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カゲヌシ  作者: ぽんこつ


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24/95

心は水色

挿絵(By みてみん)

文菜は、7時に目が覚めた。

体は元気なのに、心と頭がどんよりと重い。昨日のあの奇妙な出来事が、心の奥に重しのように沈んでいる。

パンにバターを塗ってトースターに入れ、焼き上がるのを待つ間、椅子に腰を下ろして目を閉じた。

せっかくの“デート”の朝なのに、不安と戸惑いが胸の中で渦を巻いている。

昨夜、玲美に電話で不思議な体験談を話した。

玲美は驚きの声を上げながらも、しっかり最後まで聞いてくれた。

『何それ、怖いんやけど……私にも何かあるって事なんかな』

「玲美に?」

『だって、私さおかしな夢みたやん』

「でも、私の夢でしょ?」

『そうやけど、それ本当に私だったん?』

「うん、玲美に似てたけど…」

『そうなんや、私のそっくりさんか…でも、よく玄関開けんかったね』

「それは、声とか話し方が、何か違ってた」

『さすが、親友っていう感じやね』

「何か、変な話でごめん」

『ううん、何かあったら連絡してよ、水臭い』

「うん、ありがとうね、玲美」

『あ、そうそう、ちょうど文菜にメッセージ送った後にな、亜希が来たんよ、文菜帰って来てるって、教えたら会いたい言うてたよ』

「そうなんだ、私もみんなに会いたいな」

『亜希も、連絡するって』

「私もしてみる」

『あ、そうや、もしあれだったらさ、文菜、お祓いしてもらったら?』

「お祓い?」

『ほら、前に話した行方不明になった男の人、その人を島のあちこちで見たって人がいるみたいでさ、でも、みんな幽霊みたいに消えたって、そんなんで怪異やないのかって噂話が広がったん、気味悪いじゃん』

