余興と言う名の真剣勝負
黒禍狼が。
吠えた。
先ほどまでとは、明らかに違う。
ラグナロクのケミストポイズンによって傷は完全に塞がり、その巨体から溢れ出すマナは、むしろ召喚された直後よりも強くなっている。
「……冗談でしょう」
ライアスがディグニティを構えた。
「冗談ではない」
ラグナロクは腕を組んだまま。
完全に観客の顔をしている。
「一騎打ちにて討伐せよ」
「えええええええええ!?」
ライアスの声が王都に響いた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何を待つ」
「こいつ、さっきより明らかに強くなってるじゃないですか!」
「当然だ」
「当然!?」
「傷ついた獣を相手にして、勝った負けたでは興醒めであろう」
「さらに強くする必要はなかったでしょう!」
「ふん」
ラグナロクは鼻を鳴らした。
「パラディン」
その声から。
僅かに笑みが消えた。
「パラディンとは、傷つかずになれるものなのか?」
「……」
「英雄とは」
ラグナロクが《黒禍狼》を見る。
「笑っていれば、なれるものなのか」
一拍。
「笑止!」
空気が震えた。
「目の前の困難を越えてこそ――」
終焉魔王の目が、ライアスを射抜く。
「英雄譚に名を残すことを許されるのだ!」
「……」
ラグナロクが腕を振る。
「戦え、パラディン!」
「ライアスさん!」
シノが叫ぶ。
「傷つけないで!」
ラグナロクがシノを見る。
「娘」
「……」
「傷を負うことまで奪ってやるのは、優しさではない」
「でも……」
「見ておれ」
再びライアスへ視線を向けた。
「貴様のパラディンが、どの程度の男かをな」
「……私の、ではないんですけど」
「細かいことはよい」
「良くねえよ!」
ライアスが叫んだ。
だが。
すぐに。
笑った。
「……分かりましたよ」
聖剣ディグニティを両手で構える。
「そこまで言われて」
白銀の鎧を纏った身体が。
ゆっくりと腰を落とす。
「逃げたら、パラディンの名折れだ」
「よし」
ラグナロクが満足そうに笑った。
「それでよい」
――ゴォォォォォォッ!!
黒禍狼が地を蹴った。
「来い!」
ライアスも走る。
二つの影が。
正面から激突した。
◇
――轟音。
爪と聖剣がぶつかる。
「ぐっ!」
ライアスの身体が吹き飛ばされた。
建物へ。
「ライアスさん!」
シノが叫ぶ。
だが。
その直前。
瓦礫がシノたちへ届く寸前で。
――カン。
「……?」
見えない何かにぶつかり。
すべて地面へ落ちた。
「結界……?」
ロイドが辺りを見る。
戦場を囲むように。
巨大な防御結界が展開されている。
「いつの間に……」
「当然であろう」
ラグナロクが言った。
「何がじゃ」
「観客を怪我させてどうする」
「……観客?」
ロイドが周囲を見る。
民たちは。
建物の陰。
路地。
露店の裏。
安全な場所へ避難しながら。
その戦いを見ていた。
「貴様……この王都の民を」
「同じ観客だ」
「……」
「英雄譚に証人がおらずしてどうする」
ラグナロクは。
さも当然という顔をしていた。
――ドォン!
「ぐあっ!」
ライアスが再び弾き飛ばされる。
「ライアスさん!」
シノが身を乗り出す。
「行くな、シノ嬢!」
ロイドが止める。
「でも!」
「見ろ!」
「……!」
瓦礫の中。
ディグニティが。
光った。
「……っ」
ライアスが立ち上がる。
肩で息をしている。
額から血。
新調したばかりの鎧にも。
いくつもの傷。
「……重てえな」
それでも。
笑っていた。
「だけど」
聖剣を構える。
「まだ立てる」
黒禍狼が吠える。
再び。
突進。
「――っ!」
ライアスが受ける。
弾かれる。
だが。
倒れない。
もう一度。
もう一度。
何度吹き飛ばされても。
立つ。
「……」
その姿を。
王都の民たちが見ていた。
「あれが……」
「パラディン……」
二百年ぶりに現れた。
三神の聖騎士。
その男が。
民の前で。
傷つきながら。
それでも。
立ち続けている。
「……グンソウ様」
ライアスが呟いた。
脳裏に。
あの言葉が蘇る。
『力は、弱き者のために振るえ!』
ディグニティの紋章が。
一つ。
光った。
大地神ガルシア。
足元。
大地から。
力が身体へ流れ込む。
「……!」
地面を踏みしめる。
今度は。
