表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/17

■番外編1「ミナ計画ノートは見せない」

復讐は失敗した。ミナ・クロフォードは存在しなかったことになり、俺は朝比奈湊として普通に学校へ戻った。

普通に、と言っても、俺の周囲には全然普通じゃない三人がいる。


桐生朔は、相変わらず隣の席から俺を見すぎる。

瀬名陽斗は、距離を詰める前に「ここまでいい?」と聞くようになった。

神崎凪は、相変わらず何も言わずに俺の変化に気づく。


ただし最近は、一応「言っていい?」と聞いてくるようになった。改善している。たぶん。


だが、問題は別にあった。ミナ計画ノートである。

俺は、あのノートを処分するかどうかで、ここ数日かなり悩んでいた。復讐の失敗記録。黒歴史。


俺がミナとして三人を落とそうとし、勝手に陥落度をつけ、勝ったと思い込み、最終的に全部バレていたことを知って爆散した、恥の記録。

消すべきだ。燃やすべきだ。


いや、燃やすと家族に何事かと思われる。細かく破いて捨てるのが現実的か。いや、でもそれはそれで、なんか負けた気がする。

というわけで、俺はノートを鞄の奥にしまったまま、毎日持ち歩いていた。なぜ持ち歩くのか。


家に置いておくと澪に見つかるからだ。あの人は教師であり従姉妹であり、人生の地雷を笑顔で踏みに来るタイプの大人である。

俺の部屋に置いておけば、絶対に「掃除してたら偶然見つけちゃった」とか言う。鍵付きの引き出しでも、あの人は何かしらのギャグ補正で開ける。


だから持ち歩くしかない。そう思っていた。

その判断が、のちに俺を地獄へ落とすとも知らずに。


****


昼休み。俺は教室の端の席で、いつものように焼きそばパンを食べていた。

陽斗は俺の前の席に座っている。距離は近いが、一応机一つ分は空いている。成長した。犬にも待ては覚えられるらしい。


「湊、今日の昼、一緒に食べていいって聞く前に座っちゃったけど」

「もう座ってから聞くな」


「今から立つ?」

「立たなくていい。面倒くさい」


「やった」

「喜ぶところじゃない」


陽斗は嬉しそうに笑った。その顔にちょっとだけ胸が緩みそうになって、俺は焼きそばパンを乱暴にかじった。


「食い方」

「言うな」


「言ってない」

「言おうとした」


「思っただけ」

「思うな」


「それは難しい」


陽斗は笑った。俺も少しだけ口元が緩みかけた。

その瞬間、鞄が椅子の脚に引っかかって、がさりと倒れた。


「あ」


中身が少しこぼれた。教科書、筆箱、プリント。

そして、黒いノート。ミナ計画ノート。


俺は全身の血が引いた。陽斗の目が、そのノートに落ちる。

朔も、隣の席から視線を向けた。後ろの方にいた凪まで、なぜかこちらを見ている。


終わった。いや、終わってない。

まだ表紙だけだ。表紙には、澪の字で堂々と「ミナ計画ノート」と書いてある。


終わっている。完全に終わっている。

俺は反射的にノートを拾おうとした。同時に、陽斗も手を伸ばした。


指先が触れかける。


「触るな!」


俺の叫び声に、教室の数人が振り返った。陽斗がびくっと手を止める。


「ご、ごめん。拾おうとしただけ」

「拾わなくていい。俺の。これは俺の」


「うん。湊のだね」

「見るな」


「見てない」

「表紙見ただろ!」


「ミナ計画ノートって書いてあった」

「読んでるじゃねえか!」


俺はノートを抱え込んだ。顔が熱い。

死にたい。いや、死なない。死ぬくらいならノートを守る。


朔が横から静かに言った。


「まだ持ってたのか」

「持ってない」


「今、抱えてる」

「これは別のミナ計画ノートだ」


「複数ある方が怖いだろ」


くそ。正論で殴るな。

凪がいつの間にか近くに来ていた。


「見ない」

「神崎」


「うん」

「その言い方、すでに見たい人間の言い方だろ」


「見たい」