「そうなんだ」

『そうなん、もし気が向いたら、神主さんに話しとくよ、あっでも、諒くんのとこのがいいか、彼の家も神社じゃなかったっけ』

「もう、玲美ー」

『はいはい、お邪魔虫です』

「もう、玲美。感謝してるん、ありがとう」

『…して…』

「ん?」

『ううん、そしたら…また連絡するねー、おやすみー』

「うん、おやすみ」

チン――乾いた音が響き、目を開けた。

香ばしいパンの匂いが、キッチンの空気にゆっくりと広がっている。

椅子を引いて立ち上がり、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出す。

焼き上がったトーストを皿にのせ、テーブルへと運ぶ。

並べ終えたところで、椅子に腰を下ろした。

「いただきます」

グラスに口をつけると、アイスコーヒーの冷たさに、思わず肩がすくんだ。

一口、トーストをかじる。

けれど、その手がふと止まる。

視線が、窓の外へと自然に向かっていた。

夏の日差しに洗われた空が、ゆったりと流れている。

心の奥にはまだ、掴みきれない何かが、ひっそりと居座っていた。

──呼ばれている。

そんな感覚が、うっすらと胸をかすめる。

昨日、諒が”助けに”来てくれた時、その漂う感覚を伝えようとしたけれど、母が帰ってきたので声に乗せる事が出来なかった。

それから、どうしても、話したくて”デート”の事を口実に諒に電話をかけた。声が聞きたいのもあったから。

諒は、その事について何も語らなかった。ただ一生懸命考えてくれている。そんな沈黙があって。

「あまり考え込まないで、ちゃんと休めよ」

あたたかな声だった。

私の性格を見透かしたような、気遣いが込められた言葉、寄り添おうとしてくれる、そんな気配が嬉しかった。

完璧に吹き飛ばせたわけじゃないけれど、それでも──

そのお陰で、きちんと眠れた。

昨日だって、何もなければ、ただの楽しい一日だったはずなのに。

でも、”あれら”の出来事があったからこそ、諒との”デート”の約束につながったという一面もある。

そう思うと、全てが悪いことだったわけじゃないのかもしれない。

とはいえ――

……諒くんには、迷惑はかけちゃってるよね……

──だから、今日はちゃんと顔を上げたい。

食べかけのトーストをアイスコーヒーで流し込む。

冷たさが喉を通ると、少しだけ気持ちもシャキッとした。

両手を組み、頭の上でぐっと伸びをすると、体と一緒に、心も少しほぐれた気がする。

よし、と小さく息を吐き立ち上がった。

──きちんとした自分で会いたい。

そんな思いを胸に、洗面所へ向かう。

顔を洗い、歯を磨き、鏡に映る自分に微笑み返す。

――今日は、ちゃんと笑えるよね。

さらに気持ちを切り替える為、ベッドの上に服を並べた。

一枚一枚、手に取って、鏡に映してみる。

選んだのは、淡い水色のワンピース。

夏らしい、涼しげな色合いが気に入っている。

メイクを済ませて、髪は低めの位置でまとめる。

麦わら帽子を被り、ショルダーバッグを肩にかけて、鏡に向かい全身をチェックする。

鏡の前でひと呼吸。

「……大丈夫かな」

つぶやく声が小さく部屋に溶けていく。

部屋を出て階段を降り。

キッチンにいる母に声を掛ける。

「母さん、行ってくるね」

「あらあら、珍しく可愛らしい格好して……さては諒くんとデート?」

廊下に出てきた母は、にやけている。

「……うん」

「焦らないで楽しみな。きっと諒くん、お前のこと……好きなんじゃない?」

「え?」

「さあ、行った、行った」

母は背中をポンと押した。

「じゃあ、行ってきます」

ベージュのキャンバスシューズを履いて、玄関を出る。

夏の日差しが眩しくて手を翳す。

プーッ。

軽くクラクションの音が響く。

車の運転席の窓が下がり、諒が顔を覗かせている。

「おはよう」

いつもの、柔らかい声。

「おはよう、諒くん」

自然と頬が緩み、小さく手を振る。

ほんの少し心が浮ついて、小走りで近づき、助手席に乗り込んだ。

少し鼓動が早い――

諒との“初めてのデート”が始まる。

隣にいる諒を、サッと視線でなぞる。

マリンブルーのTシャツに、グレージュのパンツ。

昨日よりもきちんと整えられた髪型に、緩みそうになる頬を堪える。

姿勢を正してハンドルを握る手が、妙に落ち着いて見えるけれど――

ときどき、ギアに添える指先が微かに動いたり、喉仏が上下したり。

……諒くんも緊張しているのかも。

「店って何時から?」

「……え?えっと、11時から……」

「そっか、まだ少し時間あるな……」

ほんの少しでも一緒にいたくて、約束の時間を早くした――

それを口に出すのは、なんだか気恥ずかしかった。

「そう……だね」

「少し、ドライブでもするか」

こっちを向いた諒の視線が、朝の光を受けて優しく揺れる。

「うん」

小さく頷くと、車はゆっくりと動き出す。

「後ろの荷物は気にしないで。これ、伯父さんの車だからさ」

ちらりと後部座席を覗くと、段ボール箱がいくつか積まれていた。

日常の延長にある小さな風景が、今はなんだか少しだけ特別に思えた。

「天気よくて、良かったね」

「ああ。……昨夜、ちゃんと眠れた?」

気遣うようにかけられた言葉が、胸にすっとしみ込む。

嬉しい。でも、迷惑をかけてしまった申し訳なさも、どこかで小さな棘のように引っかかっている。

「……うん、眠れた」

信号待ちで車が止まる。諒は一瞬だけ、こちらに視線を向け、すぐに前を見た。

「……文菜、その服だけど……」

「ん?」

「……似合っていると思う」

褒め慣れていないのか、ちょっと照れたような声音。

ほんの一瞬、視線が重なり、それからまたすぐに逸れる。

たったそれだけのやり取りなのに、頬がほんのりと熱くなり、小さく微笑む。

「ありがとう」

心に巣くっている感覚が、少しだけ溶けていくのを感じた。

それから、諒は仕事中、つまり荷物の配送中に起きた、エピソードを話し出した。

「去年の暮れの事なんだけど、一戸建ての配達先で、インターホン鳴らしたら、渋い男の人の声で“どうぞお入りください”って」

「うん」

「それで、玄関開けたら、黒スーツの男が3人、正座で並んでた」

「え?怖いんだけど?」

思わず声が裏返る。諒の語り口は淡々としていて、それがなおさら可笑しさを誘った。

「“お持ちの品は例のブツでしょうか”って言われた。米だったんだけど」

「お米?」

「そう、サインもらったら“取引完了です。これで今年も越せます”って深々と頭下げられた」

「何それ!」

おかしさがこみ上げて、思わず吹き出してしまう。

お腹の底がふるふると震えて、痛いくらいだった。

「結構あるんだよ面白い事……そうそうこの間なんか、荷物の宛名が苗字は伏せるけど“クロ様”でさ、カタカナでクロ」

「クロ?猫っぽい……」

「当たり。で、玄関出てきたおばあちゃんが、“この子が受け取ります”って言って、猫を抱えて出てきた」

「えっ、本人登場……」

「“じゃあ、代筆で……”って言ったら、“筆がないの。肉球でお願いします”って」

「まさか?肉球サイン!?どうしたの?」

必死にこらえながら聞く。

「スタンプ台、出てきた。慣れてた」

「すごい!」

「でも、お婆ちゃんもサインしてくれたけどね」

「もう……もう、お腹痛い」

こんなふうに呼吸が追いつかないほど笑ったのは、いったいどれくらいぶりだろう。

「まだあるけど」

「お腹いっぱいだよ」

「そう」

必死で笑いを抑える私に、諒はちらりと視線を寄越す。

そして、ほんのわずかに、口元を緩めた。

フロントガラス越しに、あたたかい光が差し込んでいる。

その光が、全身をやさしく包み、すべてを洗い流してくれるようだった。

緊張も、迷いも、不安も。

体の内側から、やわらかな温もりが、じわじわと満ちていく。

この時間を、今だけは、ただ素直に大切にしたいと思った。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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