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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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雨上がりの奇跡

挿絵(By みてみん)

神舞かまいは終盤に入る。メロディが転調しテンポが速くなる。

……はずだった。

その瞬間、文菜の耳の奥に「キーン」と鋭い音が突き刺さる。

世界の音がすべて吸い込まれるように、すうっと消えていった。

……誰かに名前を呼ばれたような気がした。

一瞬だけ時間が溶けて、現実が幻にすり替わったような、不思議な感覚。

ほんの数秒。

すぐに笛や笙の音、雨が石畳を打つ音が戻ってきて、何事もなかったかのように耳を満たす。

……今の、なんだったんだろう……

小さな霧が心の中に立ち込めた。

そっと隣に立つ諒を見上げた。

諒は、私が感じた異変に気づいた様子もなく、真剣な眼差しで六角堂を見つめていた。

横顔がふと和らぎ、私に気づいたようにこちらを向いて微笑む。

その笑顔が、言葉よりも深く心を染めて霧を払いのける。

ほんの少し強ばっていた肩の力がスッと抜けていく。

私は黙って、小さく笑みを返した。

再び視線を舞台へと戻したそのとき、

足元にできた浅い水たまりが、ふいにきらりと光った。

一瞬の反射かと思ったが、その乳白色の光は、ゆっくりと滑るように、水面を伝って動いていく。

まるで、何かに導かれているかのように、静かに、静かに。

不思議な光に呼応するように、神舞のテンポがふたたびゆるやかに変わっていく。

舞手たちが上下に扇を揺らし、最後にそれを頭上高く掲げた瞬間。

まるで舞の幕引きを天が祝福するかのように、光は雨の帳のなか、六角堂の屋根をそっと照らした。

「わあ……」

思わず息が漏れた。

周囲からも、ため息のような小さな感嘆の声が聞こえてくる。

「カーット!」

監督らしき男の人の声が空気を割く。

そして、少しの静寂の後。

「……オッケーです」

スタッフの声が響いたと同時に、拍手とどよめきが起こる。

六角堂を照らしていた光は、それを合図にするかのようにふいにしぼみ、空気に吸い込まれていった。

気づけば、雨脚もいつの間にか弱まっていた。

濡れた地面に広がった水たまりに、雨粒がぽつ、ぽつと細い波紋を描いている。

空気も、音も、すべてが穏やかだった。

何かを祈るような、届かないものに手を伸ばすような舞だった。

「凄かったね……四人で舞う神舞。迫力があったけど……なんか切なかったな」

心に残る余韻を言葉にするように、そっと呟く。

「そう?」

諒が顔を傾ける。

「雨のせいかな……」

「ああ、なるほど、確かにお祭りで雨ってなかったな」

「よかった。今年もちゃんと見れた」

「俺もだよ。なんだかんだで、皆勤賞なんだ」

「え?私だってだよ」

思わず顔を見合わせて、ふたりで小さく笑い合う。

「……うん、きっと、忘れられない神舞になる」

その瞳を真っ直ぐ見つめた。

「俺も、忘れないと思う」

今の諒の言葉が嬉しくて、笑みが唇の端に宿る。

諒は視線をそらしながら、照れくさそうに、こめかみに指を当てた。

一緒に見れた景色は、いつまでも忘れないよ。

そんな私の気持ちに寄り添ってくれたように思えた。

「……そうそう、一番左の子、うちの神社でアルバイトしてる子だ、雰囲気違うから気が付かなかったけど」

「そうなんだ」

あの子のどこか儚げな舞姿……

それが、私が感じた切なさの要因だったのかもしれない。

ふと六角堂に目を向けると、その子が嬉しそうに、舞手の女の子と手を取り合っている。

笑顔が花のように咲いていて、微笑む自分がいた。

「雨、止んだな」

諒が手を伸ばして空を仰ぐ。

傘を叩いていた雨のダンスも、いつの間にか静かに幕を下ろしていた。

けれど、灰色の雲はどこまでも無表情のまま空を覆っている。

