8.10.7(仮)文菜
「文菜久しぶり」
小柄な亜希がぴょんぴょんと飛び跳ねるたび、可愛らしいフリルのミニスカートがふわりと揺れる。
何も変わっていない。笑い方も、話し方も、あの頃のまま。
「ほんと」
友美の声が重なる。私たちの中で一番背の高い友美。
今もスラリとした体型をジーンズでカジュアルにまとめている。
その姿が頼もしく、どこかで見守るような優しさは変わらない。
亜希と友美とも一年振り。
でも、こうして並んで話していると、その時間の空白が不思議なほどに感じられない。
まるで、昨日も一緒にいたような錯覚に包まれる。
それだけ、私にとってこの三人と過ごした時間が、今も大切で、温かいものとして息づいているのだと思う。
「友美、その、裕太と別れたん?」
気になっていたことを、少し躊躇いながら口に出す。
どうしてっていう気持ちが口にさせた。
二人の仲の良さは高校時代見ていたから。
「あーもう、玲美のお喋り」
友美は露骨に嫌な顔をしているが、本当に怒っている訳でない。
ただ、顔に出やすいだけ。
そういう正直なところが、私はずっと好き。
「え?私?」
玲美は、変わらずにお惚けを決め込んでいる。
黒のロングのプリーツスカート。色白の玲美にピッタリ。
おしゃべりだけど、そこも彼女らしい。
誰にでも自分のことを包み隠さず話すから、嫌味に聞こえない。
なんだかんだでみんなのまとめ役。
「あんたしかおらんやん」
亜希が笑いながら追い打ちをかける。
そんな言葉の応酬に、ふと気が和む。この空気感が懐かしい。
「だって、あいつ結婚はまだしたくないって言うんよ」
友美は地面をつま先で蹴るようにして、ぽつりとつぶやいた。
その仕草に、どこか照れくささや、言い訳のような響きが混ざっている気がする。
「え?だって、付き合って何年だっけ?」
玲美が問いかける。その何気ない質問に、場の空気がふっと静かになる。
「うーん、中学の時からだから、14年」
友美は少しだけ考える素振りをして、それでもすぐに答える。
そこに友美の裕太に対する愛情が含まれている気がする。
「凄い……」
私は素直にそう思った。
14年という時間。
その歳月がどれだけの意味を持つか、私にはまだ分からない。
長い時間をひとりの人と同じ道を歩き続けること。
一緒にいたからこそ、言葉にならない想いがあるのだろう。
「よく続いたよね」
たまに辛辣なことを言うのが、亜希らしい。
その軽やかさに救われると同時に、もし、あの時――と思ってしまう。
それがいけないことなのかどうか、私にはまだ、わからない。
「それは、まあ……好きやからね」
腕を組んだまま、友美は吐き捨てるように言った。
照れとも苛立ちともつかない感情が混ざっているようで、私は思わず彼女の横顔を見つめる。
強がりに聞こえるその一言が、逆に彼女の心の奥に今も息づく想いを露わにしている気がした。
「文菜聞いて、裕太は裕太で、未練たらたららしいんよ」
亜希の情報源を、私はいつも知りたいと思っている。
鋭い観察眼と、さりげない聞き出し方。
それとも、単純に人との距離が近いから自然と耳に入るのだろうか。
「そうなん、じゃあ友美、寄り戻しなよ」
気づけば、そんな言葉が口をついていた。
きっと、ちょっとだけ、歯車が合わなかっただけ。
ほんの些細なタイミングのズレ。
だって、二人はお似合いだもん。
「えー」
友美がちょっとだけ顔をしかめながら声を上げる。
けれど、その反応すらどこか懐かしくて、心がふっと軽くなった。
言葉のやりとりも、笑い声の交わし方も、まるで高校の教室に戻ったかのよう。
みんな、見た目こそ大人びたけれど、芯の部分は何も変わっていない。
そう思えることが、嬉しかった。
