誰かのために歌う歌
王宮、応接室。
長い一日を終えた者たちが、ようやく一つの場所へ集まっていた。
国王アイザック。
シノ。
エルン。
ライアス。
宮廷魔導士長ロイド。
マルナ。
戦士長アウダイール。
そして、ライラメス司祭。
少し前まで、それぞれが王都の違う場所で戦っていた。
テーブルには茶が用意されている。
だが、誰もすぐには口をつけなかった。
「では」
アイザックが口を開く。
「まずは、現在の状況を聞こう。アウダイール」
「はっ」
アウダイールが姿勢を正した。
「西門周辺へ侵入したエルドリア兵については、ほぼ全員の武装解除を完了しております。現在は王国軍の監視下に置いております」
「抵抗は」
「一部にございました。しかし、既に鎮圧済みです」
「そうか」
アイザックの表情は厳しい。
「民の被害は」
「現在も確認を続けております。ただ――」
アウダイールが僅かに間を置いた。
「予想されていた被害に比べれば、奇跡的なほど少ないと申し上げてよいかと」
「……奇跡的?」
「特に黒禍狼が出現した区域です。建物や石畳への被害は相当なものですが、戦闘の余波による民の重傷者がほとんど出ておりません」
「それなんじゃがな」
ロイドが茶を持ち上げた。
「理由なら分かっておる」
全員の視線が向く。
「ラグナロクじゃ」
「……終焉魔王が?」
アウダイールが眉を寄せる。
「うむ」
ロイドは頷いた。
「あやつ、いつの間にか戦場一帯へ結界を張っておった」
「結界?」
「しかも、わしでも正確な構造が分からんほどの代物じゃ。瓦礫も衝撃波も、民へ届く直前で全部止めておった」
「あら」
マルナが頬へ手を添えた。
「随分と親切な魔王様だったのね」
「院長先生」
ライアスがすぐに反応する。
「親切で片づけていい相手じゃありませんよ、あれ」
「でも、民を守ってくださったのでしょう?」
「俺が戦ってた黒禍狼を回復させたうえに、さらに強くしたんですけど!?」
「あら」
マルナは少し考え。
「それは親切じゃないわね」
「でしょう!?」
そのやり取りに。
シノが、くすっと笑った。
隣からも。
小さな笑い声が聞こえた。
「……」
シノが横を見る。
エルンだった。
顔色はまだよくない。
けれど。
生きている。
そこにいる。
「ん?」
視線に気づき、エルンが首を傾げた。
「どうした?」
「……なんでもない」
「そうか?」
「うん」
シノは。
そっとエルンの袖を掴んだ。
「……」
エルンは一瞬だけ、その手を見る。
けれど。
何も言わなかった。
そのまま。
掴ませておいた。
向かい側から。
マルナだけが、それを静かに見ていた。
◇
「グランツ公爵については?」
アイザックが訊いた。
室内の空気が変わる。
「拘束しております」
アウダイールが答える。
「現在は王宮地下の拘束施設へ」
「意識は」
「戻っております。ただし……」
「ただし?」
「まともに受け答えのできる状態ではございません」
ロイドが低く呟いた。
「タナトスか」
「……」
シノの肩が小さく揺れた。
「私……」
全員がシノを見る。
「私が、やったの?」
アイザックは答えず。
ロイドへ視線を向けた。
「正確には、少し違う」
「違う?」
「シノ嬢。お主は歌った」
「……うん」
「じゃが、ディメンションバインドを展開したのは、おそらくお主自身ではない」
「え?」
「タナトスじゃ」
ライラメスが息を呑んだ。
「古代魔法……第八階梯」
「そうじゃ」
ロイドの顔から、いつもの軽さが消える。
「シノ嬢の歌を鍵として、タナトス自身が第八階梯を展開した」
「……」
「あやつは、おそらく見た」
「何を?」
「罪。悪意。後悔。恐れ」
ロイドは静かに答える。
「人が、最も見られたくないものをな」
シノは自分の両手を見る。
「……私」
声が小さくなる。
「怒ってた」
「そうじゃな」
「すごく怒ってた」
隣に座るエルンの袖を。
少し強く握る。
「エルンが死んじゃうって思った」