黒禍狼の突進を。
真正面から受け止めた。
「うおおおおおっ!」
爪が。
止まる。
「なっ……!」
民の間から声が上がる。
そして。
『最後の一瞬まで、希望を持て!』
二つ目の紋章。
水神ミリニア。
青白い光が。
ディグニティの刃を流れる。
黒禍狼を覆っていた。
禍々しいマナが。
少しずつ。
剥がれ始める。
そして。
最後。
『己の剣と、生き様に誇りを持て!』
「……」
ライアスが。
息を吸った。
「そうだ」
最後の紋章。
音神。
光る。
――音。
「……歌?」
シノが目を見開く。
ディグニティから。
まるで。
誰かが歌っているような。
澄んだ響きが。
王都へ広がっていく。
三つの光。
大地。
水。
音。
それが。
一つになる。
「ほう」
ラグナロクの口元が。
上がった。
「来たか」
黒禍狼が。
最後の咆哮を上げる。
ライアスも。
駆けた。
「この剣は――!」
聖剣を。
振りかぶる。
「三神と、蒼生のために振るわれる!」
黒禍狼が。
牙を剥く。
正面。
真正面。
ライアスは。
一歩も退かなかった。
「《三神聖断――トリニティ・ディグニティ》!!」
――一閃。
音が。
消えた。
「……」
黒禍狼の身体に。
一本。
光の線が走る。
次の瞬間。
三神の光が。
巨体を包み込んだ。
黒いマナが。
剥がれる。
一つ。
また一つ。
夜のようだった毛並みが。
光の粒へ変わっていく。
そして。
黒禍狼は。
静かに。
消えた。
「……」
ライアスが。
剣を振り抜いた姿勢のまま。
動かない。
やがて。
ゆっくりと。
ディグニティを下ろした。
静寂。
ほんの。
一瞬。
そして。
「うおおおおおおおお!!」
王都が。
歓声に包まれた。
「パラディン!」
「パラディンだ!」
「やったぞ!」
「ライアスさん!」
シノが走る。
「嬢ちゃん」
ライアスが振り返った。
満身創痍。
それでも。
笑っている。
「勝ったぞ」
「うん!」
その姿を。
ラグナロクは。
満足そうに眺めていた。
「見事」
ライアスが振り返る。
「……」
「英雄譚に、一頁」
終焉魔王が笑う。
「名を刻んだな。ライアス・エンフィレル」
「……光栄ですよ」
「うむ」
「ただ」
「なんだ」
「二度と勝手に敵を強くしないでください」
「善処しよう」
「絶対しない返事だ……」
シノが。
くすっと笑った。
◇
「それにしても……」
ロイドは。
まだ《黒禍狼》が消えた場所を見ていた。
「ケミストポイズン……」
「まだ気にしておるのか、ロイ坊」
「気にするわ!」
思わず声が出る。
だが。
すぐに。
終焉魔王を前にしていることを思い出す。
「……第八階梯じゃぞ」
ロイドの声が震える。
「第八階梯を無詠唱……神の領域じゃ」
「そんな大層なものか」
「大層じゃ……」
そして。
ロイドの目が。
だんだん。
輝き始める。
「魔王様」
「なんだ」
ロイドが。
勢いよく頭を下げた。
「弟子に!」
「来世でな」
「……」
一秒。
二秒。
「……来世」
ロイドが。
ゆっくり顔を上げる。
「可能性はあるんじゃな?」
「なぜ前向きなのだ」
シノが笑う。
「よかったね、ロイドさん」
「うむ!」
「喜ぶところですか、それ」
ライアスが呆れた。
◇
「さて」
ラグナロクが。
改めてシノを見る。
「娘」
「はい?」
「我に名をつけることを許す」
「……え?」
「名だ」
「でも」
シノが首を傾げる。
「ラグナロクって名前あるじゃん」
「ん?」
ラグナロクは。
少し考え。
「あれは魔界での名だ」
「魔界の名前?」
「そうだ」
「じゃあ、人間の世界では別の名前なの?」
「今のところない」
「……」
「故に」
ラグナロクは。
シノを指す。
「其方に許す」
「なんで私?」
「歌が良かったからだ」
「……そんな理由?」
「十分であろう」
ラグナロクは。
本気でそう思っているようだった。
「でも」
シノが少し考える。
「魔王なんだよね?」
「そうだ」
「三神とは……敵じゃないの?」
「……」
ラグナロクが。
少しだけ。
目を細めた。
「誰がそんなことを言った?」
「え?」
「我もまた」
胸元へ手を置く。
「三神に仕える者ぞ」
「……」
ライアスが固まる。
ロイドも。
そして。
少し離れた場所にいたライラメスが。
思い切り振り返った。
「ま、魔王が……三神に?」
「何を驚く」