「ところで、どうなん、玲美から聞いたんやけど、香取くんと偶然再会したんやって?」
興味津々の亜希は前のめり。
まるで一番おいしい話題を待っていた子どものような目だ。
「あー、玲美ー」
私は玲美を睨む。もちろん本気じゃない。
「ほら、だいたい玲美なんよ情報元は」
友美は呆れたように、手を振った。
玲美は知らんぷりを決め込んでいる。
「で、どうなの?」
亜希はこっちに全力モード。彼女の好奇心は悪意のないものだけれど、それでも心の奥を覗かれているようでやっぱり照れる。
「まあ、一応ね、デートやけど……」
言ってしまってから、自分の言葉がどこか浮いている気がした。
何て言えばよかったのだろう。
「デート」という単語が自分の口から出た瞬間、体温が一度だけ上がった気がする。
「もう、さ、そんな再会したら私だったら即、告る」
亜希があっけらかんと笑いながら言ってくれる。
「亜希は出来るけど、文菜はさ、慎重……いや違う、なんやろ、じっくりことこと、ていうん」
友美が私を見て、柔らかく笑う。ああ、あの頃と同じ笑い方。
「私さ、学生時代の文菜と香取君、二人を見てて、羨ましいって思った事あるんよ」
「羨ましい?」
少し照れて唇を嚙んだ。友美は視線を彷徨わせ言葉を探しているようだった。
「なんていうのかな……はたから見たら彼氏彼女に見えるけど、当人たちは手も握ったことない」
「……」
「純愛とか、そういうのともまた違ってね。ただ、あの二人がそこに並んでいるだけで、もう完結してる感じ。好きとか嫌いとか、そういう枠じゃないんよ」
「確かに」
玲美は頷いている。
「よくわかんない」
亜希がふっと言う。けど、その素直さが、私にはありがたかった。
「亜希とは違うし、どれがいいとか悪いとかでもなくてね、お互いの引力に引き合わされたっていうか、すごく尊重し合ってる感じがしたん。だって、あの香取君が笑ったり、会話してるんよ」
諒くんが笑う。
私にだけ向けて。
その光景が、一瞬でよみがえってくる。
教室の窓辺、並んで座ったあの日のこと。
その横顔と、指先と、風の匂いまで。
「ああ、この二人は出逢う運命なんだなって。好きだ、愛してるって言葉で言うのはもちろん大切。でも文菜と香取君って、それをもう分かった上で、もっと深い何かで繋がってる気がしてたんよ。そう思ってたん」
「友美……」
友美の想いが、心が感応して染みこんでいく。
そんなふうに、あの頃の私たちを見ていてくれた人がいたんだ。……ちゃんと、見ててくれたんだね。
「だからさ、別れたったていうのもおかしいけど、二人が離れ離れになってさ、なんで、どうしてって、文菜ほどじゃないにしろ、私的にもショックやったん」
「……」
「当の文菜は、変わらずにいたつもりだろうけど、私達は分かってたよ」
「そう」
玲美が頷き。
「そうやね」
亜希も頷く。
その時の私の姿を、私は知らない。けれど、みんなには見えていたんだ。
平気なふりをしていても、心は何かが崩れていっていたのだと思う。
それは責めるものじゃなくて、ただ静かに寄り添ってくれるような言葉たちだった。
みんなの想いも、伝わり染みていく。
友美が少し涙ぐんだように瞳を揺らしながら、また口を開いた。
「たぶん……文菜は香取君以外の人ってきっと、誰も同じなんよ、何て言ったらいいのかな、上手く言えないけど……」
「ツインレイってやつか」
亜希が口を挟む。
「ツインレイって元は一つの魂が二つに分かれて出来た、運命の魂の伴侶の事を言うんよ」
(ツインレイ……魂の伴侶……)
その言葉が腑に落ちて、ゆっくりと広がっていく。
「亜希にしては、言い得て妙やん」
友美が亜希の肩をポンと叩いた。