少しだけ冷たい湿気だけが肌にうっすらとまとわりついた。

「昼飯、どうする?それとも、先に彼の住所訪ねてみる?」

諒は傘を畳みながら、私に問いかける。

「……先に家に行こう、天気どうなるか分からないし」

「オーケー」

「……一緒に見れてよかった」

「そうだな」

諒は少し照れたように目を細めて、こくりと頷いた。

祭じゃないけど、祭の後のような、なんだかしんみりするような雰囲気。

そんな空気の中、撮影を終えたスタッフたちが忙しなく機材の片づけを始めている。

「文菜」

柔らかい声音が、私を呼ぶ。

「うん」

その声に引き寄せられるように、私は歩き出す。

雨は止んだが、空はまだ沈黙のまま、色を取り戻していなかった。

でも、灰色の雲の奥に、光が隠れていることは知っている。

「諒くん、ありがとう」

「何が?」

「……ちゃんと、今日、ここにいてくれて」

「……約束したんだから……当たり前だろ」

「うん。でも……当たり前のことって、時々、奇跡みたいに感じるから……」

ほんの少しだけ目を細めて、諒は笑った。

「……そっか」

「……変だよね、私」

私は肩をすくめて首を傾げる。突然、諒は肩を揺すって笑い出した。

「うん、知ってる。だって、文菜も俺のこと、変て思ってるだろ」

「え……?」

ハッとして、諒の顔を見上げる。

その瞳が優しく揺れている。

「まあ……そういうこと」

穏かな声が放った言葉が、私の心を貫いて、無意識のうちに立ち止まる。

あの頃のこと、やっぱり諒も覚えている。

図書室や、屋上で交わした小さな言葉たち。

思い出が、あたたかなうねりとなって、胸いっぱいに広がっていく。

どうしようもなく嬉しさで全身が満たされていた。

諒は振り返り、あの頃よりもずっと優しい顔で手招きをする。

「ほら、行くよ」

「……うん」

嬉しさが込み上げたままの顔で駆け寄る。

ふたり並んで、濡れた石畳に確かな足音を響かせながら、車を停めた駐車場へと向かった。


水滴をまとった車に乗り込むとき、諒と目が合った。

一瞬だけ、今までと違う真剣な眼差しで見つめられドキッとした。

すぐに、いつもの柔らかい瞳に戻り、諒は静かに車に乗り込んだ。

私も、遅れないように助手席のドアを開ける。シートの柔らかさが身体に馴染み、ふっと息が漏れる。

まだ、体の中にさっきの喜びが満ちていて顔が綻ぶ。

こぼれそうな笑みを抑えるように唇を噛み、そっと肩をすくめた。

諒がエンジンをかけ、少し遅れて思い出したように口を開いた。

「ああ、そうだ。おばあさんの写真、見せてもらってもいい?」

「あ、そうだ」

少しもたつきながらショルダーバッグを開け、封筒から三枚の写真を取り出すと、諒に手渡した。

気持ちを切り替える為、スッと息を吐いた。

写真を受け取った諒は、丁寧に一枚ずつ目を通しながら、静かに頷いた。

「なるほどな。文菜の写真の裏、塗りつぶされてたところに、名前があったのか」

「うん、でもどうして、私に送ってきたんだろう?」

諒は写真から視線を上げ、前方の曇ったフロントガラスをしばらく見つめたあと、低く落ち着いた声で言った。

「それは……根元高太朗ねもと こうたろうに会って、聞いてみればいい」

「そう……だね」

小さくうなずいた。心の奥にうまく形にならない思いが沈んでいる。それでも諒の言葉に、少し救われる気がした。

「ありがとう。じゃあ……行こうか」

「お願いします」

諒がアクセルを踏み込むと、車はゆっくりと滑るように動き出す。

ワイパーの止まったフロントガラスの向こうには、濡れた町並みが灰色に滲んで広がっていた。

写真をそっとバッグに仕舞っていると、遠くから救急車のサイレンが、細く、長く、切れ切れに聞こえてきた。

昨日も、今日も、諒と一緒に過ごしている。とても嬉しい。

こんなに時間を共にしていると錯覚してしまう。

ずっと一緒にいられるって。

明日からは――どうなるんだろう。

会えなくなるわけじゃない、連絡だってできる。

でも、あの頃のような想いはしたくない。

深く、ゆっくり呼吸する。

(焦るな、文菜……)

