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ただいま

レスト邸へ戻ると。


 玄関扉が開くより早く、屋敷の中から足音が聞こえた。


「シノさん!」


「シノ殿!」


「え――」


 最初に飛び出してきたのはリーゼリアだった。


 その後ろからレスト侯。


 普段ならば、侯爵としての威厳を何より重んじる男が。


「おお……シノ殿……!」


 もう、泣いていた。


「レ、レスト侯?」


「よく……よくぞ……!」


 そのまま。


 リーゼリアと二人でシノを抱きしめる。


「わっ!」


「シノさん……!」


「リーゼリア様?」


「怖かった……!」


 リーゼリアの声が震えていた。


「黒い獣が出たって……王都で戦いが始まったって聞いて……!」


「ご、ごめんね」


「謝らないでください!」


 さらに抱きしめられる。


「帰ってきたんだから……それでいいのです!」


「うん……」


 レスト侯も。


 目元を拭うことさえ忘れている。


「シノ殿が……もしものことがあったら……私は……私は……!」


「だ、大丈夫ですよ。ほら」


「大丈夫ではない!」


「ええ!?」


「十二歳の少女が魔王と会って帰ってくることを、大丈夫とは言わん!」


「それは……そうかも」


 後ろでライアスが深く頷いた。


「侯爵閣下に全面的に同意します」


「ライアスさんまで!」


 そんな三人を。


 少し離れたところからライナーが見ていた。


「……」


 いつも通りの執事服。


 いつも通りの姿勢。


 けれど。


 目元が、ほんの少し赤い。


 シノが気づく。


「ライナーさん?」


「はい」


「……泣いてる?」


「いいえ」


 即答だった。


「ちょっと目、赤いよ?」


「王都の粉塵でしょう」


「屋敷の中なのに?」


「……」


 一拍。

 ライナーは軽く咳払いをする。


「それよりも」


 いつもの執事の顔に戻る。


「シノ様がお好きな焼き菓子をお持ちいたします」


「焼き菓子!」


「はい」


「食べる!」


「承知いたしました」


 踵を返す。


 けれど。


 厨房へ向かう直前。


 ほんの一度だけ。


 振り返った。


「……お帰りなさいませ、シノ様」


「……!」


 シノが笑う。




夜。


 レスト邸にも、ようやく静かな時間が戻っていた。


 開国祭の飾りが残る王都は、窓の向こうで淡い灯りに包まれている。


 少し前まで、あれほどの戦いがあったとは思えないほど。


 静かな夜だった。


 シノは、客間のソファに腰掛けていた。


 隣には、マルナ。


 しばらく二人で窓の外を眺めていたシノが、ぽつりと口を開いた。


「院長先生」


「はい」


「今日まで、色々あったね」


 マルナは少しだけ目を細めた。


「そうですね」


 そして。


 ゆっくりと頷く。


「本当に、色々ありました」


「うん」


 シノも頷いた。


 ルミナリア孤児院を出た日のこと。


 王都へ向かう馬車。


 初めて見る大きな街。


 王立魔導学園。


 中央神殿。


 たくさんの人との出会い。


 国王アイザックと出会い。


 名前をもらった。


 シノ・ルミナリア。


 護衛としてライアスがやってきて。


 神獣と出会い。


 パラディンが誕生して。


 そして今日。


 王都で戦いが起きた。


 怖かった。


 怒った。


 泣いた。


 エルンを失うかもしれないと思った。


 それでも。


 帰ってきた。


 みんな、生きている。


「王都に来たときはさ」


 シノが言う。


「こんなことになるなんて、全然思ってなかった」


「私もですよ」


「院長先生も?」


「もちろんです」


 マルナが笑った。


「まさかシノが国王陛下のお弟子さんになって」


「うん」


「二百年ぶりのパラディンと一緒に行動するようになって」


「うん」


「最後には魔王様とお知り合いになるなんて」


「お知り合い……」


「あら、違うの?」


「……たぶん、知り合いではある」


「ふふ」


「でも、魔王だよ?」


「そうですねえ」


「院長先生、受け入れるの早くない?」


「シノと一緒にいると、驚いてばかりでは身が持ちませんから」


「ええー」


 二人で笑った。


 少しだけ。


 いつもの孤児院にいた頃のように。


 やがて。


 笑い声が静かになる。


 シノは、再び窓の外へ目を向けた。


「……でもね」


「はい」


「また帰れるんだよね」


 マルナは何も言わず、シノを見る。


「ルミナリア孤児院に」


「ええ」


「みんなのところに」


「はい」


「村長さんにも会える」


「ええ」


 シノは膝の上で、両手を重ねた。


「また会える人がいる」


「……」


「帰ったら、会える人がいる」


 少しだけ。


 声が震えた。


 けれど。


 その顔は笑っていた。


「それが、嬉しい」


 マルナの手が。


 そっとシノの頭へ置かれた。


「そうですね」


 ゆっくり。


 髪を撫でる。


「帰る場所があることも」


「うん」


「そこで待っていてくれる人がいることも」


「……うん」


「とても幸せなことです」


 シノは目を閉じた。


 帰れない場所もある。


 もう会えない人もいる。


 月森詩乃として生きていた世界。


 あの家。


 あの人たち。


 けれど。


 今の自分には。


 帰れる場所がある。


 ルミナリア孤児院。


 そこで。


 また会える人たちがいる。


「……そっか」


 シノが小さく呟いた。


「シノ?」


「ううん」


 そして。


 顔を上げる。


「院長先生」


「はい?」


「明日ね」


 シノが笑った。


「神殿に行ってくる」


「開国祭、最後のお祈りですね」


「うん」


「陛下から聞いていますよ」


「アイク先生がね。いつものお祈りが終わったら、歌っていいって」


「ええ」


「魔王も、また歌ってくれって言ってたし」


「そうでしたね」


「だから――」


 そこで。


 シノは言葉を止めた。


 今日のことを思う。


 王都へ来てからのことを思う。


 もっと前。


 ルミナリア孤児院で過ごした日々を思う。


 そして。


 これから。


 また帰っていく場所を思った。


 迷いは。


 もうなかった。


 シノは、マルナを見る。


 その顔に。


 柔らかな笑みが浮かんだ。


「歌は、もう決まったよ」


「……そうですか」


 マルナは曲名を訊かなかった。


 ただ。


 いつものように。


 優しく微笑んだ。


「はい」


 シノも笑う。


「明日、歌ってくる」


 窓の向こう。


 開国祭最後の夜が。


 静かに更けていった。

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