
リーゼ。
アウダイール。
皆がいる。
「……」
シノは。
中央広場を見渡した。
たくさんの人。
昨日。
怖い思いをした人たち。
傷ついた人も。
大切な人を心配した人も。
それでも。
また今日。
ここへ来た人たち。
シノは。
胸元へ、三本の線を引いた。
そして。
静かに目を閉じる。
歌は。
もう、決めていた。
◇
開国祭を迎える、少し前。
中央神殿で。
シノは、一冊の古い童話を見つけた。
『世界を渡る鳥』
見覚えがあった。
思い返せば。
ルミナリア孤児院の本棚にも。
同じ本が、確かに置かれていた。
小さな鳥が。
いくつもの国を渡り。
たくさんの人と出会い。
別れ。
そしてまた。
次の場所へ飛んでいく物語。
その最後のページには。
短い童謡が記されていた。
「……?」
文字を追った。
その時だった。
頭の奥で。
音が鳴った。
「……あ」
旋律。
シノの目が。
ゆっくりと見開かれる。
「これ……」
知っている。
ずっと昔。
いや。
この世界へ来た。
あの瞬間。
父の手の温かさが遠くなり。
機械の音も。
人の声も。
何もかもが消えていく中で。
たった一つ。
最後まで残っていたもの。
旋律。
どこの国の歌なのか。
誰が歌っていたのか。
何も分からなかった。
嬉しい歌のようで。
悲しい歌のようで。
始まりの歌のようで。
別れの歌のようでもあった。
ただ。
胸が痛くなるほど。
綺麗だった。
あの時。
知っているような気がしたのに。
どうしても思い出せなかった旋律。
けれど。
今は。
次の音が分かる。
その次も。
その先も。
まるで。
ずっと知っていた歌を。
ようやく思い出したように。
「……この歌だったんだ」
シノは。
最後のページを見つめた。
童話。
『世界を渡る鳥』
そこに記された。
名もない、小さな歌。
それが。
あの日。
自分がこの世界へ来る時に聞いた旋律だった。
◇
そして。
今。
中央広場。
シノは目を開けた。
目の前には。
昨日を越えて。
もう一度ここへ集まった人たちがいる。
息を吸う。
歌おう。
そう思った。
その時だった。
「――さん、はい」
「……!」
シノが振り返った。
けれど。
そこには。
誰もいない。
明るくて。
懐かしくて。
少しいたずらっぽい。
小さな女の子の声。
あの日と。
同じ声だった。
「……」
誰なのかは。
やっぱり分からない。
どうして。
今。
また聞こえたのかも。
分からない。
だけど。
不思議と。
怖くはなかった。
むしろ。
ずっと昔から。
そうしてもらっていたような気がした。
シノは。
ほんの少しだけ笑う。
「……うん」
前を向いた。
そして。
歌い始める。
「また明日、会えるなら」
柔らかな声が。
広場を渡っていく。
「また明日、遊んだり」
風が。
白い袖を揺らした。
「また明日、ケンカして」
エルンが。
静かにシノを見つめている。
「また明日、仲直り」
マルナが。
優しく微笑んだ。
「世界をいくつ渡っても」
その時。
シノの周囲に。
小さな光が浮かんだ。
「……?」
ロイドが。
目を細める。
一つ。
また一つ。
光が集まっていく。
自然のマナ。
譜式はない。
階梯もない。
誰も。
それを操ってはいない。
ただ。
歌へ。
集まってくる。
まるで。
歌そのものを。
聞いているように。
シノは。
最後の言葉を歌った。
「帰ってくるよ――」
少しだけ。
笑う。
「また明日」
その瞬間。
集まった光が。
大きく。
翼を広げた。
「……!」
広場中から。
息を呑む音がした。
一羽の。
小さな光の鳥。
羽ばたく。
一度。
二度。
そのたびに。
姿が大きくなる。
翼が伸び。
尾羽が広がり。
金色の光が。
炎のように、その身体を包んでいく。
「……不死鳥アウリス」
ライラメスが。
震える声で呟いた。
光の鳥は。
やがて。
巨大な不死鳥となった。
熱くはない。
眩しいのに。
誰一人、目を背けない。
アウリスが。
シノの頭上を。
ゆっくりと飛ぶ。
一周。
「……」
二周。
アイザックの目が。
僅かに見開かれた。
三周。
「……三度」
ライラメスが。
呟く。
「まさか……」
ロイドも。
空を見上げたまま動かない。
そして。
群衆のどこかから。
老人の声がした。
「……開国の」
震えている。
「開国の伝承と……同じだ……」
誰も。
声を上げなかった。
マニール建国の時。
三神へ捧げられた祈りに応え。
一羽の不死鳥が現れ。
新たな国の空を三度巡った。
今では。
祭りの由来として。
童話のように語られるだけとなっていた光景。
それが。
今。
目の前で。
再び。
起きていた。
アウリスは。
三度目の旋回を終えると。
一度だけ。
シノへ顔を向けた。
「……」
シノが。
小さく手を振る。
「またね」
アウリスは。
大きく翼を羽ばたかせた。
高く。
さらに。
高く。
夕暮れの空へ昇っていく。
やがて。
一つの金色の光になり。
そして。
空へ。
消えていった。
「……」
誰も。
しばらく動けなかった。
夕暮れの空には。
まだ。
アウリスが残した光が。
金色の花びらのように。
ゆっくりと舞っていた。
◇
中央広場の端。
大量の筒と。
火薬を前に。
二人の男が。
空を見上げていた。
「……親方」
「言うな」
「でも」
「言うな」
「このあと……」
「言うなって」
「締めの花火が……」
「……」
親方と呼ばれた男は。
アウリスが消えた空を見上げた。
まだ。
金色の光が降っている。
「……やめとけ」
「え?」
「こんなんの後に上げられるか」
「でも、王宮からの依頼ですよ」
「……」
親方は。
深く。
長く。
息を吐いた。
「今年は不発でしたって」
「え?」
「俺が王宮に詫び入れとくからよ」
「親方……」
「勝てるわけねえだろ」
二人は。
もう一度。
空を見上げた。
開国祭、最後の空に。
恒例の花火が上がることは。
なかった。