「正直になるな!」


俺はノートをさらに強く抱えた。凪は表情を変えずに言った。


「でも、見ない」


その言い方は本気だった。ちゃんと俺の意思を優先している。

そこは分かる。分かるけど、見たいとは思っているのが分かりすぎる。


陽斗が両手を合わせた。


「湊、ちょっとだけ。最初のページだけ」

「駄目」


「じゃあ目次だけ」

「目次なんかない」


「陥落度のページだけ」

「何で知ってる!」


「屋上で言ってたから」


俺はその場に沈みたくなった。言った。確かに自分で言った。

ミナ計画ノートに陥落度をつけていたことを、あの場で自爆した。最悪だ。


自分の口が一番信用できない。朔が咳払いした。


「瀬名、やめろ。本人が嫌がってる」

「分かってる。でも気になる」


「気になるのは分かる」

「分かるのかよ!」


俺が睨むと、朔は目をそらした。


「……多少は」

「多少じゃない顔してるぞ」


「見ないとは言ってる」

「見たいとは思ってるだろ」


「思ってる」

「お前も正直になるな!」


俺は頭を抱えた。三人とも見たい。だが、俺が嫌がっているから見ない。

そのラインは守っている。守っているが、見たい圧がすごい。


もう空気がノートを読んでいる。ノート本人が震えている気がする。

俺はノートを鞄に突っ込もうとした。その時、ひらりと一枚の紙が落ちた。


挟んでいたメモだった。

そこには、俺の字でこう書いてあった。


瀬名陽斗:陥落度120%。距離が近い。怖い。

ただし、嫌がると止まる。そこは偉い。


名前呼びに弱い。犬。

教室の空気が止まった。俺も止まった。陽斗も止まった。


朔が顔をそらした。凪が無言で紙を見ている。


「……見た?」


俺の声は、自分でもびっくりするくらい低かった。陽斗が、ものすごく慎重に言った。


「ごめん。見えた」

「読んだ?」


「読めた」

「忘れろ」


「努力する」

「努力じゃなくて忘れろ!」


陽斗は口元を押さえている。笑っている。いや、笑わないようにしている。

それが余計に腹立つ。


「犬って」

「言うな!」


「俺、犬なんだ」

「犬っぽいとは思ってたけど、書いた時の俺の精神状態は普通じゃなかった!」


「でも、そこは偉いって書いてある」

「そこを読むな!」


陽斗の顔が赤くなっていく。なぜお前が照れる。

照れるな。俺が恥ずかしいだろ。


「名前呼びに弱いって、バレてたんだ」

「バレてたっていうか、丸出しだった」


「そっか」

「そこで嬉しそうにするな!」


陽斗はにこにこしている。完全に嬉しそうだ。

俺は紙を奪い取って、ノートに挟み直した。最悪だ。


一人分の陥落度が流出した。しかもよりによって陽斗。

朔が隣で低く言った。


「俺のは」

「ない」


「嘘だろ」

「嘘じゃない」


「今の反応が嘘だ」


俺は唇を結んだ。朔のページはある。ものすごくある。


桐生朔:陥落度60%。理性で耐えている。

耳が赤い。たぶん照れている。


上着を貸すのが自然すぎる。むかつく。

教え方がうまい。むかつく。


でも安心する。むかつく。


絶対に見せられない。見せた瞬間、俺が死ぬ。

朔は俺の顔を見て、少しだけ眉を上げた。


「あるな」

「ない」


「俺のページ、あるだろ」

「ない」


「ある顔してる」

「顔を見るな」


「見る」

「見るな!」


凪が静かに言った。


「俺のは?」

「神崎、お前まで乗るな」


「気になる」

「気になるな」


「判定不能って書いた?」


俺は息を止めた。凪の目が少しだけ細くなった。


「書いたんだ」

「……書いてない」


「怖い、とも書いた?」

「書いてない」


「でも助かった、とも書いた?」

「書いてない!」


全部書いた。ほぼそのまま書いた。


神崎凪:判定不能。怖い。

でも助かる。怖いのに助かる。


隠れても見つけるらしい。怖い。

