新入生歓迎魔導大会
新入生歓迎魔導大会。
名前だけ聞けば、楽しげな催しに思える。
だが、王立魔導士学園において、それは単なる交流行事ではなかった。
新入生の実力を見る場。
上級生や教授陣が、有望な学生を見極める場。
そして新入生たちにとっては、自分の価値を示す最初の舞台だった。
演習場には、朝から多くの学生が集まっていた。
石造りの広い円形闘技場。
中央には、魔導競技用の結界陣が描かれている。
観覧席には上級生たちが並び、教授席には教師陣が座っていた。
エルンは控室の隅で、静かに手を握ったり開いたりしていた。
喉の調子は悪くない。
魔力の流れも安定している。
けれど、胸の奥は少しざわついていた。
「緊張しているのか?」
声をかけてきたのは、同じ新入生の少年だった。
試験会場でエルンを笑っていた金髪の少年。
レオナール・アレイア。
王都貴族アレイア家の次男である。
「少しは」
エルンは答えた。
「歴代最高総合点でも緊張するんだな」
「する」
「ふうん」
レオナールは肩をすくめた。
「今日の自由歌唱、楽しみにしているよ。地方の没落家が、王都の演習場で何を歌うのか」
またそれか。
そう思ったが、エルンは言い返さなかった。
言葉で返す場ではない。
歌で返す場だ。
控室の扉が開き、係の上級生が顔を出した。
「次、自由歌唱部門の参加者は演習場へ」
エルンは立ち上がった。
鞄の中には記録帳がある。
だが、今日は開かない。
今日歌うものは、もう体の中にある。
***
自由歌唱部門は、攻撃・防御・補助のいずれでもよい。
ただし、結界内で制御可能なものに限る。
評価されるのは、威力だけではない。
譜式の安定性。
魔力制御。
外部マナとの共鳴。
そして、歌としての完成度。
新入生たちは、次々に歌った。
第二階梯火唱。
水唱による治癒補助。
風唱で複数の羽根を舞わせる者。
土唱で小さな壁を作る者。
どれも見事だった。
王都の学生たちは、やはり優秀だ。
やがて、レオナールの番が来た。
彼は堂々と中央へ進む。
「第二階梯火唱を行います」
宣言と共に、彼は歌い始めた。
高く、よく響く声。
王都式らしい、明瞭で整った旋律。
炎が槍の形を取り、標的へ向かってまっすぐ飛ぶ。
標的の中心を貫き、赤い光が散った。
観覧席から歓声が上がる。
「さすがアレイア家」
「制御も悪くない」
「新入生なら十分だな」
レオナールは満足げに一礼し、戻っていく。
すれ違いざま、エルンにだけ聞こえる声で言った。
「次は君だ。地味な結界じゃ、今日は目立てないぞ」
エルンは答えなかった。
係の声が響く。
「次、エルン・ファルク」
演習場が少しざわついた。
「歴代最高総合点の」
「三層結界のやつか」
「ヴェルク教授が担当についた学生だろう」
エルンは中央へ進んだ。
教授席の一角に、ユリアンが座っている。
灰色の髪を後ろで束ね、穏やかな顔でこちらを見ていた。
急かすでもなく、期待を押しつけるでもなく。
ただ、見ている。
エルンは深く息を吸った。
「歌唱魔導を行います」
試験官が頷く。
「属性は?」
エルンは一瞬だけ迷った。
そして答えた。
「雷唱です」
その瞬間、演習場の空気が変わった。
雷唱。
火唱や水唱より扱いが難しく、暴発すれば危険な属性。
新入生が歓迎大会で選ぶには、かなり重い。
レオナールが目を見開く。
「雷唱だと?」
エルンは目を閉じた。
普通の雷唱ではない。
王都式の雷唱でもない。
シノから聞いた、あの童謡。
その歌を、エルンはずっと練習してきた。
***
最初に聞いたのは、雨の日だった。
ファルク家の書庫の窓を、雨粒が叩いていた。
その日は、孤児院の薬草整理を手伝うため、シノと一緒にミミも屋敷へ来ていた。
遠くで雷が鳴るたび、ミミはシノの袖をぎゅっと握って震えていた。
「こわい……」
「こわくないよ」
シノは笑って、窓の外を見た。
「雷はね、雲の上で太鼓を叩いてるみたいなものなんだって」
「太鼓?」
「うん。だから、歌っちゃえば少し怖くない」
そして、シノは歌った。
「ごろごろ、ごろごろ、雲の太鼓」
子どもの歌だった。
王都式でもない。
古典流派でもない。
ただ、雷を怖がる子を安心させるための童謡。
けれどその瞬間、エルンは気づいた。