私は、なんだか恥ずかしくて、でも少しだけ嬉しくて、目を伏せた。
「文菜、私さ、香取君と再会出来たって聞いて、ほんとに、ほんと嬉しかったん。ツインレイかもしれないけど、もう離れちゃいかんよ」
友美が私の両腕をしっかりと掴んで、真っ直ぐに言ってくれる。
「ほんとそれ、さっきだって見惚れたんよ、みんなで。『ああ、あの時の文菜の顔やん』って、嬉しくなったん。文菜はさ、いつも私達の事、応援してくれてたからさ、幸せにならな」
亜希は私の背中に手を添えて言う。
「ありがとう、みんな」
声が震えそうだったけど、私は笑った。
「もう泣かないよ、文菜。デート中やん」
亜希が顔を近づけて、いたずらっぽく笑った。
笑い返して、泣きそうになる。
「じゃあ、あんまりデートの邪魔しちゃいかんから、はよ行き」
「なによ玲美が引っ張てきたくせに」
玲美は罰が悪そうに舌をペロッと出した。
「文菜、また明日ね、ファイティン」
友美が小さく手を振ってくれる。
「頑張れ」
亜希は両手でガッツポーズ。三人とも、本当に変わらない。
あたたかくて、やさしくて――まるで、昔に戻ったみたいだった。
「うん、じゃあまたね」
そう言ってみんなに手を振り、私はくるりと振り返る。
歩きながら、諒の姿を探す。
みんなの優しさが心にじんじんと広がっていく。
境内には人が増えてきたようで、合間を縫うように進む。
人の波の中、ひとりだけ輪郭がはっきりと見えた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
雑踏の中で諒だけは静かに、凛として浮かび上がって見えた。
今は、こうして見つけられる。
そうだね、みんな。引き合わせてくれた神様か、魂か。
歩みが少しずつ早まる。
視線が合う。
口元が緩む、小走りになる。
小さく手を振る。
もう慣れた煙草の匂い、苦手だったはずなのに、今はなぜか安心する。
優しい笑顔が返ってくる。
「ごめんね、諒くん」
息を整えて顔を上げる。
たぶん、ちゃんと笑えてる。
「いや、だから謝らなくていいよ」
低くて穏やかな声。
言葉だけじゃなくて、空気ごと包まれるようで、じんじんに追い打ちがかかる。
「どうした?」
私を気遣うような声音。
「何……が?」
「何かあったの?」
諒は、私の目をのぞき込むように、少しだけ屈んで視線の高さを合わせてくれた。
「みんな、優しくて……諒くんも」
堪えている、温かくいものが、零れてしまいそうで、目が合わせられない。
「……そうか」
諒の手がそっと頭を撫でる。髪の毛越しに温もりが伝わる。
風鈴の音が、かすかに鳴っていた。
「ちょっとダメかも……」
「ん?」
私は諒の胸に、おでこをそっと押しつけた。
諒の体が、ぴくりと小さく反応する。
でも、それだけで何も言わずに――
背中に回された腕が、私をそっと抱きしめてくれる。
境内に神舞のメロディが鳴り始めた。
それが、自分の泣き声を包んでかき消してくれていた。
諒はまた、私の頭を静かに撫でてくれた。
その手が温かく、むしろ心をなだめてくれているよう。
やがて、神舞のメロディのテンポが上がる。
その激しさが、どういうわけか心を安らぎへと誘ってくれた。
そして音楽は止み、拍手がおこる。
「ありがとう」
私の言葉に、諒はそっと抱擁を解くと、肩に手を添えた。
「これ」
差し出された紺色のハンドタオルで涙を拭う。少しだけ煙草の匂いがしみ込んでいる。
あの頃は、ただ一緒にいられる、それだけで幸せで満たされてた。
そう思ってた。ずっと、そう信じてた。
わたしの毎日のなかでいちばん大切な人だったから。
今だって、その気持ちは変わらない。
でも、今は違う。