「……」
「ユリアン先生が……またエルンを騙して」
「シノ」
エルンが呼んだ。
「……」
「俺は生きてる」
シノが顔を上げる。
エルンは。
いつものように。
優しく笑った。
「ここにいる」
「……うん」
「大丈夫だ」
「……うん」
マルナが、その二人を見る。
「シノ」
「はい」
「怒ることそのものが、悪いとは言いません」
「……」
「大切な人が傷つけられたなら、怒るのは当然です」
マルナは胸元へ手を置いた。
三本の線を引く。
三神への祈り。
「でもね」
「……はい」
「その怒りを、どこへ届けるのか」
シノを見る。
「それは、自分で選ばなくてはいけません」
「……」
「あなた」
マルナが僅かに笑った。
「今、祈りを極めている途中なのでしょう?」
「……!」
シノがアイザックを見る。
アイザックも笑っていた。
「……うん」
「なら」
マルナは優しく言った。
「また一つ、お勉強ね」
「はい」
シノは。
ゆっくり頷いた。
◇
「教授は?」
エルンが訊いた。
「拘束している」
アウダイールが答える。
「グランツ公爵ほどではないが、精神的な消耗が激しい。医師によれば、まともな尋問が可能になるのは早くとも明日以降だ」
「そうですか」
「……」
アイザックがエルンを見る。
「エルン」
「はい」
「あの男が、なぜあそこまでしたのか」
「……」
「知りたいか?」
エルンは少しだけ黙った。
そして。
「はい」
はっきりと答えた。
「でも」
「なんだ」
「俺が直接聞きたいです」
「……」
「教授が何を考えていたのか」
エルンの手が、僅かに握られる。
「俺は、教授の口から聞きたい」
アイザックはしばらく見つめ。
「あい分かった」
頷いた。
「許す」
「ありがとうございます」
◇
「では!」
ロイドが身を乗り出した。
「次は終焉魔王についてじゃ!」
「待て」
「なぜじゃ!」
「なぜお主が仕切る」
「重要じゃろう!」
「重要ではある!」
「魔王が三神に仕えておるのじゃぞ!」
「そこです!」
突然。
ライラメスが立ち上がった。
「そこを詳しくお願い致します!」
「司祭まで乗るな!」
「陛下!」
「なんだ!」
「魔界に三神の神殿があるのですよ!?」
「聞いた!」
「これは神殿史上――いえ、三神教そのものの認識を覆しかねない大発見です!」
「分かったから座れ!」
「はい!」
勢いよく座った。
「……」
アイザックが額を押さえる。
「はい」
今度はシノが手を挙げた。
「……なんだ」
「悪魔は魔界の犯罪者なんだって」
「……」
「魔王が取り締まってるって」
「うむ」
「魔界にも歌がいっぱいあるって」
「……そうか」
「今度来るかって」
「待て」
「魔界に」
「待て待て待て」
ライアスが机に手をつく。
「陛下、そこは私が止めました!」
「よくやった、パラディン!」
「ありがとうございます!」
「絶対に行かせるな!」
「御意!」
「いや、私まだ行くって言ってないよ?」
「嬢ちゃんは行く!」
「なんで決めつけるの!」
「魔界の歌って言われたときの顔、完全に行く顔だったからだよ!」
「……」
「ほら!」
「……ちょっと聴いてみたいだけ」
「駄目!」
ロイドがおずおずと手を挙げる。
「ちなみに、わしは」
「駄目だ」
「まだ何も言っとらん!」
「お主も魔界へ行く気だろう!」
「研究じゃ!」
「帰ってこなくなるだろうが!」
「魔界の三神神殿じゃぞ!?」
「駄目だ!」
「あらあら」
マルナが。
楽しそうに茶を飲んでいた。
「院長先生」
ライアスが振り返る。
「少しは止めてください」
「だって」
マルナはカップを置いた。
「みんな、無事に帰ってきたんですもの」
「……」
部屋が。
静かになった。
マルナは。
シノを見る。
エルンを見る。
傷だらけになった真新しい鎧を纏うライアスを見る。
「今日は」
微笑んだ。
「それだけで、十分じゃない?」
「……」
アイザックが。
静かに息を吐く。
「ああ」
表情から。