雨音が揃った。
遠雷が、シノの声に合わせて震えた。
外のマナが、歌に耳を澄ませた。
「今の歌、もう一度歌ってくれ」
「え? これ?」
「ああ」
「子どもの歌だよ?」
「だからだ」
エルンは記録帳を開いた。
「だから、知りたい」
それから、エルンはこの歌を何度も試した。
シノが歌えば、空気が揺れる。
だが、神獣も精霊も現れない。
雷が落ちるわけでもない。
ただ、雷のマナだけが、妙に素直に反応した。
ならば、自分の魔力で芯を作ればいい。
シノの歌が揺らした道を、自分の歌唱魔導で雷唱へ変える。
何度も失敗した。
指先が痺れた。
髪が逆立った。
机の端を焦がした。
リザに怒られた。
シノにも怒られた。
「エルン! 雷で屋敷壊さないで!」
「壊してはいない」
「机焦げてる!」
「机は屋敷ではない」
「そういう問題じゃない!」
それでも、エルンはやめなかった。
この歌は、怖い雷を遊び歌に変える歌だった。
ならば、自分はその雷を、怖がらせない形にしなければならない。
***
エルンは、演習場の中央で目を開けた。
王都の空は晴れている。
雨は降っていない。
雷も鳴っていない。
だが、歌はここにある。
エルンは歌い始めた。
「ごろごろ、ごろごろ、雲の太鼓」
観覧席がざわつく。
童謡。
誰かがそう呟いた。
エルンは構わず続ける。
「ぴかりと光って、空を呼ぶ」
演習場の上空に、薄い雲のような魔力が集まり始めた。
火でもない。
風でもない。
空気そのものが、ぴんと張る。
「泣く子はおへそを、ぎゅっとしまって」
数人の学生が笑いかけた。
だが、その笑いは途中で止まった。
空気が鳴ったからだ。
低い音。
遠い雷鳴。
結界陣の内側で、青白い光が弾けた。
「光と光この指とまれ」
エルンの声は高くない。
派手でもない。
だが、芯があった。
自分の魔力で形を決める。
外部マナを無理に引き込まない。
歌で揺らし、響かせ、雷の流れを細く束ねる。
青白い雷が、エルンの周囲を輪のように巡った。
その雷は暴れない。
標的へ向けて、まっすぐ伸びる。
次の瞬間。
白い閃光が走った。
音は遅れて来た。
どん、と演習場の床が震える。
標的は砕けていなかった。
焼けてもいなかった。
ただ、中心に小さな穴が開いていた。
針で貫いたような、細く、深い穴。
結界陣の外には、一筋の雷も漏れていない。
演習場が静まり返った。
誰も声を出さない。
エルンは歌を終え、静かに息を吐いた。
喉は少し熱い。
胸も痛む。
だが、倒れない。
制御できた。
ユリアンが、教授席でゆっくりと身を乗り出した。
その目が、わずかに輝いている。
「……童謡」
誰かが呟いた。
「今のは、童謡か?」
「雷唱だぞ」
「いや、でも呪文が……」
「何だ、あれは」
ざわめきが広がる。
レオナールは、言葉を失っていた。
エルンは頭を下げる。
「終了します」
試験官はすぐには返事をしなかった。
しばらくして、ようやく声を出す。
「……終了」
***
大会はその後も続いた。
だが、演習場の空気は変わっていた。
誰もが、エルンの歌の話をしている。
雷唱。
童謡。
細く束ねられた雷。
結界の外に一筋も漏れなかった制御。
そして何より、王都式ではない発声。
教授席でも、低い声が交わされていた。
「今の歌唱、記録にありますか」
「少なくとも王都式ではない」
「古典雷唱にも、あの呪文はない」
「子どもの遊び歌のようだったぞ」
「遊び歌で雷を呼ぶなど、聞いたことがない」
ユリアンは黙っていた。
膝の上には、細い指が組まれている。
表情は穏やかだ。
だが、その奥では何かが強く動いていた。
エルン・ファルク。
歴代最高総合点。
シノ式。
魔力持ち用変換。
そして、童謡による高精度雷唱。
ユリアンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……やはり、通常の歌唱体系ではありませんね」
隣の教授が聞いた。
「ヴェルク教授。君の担当学生だろう。今のは何だ」
「私も、これから確認します」
「君も知らないのか」
「ええ」
ユリアンは微笑んだ。
「だから面白い」
その声は、教師の声だった。
未知を喜ぶ研究者の声でもあった。