でも、逃げ道は残す。意味が分からない。


嫌じゃない顔、と言われた。危険。

判定不能。


見せられるわけがない。俺は鞄を抱えて立ち上がった。


「帰る」

「まだ昼休みだよ」


陽斗が言った。


「心が帰る」

「心だけ?」


「現実も帰りたい」

「それは駄目」


朔が即答した。


「駄目って何だよ」

「午後の授業がある」


「真面目か」

「真面目だ」


凪が少し近づいてきた。近すぎない距離で止まる。


「湊」

「何」


「見ない」

「……本当に?」


「本当に」


凪は静かに頷いた。


「湊が見せたいと思うまで、見ない」

「一生思わない」


「なら一生見ない」


その言い方が、妙にまっすぐで、俺は少しだけ言葉に詰まった。こういうところがずるい。

重いくせに、線は守る。陽斗も慌てて頷いた。


「俺も見ない。さっきのは本当に事故。犬は忘れる」

「忘れてないだろ」


「忘れる努力を最大限する」

「だから努力じゃなくて」


「無理かも」

「正直!」


朔は小さく息を吐いた。


「俺も見ない」

「本当か?」


「ああ」

「絶対?」


「絶対」

「気になっても?」


「気になる」

「そこは嘘でも否定しろ」


「でも見ない」


俺は三人を見た。全員、見たい顔をしている。

でも、見ないと決めている。俺が嫌がるから。


昔なら、たぶんここで「見せろよ」とか「何書いてんだよ」とか言われていたかもしれない。少なくとも、俺はそう思っていた。

でも、今の三人は違った。見たい。でも、俺が嫌なら見ない。


その当たり前みたいな線引きに、胸の奥が少しだけ温かくなる。俺は鞄を抱えたまま、ぼそっと言った。


「……まあ、いつか」


三人が同時に俺を見た。俺はすぐに顔をそらした。


「いつかだ。今じゃない。あと、全部じゃない。あと、変なところは見せない」


陽斗の顔がぱっと明るくなった。


「いつか見せてくれるの?」

「調子に乗るな。可能性の話だ」


「可能性あるだけで嬉しい」

「重い」


「ごめん。でも嬉しい」


朔が静かに言った。


「変なところって、どこだ」

「全部だよ」


「なら見せるところないだろ」

「そうだよ」


「じゃあ、いつかって何だ」

「うるさいな、言葉の綾だよ!」


凪がぽつりと言った。


「見せたいところだけでいい」


俺は凪を見た。凪はいつもの静かな顔で続けた。


「見せたくないところは、湊のものだから」


またそういうことを言う。まっすぐ。静か。逃げ道つき。

俺は顔が熱くなるのを感じた。


「……そういうの、急に言うな」

「重い?」


「ちょっと」

「気をつける」


素直に頷く凪に、俺はため息をついた。昼休みの終わりが近づいていた。

俺はミナ計画ノートを鞄の一番奥にしまい、ファスナーを閉めた。それから、三人を睨む。


「いいか。今日見えた内容は忘れろ」


陽斗が手を上げる。


「犬は?」

「忘れろ」


「そこは残したい」

「忘れろ」


「そこは偉いって書いてあったのも?」

「全部忘れろ!」


朔が小さく笑った。


「陥落度120%は、なかなかだな」

「桐生!」


「悪い。忘れる」

「今絶対忘れる気なかった」


「努力する」

「努力禁止!」


凪が静かに言った。


「保護より観察が正確」

「神崎、お前グループ名の話をここで蒸し返すな!」


「思い出した」

「思い出すな!」


チャイムが鳴った。俺は頭を抱えながら席に戻った。

最悪だ。またひとつ黒歴史が増えた。


いや、黒歴史が外部流出した。ただし、流出したのは犬だけだ。

犬だけなら、まだ耐えられる。たぶん。


****


放課後。俺は三人に囲まれながら校門まで歩いていた。

ノートのことは誰も話さなかった。話さなかったが、陽斗がたまに妙に嬉しそうに俺を見る。


朔が何か言いたそうにして飲み込む。凪はいつも通り静かだが、たぶん全部覚えている。

