ひなたの本気
覚醒体が動いた瞬間、凛花が弾けた。
盾を構えたまま、左に跳ぶ。覚醒体の前腕——鈍器の形をした右腕が、石床を叩いた。衝撃で床が割れた。体重換算で、おそらく十五トンを超える。
「引いて」
俺の声に、ひなたが下がった。
「近づくタイミングは俺が言います」
「はい」
「凛花さん、正面を三十秒お願いします」
「わかりました」
凛花が前に出た。
何をしているかは、傍目には理解しにくいだろう。盾も持っていない。ただ動いている。でも覚醒体の攻撃が、ことごとく外れる。
ステップが正確だ。踏み込みと引きのタイミングが、攻撃のリズムと完全に咬み合っている。元S級の技術だ。
俺は《構造透視》を全開にした。
因果のパターンが流れ込んでくる。覚醒体の体内に走る振動のリズム。コアの鼓動。外殻の収縮タイミング。
「次の収縮は——十一秒後」
「わかった」とひなたが言った。
「収縮する位置は胸部の右側、中心から二十センチ。高さは——地上から五メートル」
「五メートル」
「届きますか」
ひなたが周囲を見渡した。石柱がある。高さ六メートルほどの崩れかけた遺跡の柱だ。
「あそこから跳べます」
「八秒後に走り出してください。凛花さん」
「何ですか」
「収縮のタイミングの一秒前に右側に引いてください。覚醒体の注意を引きつけたまま」
「了解」
俺はひなたの手を取った。
《加速》を使わせるためには、触媒が必要だと直感的に理解していた。ひなたのスキルは外に向かうタイプだ。流し込む、という表現をしていたが——速度という性質を、対象に伝達するための媒介が必要になる。
今は俺の手だ。
「行きます」
「来い」
ひなたが走った。
石柱に向かって走りながら、俺は追う。ひなたの手を握ったまま。速度を落とさない。
三秒。
二秒。
一秒。
「今です」
ひなたが石柱を蹴った。跳ぶ。上昇しながら体を捻る。空中で俺の方を向く。
手が繋がったまま。
俺は地上で踏ん張る。ひなたの軌道の支点になる。
そのとき——感じた。
《加速》が起動した。
俺の手から何かが流れた。熱ではない。電気でもない。速度の性質そのものが、ひなたから伝わってくる。いや、逆だ。ひなたが俺の腕から引き出している。
「今!」
凛花が右に跳んだ。覚醒体の視点が動く。
ひなたの右手が、空中で凛花の剣の柄を掴んだ。
違う。掴んでいたのか。いつの間に凛花が投げたのか、俺には見えなかった。
《加速》が剣に流れた。
刹那——音が、消えた。
正確には、音が遅れた。
剣が動いた速度に、空気の振動が追いつかなかった。
覚醒体の胸部、右側。収縮した外殻の薄い点に——
衝撃音が、一拍遅れて鳴り響いた。
地底都市全体が震えた。
覚醒体が——のけぞった。
俺は目を見開いた。
「当たった」とひなたが言った。地面に着地しながら、膝をついた。「当たりましたよね」
「当たりました」
「よかった——」
荒い息。《加速》の反動が来ている。顔が青白い。
俺はひなたの背を支えた。
覚醒体が体勢を立て直している。外殻に亀裂が入っていた。浅い。でも、確かに傷がある。
初めての傷だ。
「見てください」と凛花が言った。
俺は凛花を見た。
凛花の左腕。防具の関節部分に、ひびが入っていた。防具ではなく——その下の、腕の輪郭が、わずかに変形している。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「嘘をつかないでください」
「嘘はついていません」
凛花が俺を見た。いつもの静かな目だ。でも口元がわずかに引き攣っている。痛みを堪えている顔だ。
「もう一回いけます」
「無理をさせるつもりはありません」
「わたしが決めることです」
「凛花さん——」
「榊さん」
凛花が俺の言葉を遮った。
「わたしは七年間、このために戦ってきました。最初の一回で終わるつもりはない」
俺は黙った。
ひなたが顔を上げた。息がまだ乱れている。でも目が、さっきと同じ光を取り戻していた。
「わたしも行きます」
「無理は——」
「師匠」
ひなたが立ち上がった。
「まだわかっていない。《加速》の、本当の限界が」
俺は二人を見た。
覚醒体が体制を立て直していた。亀裂の入った外殻が、ゆっくりと修復されている。次の収縮まで——《構造透視》が計算する——四十一秒。
「三人でやります」
俺は言った。
「凛花さんが盾、ひなたが加速、俺が目になる。完全な三位一体です」
「聞こえています」と凛花が言った。
「聞こえてます」とひなたが言った。
俺は《構造透視》を覚醒体に向けた。
因果のパターンが流れてくる。次の収縮。次の弱点。次の一手。
全部、見えていた。
「もう一回。今度は——核まで届かせる」




