表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/55

帰還

地上に出たのは、翌朝の五時だった。


東の空が白んでいた。第四十一番ダンジョンの坑口から、俺たちは三人でゆっくりと歩いた。凛花の左腕には応急固定が施してある。ひなたが凛花の右側について歩いた。俺が左側についた。


「眩しい」とひなたが言った。


外の光を見て、目を細めていた。


「そうですね」と凛花が言った。


俺は何も言わなかった。


ギルドのスタッフが待機していた。医療班が走ってきた。凛花の腕を見て、担架を用意しようとした。凛花が断った。


「歩けます」


「でも——」


「歩きます」


俺たちは三人で、救護テントまで歩いた。


カメラが追いかけてきた。


配信のカメラだけではなかった。報道のカメラが何台もあった。ヘリが上空を旋回していた。


「すごい人数ですね」とひなたが言った。


「SS級ダンジョン制圧は記録上初めてですから」


「それって——わたしたちが初めて?」


「そうなります」


「えっ」とひなたが止まった。「えっ、じゃあわたし、すごいことしましたか」


「したと思います」


「えーっ」


俺はひなたを見た。止まっている。目を丸くして。さっきまで死力を尽くして戦っていた高校生が、今は「えーっ」と言いながら立ち止まっている。


何か笑えた。


笑い方を忘れていたかもしれないと思った。でも、出た。


「何笑ってるんですか、師匠」


「いえ」


「怪しい」


「怪しくないです」


「絶対怪しい」


「歩いてください」


俺たちは歩いた。


救護テントの中で、凛花の腕の処置が行われた。骨折三ヶ所。複数の靭帯損傷。「以前からの蓄積が相当ある」と医師が言った。「今後については専門医との——」


凛花が静かに頷いていた。


俺は少し離れた場所で、座っていた。


五時間ぶりに地面に座った。膝が笑っている。右腕の感覚が、まだ少し変だ。《加速》を受け入れた後遺症か、単純な酷使か、どちらかはわからない。


スマホに通知が百件以上来ていた。


一番上はギルドからだった。


「S級審査の結果を事前通知します。三名全員、S級認定とします。なお本件は通常の審査フローを経ず、ギルド長権限による即時認定となります」


俺はスマホを伏せた。


ひなたが食べ物を持って戻ってきた。スタッフからもらったらしい。おにぎりが三つ。


「はい、師匠」


「ありがとうございます」


「凛花さんにも持っていきます」


ひなたが凛花のいる方へ駆けていった。


医師が困っていた。凛花に向かってひなたが「のり?しゃけ?どっちがいいですか」と聞いていた。凛花が少し考えて「しゃけ」と答えた。


ひなたが「よかった、わたしのりが好きなので!」と言いながら戻ってきた。


俺はおにぎりを食べた。


味がした。


ちゃんと、食べ物の味がした。


処置が終わった後、凛花が俺の隣に来て座った。左腕をスリングで吊っている。


「お疲れ様でした」と俺は言った。


「お互い様です」


「腕の治療は——」


「今後については考えます。今は食べます」


俺はひなたを見た。ひなたが「あ、凛花さんの分忘れた」と言って立ち上がろうとした。凛花が右手でひなたの腕を掴んだ。


「食べました。ひなたさんにもらいました」


「え、いつ?」


「三分前に」


「全然気づかなかった」


「ぼーっとしていたんでしょう」


「そうですね」


俺はぼーっとしていた。


《構造透視》は今も動いていた。ダンジョンの外でも、周囲の構造が見える。救護テントの骨格。地面の下の配管。遠くのビルの建築構造。全部が、うっすらと見えている。


オフにできないのかもしれない。


そしてもう一つ——地底の、あの床の割れ目の向こう。


見えていた何か。


今も、《構造透視》の末端がそれを感知している。遠い。深い。でも、確かにある。


「榊さん」


凛花が言った。


俺は凛花を見た。


何も言わなかった。


凛花が、静かに手を伸ばした。


俺の手に触れた。


左手だった。スリングで固定されていない右手で、俺の手に触れた。


会話がなかった。


意味は伝わった。


ひなたが「あ」と声を上げた。


「なに?」とひなたが立ち上がった。「なに?わたし外見てていい?見ていた方がいい?でも外で何が——あ、でもこの空気は——」


「座っていてください」と俺は言った。


「でも——」


「座っていてください」


「はい」


ひなたは座った。


三秒で、ひなたが俺たち二人を思い切り抱きしめた。


「おめでとうございます!!!!」


凛花の手が離れた。


凛花が「……ひなたさん」と静かに言った。


「ごめんなさい!でも嬉しくて!」


「腕が」


「あっごめんなさい」


「笑えません」


「笑ってるじゃないですか」


俺は気づいた。


凛花が笑っていた。


声に出てはいない。でも、口元が、確かに上がっていた。


俺は外を見た。


空が明るい。


記者が遠くで何かを叫んでいる。


スマホの通知がまた来た。


《ヴァンガード》解散の速報。鷹峰涼介の探索者ライセンス取り消し。今日付けで正式決定。


俺はそれを読んで、スマホをポケットに戻した。


凛花が小さく言った。


「ありがとう」


初めて聞く声の質だった。


俺には返す言葉がなかった。


だから何も言わなかった。


外の光が、少し眩しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