思わぬ提案
諒が運転する車は、夕凪島の中央、南に大きく突き出した、三都半島の先端にある地蔵埼灯台にたどり着いた。
真昼の陽射しが強く、アスファルトがゆらゆらと揺れている。
俺は煙草を吸うために、一人車を出て煙を吐いている。
――昨日の電話の中で文菜が言っていた、「誰かに呼ばれているような気がする」という言葉。
その意味がずっと引っかかっている。
なぜ、そう感じたのか?
問いたい自分もいる。
だが、それを口にすれば、文菜を不安の思考へと引き戻してしまう。
不可解な現象、封筒、写真。
どれもが確実に文菜を狙っている、気がする。
理由は分からない。
ただ、すぐ傍まで来ている――
その感覚が、どうしても拭えない。
足元にじりじりと熱が伝わる。
海から吹き上げる風も、どこかぬるくて頼りない。
吐き出した煙が空に溶けるように昇っていった。
思わず、ひとつ笑みがこぼれる。
――こんなに誰かと喋ったのは、あの頃以来かもしれない。
最後の一服を深く吸い、煙を静かに吐き出す。
携帯灰皿に吸い殻を入れ、パチン、と蓋を閉じる音が乾いた空気に響いた。
車に乗り込むと、この軽自動車には似つかわしくない、文菜の香水の爽やかな匂いが漂っている。
「ここって、イノシシが四国から泳いでくるんだって」
文菜が助手席の窓の外を指さす。
「ここを?」
確かに、海の向こうに、ぼんやりと四国の山々が見える。
手を伸ばせば届きそうな距離感。
「ところでさ、文菜、休みの間は、どこか行ったりするのか?」
何気ない口調を装う。
「うん?どして」
首を小さく傾け、文菜が問い返す。
その仕草が妙に柔らかい。
「いや、昨日、あんなことがあったからさ」
窓の外に視線を戻す。
日差しが、波の輪郭をきらきらと際立たせていた。
「ああ、今のとこ特に予定はないけど、でも、友達には会うと思う。会いたいしね」
文菜は膝の上で両手を組み、静かに笑った。
「まあ、何かあったらいつでも連絡してくれていいから……」
「うん。ありがとう」
文菜は声と一緒に、ふわっと頭を下げる。
その動作がどこかいじらしくて、目を逸らしていた。
「どう?何か分かりそう?」
文菜の視線が、そっと自分の横顔を探る。
「いろいろ、調べてもらってるし、俺も調べてる」
「ああ、ミステリー好きな人……」
文菜は首をかしげるように、やや身を寄せてくる。
「年上で、頼りになる人なんだ」
「ふーん……」
唇を少し尖らせ、文菜が前を向く。
そのまま数秒、フロントガラスの先に目を落としたかと思えば、急にこちらをじっと見返してくる。
「ん?」
「もしかして……彼女?」
「え?……ああ、いや男だよ……彼女なんて面倒だし……」
軽く笑ってごまかす。
「ふーん」
わざとらしいほど意味深に視線を向けたあと、ふいに文菜が吹き出すように笑った。
「あ、他に何か気になる事とかある?」
「ううん」
「そっか、じゃあ何か分かったらまた連絡する」
文菜が少しだけ口を開きかけ、迷ったように視線を落とす。
数秒の沈黙のあと、控えめな声が届く。
「あのさ……重岩に行ってみたい」
「え?」
思わず聞き返す。
「何か分かるかもしれないじゃん、諒くんがいてくれたら、心強いし」
文菜は少し身を乗り出し、真っ直ぐこちらを見る。
その目はまっすぐで、冗談ではなかった。
「うーん……」
興味深い提案ではある。が、あの男の経験談と昨日の文菜の体験を踏まえると、文菜にも同じような事が起きてもおかしくない、そんな気がする。
どうする――
返答に窮していると、文菜が覗き込むように聞いてくる。
「何か予定あるん?」
「いや、それはないけど……」
しばらく考えたあと、ふっと息を吐き、静かに頷いた。
「………分かった、昼飯食べたら行こうか」
「うん、でも、何か気になる事でもあるの?」
「ないよ……」
曖昧に笑いながら返すと、文菜はそっと肩をすくめて笑う。
「あっ、そうだ。昨日ね、母さんに聞いたの。重岩で写真を撮ったことがあるかって。それと、学生の頃にセーラー服だったかどうかも」
「それで?」
「やっぱりセーラー服だった。でも、重岩で撮った事はあると思うけど。学生時代はないって。母さん、内海町の出身だから、あそこまではちょっと遠いんだって」
「なるほど……」
「でもね、おばあちゃんが撮ったかもしれないって。昔は小瀬に住んでたらしくて、結婚を気に内海に引っ越したんだって」
「なるほど……もしかして家にないかな?おばあさんの若い時の写真とか?」
「あ、あると思う。帰ったら探してみる」
「よろしく。じゃあ、昼飯食って腹ごしらえするか」
「うん、お腹空いた」
文菜が、くるっとこちらを向いてにこやかに笑う。
その笑顔が、車内の空気をふっと和らげた。
俺は視線を前に戻し、ハンドルを握り直す。
アクセルを踏むと、車がなめらかに動き出し、夏の海風がまた車窓をすり抜けていった。
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