「文菜、今日の夜って暇?」

「ひゃ?え?何?」

突然の声に驚いて、変な声が出た。

身体がふわっと浮いたように跳ね、思わず胸の前で両手をぎゅっと組む。

運転席の諒は、いたずらが成功した子どもみたいに、笑いを堪えきれないような顔だった。

「ごめん、びっくりさせた」

そう言って視線を伏せた諒の睫毛が、フロントガラス越しの鈍い光を受けて、淡く濡れたように光っていた。

「で、どうかな……」

「どう……して?」

言葉がうまく出てこなくて、私は思わず諒の横顔を盗み見た。

目元が、ほんの少しだけ照れているように見えたのは、気のせいだろうか。

「ん?ああ……無理にじゃないよ。用があるならいいけど……」

「ないよ、ないない」

言葉と気持ちがちぐはぐで、焦って何度も首を振る。

自分でもわかるくらい、どんどん熱くなっていく。

座っているのに、鼓動も走ったあとみたいに忙しない。

「……そっか、じゃあ、夕食でもどうだ、俺奢る」

「うん、うんうん」

嬉しさが先に立って、何度も頷いてしまう。

恥ずかしい。

でも――でも、それ以上に嬉しい。

またひとつ、“はじめて”が増えた。諒が、私を誘ってくれた。

ドキドキが収まらない。

「じゃあ、そういうことで」

諒は優しく微笑んだ。いつもの、あたたかな笑顔。

サイレンの音が近づき、すれ違う救急車の赤い回転灯が、濡れた道路に滲んで、チカチカと反射していた。

サイドミラー越しに見たその灯りは、やがて遠ざかり、静かに消えていった。

「……何かあったのかな?」

思わず口にした私の声は、車内の空気に吸い込まれるように小さく響いた。

その赤い光と音が、心にそっと波紋を広げていく。

諒の誘いに込められた意味と、それに浮かれそうになる自分の気持ち――

ふたつが心の中で重なり合って、そっと揺れていた。

小さく、でも確かに、徐々に大きく、グラグラと。

落ち着いて……文菜……でも……

車体が穏やかに減速し、信号の前でぴたりと止まる。

私は小さく肩を落とし、視線をフロントガラスの先へ移す。

学生時代、通学バスの窓から何度も眺めた懐かしい景色。

まるで時が止まっていたかのように、あの頃と同じ姿でそこにあった。

横断歩道を、手を繋いだカップルが楽しげに小走りで駆け抜けていく。

その姿に、心が少しだけちくりとする。

信号が青に変わり、そっと背もたれに寄りかかる。

瀬田町の通りを、のろやかに抜けていく。

神舞の余韻がまだ町に残っているのか、道路はいつもより車が多く、流れは鈍かった。

濡れた路面を走る車のシャーという音が、どこか心地よい。

やがて、かつて通っていた高校の前を通り過ぎる。

グラウンドには誰もいない。

濡れた校舎は静まり返り、ひっそりと記憶を抱きしめているようだった。

自然と視線が、二階の図書室へと向かう。

「?」

そこには小さな人影あって、眼鏡がキラッと光る。

その人は、こっちに向かって手を振っているように見えた。

え……?諒くん?

驚いて隣を見る。

諒は真っ直ぐ前を見据え、ハンドルを軽やかに操っている。

再び校舎を見たとき、もうそこには誰もいなかった。

人影は消え、図書室もすぐに校舎の陰になって、見えなくなっていく。

なんだったんだろ……

車は峠道を抜け、緩やかな下り坂に差しかかっていた。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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