また会えたから。もう一度、諒くんの隣に立てたから。
今度は、もっと近くにいたいって願ってしまう。
失いたくないって、言葉にしなくちゃって思った。
「ふうー」
肩を落として大きく息を吐いた。
「平気?」
「うん、ありがとう」
笑って諒の顔を見上げた。
ぽつっと雨が頬に落ちた。
まるで、空がそっと涙をなぞったみたいだった。
にわかに風が空気を揺らし、傘のない人たちが木の下やテントへと散っていく。
諒は鞄の中から折りたたみ傘を取り出し、ためらいもなく傘を開いて差しかけてくれた。
その仕草が、妙に自然で、嬉しい。
「……あの日と一緒だね」
ぽつりと呟くと、諒は小さく笑った。
「そうだな……」
懐かしそうに目を細める、その横顔を見つめてしまう。
「……中止になるのかな?」
視線を空に向ける。灰色の雲が、音もなく流れていく。
「んーどうだろう」
「雨の中も何か趣があっていいかも」
ふと口にした言葉は、たぶん本音だった。濡れた石畳や、軒下に灯る明かりが、不思議ときれいに見える。
「そうだな。文菜、雨の日好きだもんな」
ふいに名前を呼ばれて、胸がきゅっとなる。
「……諒くんもでしょ」
軽く肘で小突くと、諒がほんの少し驚いたように目を瞬かせた。
見上げたその顔は、ゆるやかに微笑んでいく。
私も自然と頬が上がる。
(……あれ、私、今、何した?)
無意識にとった仕草に自分でも少し驚いた。
そんなふうに触れられるくらい、心が和らいでいたのかもしれない。
傘に弾ける雨音と、空から無数に引かれていく細い雨の線が重なり合い、景色を塗り替えていく。
境内では映画スタッフも設営されたテントに避難していた。
にわかに、雨の中にも関わらずスタッフが慌ただしく動き始める。
どうやら、撮影を敢行するらしい。
「少し前にどうぞ」
帽子を被ったスタッフの一人が、雨に打たれながら、声を掛けてくれた。
そして目の前に張られていたロープとコーンを撤去していく。
数歩、前に出て舞台の六角堂の正面に出た。
雨が降り出してから、見物客は少し減ったおかげで見通しはいい。
やがてスタッフの掛け声が響く。
「いきまーす。シーン130、5、4、3、2、――」
カチン。
乾いた拍子木の音を合図に、音楽流れ、神舞が始まった。
四人の舞手が、流れるように動く。
息の合った所作が、雨の中に一層美しく映える。
私が踊った時は、結構必死だったけど、目の前の巫女達は雅やかに、しっとりと舞っている。
左から順番に巫女を目で追ってみる。
一番左の女の子。
凛とした中にも、どこか物憂げな面差し。
そして隣の女の子。
しなやかさの奥に力強さと伸びがある動き。
この二人がペアだ。呼吸は合っていて、微塵の狂いもない。
その隣『松寿庵』で会った女の子。
今年の祭の舞手の子。
とても厳かで品を感じる。お店で見た印象より、どこか大人びて見える。
そして一番右の女の子。
今年の祭での舞手だったはず。たおやかさを纏いつつも熱を感じる。
その二人のペアも一糸乱れぬ呼吸。装束が靡くさまで同じに見える。
四人全体で見ても調和のとれた舞。
ただ、普段の神舞の華やかさよりも、全体的にどこか哀愁を帯びている気がした。
雨がもたらした物なのか、この場の空気感がそうさせているのか、分からない。
笛や笙の音さえも、もの悲しい。
それらが、心のどこかの触れてはいけない何かを揺さぶるような。
あの舞も音も、まるで私に語りかけてくるようで……ただ、静かに息を呑んでいた。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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