俺は校門の前で立ち止まった。


「本当に忘れろよ」


陽斗が笑う。


「うん。忘れる努力してる」

「努力じゃなくて」


「忘れた」

「今の言い方、絶対忘れてない」


朔が言った。


「忘れなくても、言わなければいいだろ」

「よくない」


「じゃあ忘れる」

「軽い」


凪が最後に言った。


「忘れないけど、大事にする」


俺は固まった。


「……それ、どういう意味だよ」

「湊が本気で書いたものだから」


凪は静かに言った。


「恥ずかしいものでも、なかったことにはしない」


俺は返事に困った。ミナ計画ノートは、恥だ。黒歴史だ。

でも、たしかに俺が本気で書いたものだった。傷ついて、悔しくて、勝ちたくて、それでも何度も助けられて、嫌じゃないと思って、嬉しいと書きそうになって。


全部、俺のその時の本気だった。俺は顔をそらした。


「……勝手に美談にするな」

「うん」


「でも」


三人が俺を見る。俺は鞄の紐を握った。


「いつか、一ページくらいなら、見せてやってもいい」


陽斗が息を止めた。朔が少しだけ目を見開いた。凪が静かに頷いた。


「一ページだけだからな」


俺は慌てて付け足した。


「しかも、俺が選ぶ。陥落度のところは絶対見せない。犬も見せない。上着のところも、見せない。凪の判定不能も見せない」


言いながら、自分で墓穴を掘っていることに気づいた。三人の目が、明らかに光った。


陽斗が口元を押さえる。


「犬以外にも、上着と判定不能があるんだ」

「忘れろ!」


朔が低く言う。


「上着のところ、あるのか」

「ない!」


凪が静かに言う。


「判定不能」

「ない!」


俺は叫んだ。終わった。また漏れた。

俺の口は本当に信用できない。三人は笑っていた。


でも、その笑いはからかいすぎない程度で、ちゃんと俺が本気で嫌になる前に止まった。それがまた、少しだけ嬉しかった。

俺は悔しくなって、わざと大きくため息をついた。


「もういい。帰る」

「明日も来る?」


陽斗が聞く。


「来るよ」


朔が言う。


「ノートは持ってくるなよ」

「持ってくる。家の方が危険だから」


「朝比奈先生か」

「そう」


凪が頷く。


「守る」

「何を」


「ノート」

「お前らから守るんだよ!」


三人がまた笑った。俺も、少しだけ笑ってしまった。

帰り道、俺は鞄の中のミナ計画ノートを指先で確認した。まだ、見せたくない。


恥ずかしいし、むかつくし、読まれたらたぶん三日は学校を休む。でも、いつか一ページくらいなら。

そう思ってしまった自分が、少しだけ悔しい。


****


家に帰って、俺はノートを開いた。新しいページに、今日の記録を書く。


番外編的事故。


ミナ計画ノート、落下。

瀬名に犬ページの一部を見られた。

最悪。


今日の被害。

俺の尊厳。


今日の発見。

三人は見たいけど、見ない。

嫌がったら止まる。

そこは、まあ、偉い。


俺は少し迷ってから、最後に一行足した。


いつか、一ページだけなら見せてもいい。

ただし、俺が選ぶ。

絶対に陥落度は見せない。


書き終えて、俺はノートを閉じた。スマホが鳴る。


グループ名は、いつの間にか変わっていた。


【ミナ計画ノート被害者の会】


俺は即座に打った。『誰が変えた』


陽斗。『俺じゃない』


朔。『俺でもない』


凪。『俺』


俺。『即戻せ』


凪。『湊保護会?』


俺。『それも違う』


陽斗。『じゃあ、湊中心会?』


朔。『宗教になるからやめろ』


俺は画面を見ながら、呆れて笑った。最悪だ。

こいつらは本当に最悪だ。でも、ミナ計画ノートを守るために、明日も学校へ行く理由ができてしまった。


それはそれで、まあ。

いいか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