帰還
地上に出たのは、翌朝の五時だった。
東の空が白んでいた。第四十一番ダンジョンの坑口から、俺たちは三人でゆっくりと歩いた。凛花の左腕には応急固定が施してある。ひなたが凛花の右側について歩いた。俺が左側についた。
「眩しい」とひなたが言った。
外の光を見て、目を細めていた。
「そうですね」と凛花が言った。
俺は何も言わなかった。
ギルドのスタッフが待機していた。医療班が走ってきた。凛花の腕を見て、担架を用意しようとした。凛花が断った。
「歩けます」
「でも——」
「歩きます」
俺たちは三人で、救護テントまで歩いた。
カメラが追いかけてきた。
配信のカメラだけではなかった。報道のカメラが何台もあった。ヘリが上空を旋回していた。
「すごい人数ですね」とひなたが言った。
「SS級ダンジョン制圧は記録上初めてですから」
「それって——わたしたちが初めて?」
「そうなります」
「えっ」とひなたが止まった。「えっ、じゃあわたし、すごいことしましたか」
「したと思います」
「えーっ」
俺はひなたを見た。止まっている。目を丸くして。さっきまで死力を尽くして戦っていた高校生が、今は「えーっ」と言いながら立ち止まっている。
何か笑えた。
笑い方を忘れていたかもしれないと思った。でも、出た。
「何笑ってるんですか、師匠」
「いえ」
「怪しい」
「怪しくないです」
「絶対怪しい」
「歩いてください」
俺たちは歩いた。
救護テントの中で、凛花の腕の処置が行われた。骨折三ヶ所。複数の靭帯損傷。「以前からの蓄積が相当ある」と医師が言った。「今後については専門医との——」
凛花が静かに頷いていた。
俺は少し離れた場所で、座っていた。
五時間ぶりに地面に座った。膝が笑っている。右腕の感覚が、まだ少し変だ。《加速》を受け入れた後遺症か、単純な酷使か、どちらかはわからない。
スマホに通知が百件以上来ていた。
一番上はギルドからだった。
「S級審査の結果を事前通知します。三名全員、S級認定とします。なお本件は通常の審査フローを経ず、ギルド長権限による即時認定となります」
俺はスマホを伏せた。
ひなたが食べ物を持って戻ってきた。スタッフからもらったらしい。おにぎりが三つ。
「はい、師匠」
「ありがとうございます」
「凛花さんにも持っていきます」
ひなたが凛花のいる方へ駆けていった。
医師が困っていた。凛花に向かってひなたが「のり?しゃけ?どっちがいいですか」と聞いていた。凛花が少し考えて「しゃけ」と答えた。
ひなたが「よかった、わたしのりが好きなので!」と言いながら戻ってきた。
俺はおにぎりを食べた。
味がした。
ちゃんと、食べ物の味がした。
処置が終わった後、凛花が俺の隣に来て座った。左腕をスリングで吊っている。
「お疲れ様でした」と俺は言った。
「お互い様です」
「腕の治療は——」
「今後については考えます。今は食べます」
俺はひなたを見た。ひなたが「あ、凛花さんの分忘れた」と言って立ち上がろうとした。凛花が右手でひなたの腕を掴んだ。
「食べました。ひなたさんにもらいました」
「え、いつ?」
「三分前に」
「全然気づかなかった」
「ぼーっとしていたんでしょう」
「そうですね」
俺はぼーっとしていた。
《構造透視》は今も動いていた。ダンジョンの外でも、周囲の構造が見える。救護テントの骨格。地面の下の配管。遠くのビルの建築構造。全部が、うっすらと見えている。
オフにできないのかもしれない。
そしてもう一つ——地底の、あの床の割れ目の向こう。
見えていた何か。
今も、《構造透視》の末端がそれを感知している。遠い。深い。でも、確かにある。
「榊さん」
凛花が言った。
俺は凛花を見た。
何も言わなかった。
凛花が、静かに手を伸ばした。
俺の手に触れた。
左手だった。スリングで固定されていない右手で、俺の手に触れた。
会話がなかった。
意味は伝わった。
ひなたが「あ」と声を上げた。
「なに?」とひなたが立ち上がった。「なに?わたし外見てていい?見ていた方がいい?でも外で何が——あ、でもこの空気は——」
「座っていてください」と俺は言った。
「でも——」
「座っていてください」
「はい」
ひなたは座った。
三秒で、ひなたが俺たち二人を思い切り抱きしめた。
「おめでとうございます!!!!」
凛花の手が離れた。
凛花が「……ひなたさん」と静かに言った。
「ごめんなさい!でも嬉しくて!」
「腕が」
「あっごめんなさい」
「笑えません」
「笑ってるじゃないですか」
俺は気づいた。
凛花が笑っていた。
声に出てはいない。でも、口元が、確かに上がっていた。
俺は外を見た。
空が明るい。
記者が遠くで何かを叫んでいる。
スマホの通知がまた来た。
《ヴァンガード》解散の速報。鷹峰涼介の探索者ライセンス取り消し。今日付けで正式決定。
俺はそれを読んで、スマホをポケットに戻した。
凛花が小さく言った。
「ありがとう」
初めて聞く声の質だった。
俺には返す言葉がなかった。
だから何も言わなかった。
外の光が、少し眩しかった。