ラグナロクは。
当たり前のように答えた。
「我が魔界にも、三神の神殿がある」
「……魔界にも?」
シノの目が丸くなる。
「当然だ」
ラグナロクが肩を竦める。
「三神が、人間だけの神だとでも思っていたのか」
「……」
「魔族も祈る」
そして。
「生きる場所が違うだけのことよ」
ライラメスが。
口を開けたまま。
完全に止まっていた。
「魔界に……三神神殿……」
何百年分かの神学が。
今。
音を立てて揺らいでいる。
「なんなら」
ラグナロクが。
シノを見る。
「来るか? 魔界に」
「え?」
「案内してやる」
「魔界……」
「人界とは違う歌も、山ほどあるぞ」
「歌!?」
シノの目が。
一瞬で輝いた。
「シノ!」
ライアスが即座に割って入る。
「行っちゃ駄目だ!」
「まだ行くって言ってないよ!」
「今の目、完全に行く目だった!」
「だって魔界の歌だよ!?」
「駄目!」
「よいではないか、ラース」
「よくありません!」
「護衛なら貴様も来ればよい」
「誰が魔王について魔界へ行くんですか!」
ラグナロクが。
不思議そうに首を傾げる。
「パラディンと魔王の旅だぞ?」
「余計に嫌です!」
「……魔界の三神神殿」
一方。
ロイドは。
既に別の意味で。
行く気になっていた。
「ロイド師も駄目です!」
「なぜじゃ!」
「絶対帰ってこなくなるでしょう!」
「研究のためなら本望じゃ!」
「駄目です!」
◇
「じゃあ」
シノが。
ふと。
ラグナロクを見る。
「悪魔って何なの?」
「悪魔?」
「うん」
「そんなもの」
ラグナロクは。
少し呆れたように言った。
「娘よ」
「はい」
「人間の世界にも、ならず者はいるだろう」
「いるね」
「魔界とて同じだ」
「……」
「法を破り。他者を害し。勝手に人界へ渡る者もいる」
「それが……悪魔?」
「人間どもは、そう呼んでおるようだな」
ラグナロクが。
鼻を鳴らす。
「魔界では、ただの犯罪者だ」
「……」
「当然、厳しく取り締まっておる」
「えっ」
ライアスが。
思わず声を出した。
「悪魔を……魔王が取り締まるんですか?」
「当たり前だろう」
「……」
ラグナロクが。
当然の顔で答える。
「我は王ぞ?」
「……」
「民を害する者を取り締まらずして、何が王か」
誰も。
すぐには返事ができなかった。
ロイドだけが。
何かを思い出したように呟く。
「……古い記録に」
「なんだ」
「魔王軍による、悪魔討伐という記述があった」
「ほう」
「長らく」
ロイドは。
目を細める。
「魔王同士の勢力争いか何かと解釈されておったが……」
「馬鹿馬鹿しい」
ラグナロクが笑う。
「治安維持だ」
「……」
ロイドが。
深く息を吐く。
「千年単位で解釈を間違えておった可能性があるのう……」
「人間は勝手に話を大きくするからな」
「本人に言われると、何も返せん……」
◇
「さて」
ラグナロクが。
今度こそ。
改めて。
シノへ向き直った。
「本題だ」
「本題?」
「娘」
その声が。
少しだけ。
柔らかくなる。
「シノ、と言ったな」
「うん」
「シノ・ルミナリア」
名前を。
ゆっくり。
確かめるように口にする。
「其方の歌」
「……」
終焉魔王が。
僅かに笑った。
「また聴きたい」
「私の?」
「ああ」
そして。
辺りを見回す。
砕けた石畳。
倒れた者たち。
戦いの跡。
ラグナロクが。
少しだけ。
呆れたように笑う。
「今度は、もう少し平和な歌をな」
「……」
シノが。
少し恥ずかしそうに笑った。
「うん」
「それを」
ラグナロクが。
自らの胸へ手を置く。
「我との縁とせよ」
「縁……?」
「召喚などせずともよい」
シノを見る。
「歌え」
「……」
「明日」
ラグナロクは。
静かに言った。
「改めて、我に歌ってくれ」
「明日?」
「ああ」
「どうやって?」
その問いに。
終焉魔王は。
笑った。
「届けばよい」
「……」
「其方の歌が」
一拍。
「我まで届いたなら――」
身体の輪郭が。
少しずつ。
淡くなっていく。
「また会おう」
シノが。
その姿を見上げる。
「……うん!」
大きく。
頷いた。
「ちゃんと届くように歌う!」
「よい」
ラグナロクが。
満足そうに笑う。
「ではな、シノ・ルミナリア」
そして。
終焉魔王は。
静かに。
王都から姿を消した。