少しだけ。
王としての緊張が抜けた。
「その通りだ」
◇
「しかし」
アイザックがシノを見る。
「魔王は、明日と言ったのだな?」
「はい」
「改めて歌え、と」
「うん」
「歌が届けば、再び現れる」
「そう言ってた」
「……」
アイザックは、なんとも言えない顔をした。
「終焉魔王を呼ぶ約束を、そんな普通の顔で報告する者を余は初めて見たぞ」
「召喚するんじゃないよ」
「何?」
「歌うだけ」
「……」
「届いたら、魔王が勝手に来るって」
ロイドが顎髭を撫でる。
「ふむ……」
「なんじゃ」
「いや」
ロイドは少し考え。
「それこそ、今日の騒動への答えなのかもしれんと思ってな」
「答え?」
「呼び出そうとするから、召喚になる」
「……」
「じゃが」
シノを見る。
「届けば、向こうから来る」
エルンが。
静かに目を伏せた。
アイザックも。
その意味を理解したらしい。
「……なるほどな」
それ以上は言わなかった。
少し考え。
やがて。
「シノ」
「はい」
「開国祭だが」
「うん」
「本来ならば、今日で式典は全て終わりなのだが」
「……うん」
「だが、この有様だ」
アイザックは窓の外を見る。
祭りの飾りは残っている。
けれど。
今日一日で、王都はあまりにも多くのものを経験した。
「明日、改めて祭りの締めを行う」
「締め?」
「ああ」
ライラメスが頷く。
「開国祭の最後には、必ず三神への祈りを捧げます」
「……」
「国の安寧」
「民の営み」
「そして、三神の加護へ感謝を捧げる」
アイザックが続ける。
「聖典の決まった一節を読み上げるのが、古くからの慣わしだ」
「そうなんだ」
「そこは変えん」
アイザックの声が。
少しだけ国王のものになる。
「今日、何が起きたとしても」
「……」
「開国祭は、開国祭だ」
シノが頷く。
「うん」
「だが」
アイザックが。
少し笑った。
「そのあとに」
「?」
「歌ってみてはどうだ」
「……歌?」
「ああ」
「魔王に?」
「それもある」
「……?」
「だが」
アイザックはシノを見る。
「それだけではない」
室内が。
静かになる。
「シノ」
「はい」
「今日、お前は多くのものを見た」
「……」
「戦った者」
「傷ついた者」
「守った者」
「間違えた者」
「……」
「そして」
エルンへ視線を移し。
ライアスへ。
マルナへ。
皆へ。
「帰ってきた者」
シノが。
静かに聞いている。
「今のお前には」
アイザックは言った。
「今のお前にしか歌えぬ歌があるのではないか?」
「……私に」
「ああ」
「……」
「だから」
アイザックの声が。
優しくなる。
「今の気持ちでよい」
シノが顔を上げた。
「そのままの、シノの歌を歌え」
「……」
「誰かを呼び出すためでなくてよい」
ロイドが。
静かに目を細める。
「誰かを従わせるためでもない」
エルンも。
その言葉を聞いていた。
「ただ」
アイザックが。
シノへ微笑む。
「今日、この国で生きたお前が」
「……」
「三神へ届けたいと思ったものを歌えばよい」
シノは。
しばらく何も言わなかった。
自分の手を見る。
今日。
その手で。
エルンの服を掴んだ。
祈った。
怒った。
泣いた。
笑った。
そして。
みんなと帰ってきた。
「……うん」
小さく。
頷く。
「歌ってみる」
「そうか」
「どんな歌になるか、まだ分からないけど」
「それでよい」
「魔王に届くかも、分からないよ」
「ああ」
アイザックが笑った。
「魔王にとどまらず届くべき相手には、届く」
「……」
シノも。
笑った。
「うん!」
明日。
やり直しの開国祭は。
三神への祈りによって締めくくられる。
いつもの聖典。
いつもの祈り。
そこは。
何も変えない。
ただ。
そのあとに。
一人の少女が。
今の自分のまま。
歌う。
誰かを呼ぶためではなく。
誰かを従えるためでもなく。
ただ。
届けるために。
その歌が。
どこまで届くのか。
それは。
まだ誰も知らなかった。




