知って欲しいから
朝の陽射しはすでに強く、社務所の庇の影をじわじわと縮めていた。
リン、リリン――
風鈴の音がかすかに揺れる。
「今日はお客さん少ないな」
誰に向けた訳でもない独り言を吐く。時計の針は、まもなく9時を指そうとしている。
社務所の窓口から見える磐座の上では、二羽の小鳥が寄り添うように羽を休めていた。
ほのぼのとした時間が流れる。
私の中にいる、もう一人の私――
正確には、ご先祖様の記憶、魂。
それに気づき、寄り添う今、すごく穏やかな気持ち。
自らを犠牲にするなんて、考えれば残酷なことだ。
でも、百々楚姫は、自分の意思で怨霊を鎮める人柱となった。
慎哉の話によれば、儀式の際、彼女は「鎮めの舞」を舞ったという。
それを聞いた時、神舞を舞いたいと思い、自ら両親に相談したのも、心の奥底にあった”記憶”がそうさせたのかもしれないと思った。
手元にある冊子を見つめる。
『百々楚姫の願い』
「僕が書いたんだよ」
冗談めかして言う慎哉の言葉は、本当か嘘かは分からない。
サッと目を通しただけだけど。まるでその現場にいたような臨場感のある描写で百々楚姫の物語が記されていた。
あなたの願いはしっかりうけとったからね……
今日は午後から映画関係の人が来て、衣装合わせをする予定。
そして、明日が撮影の本番。
不安もあるけれど、それよりも神舞を”舞える”ことが、今はただ楽しみで仕方ない。
「あれ?計算間違えたかな?」
背中越しに宮司も独り言を言っている。
そっと胸に手を当てて、声に出さずに囁く。
――楽しもう。しーちゃんと、先輩達と。
「はあー」
蝉の声の中に、誰かの吐息のような声が混ざる。
目を向けると、社殿脇の山道から、畑さんが現れた。
行きには巻いていなかったタオルを首にかけ、額の汗をぬぐっている。
思わず立ち上がる。
「宮司、あのぉ……畑さんと話をしてきていいですか?」
「ん?あいつ来てるの?」
境内の方を指差すと、宮司は身体をひょいひょいと動かしながら視界を調整し、畑さんを見つけたらしい。
「いいよ、ただ……」
「お客さんが来たら戻ってきます」
冊子を手に取り、宮司の笑顔に会釈をして社務所を出る。
畑は、社殿に向かって丁寧に柏手を打っていた。
その姿を見て、少し後ろで立ち止まり、参拝が終わるのを静かに待つ。
「畑さん」
「あら、巫女さんどうしたの?」
「あの、百々楚姫の事、しらべているんですよね」
「ええ、さっき言ったでしょ」
後ろ手に持っていた冊子を差し出す。
「これが伝説です」
「え?」
畑は受け取った冊子を丁寧に開き、一枚一枚、ページをめくっていく。
その瞳が、少しずつ光を帯びていくのが分かる。
時折、ページを戻したりしながら、まるで物語の中に入り込むようにして、読みふけっているようだった。
やがて、ぱたんと音を立てて冊子を閉じると、感慨深げに空を見上げ、眼鏡を外して、顔をタオルでぬぐった。
「ふうー」
畑は眼鏡を掛け直し、再び冊子をしみじみと見つめる。
その表情には、静かな感動がにじんでいた。
「これは……すごい」
「参考になりますか?」
「ええ、もちろん、でもどこでこれを?」
「友達がくれました」
「そう、でしたか……どこに住んでる人?」
あ?どこだろう?そう言えば聞いてなかった。
「あの?巫女さん?どうしました?」
「私も分からないんです」
「はあ……」
畑は残念そうに不思議そうに、大きく息を吐いていた。
「それ、差し上げます」
「へ?」
今度は畑が間の抜けた声を出した。
私は笑いたいのを必死にこらえる。
「その代わりに、百々楚姫のこと、本にしてもらえませんか?」
「お?」
もう一度、間抜けな声。
畑は顔を前に突き出し口を開けたまま固まっている。
私は下唇を噛んで笑いたいのを抑える。
そして、一息ついて問い掛けた。
「どうですか?」
「あ、そうですな……まずは裏どりをしないと……」
畑は眼鏡のブリッジを押さえ、難しい顔をしている。
「裏どり?」
「まあ、簡単に言うとですね、ここに書かれている事が、本当に会った事かどうかを確かめるんです」
「ふーん、そうなんですね……じゃあ、こういうのでいいじゃないですか、夕凪島、福田町に伝わる伝承」
「ほう。真偽はともかく伝承、伝説としてなら……分かりました、書いてみましょう」
「本当……ですよ」
ですよは、小さな声で囁いた。
「うん、本当に書きます」
畑は聞こえなかったようだったが、顔をしわしわにして喜んでいた。
「ありがとうございます」
両手を前に添えお辞儀をする。
「いや、礼を言うのは私の方ですわ」
畑は姿勢を正し、真剣な面持ちで、深々と頭を下げた。
リ、リン、リ、リリン―――
風鈴が涼やかな音を立てる。
透き通るようなその響きが、朝の空気の中に静かに広がった。
社務所の屋根の向こうには、すでに太陽が高く昇っている。
その光が視界に差し込んだ瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。
思わず身をかがめ、胸に手を当てる。
「巫女さん?」
畑の声が響き、一瞬、頭の中が白くなる。
けれど、すぐに、痛みは嘘のように消えていた。
何事もなかったように、胸の痛みは消えた。
「大丈夫ですか?」
「…はい、太陽が眩しくて」
苦笑いでごまかしながらも、無意識に胸をさする。
今のは……なんだったんだろう……
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